終章#60 家族について

「英雄色を好む。私は前々からそう思っていたが……ハッ。英雄でなくとも色を好むようだな」

「…………」

「何を言い出すかと思えば……試練を女に肩代わりさせて、自分はのうのうと女に囲まれて……挙句の果てに孫ともども五人で添い遂げる? 。お前は何を考えている?」


 或いは、彼の睥睨の矛先は俺ではなかったのかもしれない。

 何度も、何度も、何度も実感する。

 俺が言われることは、いつだって何一つ間違っていない。間違っているのは俺で、それなのに間違いを通すために手練手管でその場限りの策を弄する。

 大河とは真逆。

 俺は真っ直ぐになんてやれない。

 だから、大河に傍にいてほしい。

 だから、五人で生きていきたい。


「私が……そんなふざけた考えを許すと思ったのか?」


 だから、俺は。

 彼の問いに即答した。


「思うわけ、ないじゃないですか。こんなことを認めてくれる人の方が少ないんです。自分の親にも、来香の親にも、一度は反対されました」

「なら――っ」

「だから、本当のことは話さず、分かってもらえることだけを伝えようとも思いました。でもあなたは家族だ。社会にも世界にも認められないとしても、家族には認めてもらいたい。祝福されたい。そう思ったから、こうして正直に話してるんです」

「だから祝福しろ、と言いたいのか? 祝えるようなことでもないのに」

「言いますよ。俺はあなたが前に言ってくれたような人間じゃありません。むしろ最低な部類の人間なので――言うだけじゃなくて、あなたを脅します」


 来香が自分の親に二択を迫っているのを見て、祖父ちゃんから話を聞いて、きっとこの方法なら届くと思った。


 無理やりでいい。最低でいい。

 今はそれ以外に、信じてもらう方法がない。

 当たり前だ。俺はこの人を知らないし、この人も俺たちのことを知らない。そもそも、俺たちにだって未来は見えてない。

 だから、


「いいですか? ここで祝ってもらなければ、大河はあなたやこの家と距離を取るでしょう。彼女はあなたの手が届かないところで傷つくかもしれません」

「…っ」

「自分の知らないところで大切な誰かが傷つくことの怖さは、長く生きてるあなたなら分かるでしょう?」


 最低最悪の切り札を使う。

 祝え、と全力で脅す。


「俺は知ってます、自分にはどうしようもないところで大切な誰かを失うことの怖さを。大切な人の死が全く自分の手の届かないところで起きてしまうことの怖さを、俺は知っています」

「ッッ」

「ここで認めてくれないなら、あなたはその怖さに怯え続けることになる。大河はあなたを失ったとき、その怖さを思い知ることになる。あなたにそれができますか?」


 できないだろ、と暗に告げる。

 当主は顔をしかめ、唇を戦慄かせて、


 ――できる


 と言おうとした。

 だから、


「できるわけないですよね。だってあなたは家族大好き人間なんですから」

「なっ、何を――」

「あなたはただ子供や孫を守りたいだけですよね。古臭いルールに縛られているのは、そのルールを守ってさえいれば最低限、子供や孫が傷つかなくて済むから。大河の父親の結婚に反対したのも、周囲の声で傷つくかもしれないと恐れたから。勝つことはできなくても、守っていれば負けることはないから。……違いますか?」

「そっ、それは……」


 違わないはずだ。

 この人は、不器用だし間違いだらけだが、子供や孫を傷つけたいわけではない。ただこの人の中での幸せの観念が更新されていないだけ。


 女は大学に行かなくていい。いい婿を見つければいい。早くお見合いをするのがいい。外国人を選ばない方がいい。金髪はチャラくてよくない。

 そんな古い観念を信じていて、それ以外を知らないだけ。

 祖父ちゃんは言っていた。


『あいつはなァ、古いし不器用でつまんねェ奴なんだが、家族思いなんだ。自分にできないことが多くことを知ってるから、幸せにしてやろう、とは思ってねェ。ただ、絶対に守ってやるって思ってるんだ』


