終章#03 ミオカケル
日曜日の駅前はがやがやと混んでいた。しかし、人の多さは温かさとは比例しない。冷え冷えとした空気のせいでぴりぴりと肌が痛む。くいっとマフラーを上げて口元を覆うが、それでも寒さが去ってくれるわけではなかった。
冬ってやつは、どうして晴れててもこんなに寒いんだろうか。
雨雲はとっくに過ぎ去り、昨日から晴れが続いている。空には雲一つない群青色。その青さも一律ではなくて、子供が青い絵の具で自由に塗りたぐったみたいにムラがある。降り注いでくる日光は確かに眩しく、俺は目を細めた。
だから冬は嫌いなんだ、と思う。
でも首元の温かさだけは嫌いではなかった。ちょっとチクチクするし程良い温かさではないけれど――心地いい、愛おしい、と感じる。
なんて考えていたら、自然と頬が緩んでしまった。
ぐりぐりと弛緩した頬肉を手でマッサージする。こんなだらしない顔を見られたらめっちゃくちゃからかわれるだろうからな。
「私とのデートが楽しみなのは分かるけど、ニヤニヤしすぎじゃない?」
「うおっ!? ……びっくりしたぁ」
「それ、こっちの台詞だから。大声出しすぎ」
ぱっと目の前に現れたのは俺の待ち人――澪だった。
ぴりりと雷光を纏うように髪を靡かせ、不敵に笑う。その笑顔は雄弁に『いいおもちゃ見っけ』と言っており、実にタチが悪かった。何が凄いって、これまでの表現が全て澪を好きだって自覚してる俺から出てくるあたりが凄い。
「おはよ、友斗。待った?」
「朝起きてから普通に会ったし、こっちのが30分早く出て待ってるのも知ってるよな!?」
「うわぁ、理屈っぽい。そんなことばっかり言ってるとモテないよ?」
「ねぇそれどういう心境で言ってんの!?」
「私たちくらいしか友斗を好きになんないだろうなーっていう慢心?」
「慢心って言葉の使い方おかしくないっ?」
そんな胸張って言うことじゃないと思うぞ? なに、張るほど胸が大きくないから慣用句の意味が通じないっていう高度な自虐ネタ?
「……失礼かつ脈絡ないことを考えられてる気がする。ぶち犯すよ?」
「公衆の面前で言っちゃいけないこと過ぎる! ギャルなの!? 肉食ギャルなのか!?」
俺が勢いのままにツッコむと、澪の顔が思いのほか曇ってしまう。ムッとした顔ならよかったのだが、そこには一抹の不安が見え隠れしてもいた。
澪らしくないな、と思う。
と同時に、それもそっか、と自分の言葉を反省した。
だが、だからといって俺が変に気遣ったりするのは澪の在り方を穢してしまうような気もする。
だから俺は、
「なんだ? 似合ってないかも、なんて不安に思ってんのか?」
「なっ……そんなわけないじゃん。誰かさんが褒め言葉の一つも言えないヘタレだからアピってるだけだし」
「ふっ、そうか?」
「そうだからっ! 不安とかあるわけないし!」
ぷいりと拗ねるようにそっぽを向けば、
稲妻みたいだ、と。
中二病チックなことを考えてしまうのは、それだけ澪の新しいヘアスタイルが似合っているからだろう。
漆黒の髪はこれまで通り。
しかし、その内側は雷みたいに金色に染まっている。いわゆるインナーカラーってやつだ。黒髪も金髪もそれ単体なら見慣れているのが、その両方が共存する澪の髪色はどこか作り物めいていた。
昨日、家に帰った俺が真っ先に驚いたのは澪の変化だった。
うちの高校は校則が緩めなので髪を染めても派手な色じゃない限り許されるが、それにしたっていきなりすぎる。どうして染めたのか聞こうと思いながらも何だかんだその暇がなく、今日になってしまったのだった。
「てか、生まれて初めて髪を染めた可愛いかわいい妹に『ギャルなの?』とか普通に最低だと思うんだけどー? お兄ちゃん、デリカシーマイナス値?」
「うぐっ……わ、悪かったって。さっきのはそういう意味じゃないから!」
「謝罪は要らない。代わりに献上するべきものがあるでしょ?」
「献上て」
「早く」
ったく、
だがまぁ、理由を聞くよりも先に言うべきことがあるのも事実だ。いいや、違うな。『言うべき』じゃなくて『言いたい』が正しい。
それに、今日はそうやって自分の心を向き合うと決めただろ?
