終章#31 母親(2)

 話している間に母さんの実家に到着した。

 予め祖母ちゃんには連絡していたので、インターフォンを鳴らして呼べば快く歓迎してくれた。厄介なのは例の三姉妹。大河を見るなり彼女たちは、


『また知らない女の人だ!』

『しかも金髪のお姉さんだよ! ハニートラップかも!?』

『違うよ。きっと元は黒髪だったけど、寝とら――』

『弥生は流れるように一線を越えるんじゃねぇ!』


 と騒ぎ出したのである。

 つーか、マジで弥生にそういうカルチャーを教えてるのは誰なんだよ。寝取られは女子小学生に教えていいことじゃなさすぎる。

 もっとも、今日は三姉妹の父親、つまり母さんの弟である翼さんも来ていた。おかげで以前澪がされたように大河が囲まれて質問攻めに合うことはなく、居間まで案内してもらえた。


「それでぇ? 今度こそ友斗の彼女さん? 別嬪さんやねぇ」

「祖母ちゃんまで……違うよ。今のところはそういう関係じゃない」


 まるっきり否定する気にはなれなくて、中途半端な言い方になってしまう。

 気まずくなって大河を見遣れば、折り目正しい笑顔を浮かべて彼女は言う。


「初めまして。入江大河と申します。ユウ先……ゆ、友斗さんの高校の後輩で、いつもお世話になってます」

「うんうん、よろしくねぇ」

「僕は新井翼です。友斗くんの叔父に当たるかな。で、こっちが――」

「一花です!」

「二葉!」

「弥生、です!」

「――僕の娘です。うるさくてごめんね」

「い、いえ。元気でいい子だと思います」


 翼さんと三姉妹が自己紹介を済ませたところで、祖母ちゃんが持ってきてくれていたお茶に口をつける。

 ほっと一息したのも束の間、三姉妹が大河に熱い眼差しを向けているのに気付く。


「た、大河さんってかっこいい女の人って感じがします!」

「おっきいし……」

「誰に育てられたんですか?」


 一花を除く約二名は、体の一か所に目を向けてるらしい。まぁ澪と比べるとな……。

 あははと困ったように笑うと、大河は俺と翼さんの方を見る。


「すみません。三人と話してきてもいいですか? ここだとうるさくなってしまうと思うので」

「ああ、娘たちがごめんね。仲良くしてくれると嬉しい……かな」

「来てもらったのに悪いな」

「いいえ。年下の子と話す機会は滅多にないので、楽しいです」


 小さくかぶりを振ると、三姉妹を連れて大河が隣の部屋に行く。祖母ちゃんもお昼を準備するからと席を立ち、居間には俺と翼さんが残された。


「あー。あの三人、相変わらず元気ですね」

「あ、あはは。一花は来年で中学二年生なんだし、そろそろ落ち着いてほしいとも思うんだけどね。二葉と弥生に引っ張られちゃうみたいで」

「元気なのはいいことですよ。俺の周りにも元気な奴、多いですから」


 社交辞令じみた会話を交わすのは、翼さんとの距離感を測りかねているからだ。

 翼さんと会ったことがあるのは数回だけ。それも小さな頃の話なので、高校生の甥としてどんな風に接すればいいのか、分かっていないのだ。


「さっきの子とは仲、いいのかな? 友斗くんも隅に置けないね」

「周りの人に恵まれてるだけですよ」

「恵まれるだけのものがあるんだよ。そういうところは義兄さんに似ているのかな」

「……父さんに、ですか?」


 いつか、義母さんに言われたことがある。父さんに似ている、と。

 だが、あのときと今とでは文脈が違うだろう。

 翼さんはどこか懐かしそうな顔で言った。


「姉さんが結婚する前に何度か義兄さんと二人でお酒を飲んだことがあったんだけどね。すごく人たらしというか……好きな人はとことん好きになるタイプの人だな、って思ったんだよ。今風に言うと、『周りを沼らせる』とかになるかな」

「沼ですか……」

「姉さんがあそこまで好きになる理由にも納得したんだよ。……今の友斗くんも似た部分があるように感じる」

「そうですかね?」


 と首を捻りつつ、そうかもしれない、とも思う。


『クズだけどバカでピュアで。友斗って人たらされだよな』


 晴彦から言われたことを思い出す。

 人たらされ、という言葉が翼さんの言いたいことと重なっているかは分からない。でも俺には釣り合わないくらいに魅力的な人たちが周りにいてくれるのだから、きっと“何か”があるのだとは思う。


 って、俺のことは今はいい。

 この旅の目的は母さんを知ること。道中の大河との会話を経て、いっそう深く母さんを知らなければいけないと思った。


 もしかしたら翼さんから何かを得られるかもしれない。

 弟の視点から分かる、何かを。


「あの。変なことを聞いてもいいですか?」

「ええっと、うん。なにかな?」

「母さんのことです。……どんな人だったのか、思い出したくて」


 なるほど、と翼さんが頷く。

 流石に急だっただろうか。翼さんはテーブルに両肘をついて指を組み、うーん、と唸った。


「友斗くんがどんなことを聞きたいのかは分からないけれど……弟の僕からすると、とにかく負けず嫌いな人だったよ。おかげでいつも絡まれて酷い目に遭ってた」

「負けず嫌い、ですか? 全然そんな印象なかったです」


 記憶を辿ろうとしても、そんな母さんの姿は見当たらなかった。父さんと喧嘩しているところだって見たことがないのだ。……それが記憶にないだけなのか、それとも、喧嘩自体していなかったのかは分からないが。

