第5話 目指すはオーバードーズを救う店

 まさ恵ママは急にしんみりとした表情になったが、すぐまたいつもの笑顔に戻って話し始めた。

「私も実は十一歳の頃、オーバードーズ一歩手前だった時期があったわ。

 実は私の母は不眠症だったが、私に睡眠薬代わりだといって、麻薬まがいの薬を飲ませたの。それ以来、私は一時的に精神がおかしくなっちゃったの。

 私は悪気がないとはいえ、母を憎んだわ。でも今は許すことができる。

 母も淋しさと将来への不安を、紛らわすためには薬は手放せなかったのよね」

 私は思わず答えた。

「私の母はアルコール依存症だったが、オーバードーズも困りものね」

 まさ恵ママは、話を続けた。

「そんなとき、クリスチャンでもないクラスメートに誘われ、現在通っている教会二通い始めたの。クリスマスのときは、イエス誕生の寸劇をしたのを覚えているわ。

 天使の衣装は、ドレス代わりに白いネグリジェで間に合わせけどね。

 イエス信仰をもち、祈ることで私は救われたのよね。

 といっても、当時は女性差別も激しかったし、女性の就職は難しかったので、将来が不安で仕方がなかった。私は学歴も商業高校卒だったし、珠算2級や簿記2級以外に大した資格があるわけでもなかったからね」

 そうか、まさ恵ママは珠算2級だったから、暗算が早かったんだな。

「それに私は、ひどい人見知りの社交下手でいわゆるグループ学習が苦手だったの。現在は、OA機器やパソコンのおかげで、グループを組む必要などなく、パソコン対一人の人間、あくまでもOAを扱うのは一人であり、二人以上ではないという時代だけどね。

 昔のように、ひとつのことを成し遂げるためには、二人以上の人が役割分担を決めて組織の歯車のように動かなければならないという時代は終わったのよね。

 これも大きな人員削減よね」

 スマホもそうだな。しかしあまり一人でなんでもできるようになると、コミュニケーション能力が失われるというデメリットも生じつつあるが。


 まさ恵ママが人見知りの社交下手とは、意外としか言いようがなかった。

 まさ恵ママは話を続けた。

「あれは高校三年のとき、クラスのグループ学習が合わなくて、疎外されるようになっていった。学校にいくふりをして、喫茶店でじっとしていたの。

 まあ、そういう生徒ってこの頃、増加してきているんじゃないかな。

 ひきこもりなどその典型よね」

 私はネガティブな雰囲気を避けるために、わざとおどけて言った。

 これもスナック勤めのつねである。

「わあ、まさ恵ママは時代の先端をいってたわけね。

 でも、そういう体験をした人だからわかることも多いよね。

 そういう体験をしなかった人は、ひきこもりや登校拒否の気持ちなどわかる筈がないよね。

 あっ、今は登校拒否という言葉自体、死後になりつつあるわね」

 まさ恵ママは続けていった。

「私にとって、こんなことは小中学校以来、初めてのことだったわ。

 あと、洋服を貸してやるというお誘いを断ったばかりに、グループ学習から疎外されたりもしたわ」

 私は不可解さの余り、首をかしげながら言った。

「えっ、貸してやるという誘いは、一度は断るのが社交辞令だと思うんだけどなあ。じゃあ、もし返せなかったらどうなるのかな?

 まさか謝っただけですむ問題ではないわね。

 ましてや、洋服の貸し借りなんて、冠婚葬祭の衣装やドレスでも、汗染みや匂いがついたなどと、トラブルの原因にもなるわ。

 だから、貸し衣装屋が存在するんじゃないかな?!

 だいたい貸した方は債権者、借りた方は負債者であり、貸した方は借りた方に権利を有し、借りた方は負けの立場になってしまうのよね」

 まさ恵ママは返答した。

「私もるり子ちゃんの言う通りだと思うわ。でもこのことを通して痛感したの。

 世の中、いい人が好かれ、悪党が嫌われるなんていう保証はどこにもないということに。もしそれが通用するなら、世の中に詐欺師、麻薬、戦争など通用しないけど、逆にそれが昔からはびこっているのが、社会というものね」