「くそかっこよくて好きだわ、その髪。ぶっちゃけ俺も染めよっかなって思うレベル」
「ん」
「けどまぁ、澪だから似合うんだろうけどな。かっこいいし可愛いし、何より綾辻澪って感じがする。正直惚れたよ」
「……ん」
あと何だかんだ照れ臭そうな顔をするのもめっちゃ可愛い。
って言ったら、澪は機嫌を損ねるんだろ――
「いてっ!? なんで脛蹴るんだよ!」
「いま絶対、『照れ臭そうも可愛い』とか思ってたでしょ。目で分かるし」
「うっ……だ、だってほら。口にしたら怒るだろ?」
「は? 逆だから。可愛いって思ったら毎秒言ってほしいに決まってんじゃん。むしろ毎秒『可愛い』とか『美しい』って思い続けるのが私の前に存在する生き物の義務みたいなところあるし?」
「神様だってそこまで傲慢じゃないからな!?」
相変わらずの傲慢っぷり……いや、ちょっと拍車がかかりすぎじゃない? 俺が塞ぎ込んでる間に何かがあって殻を破ったのは何となく分かるが、だからって進化しすぎじゃなかろうか。
「ま、奇麗だって思ってるのはほんとだよ。
本当に奇麗で、すげぇ見惚れた」
それは包み隠さない本音だ。
黒一色だった澪も好きだけど、二色の澪も好きだ。その証拠に心臓がさっきからバクバク言っててやばい。
澪も俺の顔を見て満足したようで、んん、と小さく咳払う。
「とりあえず、話は電車に乗ってからでいい?」
「えっ、まあ、そうだな。こんなところで話しててもしょうがないし」
「じゃ、ついてきて」
十分に話してるけどな、というツッコミは胸の内に収めておく。
改札を通る澪についていきながら、「なあ」と俺は尋ねた。
「今日はどこに行くつもりなんだ?」
「まだ内緒。友斗は黙ってついてきて」
澪は秘め事のリップを指先で塗るみたいに、人差し指を口の前につんと立てた。
かどわかすようなその笑みは呆気なく俺の心臓を握った。
「今日は一日、私が友斗を好きにしていいんでしょ?」
「――まあな」
ちょうどやってきた電車に乗り込みながら俺は昨日のことを思い出した――。
◇
「で、ほとんど無断で学校をサボった挙句、別の女と一晩過ごしたことへの言い訳は?」
「……ない」
「てか、私の下着、ちょっとアレの臭いがするんだけど?」
「うっ」
「……? 澪先輩、アレってなんですか?」
「あー。大河ちゃん、アレはアレだよ」
「雫ちゃんは分かるの……?」
「ま、まあ……諸事情でね」
百瀬家に帰った俺は、当然のように三人に詰問を受けていた。
いや、『ように』っていうか、普通に当然である。三人は俺の親ではないが、家族みたいに大事な〈水の家〉の仲間だ。心配をかけるべきじゃないって意味では変わらない。
……が、だからって下着の話をいきなりされるとは思わなかった。
「トラ子うぶすぎ。精液だよ、精液」
「は、はあ……せいえ、き――えっ!?」
「どういうことか説明してくれるよね? てかしろ」
動揺する大河をからかうこともせず、澪が睨みながら俺に言う。キンキンに冷たい口調からは、一昨日感じた温もりの欠片も感じられない。
だが、澪の怒りはよく分かる。
俺たちの欠席連絡を一方的に頼み、下着まで借りておいて、その下着を汚して返したのだ。しかもその汚れが性的な行為によるものだとも気付かれている。
「もちろん説明はするよ。まずは昨日の朝のことから――」
今回の件を三人に隠すつもりはなかった。来香にも断りは入れてある。
曰く、
『あたしは三人と兄さんとの話を聞いちゃってるからね~。あたしと兄さんとのことを隠すのはフェアじゃないでしょ?』
とのことだ。
美緒がどこか遠くに行きたがったこと。祖母ちゃんの家に行こうとしたこと。寝過ごして、ほとんど知らない土地に行き着いたこと。電車が止まって帰れなかったこと。
そして――。
来香に迫られたこと。出してしまったこと。でもその先には行けないと思ったこと。美緒と来香のこと。
おおよそ全てを話し終えると、
「……ふぅん。つまり初恋の女かつずっと手紙で繋がってる女だった来香の魅力に溺れて、我慢しきれずにシたんだ?」
