0-2 さらば平蜘蛛! 第一月曜は不燃物の日!

 気が付くと、久秀は真っ白な空間で横になっていた。地面はもとより、見上げる空もまた白い。そもそも空があるかすらわからない。どこまで見ても白なのだから。



「ここは……」



「気が付かれましたか?」



 不意に後ろから声をかけられ、久秀はそちらを振り向くと、そこには一人の女性が椅子に腰かけていた。


 髪は長く薄い緑色。瞳もまた緑色をしていた。均整の取れた顔付きで、腕もすらりと細い。それでいながら胸元はしっかりとした物をお持ちで、服は黒を基調とした服に身を包んでいた。



「ここはどこだ?」



「ここは時空の狭間。様々な世界や神の国、その時間と空間を超越した場所。全てを眺め、すべてに飛び込める特別な場所なのです」



 女性はそう話しかけると立ち上がり、ゆっくりと久秀に近寄った。ちなみに、久秀は一切の服を着ていない全裸であるが、久秀も女性も全然気にしていなかった。



「で、その特別な場所とやらになぜワシがいる? あれか? 閻魔の法廷の待合室か?」



「いいえ。あなたは死にましたが、魂は閻魔庁には渡さず、私が回収させていただきました。なので、あなたは私の物」



「断る」



 久秀はきっぱりと断った。信長に魂を差し出すのを良しとせず、背いた身の上である。今更誰かの支配下に入る気などなかったのだ。


 しかし、女性の方は全く動じない。断られるのが、まるで分かっていたかのように平静だ。



「まあ、そう言うと思いましたよ。ですが、その強靭な精神こそ、私には、いえ、あの世界には必要なのですから」



「褒めてもらって痛み入るが、今のワシからは何も出せんぞ」



 なにしろ、久秀は完全なるマッパである。差し出せるものは何一つない。あるとすれば、それは命と魂だが、死んだ身の上ではどうなっているのかが分からないのだ。



「そうですね、簡単に説明しますと、ヒサヒデ、あなたにはこれからカメリアという世界に行ってもらいます。そこで“魔王”を探し出してほしいのです」



「魔王なら安土にいるぞ」



 うっとうしいことこの上ない大うつけ。今も安土でにやけていると思うと、久秀としてはイライラが募るというものだ。



「あ、いえ、あなたの世界の魔王ではなくてですね。カメリアの魔王を探してほしいのです。おっと、申し遅れましたが、私は女神テアニンと申します」



「女神だというなら、自分で探せばよいだろう。神の奇跡なり、神通力やらで」



「それができないから、あなたを誘っているのです」



 テアニンと名乗る女神はパチンと指を鳴らした。すると、そこには金髪の少年が現れた。ただし、眠っているのか、意識がないのか、ピクリとも動かない。



「これはカメリアにおけるあなたの体。今、あなたは言ってみれば幽体の状態で、あちらの世界で活動するには肉体を持つ必要があります。それがこれ」



「ほほう。南蛮人風の若者か。齢十七前後といったところか」



 変わった趣向に久秀は聞く気にだけはなった。面白い話を聞くのも、後学のためには悪くはないからだ。すでに死んではいるが。



「で、女神が地上に降りる際には、自分によく似た人形を用いて活動しますが、その際に“プレイヤーキャラ”と呼ばれる自分の選んだ人間の側にいなくてはならない、という制約があるのです」



