1-4 初手暗殺!? 標的は誰だ!?(後編)

 ヒーサの礼節は完璧であった。


 何しろ、その中身は戦国の梟雄・松永久秀である。


 外交折衝など“手慣れたもの”であり、人前で猫の毛皮を被るくらい、それこそ星の数ほどこなしてきた身の上だ。


 恭しく食堂の上座に座る父親と思しき者に頭を下げた。



「おお、ヒーサ、おはよう。今日もいい朝であるな」



「はい、父上。ご機嫌麗しゅう」



 当然、応対も完璧にこなし、一切の邪な感情を表に出してはならない。


 あくまで、表向きは優しい好青年を演じつつ、父の目線から見て“良い息子”でなくてはならないのだ。


 ちなみに先程、自室に入ってきてヒーサとテアがイチャついているのを目撃した侍女は、給仕として部屋の隅に控えていた。


 ヒーサがテアを伴って食堂に入ってくるなり、顔を赤らめてチラッチラッと二人を見つめていた。


 ただ、周囲の人々は特にこれといった反応を示していないことから、先程のことはどうやら話してはいないと察することができた。



(好色な若様、という評が定着してはいかんからな。上々、あとで愛でてやろう)



 などと考えつつ、席に着いた。


 そして、再び食堂の扉が開き、手ぬぐいで汗を拭きながら男が一人、入ってきた。



「セイン兄様、おはようございます」



 一度席を立ってから、ヒーサは入ってきた兄に対してお辞儀をした。



「おう、おはよう、ヒーサ。父上もおはようございます」



「セインよ、朝から鍛錬とは元気のよいことじゃ」



「体は動かさねば、すぐに鈍ってしまいますゆえ」



 豪放な性格らしく笑いながら席に着き、使っていた手ぬぐいは控えていた侍女に渡した。



「ヒーサよ、お前も今少し鍛えておれよ。書にかじりついてばかりでは、体が鈍るぞ」



「兄上こそ、鍛錬も程々になさいませ。張り切りすぎて、馬より転げ落ちても知りませぬぞ」



「なあに、その際はお前に診てもらうとしよう」



「はい、父上も兄上も、何かありましたら私が診て差し上げます。母上をお救いできなかった分、お二人には養生していただきたいですから」



 ヒーサの医術は病気がちであった母を救うため、という設定に沿った言葉を投げかけた。


 案の定、二人は気落ちした顔に変じた。なにしろ、妻ないし母が他界してから三月と経っておらず、今この場にいないことが寂しくてならないのだ。


 医師免許を手にして実家に戻ってきてみれば、すでに墓の下。ヒーサはそれが悔しくてならなかった、という表情を作って二人を交互に見つめた。



「母さんの件は残念であったな。だが、ヒーサよ、お前が気にすることではない。医者からはお前が生まれてすぐに長くはもたないと言われていたのに、一端に成長するまで生きておったのだ。むしろ、長すぎたくらいだ」



「そうは申しますが、母を救うと医師を目指しながら、結局は何もできずに終わってしまいました」



「これも天寿と思うて諦めるよりあるまい。まあ、朝から気の滅入る話は止めよう! さあ、神に感謝して食事にいたそう」



 三人は胸に手を当て、神に祈りを捧げた。なお、その“神”とやらはすぐ後ろで侍女として控えているとは、一人の例外を除いて知る由もなかった。


 こうして一家での朝食が始まったが、その光景はヒーサにとって、久秀にとって眉をひそめるものであった。表情に出さないようにするに苦労するほどに、醜悪な光景であった。


 まず、朝食の献立だが、パンに野菜のスープ、何かの鳥の焼物ローストであった。


 それはいいにしても、食べ方がいただけなかった。すべて手掴みで口に運んでいたのだ。


 汁物のために匙はあったが、深皿を持ち上げて匙を用いて掻っ込むように食しており、優雅さの欠片もない食べ方であった。



(ここは日ノ本でないのだから、箸がないのは覚悟していたが、これほどの醜悪な食事風景を見せられようとはな。大貴族の食事でこうなのだから、これがこの世界でのありきたりな食事風景か)



 ヒーサはその流儀に合わせて、少し気が引けるが、手掴みでの食事を始めた。パンを掴んでは手で千切って口に運び、匙でスープを飲んだ。



(一部の宣教師が使っておった小熊手フュスキーナもない有様か。これはいかん。この辺りの作法も変えていかねばならんか)



 やるべき事が増えた。文化人を称する者として、これは見過ごすことのできぬ案件であった。


 食事を終えて、汚れた手を手ぬぐいでふき取り、再び神の祈りを捧げ、朝餉は終わりを告げた。


 腹を満たして幸福感に包まれながら、マイスがヒーサの方を向いた。



「さて、ヒーサよ、お前の婚儀について、話しておきたいことがある」



「はい」



 婚約者がいるという情報を得ていたので、特に驚きはしなかったが、ヒーサの中身は七十歳近い老人である。そんな身が若い花嫁を娶るなど、なんとも笑いが込み上げてくるというものであった。


 相手への哀れみも含めて。



「お前の相手はカウラ伯爵のご令嬢ティース嬢だが、近々輿入れが決まった。その件で伯爵が数日中にここへ来るそうだ。義父となる者だ。しかと挨拶していい印象を稼いでおけよ」



