終章#56 入江家大騒動

 季節は巡り、時は否応なしに流れる。

 2月も残すところ僅か数日。ぽかぽかと温かな日も増え、もう春は目と鼻の先まで近づいてきている。

 感謝祭の方は、一応順調だ。冬星祭の型を使い、プロムナードの要素を織り交ぜたイベント。ふわっとした企画のわりに派手なこともあり、生徒の間でもかなり乗り気になってくれている。有志参加を希望する部活も多く、全体として上手く行っていると言えるだろう。


「そういえば一瀬くん。ライブの曲はそろそろできたのかしら?」

「うっ……」


 隣でハンドルを握る入江先輩は、まるで俺の思考を読んだかのように痛いところをついてきた。

 ライブの曲は、まだ完成していない。

 俺がつい顔をしかめると、入江先輩は、はぁ、と溜息を吐いた。


「十瀬くん、まだ書いてないの?」

「途中までは書いてます。書き終えてないだけです」

「もう2月も終わりよ? 感謝祭がいつだか分かっているの?」

「……3月14日ですね」

「残り三週間であの子たちに新曲を歌わせるの? 正気?」

「耳と心と鼻が痛いです」

「折られるような天狗鼻、もともとなかったでしょうに」

「後輩に冷たすぎませんかねぇ……」


 だが入江先輩の指摘は何一つ間違っていないから言い返せない。

 実のところ、本当に書き進んではいるのだ。書き終えている部分の詞は伊藤に渡しており、先行して曲のイメージを考えてもらっている。

 あと数日だけ待ってほしい、と頼んでいた。


「前借りしておいてよかったわね。色々と片を付けてから感謝祭を終わらせたかったでしょう?」

「……それはそうっすね。ほんと、送っていただいてありがとうございます」


 俺たち五人は入江先輩が運転する車に乗っている。もちろんただのドライブではない。向かう先は入江家。今日は最後の結婚挨拶の日なのだった。


「構わないわよ。利子分くらいは、今日の一瀬くんの頑張りも見させてもらうわ」


 入江先輩が不敵な笑みを浮かべる。

 俺は未だに、入江先輩に俺自身の価値を示せてはいない。詞は未完成で小説も書きかけ。何者かになる最初の一歩さえ、見せられずにいる。

 だからこそ――


「俺だけが頑張るわけじゃないですけどね。……でも、俺も頑張りますよ。俺たち全員で認めてもらわなきゃいけないですから」


 ――せめて紡ぎ出す物語の一ページ目を、編み込むことばの一節目を、知りたいと思ってもらえる程度には、頑張ろう。

 そう、強く思う。


「ところで、入江先輩たちのときはどうだったんですか?」

「どうって……見事に洗礼を受けたわね。乗り越えたからこそ、お爺様も話を聞いてくれたのだけれど」

「洗礼て」


 仰々しい表現に思わず苦笑する。が、別に誇張しているわけではないらしい。入江先輩はいたって真面目だった。


「言っておくけれど、お爺様はまともに話が通じるタイプではないわよ。あの時雨も一筋縄ではいかなかったもの」

「え゛。時雨さんが、ですか……」

「怖気づいたかしら? 今からUターンしてもいいけれど?」


 今その選択をすれば最後、入江先輩は俺を見限ることだろう。

 あえて試すような言い方をする辺り、本当にこの人らしいな、と思う。


「まさか。逃げも隠れもしませんよ」

「あら。何か作戦でも考えているのかしら?」

「……話し方は、それなりに考えてきてます。何の準備もせず結婚の挨拶をしに行く奴なんていないでしょう?」

「それもそうね」


 大丈夫だ。

 話し方も伝え方も、ちゃんと考えてある。

 たとえ相手が偏屈な相手だとしても、言葉の届け方はあるはずなんだ。


 ――そう、思っていた。



 ◇



 入江家の屋敷に到着すると、俺たちは入江先輩の案内で以前と同じ部屋へと向かった。

 やはり異質な空気が漂っている。具体的に言うと、殺人事件とか起きそうなイメージ。色んな人の思惑が絡み合うせいで正しい証言が得られず、一つずつ探偵が謎を解くことで真実が明かされ、犯人に辿り着く系のミステリーに出てきそうだ。


