1-6 危ない診療所!? 若医者の魔の手が少女を襲う!(2)

 感情揺れ動く少女リリンの事など、ヒーサには手に取るように分かっていた。


 だが、とぼけて見せた。



「先程の二人、ねえ。テア、先程、何かあったかな?」



 ヒーサは扉の前で立ったままのテアに尋ねた。



(こっちに話振るな、ボケ爺!)



 どうにか表情を取り繕いながら、好青年の中身に対して悪態をついた。当然、リリンもこちらを振り向いており、テアの言葉をドキドキしながら待った。


 そして、ため息の後、意を決しては口を開いた。



「先程のことと申されましても、特に何もございません」



「だよな。特に何もしてないよな」



 これは嘘ではない。実際、寸止めに近い状態であり、途中で止められたからだ。



「というわけで、何もないというわけだ。分かったね、リリン?」



「え、あ、は、はい!」



 脅しにも近い念押しに、リリンとしては頷かざるを得なかった。


 現に、二人がイチャついている部屋に着替えを置いて飛び出した後、程なくして二人は食堂に現れた。時間的なことを考えれば、あれから着替えてすぐに部屋を出たことになるはずだ。


 つまり、“何もなかった”ことになる。



(あれ? これって、相当マズい?)



 自分の横槍のせいで、お預けを食らったことになる。ヒーサからは怒っている雰囲気は感じられないが、かと言って許すかどうかの判断もしかねているようだ。


 少なくともリリンはそう感じた。


 どうにかしてご機嫌取りでもしないと、悪い意味で目を付けられかねない。


 そして、リリンは意を決して、ヒーサに申し出た。



「あ、あの、ヒーサ様」



「何かね?」



「も、もし、“御役目”をご所望でしたらば、私をいかようにでもお使いください! テア先輩ほど立派なものは持っておりませんが、わ、私、が、頑張りますから!」 



 現状、リリンがヒーサに差し出せるものは“自分自身”以外になかった。テアに比べて貧相であるため、お気に召すかどうかは分からないが、覚悟と意気込みは伝えることはできる。


 何もせずにうやむやのままこの場を去るよりかは、少なくとも好印象は稼げると判断したのだ。


 それに、淡い期待もあった。


 一時の欲望のはけ口であろうとも、目の前の貴公子と肌を合わせることができる。身分違いの色恋沙汰を、“初恋”を歪んだ形であろうとも実らせるのには、これしかない。そういう下心もあった。


 座ったままであるが、頭を深く下げての懇願とも罪滅ぼしとも取れる提案。どういう反応が返ってくるかは分からないが、リリンにとってはつたない頭で考えた結論だ。


 しばしの気まずい沈黙。その後、リリンの肩にポンとヒーサが手を置いた。驚いたリリンはビクッと全身を震わせた。


 そして、恐る恐る顔を上げると、目の前には顔を近づけていたヒーサがいた。整った顔立ちに優しげな笑顔、リリンは改めて顔を赤くし、視線をそらせた。


 とてもではないが、今は、少なくとも何らかの返事があるまでは、気恥ずかしくて顔をあわせることなどできなかったのだ。



「リリンよ、こちらを見なさい。可愛い顔が見えないではないか」



 リリンの耳にヒーサの声が突き刺さった。今、間違いなく可愛いと言ってくれた。心臓が破裂しそうなくらい暴れまわっており、それにつられてさらに顔も赤くなっていった。


 どうにか抑え込みたいが、抑える術を知らない。すべてをぶちまけてしまいたい気分であった。



「リリン、お前の覚悟は受け取ろう。だが、確認しておきたいことがある」



「な、なんでしょうか?」



「本当に良いのか? 戻れなくなるぞ?」



 問いかけの意味がまるで分からなかった。



「それはどういう意味で……」



「まあ、その後の人生がめちゃくちゃになるという意味合いになるかな?」



 そこまで説明されて、リリンはようやく理解ができた。


 貴人との色恋沙汰を成してしまえば、一般男性とのそれは面白みに欠けるものに映るのかもしれない。


 現に、公爵と関係を持っていた侍女頭は、すでに初老の域に達するほどに齢を重ねているが、未だに独身を貫いている。


 公爵との色恋沙汰に勝る情熱を、他の男性では感じることができなかったのだろう。


 それでもいいのか、とリリンは確認されているのだ。


 目の前の貴公子と結ばれるのは不可能だ。


 現に、もうすぐ結婚することになっているし、そうなるまでの繋ぎか、それとも“初めて”の女性を相手にする際の練習台か、とにかく真面目で本気なものではないことだけは間違いなかった。


