終章#52 兄妹

 SIDE:友斗


「――ふむ。それで明日はうちの二人を落とす番、というわけか」

「言い方は最悪ですけど……そんな感じです」


 土曜日、喫茶フィンブルにて。

 俺は父さんと義母さんに結婚の挨拶をしたときのことを冬夜さんに話していた。もっとも、母さんと義母さんの話を含め、ディティールは話していない。話すのは終始、俺たちのことだけだ。


「それにしても素晴らしいな。四人を娶るとは」

「娶るって……」

「そういうことだろう? 実に劇的で興味深い。『外連味に富んだ仮説』が当たるとは」


 そういえば以前、冬夜さんは予言じみたことを口にしていた。


『もしも仮に、君が誰か一人ではなく四人を選ぶことにした場合――先ほどの君の論理に従えば、四人の少女と釣り合う『百瀬友斗』でなければいけなくなってしまうね』


 冬夜さんは見透かしていたのだろうか、と思う。

 仮説などと言ってはいたけれど、俺の性格を見透かし、その上で予言していたのかもしれない。

 くく、と愉快そうに笑う冬夜さん。

 大仰に拍手をして見せるものだから、どうにも居心地が悪くて苦笑してしまう。


「冬夜さんは反対したり怒ったりしないんですね」

「その理由がないだろう? 君が来香を軽んじる男ならそうでもないが……私は君の話を聞いて、そうではないと判断している」

「……どうも」

「それに、来香が悪い男に引っかかりそうになっていたとしても、私に止める理由はないさ。全ては来香の決断で、人生だ。求められれば助言はするけれどね」

「そうなんですか?」


 放任主義と言えば聞こえはいいけれど、どこか冷たくも感じた。

 冬夜さんは続けて言う。


「私は脚本家や監督になりたいわけじゃない。あれこれと口を出して私の予想通りの茶番劇になってしまったら、短い余生の楽しみが減るだろう?」

「楽しみって……自分の孫の人生も、ですか?」

「無論だ。何せ私は、来香を信用しているからね」

「なるほど」


 信じて見守る。その姿勢は家族らしいかもしれないな、と思った。

 冬夜さんが入れてくれたコーヒーに口をつけ、その味と香りに頬を緩める。

 今日も喫茶フィンブルには常連客しかいない。それぞれが思い思いに過ごしており、俺と冬夜さんの会話は気にも留めていない。

 つくづく特殊なバイトをさせてもらってるよなぁ、と思う。一応接客はしてるけど、一日のうち、両手で数えるほどしかその機会も訪れない。基本は冬夜さんと話している。


 ふと時計を見遣れば、もう夕方と呼んで差し支えない時間になっていた。

 冬夜さんの作った茶菓子を口に運んでいると、


 ――からんからん


 入口の鈴が軽やかに鳴る。

 喫茶フィンブルに来店したのは、


「あっ、まだいてくれてよかった~! 会いたかったよ♪」


 来香だった。

 ダメージジーンズとスポーツブランドのトレーナー。やっぱりボーイッシュな服装が好きらしい。背負っているギターケースは、以前見たものよりも一回り大きく見えた。


「ちゃんと働いてるかね、バイトくん」

「なんだそのノリ……そこまで仕事がないんだよ。ね、冬夜さん」

「ああ。私のいい話し相手にはなってくれているけれどね」

「お祖父ちゃん、ズルい! あたしだって友斗くんと沢山話したいのにー!」


 言いながら、来香は俺の隣に腰かけた。

 大切そうにギターケースを机に立てかけるのを見て、聞いてみる。


「ギター背負って、どこ行ってたんだ?」

「んとね、カラオケ! 家でも多少は弾けるけど、流石に住宅街で思いっきり演奏するのは気が引けるからさ。……あ、今のちょっと上手くなかった?」

「なるほど」

「あたしのボケをスルーしないで!? あたしの扱い、割とずっと雑だよ……!?」

「来香が全力でボケ倒してくるのがいけないんだからな? あと、だじゃれをツッコんだら俺までスベったみたいになっちゃうだろ」

「へーへー、あたしと一緒に堕ちてはくれないんだー」

「変な言い方するんじゃねぇよ!」


 ったく、来香は本っ当に自由奔放なんだよなぁ……。

 気を利かせたのか観客側になりたいのか、冬夜さんが「軽く摘まめるものを作ってこよう」と言って席を立つ。