「なるほど。つまり、そのカメリアという場所に行くなら、二人寄り添って行かねばならぬと」



「そうそう」



 ようやく理解してくれたかと、テアニンは満足そうに頷いた。



「ならば、こちらとしても要求がある」



「なんでしょうか?」



「ワシの情婦イロになれ」



「……はい?」



 テアニンには久秀の言葉が分からなかった。だが、しばし黙考すると、ようやくにそれを理解した。途端に顔を真っ赤にした。



「あんたバカですか!? 私、今まで何人も人間呼びましたけど、いの一番に女神をナンパしたの、あなたが初めてですよ!」



「ナンパ、とはなんでござるかな?」



「女口説くって意味ですよ!」



「おお、そういう南蛮語か。ハッハッ、戦国男児の嗜みゆえ致し方なし。まあ、口説くよりも攫ってきた方が早いがな」



 特に悪びれた様子もなく言ってのける久秀。テアニンは思った。呼び出す人間、間違えたと。



「くっそ、ランク低めで能力値高いのを見つけたから呼び出してみたけど、とんだハズレを掴まされたわ、ちっくしょう」



 可愛い顔が思い切り歪んでいる。育ちの悪い物乞いのような顔に、久秀は鼻で笑った。



「おいおい、女神様よ、素が出始めとるぞ。この程度で上品な貴人の真似事がはげるようでは、まだまだ修行が足りぬな」



「うっさい、黙れ」



 テアニンは久秀を睨みつつ、頭を掻きむしった。



「能力値高め、されど操作性が最悪。それで低ランク判定か」



「フン! ワシを操れるのはワシ自身のみ。神であろうと、ワシを操作しようなどと、おこがましいにも程があるわ」



「ついでに、性格にも難あり、と」



「誉め言葉として受けておこう。性格の良い者なんぞ、他に余程の特色がなければ、食い物にされるだけだからな。もちろん、表面的に良い人を演じるのであれば話は別だが」



 言葉の応酬はいよいよ嫌みのぶつけ合いの様相を呈してきた。これ以上は不毛と考え、テアニンは深呼吸をして一旦落ち着くことにした。



「と、に、か、く! はっきり言いますと、あなたに選択権はありませんよ。あちらの世界に飛んで、魔王を探し出す以外に魂の進む道はありませんから」



「では、聞くが、ワシの流儀ややり方で、魔王とやらを探してもいいのだな?」



「それは自由です。人間程度が行える干渉では、どうあがいても違反行為にはなりませんから。たとえどのような常識外れな言動や、悪辣な手段に訴えようとも、問題ありません」



「それを聞いて安心した」



 不気味に笑う久秀であったが、テアニンは鼻で笑った。突飛な人間も何人も見てきたが、所詮は人間の発想や行動であり、神の予測を超えるものではなかった。


 しかし、神と言えども、神の国以外ではその世界の制約を受けることがままある。先程の転生者プレイヤーと離れて行動することに制限がかかっていたりするのがそれだ。



「それで、ワシのことを“低らんく”とか言っていたが、あれはどういうことか?」



「ああ、もう。ぶっちゃけいいますけどね。これから行く世界は神々の試験会場なんですよ。言ってしまえば、私はまだ見習いみたいなもんです。そこでの行動によって加点されて、より上位の存在になっていくのです。そうすれば、カメリアみたいな仮想現実的世界ではなく、本物の世界の管理を任され、いっぱしの神として崇められるのです」



「なるほど、神々の遊戯盤にワシは“駒”として送り出されるわけか」



 それ自体は不愉快極まる事であった。魂を抜かれ、駒になることを拒んだ先に、いきなり駒になれと言ってきたのだ。久秀は鋭い目つきでテアニンを睨んだ。



「まあまあ、私が成果出せば、あなたにも報酬が出るから、そんな睨まないの。で、ランクの件なんだけど、私みたいな神様見習いは強さが違う人、まあ、S、A、B、C、D、Eの六段階に評価された人を転生者プレイヤーとして選ぶんだけど、どのランクを使うのかは自由。で、低ランクほど加点が多くなるってこと」



