終章#55 憩い
2月も下旬に差し掛かり、少しずつではあるが確かに朗らかな春の訪れを感じ始めていた。天気予報が伝える数値上の気温も徐々に上がっている。だが、無機質な数字よりも感覚として、肌に触れる温い空気が春を実感する。
――・――・――・――・――
よくできた運命みたいなタイミングで一陣の風が吹く。
桜の花びらは降らない。
清々しい春陽は、ブランケットのように彼女を温めている。
――・――・――・――・――
追いかけてくる春に追いつかれまいと物語を綴る。
始まりの季節の温かさを思い出せたからだろうか。存外、迷いなく筆は進んだ。初めてでもそれなりに読めるものにはなるんだな、などと自信過剰なことを考えかけて苦笑した。出来上がるまでは気を抜くわけにはいかない。
「くふぁぁぁ」
……気を抜くわけにはいかない、とは思ってるんだけどな。
近づく季節がそうさせるのか、最近は睡魔が凄まじい。いやまぁ、そもそもの睡眠時間が少なくなってるんだけどな。
「ユウ先輩、大丈夫ですか? だいぶ眠たそうに見えますが」
「あー、悪い。目の前で欠伸されるとやる気なくなるよな」
とある夕方。
今日は学校の都合で生徒は午前のうちに帰らさせる日だった。とはいえ生徒会の仕事は終わっておらず、
『一人だと捗らないかもしれないので……私の家で一緒にやりませんか?』
と大河に誘われたのである。
「い、いえ。そもそも今は休憩の時間ですから。好きなだけ欠伸していただいて構いませんよ」
「どんな許可だよ……」
欠伸はしていいって言われてするものでもないと思う。
俺の腑抜けたツッコミはスルーして、大河はまじまじとこちらを見つめてきた。
「ユウ先輩、無理してませんか……?」
「えっ」
「生徒会の仕事と対バンライブ用の作詞だけでも大変なのに……それ以外にも色々とやってますよね?」
「……そうだな」
大河が言っているのは、挨拶の日程調整のことではないだろう。そっちはもうほとんど終わっている。後は次の休日、入江家に行くだけだ。
――小説家になりたい
俺の夢は、それとなく彼女たちに伝えている。詞を書きながら、並行して小説を書いていることも。つーか、雫が全員集まってるときにわざと口を滑らせたんだけどな。
「私は雫ちゃんと違って、上手く助言とかはできないですが……」
とソワソワしながら大河が言う。
「そ、それでも。少しぐらいは力になりたいです。頑張るユウ先輩を応援したいって気持ちはあるので」
「お、おう。悪いな。それじゃあ俺の分の仕事を――」
「――それはユウ先輩がやってください。私もこれ以上の仕事は嫌です」
「ちぇっ」
「力になることとサボりを許すことは違いますから」
「すっかり生徒会長だなぁ」
ごもっともである。大河は大量に仕事を抱えてるし、むしろ俺の方が仕事を代わってやりたいと思う。そんな余裕はないし、大河だけでこなせる量だって分かってもいるから信じて任せるけど。
「じゃあ、どう力になってくれるんだ?」
「それは……その。――らとか」
「ん? なんて?」
「っ、膝枕、です! 恥ずかしいので何度も言わせないでください!」
恥ずかしそうな、けれど、思い切ったような声が甘く耳朶に触れる。熟れたリンゴみたいな顔が可愛くって、ついつい頬が緩んでしまう。
そんな俺を見て、大河がちょっと涙目で睨んできた。
「ゆ、ユウ先輩の意地悪……ニヤニヤしないでください! 三人みたく大胆にアピールするのは恥ずかしいですけど、それでも私だって何かしたいんです。……彼女、なんですから」
「――っ、そう、だな。大河は彼女だ」
「はい。ユウ先輩は彼氏です」
「…………」
「…………」
「あの。どうして目を逸らさないんですか? すごく恥ずかしいんですが」
「大河がずっと睨んでくるから可愛くて」
「~~っ! やっぱり意地悪です! 私の押し程度でユウ先輩は揺れないってことなんですかそうですか!」
「めちゃくちゃに揺れてるからこそニヤニヤしちゃうんだけどな」
「そういうことを! はっきり言えてしまうのが! ズルいです! どれだけドキドキさせれば気が済むんですか!?」
「理不尽すぎないか!?」
実際、さっきから可愛すぎる生き物を前に真顔ではいられない状態が続いてるわけで。
普段の性格上、大河に控えめという印象はない。人前に立つのにも慣れているから、恥ずかしがり屋という言葉も彼女とは縁遠く感じる。
