終章#50 再会と後悔(前編)

 バレンタインから数日が経った、ある日の夕方。

 俺は久方ぶりのオキ寿司に来ていた。

 ここに来たのは、この一年だと一度だけ。一度目は父さんと義母さんの再婚の話をしたときである。

 もうすぐオープンしてから六年になるわけだが、やっぱり潰れる気配はない。儲かっているんだろうな。


 そんな場所に、俺一人で来るはずもなく。

 俺のほかに雫や大河、澪や来香も来ているのだが――


「なぁお前ら。他のお客さんの邪魔になるしそろそろ座ろうぜ?」

「それは分かってるんですけど! でもやっぱり友斗先輩の隣は譲れないじゃないですかぁ~!」

「そうそう。だって結婚の挨拶なんだし」

「だからこそご両親とお会いしたことがない私を隣にしてほしいんですが……」

「隣じゃなくたって変わらないでしょ。それに家に何度も来てるんだから今更じゃん」

「じゃああたしは兄さんの膝の上かな~。久々にお父さんに会うわけだし、実質あたしが主役みたいなところあるもんね~」

「そんなことはありませんっ! ちょーしに乗らないでください!」


 席順で揉めており、未だに座れずにいた。

 まぁ長い話になるかもしれないと思っていたので、夕食時よりやや早めに来てるし、他の客の迷惑になることもないと思うけど。

 それでも、いつまでもアホみたいなことで争っていてもしょうがない。

 やれやれと頭を抱えてた俺は、渋々ながら間に入ることにした。


「澪は一番奥な。どうせ食うんだし、その方が便利だろ」

「ん……それもそっか」

「で、その隣が雫。わさび食えないんからさび抜き注文しなきゃいけないし、タブレットに手が届きやすい方がいいだろ」

「あっ、確かに! わさび無理なの私だけですもんね~」

「俺の隣は大河と来香な。二人は一応初対面なんだし、ちゃんと紹介するから」

「えへへ~。兄さんの隣♪」

「お隣、失礼します」


 いちいち可愛いうちの彼女たちにニヤケそうになりつつ、席に座る。

 雫が入れてくれたお茶を口にし、ふぅ、と人心地ついた。


 俺たちがこんな風に揉めながらもオキ寿司に来た理由は――今、澪が言っていたな。

 俺たちは今日、父さんと義母さんに結婚の挨拶をするつもりだ。結婚というか「五人で一緒になるつもりです」って報告をするつもりだけど、上手い言い方がないので『結婚の挨拶』ってことにしておく。


 話したいことがある旨を連絡したところ、今日この場で話そう、と提案された。。

 家じゃなくてここを選んだのは、それだけ大切な話だと察してくれたからだろう。

 ……この人数だともうちょっと別の場所があったかもな、と思わないでもないが。


「緊張します」


 まったりしつつ適当な皿を取ろうとすると、ソワソワした様子の大河が呟く。その表情はいつも以上に硬く、生徒会選挙のときよりも緊張しているのが分かった。


「ふっ、トラ子はまだまだだね。この程度で緊張してるようで自分の家族に挨拶しに行くとき、大丈夫なの?

「そっちは私の身内なのでまだいいんです。最悪、嫌われたところでどうとでもなりますから……というか、澪先輩はくつろぎすぎです。結婚の挨拶の前に悠々と茶碗蒸しを食べますか普通」

