1-8 邪神誕生!? ワシと女神は共犯者!
扉一枚を挟んだ向こう側、診察室ではテアが待っていた。
なお、その顔は真っ赤である。
「おい、女神、顔が赤いぞ」
「誰のせいですか 誰の!?」
テアはヒーサにこれでもかと言うほどに猛抗議した。
なにしろ、扉一枚の向こう側では、悲鳴とも嬌声とも判断のつかない声が飛び交っていたのだ。
それをずっと聞かされていたのである。
逃げたくもあったが、逃げるわけにもいかず、我慢に我慢を重ねて今に至っていた。
「声が大きい。あの娘が起きたらどうする気だ」
「だったら、もう少し自重しなさいよ。情景が見えない分、余計に卑猥だったわ!」
「何度も言うが、あくまで“動作確認”だ。なんなら、次は見学するか?」
「結構です!」
テアはどこまでも小馬鹿にしてニヤつくばかりの見た目好青年、中身スケベ爺の男に腹を立てた。神罰の一つや二つでもぶちかましてやりたいくらいであった。
「フフッ、久しぶりに女を抱いたからな。ついつい羽目を外してしまったわい」
「あ~、そう言えば、『時空の狭間』に呼び寄せる前は、籠城戦やってたもんね。それじゃ女遊びやってる余裕もないか」
ヒーサの中身である久秀は、謀反を企てて居城である信貴山城に籠っていたのだ。
そこで炎に包まれてから、今この瞬間まではまだ一日と経っていなかった。
かなり濃い時間を過ごしていたため、もう少し経過しているかと思っていたが、意外と時間は経過していなかった。
「ま、小娘相手でいささか物足りない感はあったが、それはそれで楽しめた。
「なに、その必殺技って……」
「試してみるか?」
「だから、結構ですって言ってるでしょ!」
やはり、冗談なのか本気なのか、掴みどころのない男だと思い知らされた。
そして、ヒーサはポンとテアの肩に手を置き、顔を近づけてきた。その表情は下品な笑みは消えており、真顔になっていた。
「女神よ、おぬし、安堵したな? 自分の代わりに伽を引き受けてくれる者が現れて」
「そ、それは……」
「フンッ! 神だなんだと偉そうなことを言っておいて、“生贄”を喜ぶだけの俗物ではないか」
見透かしたように言い放つヒーサに、テアは視線を逸らしてしまった。
実際、そうした自覚はあるし、上位存在からの“御小言”も飛んできた。
いくら人形に乗って行動しているとはいえ、神としての自覚や矜持が薄れているとは、考えたくもなかった。
「……それで、あの子はどうするつもりなの?」
取りあえずの話題逸らし。なにより、目の前の下種が何を考えているのかも知らねばならなかった。
「“父上”に願い出て、あの娘はワシの専属侍女とする」
「私がいるのに?」
「おぬしが伽を引き受けてくれるのなら、引っ込めるぞ」
「……はい、先輩として後輩の指導に当たらせていただきます」
よもや、神が人に生贄を差し出してしまうとは、もう一発“御小言”が飛んできてもおかしくないほどの醜態であった。
それを見透かしているからこそ、目の前の男は笑っているのだ。
「まあ、“往診”で忙しくなるから、お前は医者の助手を務めてもらうというわけだ。で、屋敷内の内向きなことはあの娘にやらせる」
「ああ、そういうことですか」
「で、早速だが往診に出かけるぞ」
先程からそういう言葉が出てきたが、当然そんな往診の予定などはない。あくまで、出かけていても不審に思われないための前振りなのだろうと考えた。
「それで、お出かけの目的は?」
「基本的に情報収集だよ。カウラ伯爵とやらが、数日中にここへ来るのだろう? 義父となる男だ。歓迎してやらねば、失礼にあたるからな」
「待ち伏せして、襲撃でもするの?」
「それも案の一つには入れてある」
しれっと義父となる者を攻撃すると言う辺り、やはりこの男はどうかしているとテアは思った。
「どのみち、まずは情報収集だ。攻撃するにせよ、懐柔するにせよ、情報がなければ判断ができん」
「なるほど。往診って言ってれば、怪しまれずにあちこち行けるってことね」
「おぬし自身がそう言ってたではないか。医者はどこへでも顔が出せると」
ヒーサの指摘通り、『時空の狭間』でのやり取りにおいて、医者のそうした利点について話した記憶はあった。
往診と銘打てば怪しまれずにどこにでも顔を出せ、しかも【大徳の威】のスキル効果により魅力値も増大しており、ますます動きやすくなる。山菜、薬草を探しているとでも言えば、森や山での活動すら自然に行うことができる。
