第2話 元ホスト吉崎とゴスペル喫茶まさ恵おばさんとの関係
吉崎は、悲痛な顔を浮かべ訴えるように言った。
「おかんは、赤ワインを飲むとき
『これはきれいな真赤な血なの。私の体内に新しい血を入れるのよ。
そしたら旦那も私を注目してくれるはずだわ』
などと訳の分からぬことを口走っていた。
おかんはすでにアルコール依存症になっていたんだ」
私は心のなかで半ば絶望的なため息をついていたが、そこはスナック勤めのつねで沈んだ顔をせず、吉崎を慰めるように言った。
「アルコール依存と言うのは、本人だけのせいじゃないわ。親または祖父母の遺伝というケースもあるそうよ」
まさ恵おばさんも同調して言った。
「十戒にもあなたの両親を敬えとあるでしょう。親を恨むということは、自分を貶めてるのと同じ。いい所を見つけて尊敬の方向に心をチェンジした方が、自己承認できるわよ」
私は、思わず頷いた。このことはまさに私自身の体験でもある。
「そうね。親を恨んでたら、だんだん自分の環境や自分のルーツまでが惨めになってくるわ。だって、親がいて今の私がいるわけでしょう。
自己承認できないところに、悪魔の甘いささやきが入り込んでくるのよ」
吉崎は、相槌を打った。
「それってホストのことですか? ほら、2004年のホストブームのとき、ドキュメンタリー番組のナレーター「淋しい女がいる限り、ホストクラブのネオンは輝いている」。だいたい悪質ホストの狙い目は、一人暮らしの女性であり、友人が少なくて実家とうまくいってない女性だと、相場が決まってるんですよ」
まさ恵おばさんは、昔をなつかしむように言った。
「私は、あなたの父親である吉崎に家庭があるとわかった時点で、身を引く覚悟を決めたわ。まあ身を引くといっても、肉体関係があるわけでもなし、同性の友達と絶交するようなものだったけどね」
吉崎は言った。
「でもまさ恵さんは、僕を可愛がってくれたことを覚えてますよ。
初めて欲しかったフィギュアをくれたのも、まさ恵おばさんだった。
なぜ、僕の欲しかったフィギュアを知っていたのですか?」
まさ恵おばさんは答えた。
「あなたが、おもちゃ屋の前でフィギュアのウィンドーケースを見つめていたからよ。あなたはいつも、キッチンペーパーに包んだ魚肉ソーセージ入りのホットドッグを食べていたのを覚えているわ。
もしかして、あれはあなたの手作りだったのかな?」
吉崎の顔はほころんだ。
「ビンゴですよ。おかんがあまり料理をしないものだから、僕は料理番組を見ながら、出来る限りの料理をしていた。
フランクフルトよりチープシックな魚肉ソーセージを、料理ばさみで切った白ネギをマヨネーズで炒め、最後にケチャップと粉チーズで絡めるんだ。
のちにマスタードを入れるようになったけどね。今でも僕の好物ですよ」
まさ恵おばさんは、深呼吸して言った。
「私は、あなたのお父さんと不貞行為がなかったのは事実だけど、単身赴任中に二人だけで会ったり、おつきあいしていたのは事実よ。
十戒でいう姦淫ではないにしろ、あなたの家庭を壊したのではないかと、今でも疑問をもっているのよ」
吉崎は、淡々とした表情で答えた。
「大丈夫ですよ。むしろまさ恵さんのおかげで、親父は救われたと思っています。
だっておかんのアルコール依存に、僕も親父も手を焼いていたのですから。
まさ恵おばさんがいなかったら、おかんを見放していたかもしれませんよ」
私は思わず
「じゃあ、まさ恵おばさんが、クッションになっていたんですね。
そりゃあ、アルコール依存症ともなると、いくら身内でもいや身内だからこそ、見放したくもなりますよ」
まさ恵おばさんは
「聖書に私たちは地の塩ですというが、この世では、なくてはならないような塩のような役割を果たさねばならないわね。
言葉遣いにしても、塩で味付けされた優しい言葉を使いなさいというわ。
それができない人は、乱暴な言葉を使うべきではないわね。
あっ、塩というのは清めの効果があるの。塩漬けすることによって、腐りにくくなるし、相撲のときの塩まきとは清めの意味なのよ」
吉崎がパンと手を打った。
「そういえば、親父は嫌な人が出て行ったとき、塩まいとけと言ったものだな。
そうかあ、塩をまくことによって、その場を清めるという意味だったんだな」
私も同調するかのように言った。
「そういえば、飲食店、特に酒場の前にはたいてい、ドアの前に小さな塩の山が置いてあるが、それはトラブルが乱入してこないようにという意味なのね」
まさ恵おばさんは笑顔で言った。
「そうよ。まさに当たりよ。また塩は味付けの効果があることは、ご存じね。
どんな食べ物にも、塩は入っているわ。またぜんざいでも塩をほんの少し入れることによって、いっそう甘味が引き立つのよ。これを味の相殺効果というの」
吉崎は、昔をなつかしむように言った。