「茶碗蒸しいいじゃん、何が悪いの?」

「お姉ちゃん、さっききつねうどんも食べようとしてたじゃん……緊張を紛らわすために食べるのはやめなよ」

「うっ、べ、別に緊張してないし」


 雫に言われ、澪はばつが悪そうにそっぽを向いた。

 あっ、緊張してるのね……まぁそりゃそうか。たとえ相手が両親でも、結婚の挨拶をするのは照れるもんな。


「まぁ基本は俺が喋るから大丈夫だ。反対はされない気がするしな」

「ママはそういうの寛容だしね」

「……そういえば前々から思ってましたけど、澪先輩ってそのキャラで『ママ』呼びなんですね」

「なんか文句あるの? 二音で済んで楽じゃん」

「文句はないですよ。可愛いなと思っただけで」

「バカにしてるでしょそれ。いいよ、今から表に――」

「出ないから! あと私もお姉ちゃんのキャラで『ママ』呼びは可愛いなって思ってたから!」

「なっ……!?」

「俺のこと、『兄さん』呼びじゃなくて『お兄ちゃん』呼びだったし、澪ってそういうところあるよな」

「~~っ!!」


 澪が言葉にならない声を漏らして、ばたんと突っ伏した。

 澪が攻められる側に回るのもなかなか珍しい。くすくすと笑っていると、隣に座る来香が腕を絡めてきた。


「ねぇねぇ兄さん。あたしもすっご~く緊張してるよ?」

「むしろどうして来香は平常運転なんだよ!? 割と一番緊張していいポジションだと思うんだが……?」

「んー? 別に。お父さんと会うのは久々だし、兄さんと結婚の挨拶をするのはドキドキするけど……緊張する理由はあんまりないかなーって」

「ま、来香ってちょっとサイコパスな部分あるから」

「あー確かに」

「雫ちゃんも納得しないで!?」

「ま、まあまあ。月瀬先輩が優しい方だってことはみんな分かってますから」

「優しいって言われるのもちょっと嫌かな~。優しくしてるつもりは全然ないし!」

「え、えぇ……庇ったのに……」

「そういうとこだぞ、来香」


 来香がサイコパスだとは思わない。感情表現豊かな子だし、何だかんだ他人の気持ちには敏感なタイプだろう。

 ま、相手の気持ちを察したうえで遠慮なく引っ掻き回すんだけど……。


「違うってばぁ。ポジティブシンキングしてるの! お父さんと会えるのも結婚の挨拶できるのも、全部いいことでしょ!? 入江会長が心配しすぎなんだって」

「ま、そこは来香の言う通りだな」

「私もおんなじ意見ですけど、それはそれとして来香先輩はくっつきすぎですっ!」

「え~、だってくっつかないと入りきらないんだもん。後は兄さんの膝の上に――」

「乗りません! しつこいですよ!」

「う、うぅ……胃が痛くなってきました」

「ね、友斗。醤油とって」


 来香がいようがいまいが、俺たちはデフォでカオスなんだよなぁ。

 がみがみと言い争う雫と来香、緊張が極まってる大河、意識を食に全振りした澪。何ともアレな四人である。

 そんなこんなで話していると、


「すまん、待たせたな」

「ごめんなさいね~。ちょっと仕事が長引いちゃって」


 と言って、父さんと義母さんがやってきた。

 こうして二人でいるのを見ると、何だかんだいい夫婦だ。バリバリ仕事に力を入れてるキャリアマン&キャリアウーマンって感じがする。

 二人は俺たちと反対側に座る。雫が二人分のお茶を用意すると、父さんと義母さんはお茶に口をつけ、ほうっと溜息を吐いた。


「こうして顔を合わせるのは年始以来ね。仕事がばたばたしてて、いっつも放置しちゃってごめんなさい」

「いえ、今日来てもらっただけでも嬉しいです。こっちこそ急に連絡しちゃってごめんなさい」

「ううん、いいのいいの。子供が親に連絡しないで誰が連絡するのって感じでしょう?」

「ありがとうございます」


 とはにかんで返す俺。

 とりあえずの挨拶が終わると、二人の視線が俺の両隣へとスライドする。


「色々と聞きたいことはあるけど……まず、そこの金髪だけど全然ギャルじゃなくてむしろ真面目すぎて周りから倦厭されてるけど優しいところもあって、そんな一面を先輩の男子に見抜いてもらってコロっと惚れちゃいそうな子のことを聞いてもいいかしら?」