「なんか雰囲気があるね」

「ん、人が死にそう」

「おいこら澪。俺も思っただけで口にはしてなかったんだから我慢しろよ」

「……ユウ先輩も大概ですよ」

「そーだよ、兄さん。こーゆうのは言い出しっぺから死んじゃうんだから。最後まであたしたちはフラグを立てずにいよー?」

「あーもう! 来香先輩はすぐに友斗先輩にアタックを仕掛けに行く! メスガキはTPOを弁えられないからダメなんですよね~」

「弁えてばっかりで二番手どころか三番手に落ち着きがちな小悪魔キャラがなんか言ってるなぁ」

「メスガキは一部の層にしか刺さらないじゃないですか!」

「兄さんの一番手にさえなれればそれでいいしねー」

「それは私だってそうですし!!!」

「……はぁ。あなたたち、ほんと締まらないわねぇ」

「締まらないのはお姉ちゃんと来香先輩のせいですけどね」

「それな」

「二人はこの中でギャグ枠ですからね」

「は? ギャグ枠なのは来香だけでしょ。あたしは下ネタ枠だから」

「自覚あったんだ!?」「自覚あったのか……」

「えーずるい! あたしもギャグ枠じゃないもんっ。ポンコツみがあるみんなの妹枠だよ!」

「自分で言うんですか……」「姉ぶってたのはどうしたんだよ……」


 と、以上は廊下でのやり取りである。

 案内してくれたのが入江先輩でよかったなーって思いました。家の人に案内されてたら、その時点で叩き出されていそうだし。


 そんなこんなで、俺たちは部屋に到着する。

 部屋には何人か大人がいて、ピンと居住まいを正してこちらを見てきた。訝しげな視線がチクチクを刺さり、否が応でも気まずくなる。


 その中でもやはり、大河や入江先輩の祖父は圧倒的な存在感を放っていた。

 黒い着物と渋い顔。

 入江先輩がその人の前で正座をするので、俺たちもそれに倣った。


「お爺様、お久しぶりです」

「うむ」

「今日はお時間を取っていただき、ありがとうございます」


 まず頭を下げたのは大河だった。

 続いて俺たち四人も頭を下げ、そして顔を上げてから二人の祖父と対面する。……まどろっこしいし、この人のことは当主とでも呼ぶことにしよう。当主みたいな制度があるのか知らんけど。


「元旦ぶりです。その節はお世話になりました」

「おお、久しぶりだな、億瀬!」

「人の名前を百万倍するのはやめてもらっていいですかっ!? ていうかあなた、前は『孝仁の孫』としか見てませんでしたよねぇっ!?」


 折角丁寧な挨拶をしたのに、一瞬で台無しにする当主。

 ついツッコんでしまうと、大人たちが眉間に皴を寄せた。これは俺が悪いの? ボケたこの人が悪くない?


「ふむ……それで、その三人は?」

「綾辻澪と申します。恵海さんや大河さんと同じ高校の二年生です」

「月瀬来香です。澪と同じく高校二年生。大河さんには色々とお世話になってます」

「あ、綾辻雫です。大河さんの同級生、です」


 三人が口々に挨拶する。澪の髪を見て怪訝な顔をすると、当主は不承不承といった感じで口を開いた。


「何故その者らがいるのかは分からぬが……聞くところによると、君と大河は私に話があるんだったな?」

「はい。正確には――」

「だが、ただで話を聞くつもりはない」

「は?」


 正確には俺と大河だけじゃなく俺たち五人の話だ、と。

 そう訂正しようとした俺の言葉を遮って、当主は思いもよらないことを言う。

 ただで話を聞くつもりはないって……なに、金とるつもり? そういうがめつさが家をでかくするの?


 俺が目を細めると、当主はフッと不敵に笑った。


「だいたい何を話すつもりなのかは察しがつく。私もそこまで鈍くはないからな」


 あっ、多分察しがついてないです。間違ってます。


「だからこそ、話す前に幾つか試練を設けようと思う。この家の娘と契りを交わさんとする男はみな乗り越えてきた試練だ。この試練を乗り越えられないのであれば、君の話は聞かぬ」

「は、はぁ……? いやあの、ちょっと待ってもらっていいですか?」

「君は将棋をやったことがないのか? 『待った』はできぬぞ」

「これは将棋じゃないですよね!?」


 まるで将棋のようだな、とか言い始めたらどこぞの異世界モノみたいになるぞ。

 このまま暴走されてはいけないので、げふん、とわざとらしい咳払いをして強引に話の主導権をぶんどる。


「この前、俺に婿入りしないか? とか仰いませんでした?」

「うむ、言ったな」

「ご自分が誘ったのに試練を与えると?」

「当たり前だろう。この家のしきたりのようなものだ」

「くだらないしきたりすぎません!?」


 絶対それ、娘の結婚話を聞きたくなかった誰かが言い出したことが続いているだけだと思う。

 本気か……? と大人たちの様子を窺ってみると、何故か憐憫のこもった視線が返ってきた。え、さっきの突き刺すような視線はどこいったの? そんなに試練って辛いの?

 ……入江先輩が言ってた洗礼「まあ試練といっても、特別なものではない。どこの家でもやっているようなことだ」

「いや絶対あなたここの家のルールしか知らないでしょ……」

「君、私の扱いが急に雑になったな……?」

「性分なんです、許してください」


 ツッコミどころが多いあんたが悪い。

 と言いつつ、平静を取り戻す。試練と言っても、別に人間離れしたようなものではなかろう。こっちは現在進行形で修羅場を経験している若者なのだ。ある程度のことには耐えられるはず。って、こういうことかよ。


「……で、何をやればいいんですか?」

「まずは昼を食べよう。五人も来るとは聞いていなかったが……問題ない。に作らせているからな」


 何故そこを意味ありげに言う?

 首を傾げながらも、当主の後を追う。前もご馳走になったし、昼を抜いてくるように言われたからご馳走してくれるんじゃないかとは思っていたけど、何か引っかかるな……。

 そうして到着した部屋のテーブルには、様々な料理が並んでいた。昼食にしては随分と豪華である。前は出前だったが、今回は手作りらしいしな。


 いや、ちょっと待てよ。

 この人数で食べるにしたって、いくらなんでも量が多すぎないか?


「さて、億瀬。君にはここにある料理を完食してもらう。食べ終わる前では話を聞くつもりはないぞ」

「…………は?」

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