 私は思わず言った。

「正義の味方という言葉があるが、それは正義は味方になってくれる人が少ないという意味かもね。

 だいたい昔から、金になる麻薬とポルノは規制するのが難しい。

 大金のあるところには、悪党が絡むからね。半グレの大金が反社に余裕で流れているのと同じよ」

 まさ恵ママは話を元に戻した。

「結局は喫茶店通いが母親にバレて、十日さぼった後、学校に行ったけどね」

 私は思わず軽く拍手した。

「えらいわ。よくメンタルが立ち直ったわね。

 まさ恵ママの場合は、やはりイエス様が守っていて下さったのよ」

 まさ恵ママは、急に晴れやかな笑顔になった。

「そうね。神様は人間に自由を与えながら、いつも見守って下さるの。

 だから、今でも私は悪だくみを考えると、妙な夢をみたりするわ」

 毎日まさ恵ママの首にかけている十字架のネックレスが、急に光って見えた。

「そういえば、赤十字社も十字架だけど、それもキリスト教と関係がありそうね。

 これでまさ恵ママの、今の時代を暗示するような、大昔の登校拒否話は終わり。

 まさ恵劇場は、幕を閉じようとしています。

 シズシズシズと幕がおりました。シズシズシズ シズシズシズ」

 まさ恵ママはいつもの笑顔に戻った。


 ふと玲奈を見ると、首を天井側に上げてポカンと口を半開きにしながら、居眠りをし始めた。

 玲奈の目の前の白い皿には、一口大のかじりかけのトーストの耳が残されているままである。

 しかし二十歳やそこらのZ世代の女性が、このような大衆の面前で居眠りをするとは、もしかして、オーバードーズの後遺症なのだろうか。

 まさ恵ママは、晴れやかなしかしなにかをじっと見据えたよな目で言った。

「私にはね、玲奈ちゃんのようなオーバードーズの子を救う義務が与えられたの。これもイエス様の思し召しかもしれない。

 だって、イエス様はパリサイ人や律法学者のようなこの世の権力者よりも、この世から見捨てられた弱い人に、いつも寄り添う人だったからね。

 キリストというのは救い主という意味なのよ」


 うん、偉い。私はまさ恵ママに尊敬の念を抱いた。

 しかしそれと同時に、玲奈のような人を受け入れたらこの店は成り立っていくだろうか。まわりの客はどう思うだろうか。

 またまさ恵自身が、オーバードーズとグルになっている、いや主謀者と悪意の目で誤解されないかという思いが頭をよぎった。

 まさ恵ママは、そんな私の表情を見透かすように言った。

「確かに世の中には、オーバードーズの若者を悪用し、薬を売って稼いだり、あげくの果てに売春に持ち込んだりする悪党もいるわ。

 しかし、どこへ行っても悪党はいるものよ。そんなことを考えてたら、行動できなくなってしまう。

 たとえばスーパーで万引き犯が存在するからといって、疑われるのを恐れてそのスーパーへ行かなくなるのと同じよ」

 そりゃまあそうだ。私はまさ恵ママに諭すように言った。

「でも昔から、麻薬とポルノに取り組む人は、迫害されるというわ。

 それは、大金が絡んでいるからよ。

 しかし、外国で麻薬中毒の娘を、悪党から救ったという母親もいるわ。

 この頃は、親御さん以外、いや親御さんも子供を叱らないから、善悪の区別がつかなくなって、周りから疎外され、それでオーバードーズに走ってしまうかもしれない。私たちも一歩間違えれば、そうなっていたかもしれない。

 それでなくても、未成年特に女性は、愛想のいい人が善人であり、自分の話を聞いてくれる人が、人格者なんて勘違いしてしまうことが多いものね」

 まさ恵ママは、決心したように言った。

「オーバードーズは麻薬に走る一歩かもしれない。

 以前、麻薬に走った元レディース(女暴走族)の言葉だけどね、少年院で院生を相手に講話するとき、幸せになっていいんですかと聞かれると、人は変われる、幸せにもなれると答えたのよ。もちろん、その人は麻薬を辞めた後だけどね」

 いつの時代も犯罪のワースト1は麻薬であり、ワースト2は窃盗である。

 この頃の少年院女性は、昔のレディースのように元気がよくて反抗的で口うるさいのではなくて、まるで人形ケースからでてきた物言わぬ人形のように、物静かでネガティブだという。

 いつの世も、こういった気の弱い無抵抗な女性を狙う悪党は存在するものである。もしかして、まさ恵おばさんは、その防波堤になろうとしているのではないだろうか。そして若者が悪党に捕らわれる前に、軌道修正しているに違いない。

「まさ恵おばさんは、悪の防波堤よね。

 まるで十字架にかかったイエスキリストみたいに勇気ある人。

 こういう人って、世の中に必要不可欠よ。

 そうしないと、この社会で生きていくことになんの意味でもあるのだろうか。もうやり直すことなどできないなんて人が増える一方ね」

 まさ恵おばさんは答えた。

「私は一人で活動しているのではない。イエスキリストと共に活動しているの。

 少年院で麻薬から立ち直った、人形のようなおとなしい女性が断言したわ。

『私は少年院をでたあとでも、いろんなことが待ち受けてるかもしれない。

 しかしイエス様がいるから大丈夫です』」と。

 それから、その女性は神学校へ行き、そこで知り合った神学生と結婚し、今では子供もいるわ」

 じゃあ、私もイエス様を信じれば間違いない人生が送れるのだろうか?





 

 


 

 

 

 

 


 

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