 正しいとは言わない。

 庇うつもりは微塵もない。

 古いよ、その考えは。消極的すぎるし、あまりにも時代に合ってない。視野狭窄に陥りすぎている。傷つけまいとした結果、自分が傷つけてるんじゃ意味がない。

 でも――何かを守ろうとして自分の掌しか見えなくなる感覚だけは、俺にも痛いほど理解できるんだ。


「あなたは俺のことを信じられないでしょう。大河が傷つくとしか思えないでしょう。白状すれば、俺は大河を何度も傷つけました。きっとこれからも傷つけます」


 それは確定的な事実だ。

 たった一年でこれだけ傷つけたのに、これからは傷つけないなんて言えるわけがない。

 それでも言えることは、


「その分、幸せになります。あなたも分かったでしょ。大河には俺以外に三人も大切な恋人がいる。どちらも素敵な女の子ですし――俺は、大河含め四人に好いてもらえる程度には大した男です」

「…………」

「でもまだ、英雄なんかじゃない。俺は四人に好きになってもらっただけだ。だから今は足掻いてる途中です。四人に誇ってもらえる自分になろう、って。そんな情けない男に大河を任せきりにしたくないなら――今は認めて祝って、嫌われないようにしておいた方が賢明だと思いますよ?」


 信じろ、とは言えないから。

 信じられないなら対策しとけ、と俺は言う。


 考えていた。

 父さんや義母さんと話したときも、来香の両親に挨拶したときも、ずっと。

 結婚するとき、どうして家族に認めてもらおうとするんだろう。成人さえすれば、法律上は親の承諾は要らない。それなのにどうして――?

 その答えはきっと、


「大河はあなたに祝ってほしいんですよ。祝ってほしいって願うくらいにあなたを家族だと思ってるんですよ。思うところはたくさんあって、大好きとまでは言えないかもしれないけれど、それでも切り捨てることはできないって思えるくらいには感謝してるんだ」

「――…ッ!?」

「孫のことが大好きならそんぐらい気を遣って譲歩してやれよ! あなたが守りすぎて傷つけるくらい大切に思った大河は、自分の幸せすら見極められないガキなのかよ!」


 家族でいたいんだ。

 家族に祝ってほしいんだ。

 好きな人と家族になってほしいんだ。

 だから反対されて揉めるかもしれないと分かっていても、報告しようとするんじゃないだろうか。


「…………」

「…………」


 俺と当主の視線が交差する。

 この人は、こうやってぶつかってほしがってるんじゃないか、と思った。

 だから無理やりに踏み込んだ。不器用な心に届け、と祈って。


 果たして、


「……なぁ大河」

「はい。なんでしょうか、お爺様」

「私は、小さい人間だ。この街しか知らない。時代にも取り残されているし、きっと考えも間違っている。そう自覚していた」

「……はい」

「だから言ってほしかったんだ。間違ってると思うなら間違っていると言ってほしかった。反抗してほしかった」


 男は問うた。


「私は、そんなやり方では大河は幸せになれないと思う。第一、大河は彼と結婚するわけではないのだろう? 私には軽んじられているように見えてしまう。私が見合いの場を設けた方がまだ幸せになるんじゃないかと思えてならない。それでも――」

