1-5 危ない診療所!? 若医者の魔の手が少女を襲う!(1)

 カンバー公爵の邸宅のはずれには、一軒の家屋が立っている。そこはかつて物置として使われていたのだが、現在は大掛かりな改修が施され、診療所兼薬品庫として使われていた。


 そう、公爵の次男ヒーサの職場であり、根城であった。


 ヒーサは医大を卒業後、早速医者としての拠点となるべき場所をと父に要請して、当面はここでということであてがわれたのだ。


 そして、その診療所には、三人の人物の姿があった。ここの主人とも言うべきヒーサ、その専属侍女メイドのテア、同じく侍女のリリンだ。


 表向きは体調を崩しているリリンの診察ということになっているが、それが建前であることはリリン自身が百も承知している。


 なにしろ、つい先程、朝食の少し前に、ヒーサとテアが寝室でイチャついているのを、リリンが目撃してしまっているからだ。


 リリンはそういう行為をしたことはないのだが、知識として頭の中には多少入っており、気が動転してその場を逃げるように立ち去った。


 どうにか平静を装いつつ、朝食の給仕として食堂で仕事に励んでいたのだが、どうしても二人のことが気になってしまい、なかなか仕事に集中できない有様であった。


 そこへヒーサの声がかかり、診療所で診察という流れになった。



(絶対、さっきのことで何か言われる! どうしよう……)



 リリンとしてはさっさと逃げたかったが、逃げられる様子でもなかった。先頭をヒーサが歩き、その後ろを自分、さらに後ろをテアという順番で診療所に向かっていた。


 つまり、二人に挟まれている格好であり、スッと逃げてしまうことなどできなかったのだ。


 しかも、主人である公爵のマイスからは診てもらうようにと有難いお言葉を頂戴しているため、そういう意味でも逃げられる状況ではなかった。


 どうしようどうしようと悩んでいるうちに、ついに診療所の前まで到着してしまった。


 ヒーサは持っていたカギを使って診療所の扉を開け、中へと入った。


 ヒーサは“転生してから”初めてこの診療所に足を運んだが、記憶には魔術的な修正が入っているらしく、中の構造や置いている道具類のことはしっかりと把握していた。


 診療所は三部屋ある。


 一つは入ってすぐの診療室。椅子や机の他、患者の状態を見るための診察用の台など、色々と置かれている。


 その奥の扉の向こうは薬品庫になっている。各種薬物が保管されており、物置を無理やり改装した名残か、窓が封印されて日が差し込まないようになっていた。


 また、別の部屋は入院施設になっており、簡素な部屋に寝台が二つ並べられているだけであった。


 その診察室に三人が入り、ヒーサとリリンが椅子に腰かけて相対し、テアは入り口の扉の前に立ち、二人の様子を眺めていた。


 テアとしては、何気なしに立っているだけであったが、リリンとしては唯一の逃げ道を塞いでいる格好となっており、誰も来ない密室で三人、どうなることかと心臓が激しく打ち鳴らされた。



「で、リリンよ、どこの具合が悪いのだ?」



「はへ?」



 先程のことを問い詰められると思いきや、普通に体調のことを尋ねられ、リリンは却って混乱した。


 呆けた声を口に出し、頭の中の整理がつかなかった。



(リリン、気を付けなさい。それがその男の常套手段よ。相手のことを理解しつつ、あえて大暴投して隙間を作り、そこから次々と塩を塗り込んでくる。気が付いたころには術中にはまってしまうわよ)



 テアは心の中で応援しつつ、事態を見守った。下手に干渉してヒーサの機嫌を損ねてしまっては、へそを曲げて魔王探索を止めるなどと言い出しかねないからだ。


 明確な規定違反以外はスルー、これで当面は通そうと考えた。



「リリン、答えてくれねば、話が進まないぞ」



 ヒーサはリリンに回答を促した。目は真剣そのもので、とてもふざけて医者を興じているのではなく、本当に患者に接する医者としての行動であった。



「ええっと、具合は悪くないです。ただ……」



「ただ?」



「その、先程のお二人のことが気になって」



 リリンは顔を真っ赤にして口にした。なにしろ、リリンは着替えを届けにヒーサの寝室に入ると、そこには寝台の上に組み伏せられ、あられのない姿となっていたテアがいたのだ。


