終章#02 だから、彼女のプロローグ
行きと同じく数時間をかけ、俺たちは東京に戻ってきた。昨晩泊まったあの街がどこにあるのかは電車に乗った時間でしか知らずにいるから、どれほどの感慨を持つのが正しいのか判断がつかない。
それでも『どこか』から帰ってきた、という感覚はあった。
帰省の後でも感じない懐かしさがあるのは、まるで駆け落ちみたいな当てのない旅だったからかもしれない。
「別についてこなくてもいいんだけど……言ってもついてくるよね?」
「当たり前だろ? ご両親にはちゃんと説明したい」
「結婚を前提に付き合うことになりました、って?」
「……まだ身に覚えがないんだよなぁ」
「ヤることヤって気持ちよくなりました、って?」
「事実を改変するのはやめような!?」
「そのツッコミ、一個早くてもおかしくなかったのに。律儀に『まだ』って言ってくれる兄さんが大好きだよ♪」
おかしい、ツッコミがちっともツッコミとして機能してくれない。
俺がジト目を向ければ、来香はてへっと舌を出して笑った。
来香を家まで送り届けない選択は俺の中になかった。昨日も俺の口から説明するって話をしてたしな。もちろん、来香自身が説明すべきこともあるだろうけど。
そんなこんなで、俺たちは来香の家に向かう。
到着すると、来香の家族が挙って出迎えてくれた。来香のお母さんに冬夜さん、それから中年の男性。おそらく最後の人がお父さんなのだろう。
来香のお母さんはホッと安堵の表情を見せ、対照的にお父さんであろう男性は俺を睨んでくる。冬夜さんは何も言わない。ただ興味深そうに眼を細めていた。
「話を聞かせてもらうよ。来香にも君にも」
「うん」「……はい」
低い声で言われ、俺の評価が現段階でだいぶ低いのだと知る。
そりゃそうだ。
お父さんからすれば俺は、愛娘を一晩帰さなかった悪い男。敵意とまではいかずとも警戒心を抱くのは当然だ。
澪や雫とは同居しているし、大河は一人暮らしをしている。だからこれまでは無茶が平然と許されていただけで……本来は無茶の後で向き合うべき問題もあるのだ。
話し合いの場所はリビング。
部屋へ着替えに戻った来香を待つ間、お父さんが聞いてくる。
「君が百瀬友斗くんだね?」
「はい。来香さんと仲良くさせてもらってます。ご挨拶が遅くなって申し訳ありません」
「挨拶のことなら、謝る必要はないよ」
挨拶のことなら、ね。他のことでは謝れって意味を含んでいるのは明白だろう。俺は気まずさを感じつつも、来香が戻ってくる前に伝える。
「来香さんを一晩連れ回して申し訳ありません。心配をかけてしまったと思います」
「ああ、その通りだ。私も妻も、気が気じゃなかった。昨日は仕事からもすぐ帰ってきたし、本気で警察に連絡しようとすら思ったよ」
「……はい」
「君は知らないかもしれないが、来香は体が弱いんだ。今みたいに元気に過ごせているのは本当に奇跡なんだよ」
全くもってその通り。
この件に関しては開き直るつもりはない。だって俺が相手の立場なら間違いなく激怒しているし、門限なり外出禁止なり相応の厳しいルールを設けようとするはずだから。
来香を心配する気持ちに共感すら抱けるからこそ、努めて冷静であろうとしているお父さんの言葉がよく響く。
――浅慮だった。
それは強く自覚するところでもある。
「皆さんの心配はごもっともだと思います。僕も来香さんの体が弱いことは知っていたのに、後先考えずに行動してしまったと後悔してます」
「……ならどうしてこんなことをしたんだ?」
「それは――」
何と言うべきかと迷ったのは一瞬。
答えは簡単だった。
「そうしないと来香さんを知ることができないと思ったからです」
「……来香を?」
「はい。抽象的な答えですみません。でも友達として、今の来香さんを知らないといけないって思いました」
だからといって軽率であることは否定できないのだけど。
なるほどな、とお父さんが重い表情で頷く。
そんな俺たちのやり取りを見ていた冬夜さんが、一つ、と口を挟む。
「そこまで言うからには、来香のことを知れたと考えていいのかな?」
「もちろんです。軽率で子供だったとは思いますけど……この一件を後悔はしてません」
「――重畳だ。少しは格を上げたようだね、友斗くん。推しになりそうだよ」
「父さん!」「お義父さん!」
「いいじゃないか、二人とも。そもそも行動の責任は一者にだけ問われるべきではない。体が弱いからといって来香の自主性は損なわれるわけではないだろう?」
相も変わらず、冬夜さんは劇じみた大仰な口調で言った。
俺を庇ってくれた……のか? 推しになりそうとか意味の分からないことも言われたが、それも大げさに言っているだけだろう。