しかし、恋の話となると大きく変わってくる。大河以外の三人はだいぶ大胆なアプローチをするタイプだ。特に付き合い始めてからはギアが数段階上がった節がある。もしかしたらその差に焦ってるんだろうか、と一瞬不安になりかけた。
すぐに思い直したのは、大河の顔に焦燥の色が微塵も見つからなかったから。
大河はただ自分のペースで、俺に近づこうとしている。ひたすら恋に殉じているんだ、と気付いた。
「そういうわけなので! ユウ先輩、膝にどうぞ。……少しは休んでください」
「……もしかして、部屋の中なのに珍しくスカート履いてるって――」
「――それ以上はダメです。無粋、です」
「……だな」
胸の内を詳らかにするだけが正しいわけじゃない。
今は大河の言葉に甘えるとしますか。家に誘われたときから、ただ仕事をするだけじゃなくて多少は恋人らしくイチャイチャもしたいな、とは思ってたし。
「んじゃ、膝借りるぞ?」
「は、はい」
「……声が裏返ってるんだが。恥ずかしがりすぎじゃね?」
「付き合い始めたって意識したら、近くにいるだけでもいつも以上にドキドキしてしまうんです。仕方ないじゃないですか」
「ああ、そうだな。可愛くて仕方ない」
「~~っ。やっぱりユウ先輩は意地が悪いです!」
「悪い悪い。つい苛めたくなっちゃうんだよ」
澪や雫には振り回されることが多いし、来香も時々ポンコツ化するとはいえ大河ほど殊勝な性格じゃない。大河は基本受けって感じがして、攻めやすいのだ。
……口に出したら変態扱いされそうなこと言ってるな、俺。
大河がジト目を向けてくるので、けふんこふんと咳払いをして誤魔化す。
正座した大河の膝に頭を乗せた。
程よい硬さを柔らかさ、そして何より、生暖かさを感じてこそばゆい。
「ん…く、くすぐったいです」
「だからってあんまり動かれると安らげないんだが……」
「わ、分かってます! 動かないように頑張るので、ちゃんと休んでください」
言うと、大河は本当に身じろぐのを堪えようとしてくれた
若干色っぽい声が聞こえるのが気になるが……と思っていると、髪を触られる。おずおずと頭に手を伸ばした大河は、そのまま髪を撫で始めた。
びよーんと水飴みたいに時間が微睡む。
うとうと、うとうと、と揺蕩いかけて、ふと以前膝枕してもらったことを思い出した。あれは確か……生徒会選挙のときだ。時雨さんたちにぼろ負けした俺を雫が慰めてくれた。
『先輩は、大河ちゃんの隣に立ちたかったんじゃないですか? 助けてもらった分、助け返して……そーやって、堂々と向き合いたかった』
雫が言ってたとおりだな、と思う。
あのときも今も、これからも。俺は大河とそう在りたいんだろう。
「そういえばユウ先輩」
「んー?」
「……声が眠たそうですね」
「んあー。実際眠いからな」
「気、抜きすぎじゃないですか?」
「抜いていい奴の膝の上だしな」
「……ありがとうございます」
感謝されることでもないけどな、と口の中でだけ呟く。声に出すのは億劫だった。これくらいは口にしなくたって伝わるだろうから。
「それで?」
「ええっと。感謝祭のことです」
「感謝祭?」
「『3分の2の縁結び伝説』……感謝祭にも、適応されると思いますか?」
「あぁ」
大河が何を言いたいのか、すぐに分かった。何故って、同じことを考えていたから。
『3分の2の縁結び伝説』とはうちの学校に伝わるちょっとした伝説だ。体育祭、文化祭、そして冬星祭。三大祭のうち二度の後夜祭で5秒間見つめ合えれば、永遠の愛で結ばれる――そんな伝説。
「伝説なんて都合よく変えればいい話だからな。三大祭じゃなくて、三年間のうちの3分の2ってことにすりゃいいだろ。つーか、そのつもりだしな」
「……ユウ先輩も考えてたんですか」
「まぁな」
伝説に保証される永遠の愛なんぞに興味はない。そういうのは、俺たちが自分で手に入れるべきものだと思う。
だけど、それはそれ、これはこれ。
せっかくギャルゲーじみた伝説があるのなら乗っかっておきたい。その方がラブコメっぽいしな。
「ま、そんなわけで。来年までちゃんと感謝祭やってくれよ。そうしないと戦争が起こるからな」
「……もちろんです。来年は先輩たちのこと、送り出しますから」
そいつは楽しみだ。
まだ遠い未来のことを考え始めると、だんだん意識が朧げになっていく。
「――おやすみなさい、ユウ先輩」
おやすみ。
唇だけ、そう動かした。
「本当に、気の抜けた顔。
……大好きです」
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