「お母さん!? 間違ってないけどそーゆこと言わないで!?」


 うわっ、それも懐かしいな。

 あと間違ってないとか認めちゃ可哀想だろ。実際、間違ってない気もするけど……。

 当の本人はイマイチ何を言われているのか理解できていないらしく、はてと首を傾げていた。


「えっと、高校一年生の入江大河です。ユウ先輩たちにはいつもよくしてもらってます」

「大河ちゃん、ね。えぇ、あなたのことは知ってるわ。よく家に泊まってるんだって?」

「あ、はい。お邪魔してます」

「いいわねぇ~。雫も澪もお泊まりするような友達はいなかったから、私嬉しいわ」


 それで、と今度は義母さんが来香を見遣る。


「そっちの……普段は明るくて皆の中心にいるサバサバ系女子みたいに見せているのに、実際は好きな人のことを十年単位で執念深く想い続けてて、攻略難易度高そうに見えて実は結構チョロそうな女の子は?」

「ママ。一ピコメートルも間違ってはないけど、真実は時に人を傷つけるから言わないであげて」

「真実じゃないから! あたし、執念深くもチョロくもないし……! ね、兄さんっ?」

「あ、あー。どうだろうな……」

「酷い!」


 いや、執念深さは否定できなくない? チョロさも、まぁ……少なくとも俺に対してはチョロいしなぁ。

 っと、苛めすぎても可哀想だし、この辺にしておくか。

 俺はんんっと咳払いをし、来香に発言権を譲る。


「えっと。あたしは月瀬来香って言います。に…友斗くんや澪と同じ二年生です。それから――」


 言って、来香が俺を一瞥する。

 話が脱線して言う機会を逃しても仕方ない、か。頷き返せば、来香は真摯な表情で父さんたちに告げた。


「――あたしの心臓は美緒の、です」

「っ!?」

「それで、あたしの中には美緒の意識みたいなものも混ざってて……だから一部だけですけど、あたしは百瀬美緒でもあるんです」


 しん、と声が消えた。

 店内BGMが遠くで鳴っている。義母さんは彷徨う視線を隣へ向け、父さんは真っ直ぐに来香を見つめていた。

 こきゅ、と息を呑む。

 父さんがどう反応するのか、俺には分からなかった。そもそもドナー家族とレシピエントが邂逅自体が難しい問題を孕んでいるのだ。たとえ本人美緒の意識が来香の中にあろうとも、再会が必ずしも良い方向に転ぶとは限らない。


 ――それでも来香は緊張していなかった。


 彼女の横顔に不安の色はなく、ただ微笑を湛えて。


「久しぶり、父さん」

「――っ、美緒なの、か……?」

「半分だけ、だよ。あたしは来香でもあるから」

「そうか…そう、か……」


 つーっ、と。

 父さんの右頬に一筋の涙が伝う。

 やがて決壊したみたいにだくだくと泪が溢れる。恥じらうように顔を逸らし、掠れた声で父さんは言った。


「おかえり……美緒。元気に過ごしてるか?」

「うん。今のお父さんもお母さんも、よくしてくれるから」

「っ、幸せか……?」

「当たり前だよ。だって――兄さんと一緒にいられるから」

「っぐ…そうか、そうか…っ。よかった。それならよかった」


 来香も、そしてもしかしたら俺も、父さんのそんな姿を見るのは初めてかもしれなかった。テーブルの卓に落ちた涙はとても綺麗で、正しく親らしいと思った。


 だから――。

 来香も、俺も、言葉は出てこなかった。

 なんと言ったらいいか分からなかった。

 義母さんが父さんの背中を撫でていた。

 テーブルの下で、俺たちは手を繋いだ。

 その瞬間、俺たちは恋人じゃなかった。

 その瞬間、俺たちはただの兄妹だった。

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