終章#33 バレンタインイベント
「ふぅ~、マジで疲れたぁ……」
2月13日。
祖母ちゃん
授業がきつかったわけではない。
むしろ頭は冴えている。やりたいことを見つけたからだろう。自分でも驚くほどに思考はクリアで、授業の内容をスポンジみたいに吸収していけた。数学の難問も手に取るように解法が分かったしな。
じゃあどうして疲れたかと言えば、
「……ユウ先輩。例の準備でお疲れなのは分かりますが、休んでいる暇はありませんよ。本番はこれからなんですから」
大河と進めている我らがパーフェクトプランのせいだった。
時間がないうえに助け船を出せる相手もろくにいないから、少ない戦力でギリギリなスケジュールを乗り切るしかない。だというのにバレンタインイベントと並行でやらなきゃいけないわけだから、とにかく疲れ切っていた。
ぐでーっと机に突っ伏しかけた俺を呆れたような目で見下ろす大河。
やれやれと肩を竦めているものだから、つい頬が引きつってしまう。
「うぐっ、わざわざ迎えに来たのか……」
「当たり前です。ユウ先輩がサボったら全てが瓦解するって自覚、ありますか?」
「あるよ、あるある。めっちゃあるってば! ちょっと休もうとしてただけだろ?」
瓦解など、させるわけがない。
何せ今日までずっと、死に物狂いで準備をしてきたのだ。時にハッタリを利かせ、時に無理を通して、俺たちの望みを叶えるための無茶苦茶を作り出した。
「おっ、二人とも揃ってんじゃん。例のアレ、一応頼まれたとおりにやっておいたけどこれでよかったのか?」
友達と話し終えたらしい晴彦が俺たちを見て、そう尋ねてくる。
俺と大河は顔を見合わせ、クスッと笑った。
「知るわけねーだろ。俺、友達いないんだし」
「ユウ先輩に同じです。友達、ほとんどいませんから」
「二人揃って自信満々で言うなよ!?」
いやだってしょうがないじゃん?
晴彦に頼んだのは以前と同じく噂の流布だ。まぁ今回は若干事情が違うのだが……どちらにせよ、友達が少ない俺たちに効果測定などできるわけがない。ぼっちの耳にまで噂が届くのは最後の最後なのである。
「ま、大丈夫だろ。餌は蒔きまくってるしな」
「ですね。八雲先輩で足りなくても保険は用意してますから」
「俺に酷くない!?」
「気のせいだろ」「気のせいです」
「息ぴったりだなぁ……!」
ぷくっ、と三人で吹き出す。
ひとしきり笑った後で、こほん、と大河が咳払う。
「こんなところで話してる時間はありません。ユウ先輩、早く行きますよ」
「うっ……分かってるよ。まずは仕事だもんなぁ」
「仕事って――あ、そっか。今日ってバレンタインイベントもあるんだっけ?」
如月から聞いていたのか、それとも、友達の間で話題になっていたのか。
思い出したように言う晴彦に俺は頷いて見せる。
「だからこそ今日なんだよ。あいつらが絶対に揃うからな」
あの雪夜の再演のためには今日でなきゃいけない。
もちろん今日届かなくとも、また手を伸ばすつもりではあるけど――それでも。
「行ってくるわ」
「決めて来いよ」
「おう」
こつん、とグータッチ。
かっこつけすぎてイタイな、と苦笑しつつ、俺は大河と共に教室を出る。
バレンタインイベントの会場は二つ。
調理室と、その隣の被服室。
その周りには既に多くの参加者がやってきている。
まさに大盛況だ。
ま、参加者名簿を仕分けてる時点で分かってたことではあるんだけどな。
「じゃあユウ先輩、そっちはお願いします」
「はいよ。……つっても、現場の指揮は来香だけどな」
「……私には、励ましの言葉はないんですか?」
「欲しがりかよ」
「欲しがりです。悪いですか?」
いんや、とかぶりを振った。
一緒に二人でここまで駆けてきたんだ。励ましの言葉の一つや二つ、手向けないでどうするって話だよな。
「やるぞ、大河。俺たちの欲しいもののために」
「――はい」
◇
バレンタインデーの前日に企画されたこのイベントは、昨年よりも規模が大きくなっており、調理室と被服室の二会場で行うことになっている。
このバレンタインイベントは、あくまで本命チョコを渡したい生徒への応援が本来の目的となっていた。そのためお菓子を作るだけではなく、メッセージカードを書く場所を設け、参加した生徒が明日すぐに意中の相手へチョコを渡せるイベントになっている。
で、俺はと言うと――。
調理室にいたところで役立たずでしかないため、被服室でのメッセージカード制作のスタッフとして配置されている。
「やっほ、兄さん♪ あたしと二人っきりだねっ」
「あのなぁ? 花崎もいるんだから三人だろ?」
「花崎ちゃんには『杉山くん用のメッセージカードを書いたら?』って言っといたんだ♪ だからあたしと兄さんの二人っきりだよっ」
「おい!」
恋する乙女を当然のように唆しやがる来香。まさにクソ度胸である。
俺が向けるジト目を来香は飄々と躱し、にししと悪戯っぽく笑う。こういうところを見ていると、意外と俺たちは似てるのかもな、などと思えてきた。