 そして、それに覆いかぶさるようにヒーサの姿もあった。


 二人が“ナニ”をしているかは明白であり、それゆえにリリンは赤面しているのだ。


 リリンは生まれて十五年になるが、男性とそういう関係を持ったことはない。


 ただし、知識としては頭の中に入っている。若い侍女メイドが主人からその手のことを求められることがあるため、基礎的な知識は入れさせられているといってもよい。


 事実、侍女頭が若かりし頃、現当主のマイスとそういう関係を持ったことがある、とリリンは聞かされており、そうした“御役目”が自分に回ってくるかもしれないと覚悟はしていた。


 何しろ、現在、公爵家の邸宅には三人男性がおり、父と兄は妻に先立たれて現在独り身、弟の方はまだ未婚という状態であり、性欲のはけ口として侍女に声をかけてくることは十二分にあり得た。


 とはいえ、勤め始めて間もないころに、留学先から帰ってきたヒーサに出会い、すぐさま恋に落ちた。年齢も程近く、美形で性格も温和であり、リリンも仕事以外のことで気さくに何度か話しかけられたこともあった。


 ヒーサ様になら夜伽のお声掛けを喜んで引き受けようかな、などと恋心と下心の入り混じった感情を持つようになった。


 もちろん、それは秘めたる思いであり、具体的な行動に移すようなことはしなかった。


 しかし、実際に手を出されたのは、今自分の後ろに立っている先輩侍女のテアであった。


 これには、リリンも納得せざるを得なかった。なにしろ、テアは女神かと思うほどに美人で気品があり、独特な雰囲気をまとっており、とても自分では太刀打ちできないほどの美貌の持ち主であった。


 一方、リリンは自身の貧相な体つきを嘆いた。齢は十五歳なのだが、瘦せていて背も低く、年下に見られることも多々あった。


 現に、侍女として採用されてマイスの前に出た際には、十二歳くらいに見られてしまったほどだ。


 子供扱いされたことについて、リリンとしては腹立たしかったが、公爵相手に文句を言うわけにもいかず、一端の侍女として認めてもらうためにあれこれ奮起した。


 その結果、まだ働き始めてから二月程度であるが、随分と目をかけてもらえるようになっていた。


 当主も、その子息二人も揃って“人格者”であり、誠心誠意お仕えするべき存在だと、リリンは考えるようになっていた。


 ただ、意外であったのは、目の前の次男の方が、思いの外、好色であった点である。



(まあ、このくらいの年齢で、目の前に絶世の美女がいればそうなるかしら)



 という結論に至り、リリンは深く考えないようにした。


 しかし、それでも気になるのは、自身がヒーサに対して、少なからず恋心を抱いているのを知っており、秘めた思いが先程の一件で抑えきれなくなるくらいに暴れ始めたのだ。


 二人が行為に及ぼうとしているのを目撃した時、リリンは驚いた。その驚きと同量の“妬み”が生じたことも、すぐに気付いた。


 恋心と嫉妬は表裏であり、嫉妬が強ければ強いほど、抱く相手に恋をしているのだ。


 しかし、それは許されるものではない。相手は公爵家の子息であり、片やどこにでもいる町娘である。身分違いも甚だしいことであった。


 そういう意味ではテアも同類なのだが、テアにはリリンにない圧倒的な美貌があり、貴人の愛人枠に収まるのには十分すぎるほどの美女だ。


 ヒーサへの恋心、テアへの嫉妬、あるいは自身との対比、嵐のような感情がリリンの中で渦巻いており、それが落ち着かない態度となって表に出ていた。


 そんな少女の激流のごとき感情とは裏腹に、ヒーサの表情は敢えて意味が分からぬと言わんばかりの呆け面を作った。


 相手の感情を読み取りながらも、素知らぬ態度を見せていた。

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