 俺が言うと、翼さんはどこかおかしそうに笑った。


「そりゃそうだよ。姉さんは義兄さんの前ではとことん女だったからね――って、息子の君に言うのは不適切か」

「い、いえ。できたら続きを聞かせてほしいです」


 引っ込みかけた翼さんの言葉を咄嗟に掴む。

 大河と話していたときに感じた“何か”が言葉の淵に潜んでいるような気がしたから。

 翼さんはぱちぱちと瞬き、やや困ったように頬を掻いた。


「姉さんは高校で軽音楽部に入ってたんだけど、よくバンドのメンバーと言い争ってた。絶対に譲らない人だったらしいよ。当時の先輩たちから聞いたことだけどね」

「言い争い……」

「そう。自分の音楽は譲れない~って。こうして思い出すと、ロッカー気取りな人だったな。まさに田舎者、ってところだね」


 懐かしそうにふっと口の端で笑い、翼さんが続ける。


「恋をしたって聞いたときも、最初は驚いたんだよ。姉さんがそんな乙女らしいことをするなんて、ってね」

「…………」

「でも、目を見て納得したよ。恋する女っていうより、戦う女って感じの目をしてたから。姉さんにとって恋は戦争みたいなものなんだなって思った」


 ――恋は戦争みたいなもの

 その言葉が、線香花火みたいにパチパチと咲く。突拍子もない話のはずなのに、朧げに浮かび始めている母さんの輪郭が重なって見えていた。


「まだ義兄さんと付き合い始める前、姉さんに相談されたことがあったっけ」

「相談?」

「うん。『どうやったら元カノへの未練を消せると思う?』って。男の僕の意見を聞きたがったんだ。まぁ、そのときはまだ彼女もできたことがなかったから答えられなかったんだけど」

「…………」


 母さんの言う『元カノ』が誰なのか、今の俺には分かる。

 厳密には元カノではなかったはずだ。ただ父さんがその人への初恋を燻ぶらせていたことを知っている。


『父さんの初恋って、いつ?』

『男同士の秘密だぞ』

『分かってるよ』

『…………小学校の頃だ。で、高校で由夢さんに出会うまで、拗らせてた』


 もしも翼さんの話が正しいとすれば。

 母さんにとっての恋敵は、義母美琴さんだったということになる。


 かちり、とジグソーパズルが出来上がる音がした。

 きっとこれまでの俺は、ほとんど見えない母さんに世間一般の母親のイメージを被せていた。ある意味で記号的に、もういなくなってしまった母さんを母親として処理していたのだと思う。

 だが、こうして母さんの想いを知ることができて――。

 ようやく、見えたものがあった。


「だから、きっと友斗くんたちには見せてなかっただけで、結婚した後もずっと姉さんは義兄さんに恋してたんじゃないかな。――って、本当にこんな話でいいの?」

「……はい。それが母さんにとっての核みたいなものだったなら、息子だからって理由で目を背けるのも違う気がするので」

「そっか」


 そんな話をしている間に、祖母ちゃんが昼食を作り終える。翼さんが大河と三姉妹を呼んできてくれると言うので、俺は料理を運ぶのを手伝うことにした。

 ふと、来る途中の大河の言葉を思い出して、祖母ちゃんに聞いてみた。


「ねぇ祖母ちゃん。美緒の名前って誰が考えたか、知ってる?」

「んー? 急にどしたん、そんなこと」

「ちょっと色々あって。……大丈夫、美緒とはもう夏に向き合えてるから」


 祖母ちゃんの表情が翳りかけたので、慌てて弁明する。

 これは美緒じゃなくて母さんを知るための質問だ。


「そうやねぇ……確か由夢だったはずやよ。友斗の名前はうちの祖父ちゃんが考えたんやけどな? あの子が『この名前しかない』って言って聞かなかったんよ。ほんと、あの子は昔からちぃっとも譲らん子やったからね」


 やっぱりそうなのか?

 仮説は蜘蛛の糸みたいなか細い根拠で繋がり、不確かな信憑性を帯び始めていく。


『澪先輩と美緒さんの名前が偶然同じになるだなんて、おかしいじゃないですか』


 たとえばそれが偶然ではなく、必然だったなら。

 或いは、必然と呼ぶにさえ値しない歪んだ恣意ゆえの運命だったなら――?


「それがどうかしたん?」

「ううん、何でもない。それより――」


 もしこの仮説が正しいとしても、その真実は吹聴すべきものじゃない。できることなら一生胸に仕舞い込んで、墓場まで持っていくべきことだ。祖母ちゃんには何てことない顔で返し、別の話をする。


 多分、もう真実は闇の中。

 母さんのみぞ知る真実――いや、もしかしたら一人だけは気付いている人がいるかもしれない。

 それでもその闇に手を伸ばすことには、確かな意味がある気がして。

 だから俺は、本になるわけでもない母さんのをなぞり書くように思いを馳せたのだった。

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