 来香と二人っきり。

 最近は来香と二人になることはあまりなかった。それこそバレンタインイベントのときは二人で仕切っていたが、二人っきりと呼ぶには周囲に人が多すぎる。

 恋人になってから、という意味で言えば。

 二人っきりは初めてかもしれない。


「来香はギター、好きなんだな」

「うん。音楽は好き。姉さんを負かしたくてなんとなーく入江先輩の弟子になってみたけど……なんか、できることが増えてめーっちゃ楽しい。あたしが歌えるものがいっぱい増えてるんだ」

「そうなのか?」

「うんっ。体力が足りなくて諦めてたこととか、イマイチしっくりこなくて中途半端になっちゃってたものとか、そーゆうのに手が届くようになった。今のあたし、けっこー凄いんだよ?」

「それは何となく、入江先輩から聞いた。冬星祭とは別人だ、ってな」

「そりゃーね! 最強のあたしになったんだから、二倍じゃ足りないくらいすっごくなってなかったら銀河の法則がねじ曲がっちゃうよ!」


 壮大すぎる大言壮語が来香にはよく似合うから不思議だ。

 傲慢で強欲な澪とは、少し違う。

 その在り方を上手く表す言葉は見つからないのだけれど。


「ギターって言えば、今日のそれ、ちょっと大きくないか? 前に持ってたのと違う気がするんだが……二、三本持ってるのが普通な――」


 ――のか、と聞くよりも先に。


「分かるっ!? えへへっ、いいよいいよ教えてあげる! あたしの新しい相棒、兄さんにも見せてあげたかったんだっ!」

「えっ、え?」


 前のめりになった来香は目をキラキラと輝かせながら、ギターケースを開き始めた。

 今まで見たことないくらいのはしゃぎっぷりにちょっと戸惑う。

 これはこれでめちゃくちゃ可愛くて素敵だな……とか思いながら待っていると、来香はまるで赤子を抱きしめるようにギターを取り出した。


 ……ギター、なのだろうか?

 俺の知るギターとは少し形が違う。弦が張ってある、いわゆるネックが二本ついていたのだ。二又のギター。見たことのない楽器にぱちぱちと瞬く。


「見てよ兄さん! ギタリストのロマン! ギブソンのEDS-1275だよ!」

「ギブソン……?」

「分かんないのっ? 世界で初めて安定生産された、12弦と6弦のダブルネックギターだよ! レッド・ツェッペリンの『天国への階段』とか、イーグルスの『ホテル・カルフォルニア』とかで使われてた定番モデル! あ~、もう! テンション上がってるあたしがミーハーみたいじゃん!」

「ミーハー……なのか?」


 ほとんど何を言ってるかよく分からなかったんだが。

 ただその楽器がギターに区分されること、そして来香がそのギターにときめいていることは分かった。


「流石に高いからお小遣いとかでは買えなくてさ! 誕生日プレゼントってことでお父さんにお願いして買ってもらったの! それが最近、やっと届いて! めっちゃ重くて前なら一曲弾くだけで息切れしちゃいそうだったんだけど……体力ついてきたから、この子をいっぱい弾いてあげられるの!」

「お、おう」

「あ、けど今までの相棒ギターを弾かないわけじゃないよ? この子はどっちかって言うとスローテンポな曲の方が合うからさ。速くてかっこいい曲はやっぱりいつもの子と一緒に奏でたい」

「……来香、ちょっとキャラ違くね?」

「えっ」


 あまりの早口に思わず呟くと、来香はハッと我に返ったように身を引いた。

 それでもギターのボディーを撫でる手は止まらない辺り、本当に大切にしているものなんだろう。


「んんっ。……しょーがないのっ! おニューのギターにテンション上がらない人なんていないんだから!」

「そ、そうか……よかったな」

「ちょっ、兄さんっ」


 来香の愛らしさに堪えきれなくなって頭へ手を伸ばせば、くすぐったそうに目を細めた。くしゃくしゃと髪を撫でるとご満悦の声が漏れる。

 ニマァとだらしなく頬が緩んでいた。

 この生き物、可愛すぎる。何が可愛いって、ギターをハグしたまんまなのが可愛い。ギターを抱いてる来香ごと包み込んでしまいたい。


「ふぃ~。……兄さん成分、補充完了♡」


 ……本当に抱きしめてやろうか?