「――幸せになるって誓います。四人でも幸せになれるんです」


 娘は言った。


「私は母が好きです。母から受け継いだこの髪も好きです。大好きな人が同じ色に染めてくれて、もっと好きになりました。黒く染めるきはありません」


 言い続けた。


「できないことはあっても、それは母のせいでも髪のせいでもありません。大学にも行きます。お爺様の考えは時代遅れで、男尊女卑的です」


 いつも通りに、間違っていると思っていることを、間違っていると言って。

 そして頭を下げた。


「今までありがとうございました。こんな間違ったことを言う娘になってごめんなさい。そして――『これからもよろしくお願いします』って言わせてください」

「……っ」


 当主は何かこみ上げるものを我慢するように口元を覆うと、視線を逃がすように俺を見つめた。


「…………百瀬友斗。君――お前のことは、これから時間をかけて見定めてやる。もしも娘と不釣り合いな男に堕ちたと判断したら、すぐにでも別れさせるからな」

「っ、上等ですよ、。祖父ちゃんともども、よろしくお願いしますね」


 当主は――もとい、お爺様は。

 俺を鋭く睨みながらも、俺たちの関係を認めてくれたのだった。



 ◇



 屋敷を出ると、辺りはもう昏くなっていた。

 とぷんと落ち始める夕陽は切なげで、奇麗で、まるで永遠みたいだ。

 今日は泊まっていってもいいと言われたが、あいにくと俺たちは明日学校がある。だからこそ無駄な試練を挟まずさっさと話したかったんだが……今になって文句を言っても仕方あるまい。いや、やってる最中にも言ってたけどね?


「あ、入江先輩。すみません、30分だけ待ってもらってもいいですか?」

「……? まあ、間に合うけれど。どうかしたの?」

「ちょっと行きたいところがあって」


 その一言で、入江先輩以外の四人は俺が行こうとしている場所を悟ったようだった。

 しかし、俺は四人にかぶりを振る。


「こんな時間に大勢で押しかけてもアレだし、今回は俺一人で行かせてくれ。なるべく待たせないようにするからさ」


 五人揃って行くことにも意味はある。

 けれど同じくらい、俺だけでへ行くにも意味があると思う。そうじゃないと見つけられないものがあるはずだ。


 ――次は一緒に行く。

 そんな約束を取り付けて、俺はへ駆け出す。


 暫く歩き、俺は目的地――墓地に辿り着いた。

 黄昏時の墓場は、静謐で冷ややかな空気に満ちている。


 百瀬家と彫られた墓石にそっと触れた。

 あの夏、俺が別れを告げたのは美緒だけ。母さんには話しかけることすらしなかった。

 だから終わる前に――否、始める前に。

 ちゃんと話しておくべきだと思った。


「なぁ母さん。急にふらっと来てごめん。だけど、どうしても話しておきたかったんだ」


 そっと目を瞑ったところで、母さんの顔は脳裏に浮かばない。

 結局、その記憶はほとんど残っていないらしい。


「母さんの真意は、俺には分からない。澪の解釈は間違ってて、本当は美琴さんのことを恨んでたのかもしれない、とも思う。というかそれが当然だ。普通に不倫だもんな」


 死人に口無し。

 にもかかわらず死者の心を勝手に解釈して、勇気を貰ったり与えたりするのは、とても身勝手な行為だろう。


「もしかしたら俺たちは修羅場に足を突っ込もうとしてるだけなのかもしれない。結局、子供みたいに駄々をこねて回っただけだ。本当の意味で説得できたわけじゃない」


 父さんも義母さんも。

 来香の両親も。

 お爺様も、大河の両親も。

 信じてくれてはいても、納得してるわけじゃない。

 それは痛いほど分かっている。


「それでも俺は、勝手に思い描いた母さんに勇気を貰って、無茶苦茶な修羅場に突っ込んでみようと思う。だって……母さんが恋したおかげで俺が産まれたことだけは、揺るぎない事実だから」


 この命は恋心に産み落とされた。

 だから母さんの恋を信じたい。

 母さんの恋が最後まで幸せなものだった、って。

 そう信じ切りたい。


「次は四人を連れてくるよ。俺の最高に素敵な花嫁ヒロインたちを」


 じゃらじゃら、と砂利がこすれる。

 からんころん、と胸の奥で何かが鳴る。

 深呼吸をするように夜がすぅぅと澄み渡る。


 生きることそのものみたいな心音を、そのまま取り出してうたにできたらいいのに。

 だけどそんな純粋な言葉には届かないから――。

 だから、今は精一杯の鼓動ことばを形にしよう。


 彼女たちに、そして、あの人に。

 誓うことができるように。

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