終章#53 愛を知らない子供たち(前編)
「…………」
「どうかしたか、澪。やけに渋い顔してるけど」
「ん、別に。何でもない」
「そうか?」
日曜日の夜。
俺は四人をつれ、喫茶フィンブルを訪れていた。もっとも、既に店は閉まっている。流石にこの人数で一般家庭である月瀬家に押し掛けるのは迷惑だろうと思い、冬夜さんに頼んで閉店後に喫茶フィンブルで話をさせてもらうことになったのだ。
店内を見渡しながら、気難しそうな顔をしている澪。
はてと俺が尋ねるが、ふるふると首を横に振って返された。
「兄さん、聞かないであげて! 姉さんは冬休み、あたしにここでコテンパンにされたのがきっとトラウマになっちゃってるんだよ!」
「は? 言ってる意味が分かんないんだけど?」
「またまた~。あたしにやられまくって泣きそうなのを誤魔化すために頭からアイスコーヒー被ったのはどこの誰だったー?」
「ッ……あれは来香が――」
「いや、お前ら何やってんの!?」
そもそも『やられまくる』ってなんだよ……。
頭からアイスコーヒーを被ったってのも聞き捨てならないし。堪らず俺がツッコめば、二人ともふいっと顔を逸らした。そんなところまで息ぴったりな必要はねぇよ。
「はあ。……まったく。二人は本当に大人げないですよね。澪先輩も月瀬先輩も、少しは先輩らしく振る舞ってください」
「大人なところを見せればいいの? そしたら友斗とセフレだった頃の話を――」
「語らなくていいです! そういうことではなくて、ですね!」
「姉さんは分かってないな~。入江会長が聞きたいのは過去の話じゃなくて、今後使えそうなテクの話に決まってるじゃん」
「~~っ! 決まってません! 二人揃ってふしだらです!」
「おお……! 大河がツッコミ役をやってくれると一気に俺が楽になるな!」
「ユウ先輩も変な感動しないでください!」
やっぱり大河がいてくれるとツッコミ面でもホッとするなぁ、などと失礼なことを考えつつ。
澪とは別の、キラキラとした笑顔で店内を見回している雫に声を掛ける。
「雫はさっきからどうしたんだ?」
「どうしたって……友斗先輩はオタクのくせに喫茶店の雰囲気に興奮しないんですか!?」
「ああ、そういうこと」
雫の言わんとしていることは分かる。確かにここは雰囲気がある店だ。今日は閉店後だから音楽も流れてないが、普段はオサレなBGMによって更にそれっぽくなってるしな。
「俺はほら、バイトで慣れてるから」
「あ、そっか。……こんなオシャレなお店とか、友斗先輩には似合わないですねー」
「それな」
「かっこいい眼鏡かダンディーなお髭が必要だと思います! 生徒会のときだけじゃなくて、普段から眼鏡かけててもいいと思うんですよねっ」
「かけないからな? 晴彦とキャラ被りするだろうが」
「いやそれはしないでしょ。八雲くんほど明るくないじゃん、友斗」
「生粋のリア充にはなれないよ、兄さん。身の程を知ろう!」
「横からマジレスすんのはやめろよ……傷つくから。めっちゃ傷つくから」
ま、晴彦になれないのは自覚してるからいいんだけどな。
自分が根暗だとは思っていないが、晴彦みたいな絵に描いたド陽キャにもなれないと思っている。晴彦はとことん良い奴なのだ。で、俺はそうじゃない。多分ちょっと悪くて情けない奴。それでいい。それがいい。
「って、こんな雑談している場合ですか!? もうすぐ月瀬先輩のご両親がいらっしゃるんですよね……?」
「そーだね。準備できたら行くって、さっきRINEが来てた」
「ふぅん。……聞いてなかったけど、来香の両親ってどんな人なの? 私たちの関係、認めてくれそうなわけ?」
「「あー」」
俺と来香の嘆息が重なる。
まぁ触れないわけにはいかないよなぁ。
「単刀直入に言うと、俺自身があんまりよく思われてないな。前科があるから」
「あはは。まあ、そこまでがっつり嫌ってはないだろうけどねー。堂々とハーレム宣言したら、一発くらいはパンチ貰いそう」
「「うわぁ」」
今度は澪と雫がハモった。二人とも苦笑いを浮かべている。そんな俺たちの会話を聞き、頭痛でもするかのようにこめかみの辺りを押さえていた。
大丈夫なんですか?