「さ、最後の一線は越えてないからな……?」
「でもでもっ、私相手には出してもくれませんでしたよね~? 私だって恥ずかしいのを我慢して迫ったのに!」
「それはほら。あのときなりの考えがあったわけで、決して雫の魅力がないとかじゃなくて――」
「それは分かってますけど! でもゴーハラですよね~」
「……私、まだキスもしてもらってないです」
「「あっ」」
「…………ユウ先輩の変態」
と、三者三葉の反応が返ってきた。
……主に大河の呟きがぶっ刺さったのは言うまでもない。自分のことながらサイテーだなー、この男。大河みたいな可愛い子にこんな顔させるなんて」
「……三人とも、俺を責めたりはしないんだな」
「は? 責めてるけど?」
「めっちゃムカムカしちゃってますよ?」
こくこく、と無言で大河が頷く。
「ごめんごめん。三人が怒ってるのは分かるけど……そうじゃなくてさ。裏切者とか浮気者とかそんな風には思わないんだな、って。本当なら今回のことだけで絶縁されてもいいくらいだ」
もちろん、実際に絶縁されるとまでは思ってなかった。むしろ信じてさえいた。三人なら分かってくれるはずだ、と。
だけどそれでも、見放される可能性はゼロじゃなかった。
「そんなの当たり前じゃん。美緒も来香も、私たちに負けないくらい厄介な女だし。あの子と向き合ったことを責めたりはしない」
「ですです。素敵な物語だなーって思っちゃいましたもん」
「……美緒さんのことも月瀬先輩のことも、大切ですから。助けてくれたことは感謝してます」
「そっ、か」
ふあふあと胸の奥が温かくなる。
自分の手で綴った、百瀬友斗の物語の一ページ。
それを肯定してもらえるだけでこんなにも勇気が湧いてくるんだな。
「ま、それはそれ、これはこれ」
「だよね、お姉ちゃん。実際、えっちまでする必要はどこにもなかったですし?」
「……いやらしいです」
「そうなるよなうん知ってた」
感動でシリアスな展開は一瞬。
ぷつんとシャボン玉が割れるみたいに空気が変わる。
「こんなことを俺から言うのもどうなんだろうなとは思うんだけどさ。一つ提案してもいいか?」
「提案?」「「提案ですか?」」
「来週って火曜日までは学校ないだろ? 入試の準備かなんかで」
だから、と俺は続ける。
「明日から一日ずつ、俺を好きにしていい、ってのはどうだ? どこかに連れていくんでもいいし、一日中こき使ってもいい。言ってみれば『一日言うこと聞く権』だな」
これは帰りの電車で考えていたことでもあった。
もちろん、ただの埋め合わせではない。三人それぞれと二人っきりで過ごすことで、俺なりに彼女たちと向き合おうという目的もある。
「今回の件の埋め合わせに……どうだ?」
「それをユウ先輩が言い出すのは確かにどうなのかとも思いますが……私はそれでいいです。ちょうどユウ先輩に頼みたいこともありましたし」
「お、おう。それならよかった」
「……えっちなことじゃないですからね?」
「少しもそんな可能性は考慮してないからなっ?」
大河の俺への印象、だいぶ歪んでない……?
ちょっぴり不安になっていると、澪も大河に続いて頷いた。
「ま、私もそれでいいや。先を越されたのはムカつくけど、もっと広く見れば私の方が先だしね」
「……了解」
残るは雫。
雫の表情は、澪や大河以上に複雑そうだった。彼女に迫られた夜のことを思えば、その表情も当然なのかもしれない。
しばし考える仕草を見せた後、うん、と雫が首を縦に振った。
「私もそれで埋め合わされてあげます♪ 友斗先輩のこと、好きにしていいんですもんね?」
「……お手柔らかに頼む」
「嫌です♡」
ぱちん、と射貫くように雫がウインクを決める。
嫌な予感はひしひしとするが、自分が言い出したことである以上、撤回はできない。というか、端からそのつもりもなかった。
――かくして、俺は三日連続で好きな子たちに連れ回されることになったのだった。
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