「つまり、甲斐武田家で天下統一目指すのと、西土佐一条家で天下統一目指すのでは、一条家で成した場合の方が凄いというわけだな」



「うん、まあ、そういうことにしといて」



 例え方がアレだったが、だいたい合っているので、テアニンは深く突っ込まないようにした。



「ちなみに、ワシの“らんく”は?」



「Cランクよ。カメリアは適正ランクはAだから、当然だいたいの人はAを選ぶわ。たまに自信のある人ならBで挑む。C以下はさすがにきついからね」



「で、し~のワシを選んだと。無謀なことだ」



「うるさい」



 テアニンはままならない状態を嘆き、恨めしそうに久秀を見つめた。



「ステの数値だけ見れば、Aランク以上は確実。しかも、【築城名人】と【暗殺の極意】のスキルを初期装備してるし、Sランクに入っててもおかしくないくらいよ。バグか何かでCに紛れたかと思って、シメシメと選んでみれば、こんな使いにくい奴だったとは!」



「それはご愁傷様。まあ、己の迂闊さを嘆くとよいわ。いい教訓となろう」



「ああ、マジムカつく」



 本当に扱いにくい上に、イライラが止まらない。テアニンはステータスの数値だけが全てではないと思い知らされた。



「で、ワシはどういう報酬が貰えるのだ? 平蜘蛛みたいなそそられる茶器が望ましいが」



「えっと、それって、あなたがここに来る途中に抱えていた、クッソ汚い鍋のこと?」



「渋みと言わんか、物の価値の分からん輩よ」



「あれなら、ゴミに出しといたわよ。丁度、不燃物回収日だったから。私の家、不燃物の日っての第一月曜だったから」



 久秀は固まった。聞き間違いでなければ、目の前の女神バカが平蜘蛛を捨てたと言い放ったからだ。


 とりあえず怒りは抑え込み、一呼吸してから尋ねた。



「なぜ……、アレを捨てた?」



「汚かったから。ああ、鍋が欲しいのね。それくらいならお安い御用」



 テアニンがポンと手を叩くと、目の前に鍋が一つ出てきた。ステンレス製のピカピカの鍋だ。


 取っ手が二つ付いた両手鍋で、しかも蓋付きだ。まだ未使用らしく、傷一つ付いてない。



「はい、これ。前のよりいい鍋のはずよ」



 テアニンが鍋を差し出し、久秀はそれを両手で受け取った。



 ゴチンッ!

 


 受け取ると同時に鍋を振り上げ、それを何の迷いもなくテアニンの脳天へとお見舞いした。


 いきなり殴られると思ってもみなかった女神は激痛が走る頭を抱えながらしゃがみ込み、さらにそこへ久秀の無言の追撃が入る。再び鍋が振り下ろされ、いい音を響かせながら鍋と頭が激突した。



「ぬわぁぁぁあぁああああぁ!」



 頭を抑えながら右へ左へ転がり廻り、テアニンは涙目になりながら痛みが引くのを待った。


 ようやく落ち着いてくると、ヨロヨロと震えながら立ち上がり、まだ痛む頭を擦りながら久秀を睨みつけてきた。



「なんで私が殴られないといけないの!?」



「殴られるようなことをしたからだ! てか、殴るどころか、手元に刀が有ったら、その腹掻っ捌いて臓物を引きずり出し、ご自慢の鍋で煮込んでいるところだ!」



「えぐい真似すんな! 殺す気!?」



「無論、殺す気満々だ!」



 今一度鍋を振り下ろしたが、さすがに三度目を食らうわけにはいかず、テアニンは鍋を手で挟み込んで防いだ。



「鍋とか、釜とか、お湯沸かしたり、何か煮込んだりできたら、どれも同じでしょ!?」



「全然違う! こんなピカピカの鍋に、何をどう風情を感じろというのか! 茶室にこの輝きは眩しすぎる。なにより、愛用の品を失って機嫌がいいわけなかろう!」



「汚いやつから、新品にしてあげたんだからいいでしょ!」



「ええい、ここには神殺しの武器はないのか!?」



 鍋を叩き込もうとする久秀、それをがっちり受け止めるテアニン。鍋を挟んだ両者のせめぎ合いは続く。


 かくして、天下の名器『古天明平蜘蛛茶釜こてんみょうひらぐもちゃがま』は不燃物としてゴミ出しされてしまい、行方知れずとなった。


 怒り狂う久秀としては、鋳潰されないことを願うばかりであった。

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