と、言っている間に来香が戻ってくる。おそらく俺たちが話しているのは聞こえたのだろう。彼女は不満そうな顔で、
「あたしの問題をあたし抜きで話さないでほしいんだけどな~」
と呟いた。
来香は俺の隣に腰かける。にこっとこちらを一瞥し、そのまま深々と頭を下げた。
「心配かけてごめんなさい。だけど決めたのはあたしだから、怒るのも叱るのも全部あたしにしてほしい」
「それは……」
「あなた。百瀬くんもきっと分かってくれているはず。お義父さんの言っていたこともあるし……今は百瀬くんより、来香の話を聞きましょう」
「……そう、だな」
不承不承といった感じで首を縦に振るお父さん。
来香がその声を聞いて顔を上げると、二人は優しさと厳しさが混じった声で言った。
「父さんたちが心配する理由を分からないほど、来香は子供じゃないだろう? 自由に生きてほしいと思う。だからこそ……筋は通してほしい」
「うん、ごめん」
「でも、心配をかけないようにって気遣われたいわけじゃないの。ただ、来香に来香自身を大切にしてほしいだけ。分かってくれる?」
「うん。分かる。あたしは多分、本当の意味で自分を大切にしてあげられてなかったから」
そこまで言うと、来香の表情に決意の色が現れた。
大人びているようにも、子供なりに頑張っているようにも見える横顔――その眩しさに目を奪われていると、
「ずっと内緒にしてたことがあるんだ。聴いてくれる?」
来香は向日葵みたいに凛々しく告げた。お父さんとお母さんは戸惑いながら、冬夜さんは俺を一瞥し、それぞれ頷く。
居住まいを正し、来香は三人に言った。
「あたし、昨日まで二重人格だったんだ」
「「…………」」「ふむ」
「心臓をくれた、美緒って女の子がいてね。その子と二人で生きてたんだよ」
まるっきり知らないというわけではないようだった。やはり薄っすらと悟ってはいたのだろう。ただいざ告白されると流石に驚かざるを得なかったようだった。
「だけど、それは昨日までの話。百瀬くんと二人で旅をして、話して、あたしたちは一つになれた」
だから、と来香は続ける。
「もう二重人格じゃないし、わざわざこんな風に説明する必要なんて多分ない。それでもあたしは分かってほしいって思った。あたしはあたしだけじゃなくて、美緒って子の心も含めて、全部があたし。そういうあたしを――これからもよろしくお願いします」
来香の言うとおり、美緒のことを話す必要はどこにもない。もう彼女たちは一つになったのだから、元から一つでしたって顔でいた方が楽だ。
それでも来香は分かってもらおうと説明した。
きっとこういうことなんだろうな、と思う。
嘘を吐いたり有耶無耶にしたりすれば済むことを、それでも、と祈るように話して伝えようとする。そんな営みこそが人と人との繋がりには欠かせなくて――俺だってこれまで何度も、そうやって誰かと繋がってきた。
「そんなの、当たり前よ。来香に言われなくてもよろしくするわ」
「ああ。だって私たちは来香の家族だからな」
「――っ、ありがとう。二人とも大好き!」
俺は来香が両親と笑い合うのを隣で眺めていた。
部外者だけど、疎外感はない。
ただ少しだけ寂しくは感じた。来香の家族は二人で、俺や父さんはもう、家族じゃない。もちろん俺のことを兄だとも思ってくれるだろうけれど、一生繋がっていく家族とは違うのだろう。
――この寂しさは、当たり前の切なさだ。
別に来香相手に限った話じゃない。
家族とそれ以外とは、やっぱり少しだけ違っていて。
だから愛する人と家族になりたいと希うのだろう。
ああそうか、と気が付く。
俺は本当の意味で家族を知らない。いや、知り始めたばかりなのだ。
ふと冬夜さんと目が合う。
俺にはその表情が劇を見ている観客のもののように映る。
『ならば問おう。君はどう生きたい? 何がしたい? 或いは――どうなりたくない?』
冬夜さんの言葉がリフレインする。
ゆっくりでもいいから俺の答えを出す、と決めた。
ならば考え続けなければいけないのだと思う。
どう生きたいのか。何をしたいのか。
そして、
――どんな結末を求めるのか。
来香が家族へ一歩踏み出したように、俺も傍にいてくれる人たちへ踏み出そうと思った。
◇
「あの、冬夜さん。少し相談があるんですが」
「うん? なんだい?」
「明日から、っていうか厳密には今日から数日間学校が休みなんですけど。その時間は考えるために使いたいんです。だからバイト、来れないかもしれません」
「ふっ。そういうことならむしろ大歓迎だ。よく考えるといい。暇な休日はまた来てくれるかな。友斗くんの青春群像劇を茶菓子代わりにコーヒーを飲みたいからね」
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