 それでも、リリンは良かった。決して報われぬ色恋であろうとも、指先に軽く引っかかる程度でもいい。今はとにかく、揺れ動く感情を抑えることなどできはしない。



「か、構いません! どうなろうと、今は考えないことにします。ヒーサ様に上辺だけでもいいですから、御寵愛を賜りたいです!」



 感情の赴くままに突っ走る。後でどうなろうと知ったことではない。大胆な行動なくしては、掴めるものも掴めやしない。


 リリンは完全に決意を固めた。


 そこからは、ヒーサの動きは早かった。椅子から立ち上がると、ヒーサはリリンの手首を掴んで引っ張り起こし、そして、腰に手をまわして抱き寄せた。かなりの身長差があり、リリンの頭頂部はヒーサの肩にも届いていない。


 予想にもない行動に、あるいは期待はしていても実際にそうなるとは考えもしなかったヒーサの抱擁に、リリンは驚いた。


 だが、決意を固めている以上は臆することは何もない。この機を逃すまいと、ヒーサの体に顔を埋め、自身もまた掴まれていない方の腕を相手の背中に回した。


 耳にはヒーサの心音が伝わり、自身の分もまたそれに合わさるかのように音調が合わさっていく。


 ずっとこうしていたい。もちろん、それは叶わない。なにしろ、ヒーサには婚約者がおり、先程食堂で聞いた話では婚儀も近いとのことだ。


 だが、それでも実際に結婚するまでの短い間だけでも、貴公子に抱かれてもいいと考えた。



「テア、“往診”まで少し時間があるし、リリンの治療を施す。施術中は邪魔が入らないように、見張っておいてくれ」



 ヒーサはそう言い置くと、診療所の奥へとリリンを連れて消えてしまった。奥には入院用の設備があり、寝台が二つ備え付けられている。そこでやるのだろうとテアは確信した。


 ともあれ、テアは安堵した。なにしろ、欲望のはけ口として、少し前に襲われたばかりであるからだ。


 女神であろうとお構いなし、欲望の赴くままに突っ走る。大徳の皮を被った欲望という人の形、それがあのヒーサこと松永久秀だと思い知らされてきた。


 しかし、願ってもないことに、その欲望のはけ口に自分から進んでなろうという物好きな“生贄”の少女が現れた。自ら大口開ける化け物の前に飛び出してきた、正真正銘の生贄である。


 しかも、当人は生贄やら欲望のはけ口との自覚はあるようで、そういう意味では後ろめたさもなく、伽の役目を押し付けれたというわけだ。



「ありがとう、リリン。おかげで助かったわ。生贄役、頑張ってね」



 ぼそりと率直な感想をテアは述べた。


 その時だ。強烈な異音とともに頭が殴り飛ばされたような感覚に襲われた。


 それは“警告”。神が犯してはならない禁則事項に抵触したことへの痛々しい通達なのだ。


 なぜ、それが届いたのかを、テアは考えた。


 そして、一つの可能性を見出した。



「そうだ、“見習い”の神は生贄を受け取ってはならない。あるいは、利益を受けてはならない。さっきのリリンの行動はヒーサに対してだけど、私にも利があったから、それをシステムが、生贄と利益享受であると誤認した!?」



 それしか考えられなかった。


 ちなみに、テアこと女神テアニンは、見習いの神としては成績は優秀な方であった。突出した好成績はないものの平均よりも高い数値を常に出しており、また違反行為などもなかった。


 それがいきなりの懲罰付きの違反行為を食らってしまった。これはテアにとって、かなりショックであり、焦りを覚えるには十分すぎた。



「人は世界に干渉できない。世界に干渉できるのは神だけ。でも、人は神に影響を与えることはできる。よって、人は神を介して世界に干渉できる、ってことかしら。でも、それだとしたら……」



 テアは戦慄した。なにしろ診療所の奥に消えていった男とは、体感時間で一日も経過していないほどの付き合いでしかない。


 にもかかわらず、いつの間にかこちらの精神に影響を与え、あるいは汚染し、あるいは食い潰しに来ている。


 神を恐れぬ所業か、あるいは単に欲望に忠実に動き回った結果か、もしくはすべて計算の上か、とにかく掴みにくい相手であることは再認できた。


 さっさと魔王を探し、この世界とはおさらばしたいと、テアは真剣に考えるのであった。

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