 と思うが、お客さんがこちらに意識を向けていないからと言って、流石に店内でバイト中にハグするのはよくないだろう。

 げふんこふんと咳払い、俺は尋ねる。


「じゃあ、対バンライブでもそのギターを使うのか?」

「それはもちろん! 鈴には先にお願いしてあるよー! まぁ、兄さんの詞が出来上がるまでは曲も作りようがないらしいけどね~」

「うっ、す、すまん……」


 対バンライブ用の歌――その詞はまだ、書き終わっていない。

 感謝祭は刻一刻と迫ってるんだけどな。


「まぁ、あたしはどんなに遅れてもだいじょーぶだよ? 本番前日に出来上がった曲でもいいライブにしてみせるもん」

「流石にそのレベルの惨事にはしないから安心してくれ」


 2月中には書き上げるつもりだ。

 歌に詰め込みたいものは、もう決まっている。後はその想いに足る言葉を紡ぐだけ。

 ……って言いつつ、数日が経ってるけども。


「来香はさ。将来の夢とかあるのか?」

「えっ、あたし?」

「ああ。俺は……なんだ、その。小説家になりたいって思ってたりするんだよ。詞を書くのも、言葉で勝負する一環っつーか」

「そっか。兄さん、前にあたしのためにお話を作ってくれたもんね。……姉さんのための脚本にされちゃったけど」

「……それはすまん」

「ふふっ、じょーだん。気にしてないから安心して?」


 本当に気にしてない風に言って、来香は「んー」と考えこむ仕草を見せる。

 足をぶらぶらとさせながら、ぼんやりと彼女は口を開いた。


「別に具体的なビジョンがあるわけじゃないけどねー。兄さんのお嫁さんになれるってだけでも幸せだし。夢を叶えたりしなくたって、満たされてはいるもん」

「…………」

「でも、やりたいことがないわけじゃない、かな。……さっきも言ったけど、あたしは音楽が好き。だって兄さんに褒めてもらったものだから」

「――え?」


 俺が褒めた?

 はてと首を傾げれば、来香は呆れたように笑う。


「それも覚えてないのー? 幼稚園の頃、褒めてくれたじゃん。歌が上手いねって」

「え……あっ。確かに、そんな風に言った記憶がない…わけでも、ない?」

「むぅ。兄さんの忘れんぼぉ!」

「わ、悪い!」


 仕方ないのだ、幼稚園の頃の記憶は流石に鮮明には残ってない。

 つーか、当時のことをはっきりと覚えてくれてる来香が凄いと思う。ほんと、どこまで……。


「まぁいいけどね! 忘れられてるだろうなーとは思ってたし。ちょっぴりでも覚えてくれてるなら、それでじゅーぶん」

「……おう」

「ともかく! 最初は兄さんに――ううん、友斗くんに褒めてもらったから音楽を好きになった。ギターを弾いてるうちにあたしたちは繋がれて、おかげで今のあたしになれた。きっとこれからも、音楽はあたしの世界を広げてくれると思う」


 だから、と来香は迷いなく言う。


「夢はないけど、どーとでもなるよ。ギターを弾いて歌ってさえいれば、あたしはどこにだって行ける。どこに行っても、そこがあたしのガンダーラだよ」

「そっか」


 それはとても来香らしい夢の追い方だと思った。

 澪や時雨さん、伊藤とは違う。けれど確かに夢を追いかけている。


「ところで来香」

「うん、なに?」

「俺はちょいちょいダサい言い方してるって言われるときあるけど、来香もそういうところあるよな」

「~~っ!? ど、どこが!?」

「いや、急に『ガンダーラ』とか言われてもなぁ。若干意味が通ってない気もするし」

「ぐぬぬ……に、兄さんにだけは言われたくない!」


 こういうところは兄妹だよなぁ、と。

 しみじみ思った。

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