「そういえば、親父はときどき糖尿病対策だと言って、好物のあんこにちょっぴりの塩をまぶしていたな。おかげで糖尿病にならなくてすんだよ」
私は続けて言った。
「塩は保存効果もあるわね。魚の塩漬けや数の子やタラコが塩漬けされているのは、腐るのを防ぐためなのね」
まさ恵おばさんは
「塩というのは、二千年以上も昔の旧約聖書の時代から生活の必需品だけど、取りすぎはだめよ。塩梅(あんばい)という言葉は、梅干しがちょうどいい塩加減で漬かっていることを意味するのよね。
だから私たちは、地上にあるこの世でにおいて、塩のような役立つ存在にならねばならないという意味なのよ」
私から見て、まさ恵おばさんは十分にその役割を果たしている。
一方、吉崎は目を閉じて店のBGMであるゴスペルに聞き入っていた。
「僕、ゴスペルを聞いていると、なんだか心がスーッとするんですよ。
怒り、イライラ、この世の矛盾が、神によって解決されていくような気がするんです。自然を見ると神様を感じますが、ゴスペルのなかにも神様の救いがあるような気がするんです」
まさ恵おばさんは答えた。
「それは聖霊の働きよ」
私と吉崎は、はあという疑問顔で聖霊という言葉を聞いていた。
まさ恵おばさんは、顔を輝かせて答えた。
「聖霊というのはね、神からこの世の送られてくる風のようなものなの。
目には見えない、匂いも音もない、形がないから梱包して送付するわけにもいかない。でも風が吹いてきたかのように、感じることはできる。
いわゆる精霊ではなくて、神から送られる目に見えない恵みなのよ。
聖霊に満たされると、少し酔ったような幸せな気分になるわ。
でも、聖霊のあるところは、悪霊も働くというから、常に悪魔にスキを与えないようにしなければならないわね」
ついさっきまで疑問顔だった吉崎は、少し納得したかのように答えた。
「要するに、雰囲気のことだな。まあ、KYのようなその場の空気のことかな?
まあそれは、人間社会の間に通じることだけどね」
まさ恵おばさんは答えた。
「神は自分に似せて人間を創造されたの。だから、人間同志の間でも、聖霊ではないけれど、似たような雰囲気を感じることがあるわね」
吉崎は、納得した顔をしたあと、ため息をついた。
「しかし、僕の人生は神から離れたところに行くところだったよ。
しかしギリギリのところで、神と人に救われたんだ」
私は思わず
「もしかしてホスト時代のことだったりしてね」
吉崎は待ってましたとばかりに答えた。
「ビンゴですよ。僕はホスト半年目で、女性客に飛ばれて(行方知らずになること)九十万円もの売掛金を背負わされてしまったんですよ。まあ、僕でなくてもこんなことは、ベテランホストでもあることです。
ベテランホストの自虐言葉『何年ホストやってるんだ』
そしてその九十万円の売掛金を店に返済するために、僕は先輩の教授を受けて、当時十八歳の女の子に営業をかけたんですよ」
まさ恵おばさんは質問した。
「もしかして色恋営業というものかな?
コメンテイターの玉〇氏曰く『未成年者を色恋営業で夢中にさせ、最初から払えないことを承知で、帰り際に百万円以上の多額の青伝票を請求書として突き付ける。女性客の実家まで行って、家族に払わせるように仕向け、それがかなわないと風俗行、売春まっしぐら、これがホスト商法ですね』」
私も続けて言った。
「ホストと強面と弁護士が実家に行き『お宅のお嬢さんから金銭被害にあっています。ここで支払ってもらわないと、裁判を起こすことになります』と穏やかに交渉する。すると、家族はことを荒立てたくないから、百万円払ってしまうというパターンね。実際は五百万円以上のこともあるそうね。
それがかなわなかったら、手っ取り早く風俗行きか。
まあ風俗の世界は、若い女性ほど金になるものね。しかし、性病になるとお払い箱になり、立ちんぼをするしか術がなくなる」
吉崎はうつ向きながら答えた。
「まさにマスメディアの報道通りです。ちなみに歌舞伎町の風俗の相場は三万円ですが、立ちんぼだとその半額だから経済的といえばそれまでです。
しかし店舗を構えているわけでないから不衛生だし、女性も襲われ暴力を振るわれることが多いです」
まさ恵おばさんは、半ば不思議そうに口を開いた。
「立ちんぼにも縄張りがあり、金儲けだから決して自分の思いのままに活動できない。昔は五十歳以上の女性だったが、十年前から三十代になってきた。
ホストに貢ぐためにしているというが、本当かな? そこまでして自分を売ってまで、貢ぐ必要があるのかな?」
私は答えた。
「女性は誰でも、一度でも風俗に身を沈めると、なかなか元には戻れなくなり、孤独になってしまう。友人もいや家族さえも、距離を置かれるケースが多い。
結局は担当ホストだけが、自分をつなぐ唯一の頼みの綱となってしまうのよね。孤独が孤独を生むのよね」
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