「なんとも、急なお話ですね。私が医師免状を持って家に戻ってきて、まだ二月経つか経たぬかという時期ですのに」



「まあ、お前が学校に行く前から決まっていた婚約であるし、卒業してから輿入れするという話であったからな」



 貴族同士の結婚など、親や家門の長が決めてしまうことであり、その点ではヒーサは特に何も思わなかった。


 日ノ本の武家社会でも、政略結婚など当たり前であり、珍しくもなかったからだ。



「ティース嬢はお前と同じ十七になるそうだ。なかなかの美形であるとも聞いている」



「それは楽しみでございます。どのような美しい姫君かと、心躍る次第です」



 これは嘘偽りない本心であった。美女を娶るのは悪い気分でないし、それはそれでこの世界での楽しみが増えるというものであった。


 問題は、婚儀によって結びつくカウラ伯爵なる人物の情報がないことであり、早急に調べる必要があった。利用できるのか、どうかだということを。



「私のことはさておいて、兄上、そろそろ再婚を考えられてはいかがでありましょうか? 若い身の上で独り身というのもお寂しいでしょうし」



 ヒーサは兄セインにそう問いかけた。セインは結婚していたものの、子をなす前に新妻を病で失っており、それ以来独り身となっていた。



「さてさて、どうしたものかな。父上、よき縁談はありましょうや?」



「探してはおるよ。まあ、しばし待て」



 セインは公爵位の継承者であり、その妻は次なる公爵夫人が確約されている。当然、その座に滑り込もうと考える者は多い。


 父であるマイスとしても、そのあたりを考えていい縁談を見つけてこなばならず、なかなかに決まらない有様であった。



(まあ、その方がこちらとしては好都合だがな。兄一人消すのと、兄の一家をまとめて消すのとでは、仕事の難易度が違ってくる)



 一欠片の殺意も出さず、あくまで朝食後の一家の会話を楽しんでいる風を装い、次々と考えを張り巡らせているのだが、やはり転生して間のない状態であり、人手も情報も足りていなかった。


 しばらくは隙を伺いつつ、それらの確保に努めねばならないと考えた。


 ならば、まずは軽く第一手。



「では、私はこれにて失礼いたします。今日は往診が一件、入っておりますので」



「ハッハッ、早速医者としてのお勤めか。頼もしい息子よな」



「医者になったからには当然でございますよ。父上、兄上、怪我や病気で何かありましたら、すぐに私に申し付けてください。必ず治して差し上げますよ」



「うむ、その時来たらば頼むとしよう」



 息子の成長した姿にマイスは満足そうに頷いた。だが、中身が自身に対して明確な殺意を抱いていようなどとは、露ほども感じていなかった。その辺りは親子の関係に加え、【大徳の威】が有効に働いて好意的に受け取られているからだ。


 悪事がばれて、スキルが崩壊するまで、この状態がなくなることはない。


 礼をしてから立ち去ろうとするヒーサであったが、一人の侍女の前で立ち止まり、顔を覗き込むように見つめた。



「リリン、どうかしたのかい? 落ち着かないようだし、顔も赤い。体調が悪いのでは?」



「はひぃ!」



 もちろん、目の前の侍女がなぜ顔を赤らめているのかは、当然ながら知っていた。知っていたが、あえて尋ねた。


 ちなみに、ヒーサは目の前の侍女の情報も、すでにテア経由で入手していた。


 名をリリンといい、齢は十五歳。ヒーサが卒業して戻ってくるのと同時期に住み込みで働くようになった。


 短めの黒髪と黒い瞳を持ち、背丈が低めで幼く見られることを気にしており、それが行動にも背伸びしたがる傾向が見られるとのことだ。


 その若い侍女の額にヒーサは手を当て、リリンはビクッと肩を震わせた。



「少し熱があるようだね。父上、往診まで時間がありますので、リリンを“診察”してもよろしいでしょうか?」



 振り向いて尋ねるヒーサに、マイスは頷いてそれを了承した。



「リリン、折角だから、ヒーサに診てもらうといい」



「え、あ、ですが、仕事が」



「構わんよ。仕事中に倒れられても事だからな」



 侍女に対しても優しく親切な態度であり、こうした気配りがマイスの評判を上げているのであった。


 だが、今はその優しさがリリンにとって面倒な状態に陥らせていた。



「では、リリン、私の診療所まで来なさい。診てあげよう」



「は、はいぃ……」



 きっと先程の一件で何か言われると怯えたが、それに対して抗う術を持たない。主人である公爵も連れていくことを許可してしまったし、どうすることもできないのだ。


 リリンは諦めて、ヒーサについていくこととなった。頭を下げて食堂を退出し、テアもまた二人に続いて出ていった。


 出て行った扉を見ながら、マイスは満足そうに頷いた。



「出来た息子だ。セインよ、お前とヒーサが協力して家を盛り立てれば、何も心配はないな。安心して家督を譲れるというものだ」



「何を仰られますか、父上。いくら寂しいからと、母上の下へ行かれるのは早すぎますぞ。せめて孫の顔でも見てから行ってください。じいじと呼ばれて、ニヤける顔が見たいものですな」



「それはいい。ならば、早くお前の再婚相手も見つけてこなくてはな。孫の顔をさっさと見せてもらうために」



 二人は和やかに朝食後の会話を続けた。


 しかし、二人は全く気付いていなかった。その息子であり、弟である男が二人の命を狙い、見えざる手を伸ばして毒の刃を突き刺そうとしていることに。

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