くつくつと笑って返せば、来香は可愛らしく首を傾げる。
「どうかしたのか?」
「んー? いや、最近はあたしから距離取ろうとしてる感あったのに、なんか今日は全然そんなことないなーって」
「あー」
「あっ! あたしのこと、選んでくれる気になった? 実はチョコを用意してたり? そーゆうことならしょうがない。今回は貰う側に回って、ホワイトデーにお返しを――」
「一人で決めつけまくって突き進むのはやめてくんねぇかな」
「むぅ。兄さんのけちんぼ」
ちょこんと軽く額にチョップを食わらせると、来香は不服そうにむくれた。
だけどその声が楽しそうなのは変わらない。
まるで青い鳥だな、と。
自由な囀りに似た声を聞いて、思う。
「悪かったよ。最近は色々と冷たくしてたよな」
そこは素直に謝るべきだろう。澪や雫とはお互いに距離を取り合った節もあるが、来香とはそうじゃない。彼女は変わらずグイグイ来ているのに、俺がどう接したらいいか分からず、中途半端な対応を取った。
「ううん、全然気にしてないよ。だって慣れてるもん、振り向いてもらえないのには」
「――っ」
どこか大人びた横顔で来香がぼそりと呟く。
アンニュイなその貌と声は、いつか見た打ち上げ花火を彷彿した。その指先は焦げ茶の髪を飾る赤いヘアピンに触れ、かと思えば、何かを爪弾くみたいに虚空を泳ぐ。
ふっとこちらを見遣り、確信犯じみた微笑を浮かべながら来香は言った。
「どう? 健気で一途な幼馴染っぽく聞こえるでしょ?」
「……かもな」
「聞こえるっていうか、事実そうだしね~。健気にずーっと傍にいた幼馴染。設定の後出しだ、とか言われても知らないよー? だってあたしはあたしだもん。兄さんの物語に登場してなかっただけで、あたしの物語はずっと兄さんを映してたから」
本当につくづく俺は、馬鹿野郎なんだと思う。
ずっと傍にいた彼女に気付くことができず、寂しい思いをさせてしまった。その寂しさが今も彼女の胸に残っているのなら――どうにかして拭いたい。
だけど、それは彼女の命への冒涜だ。
寂しささえ、彼女の恋の一部なのだ。俺が勝手に定義して、憐れんで、申し訳なさを感じるのは間違っている。
「来香とまたこんな風に話せて、嬉しいよ」
「――へ?」
「言えてなかったよな、これまで。一緒にいたいとかそういうことは言ってたのに」
「え、ええっと……」
「いろんな理由で、離れ離れだっただろ? それを謝るのは違うなって思う。でも、またこんな風になれてよかった。前みたいに――ううん、前よりも近づけて、よかった。そのことが俺はすっげぇ嬉しい」
本心から言った。
美緒は言うまでもないけれど、月瀬とだって寄り添った頃があった。
朧げだが、その頃のことは覚えてる。一緒にいたら楽しいはずだと思って話しかけて、事実、すごく楽しくて。月瀬は俺の初めての友達だった。
だから来香とこうして楽しく話せてる――そんな今が嬉しくて。
その嬉しいって気持ちを伝えることさえ疎かにしていた。今じゃなくてこれからにばかり目を向けていたから。
「って、来香? 急にどうしたんだ?」
「~~っ、そ、それはあたしの台詞なんだけどなっ? な、なに? あたしのこと、実は振るつもりなのっ? 持ち上げてから落とす作戦的な? あたし、そーゆうのマジで無理って言うか、普通に脆いんだからねっ? そんな仕打ちされたら、かわいそ可愛いキャラで復権狙っちゃうよ?」
「どんな宣言だよ!? ……振るつもりとかないっつーの。あんまり顔を逸らされてると、普通に傷つくんだけど?」
「無理! いま兄さんの顔を見れるわけないじゃん! めっちゃにやけちゃってて可愛くないし! あたしは最強無敵だもんっ、押しに弱くなんかないもんっ!」
「あぁ……」
「その納得してるっぽい声もやめて!?」
うぅ~と呻くのを聞き、自然と頬が緩む。
最強無敵で、だけど、意外と弱っちいところもあって。
本当に魅力的な女の子だ。
――って、浸ってる場合じゃねぇや。
「おーい来香! そろそろ全員入り終わるぞ。自分が花崎を参加者側に追いやったんだから、責任もってちゃんと仕事をしてくれ。俺がこの場で話すのはちと荷が重すぎる」
「……四股のサイテー野郎だから?」
「急に素朴な声でそれ言われると地味に傷つくなぁ……まぁそうだけどさ」
「じゃあこの場で宣言しちゃう? 四股はやめてあたしと選ぶ、ってことで」
「復活ほんと早ぇな!?」
「復活とか知らないもんそもそもノックアウトされてないもん」
と言いつつ、来香もちゃんと仕事はやるつもりらしい。
なんだかんだ根っこは真面目な子だからな。メッセージカード制作班の責任者を担っている以上、その役割は確実にこなしてくれる。
「んんっ。じゃあ、兄さん。サポートよろしくね♪」
「おう、任せとけ」
仄かに耳先に残る朱に笑いそうになるのを堪えつつ。
全体の前で来香が話し始めるのに合わせて、俺も空白のメッセージカードを配った。
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