しかも、公爵の子息という権威権力までまとっているのであるから、ヒーサの動きを制限するものはないと言ってもよい。
少なくとも公爵領内であれば、フリーパスと言ってもいい。
「さて、もう一つ“動作確認”だ。テア、今から侍女頭の所へ行って、リリンの体調が悪いので今日は寝かせておいてやってくれと伝えてこい」
「なに、その気遣い、キモイ」
「“動作確認”と言っただろうが。お前がどの程度、ワシから離れて行動できるのか、それを今のうちに計っておきたい」
「ああ、そういうことね」
テアはヒーサという
と言っても、常時すぐ近くでべったりしていなければならないようなことはなく、多少は離れていてもいいはずであった。現に、転生した直後、ヒーサがいた寝室内にテアはいなかった。
「そのあたりは、毎回違ってくるのよね。五十メートルくらいが限界の時もあれば、二百メートル離れても大丈夫な時もあるし。どういう条件付けなのかは知らない」
「なるほどな。まあ、今回はどの程度まで行けるのか、今のうちに確かめておこう。離れた位置から観察してもらう場合もあるかもしれんからな」
「監視くらいなら大丈夫だけど、基本的に神である私は、手を出さないからね」
あくまで神は監視者であり、行動を起こすのは
多少の指示を出しても、直接的な攻撃などは絶対にやらないし、やってはならない。そこまでやると、“御小言”では済まないペナルティが飛んできかねない。
「それと、だ。女物の服を一着用意しておいてくれ」
「……てことは、“久子”を使うってこと?」
ヒーサこと松永久秀は『時空の狭間』で手に入れたスキルにより、性転換が可能になっていた。
双子の妹という設定であるが、この世界でそれを通すのには無理があった。
なにしろ、父親がいる。妹がいれば、父親が知らないわけがなく、あくまで脳内設定的なものとして、テアは認識していた。
「出かけるときは、男で出かけるが、途中で女性体に入れ替わる。カウラ伯爵をどうするかは情報次第であるが、その際にヒーサの姿で詮索していると、後々面倒になるかもしれないからな。どこの誰とも知らない奴が嗅ぎ回っていた、くらいに落としておきたい」
「慎重ね、そういうところは」
「そのために、性転換できるようにしたのだからな」
「いよいよ、女梟雄登場か」
「あくまで、裏方よ。表に出れるとしたらば、ワシが公爵家を掌握してからだ」
もし、公爵家さえ手にしてしまえば、妹一人“作って”しまうことも造作もない。実は生き別れの妹が、などと適当な話をでっち上げてしまえばいいだけだ。
「しかし、私もどんどん闇落ちしていくというか、あなたの流儀に染まってきてるのかしら。お家乗っ取りだの、婚家への襲撃だの、普通に聞き流してしまっている自分が怖い」
「まあ、正式な神になったら、悪神や邪神の類に分類されるやもしれんぞ」
「えぇ~、ロキ先輩やアンリマユ先輩みたいになるの? やだなぁ~」
神話にも悪役はつきものであるが、それを自分がやるのは勘弁してほしかった。
「邪なる神もまた、神の一つの形だぞ。悪名が名声の一形態であるようにな」
「うん、それは思った。あなたみたいにあれだけ悪名轟かしているのに、妙に惹かれる何かを醸し出しているのよね」
実際、目の前の男は外道である。欲望に忠実と言った方がいいかもしれないが、とにかく周囲の迷惑などどこ吹く風。やりたいようにやってしまう。
それを自由と言うか、わがままと言うか、それは受け手次第である。
無茶苦茶やりながら、なぜか慕う者いたという事実。やはり、掴みどころのない奴だと、テアは改めて思った。
「では、さっさと出かけるとするか。こっちは往診に出かけるための準備をしておく。見せかけだが、一応医療器具やいくつかの薬は持っていく。そっちは侍女頭への伝言と、女服の用意を」
「了解。……はあ、やっぱ染まってるわ、私」
「まあ、気張らず楽しく行こうぞ、“共犯者”」
「“共犯者”ねぇ。ある意味、一番しっくりくるあなたと私の関係を表す言葉ね、それ」
ヒーサの頭の中には無数の策謀が、テアの頭の中にはそれに巻き込まれる悩ましさが詰まっていた。
そして、二人は準備ののち、屋敷から出立した。
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