って考えてるんだろうな、と口にされるまでもなく分かった。
正直に言えば、大丈夫な保証はない。
義母さんに反対されたとき、俺は何も言い返せなかった。澪の伝えようとしたことは俺も思っていたことではあるけれど、それを自分の立場で言うわけにはいかなかったから。
そもそも、俺だけで説得できるとは考えていない。
男が何とかしてやろう、なんて。そんなのは傲慢だ。俺が認めてもらうんじゃない。俺たちで分かってもらうんだ。
――からんからん
入口の鈴がクリスマスベルみたいに鳴った。
来香の両親と、それから冬夜さんもいる。もっとも冬夜さんは、今日は口を挟まないつもりだと言っていた。あくまで見ている――否、
「こんばんは。時間を取ってくださってありがとうございます」
「構わないよ。大事な話がある、と聞いたから。……その子たちを紹介してもらってもいいかな」
ひとまず揃って席につくと、来香のお父さんがそう尋ねてきた。
「この子は綾辻澪。僕や来香さんと同じ高校二年生です。それから……ちょっと複雑な事情があって、僕の義理の妹でもあります」
「こんばんは」
「それからこっちが綾辻雫。澪の妹で、僕らの後輩に当たります」
「どーもです」
「で、最後が入江大河。高校一年生で、うちの生徒会長です」
「初めまして。月瀬先輩にはいつもお世話になっています」
手短に、けれど、伝えるべきことは話す。義理の兄妹であることもこの先の話と関係してくる部分だ。
三人はそれぞれ俺の後に続いて一言ずつ告げた。来香の両親はおずおずと彼女たちに反応する。
「……君と来香に関わる大切な話、と聞いていたんだけど。その子たちも同席しないといけないのかな?」
来香のお父さんが訝しげな視線を向けてくる。
そりゃそうだ、と思う。
この人からすれば、澪も雫も大河も、今日初めて知る存在だ。父さんや義母さんのように、俺たちの関係を察しうる手立てをこの人は持ち合わせていない。
「遠回りしてもどうせ結果は同じなので、単刀直入に言います」
ああ、と首肯が返ってくる。
緊張で乾いた喉に唾を送り、小さく息を吐いてから言った。
「僕たちは五人で付き合っています。人付き合いとか、そういう一般的なものではなく。五人で恋人として交際している、という意味です」
「「――っ」」
「今日こうして伺ったのは、僕らの関係を分かってもらったうえで、来香さんとの結婚を認めてほしいと考えたからです」
そして、俺たちが考えた家族になる手段についても手短に説明する。
俺と来香、澪と大河が結婚すること。
そうすれば繋がりの上では家族になれること。
そういう、父さんや義母さんにも説明した話だ。
「一見すると、僕が四人と同時に交際している不誠実な人間に思えるかもしれません。……そのことをまるっきり否定するつもりはないです。ただ、分かってほしいのは――僕だけが彼女たちと付き合っているわけじゃない、ということです」
「……どういうことかな」
「僕ら五人の関係は、僕と彼女たちの一対一の関係が同時に存在しているものとは違います。恋心や友情……その在り方は違っても、五人で想い合ってるんです。だから僕だけが彼女たちと付き合ってるわけじゃありません。全員で、付き合っています」
取り繕う言葉などあるわけもなく、ただ、口を衝くのは不器用な真実だけ。
もっと上手く話術を駆使することもできるんじゃないか。そんな考えがよぎるけれど、多分これ以外の話し方をすることはできなかった。
真剣な二人に対して話術を弄することはズルく思えたから。
「話は終わりかな」
来香のお父さんは、話している途中も話し終えた今も、ずっと俺から目を逸らさなかった。その瞳の奥に何を抱えているのかは分からない。分かるほど、俺はこの人と話せていない。
「はい、終わりです。……すぐに納得していただくのは難しいと思います。でも、できたら僕らの関係を――」
――分かって、見守ってもらえたら嬉しいです。
そう続けるはずだったけれど。
その言葉よりも先に、喫茶フィンブルの店内に。
――ぱちん
酷く乾いた、音が、起こった。
鈍い痛みは僅かに遅れ、頬にひりひりと滲んだ。
父さんと殴り合ったことはなく、男友達とも大して喧嘩をしたことがなかったから、俺はそのとき初めて知った。
男の人に本気で叩かれる、その痛みを。
「出て行ってくれ。これ以上、話を聞くつもりはない」
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