10章#02 私声君声
心臓移植を受けた後。
あたしは二週間ほどで退院できた。でも、数か月の入院生活で弱った体はすぐに学校に適応することができない。リハビリが必要だったあたしは、1か月ほど学校を休むことになった。
あたしが学校に通えるようになったのは5月中旬。
もうすっかり街は梅雨入りしていて、どんよりと空気の重さを感じる。それでも、久々に行ける学校が楽しみだった。
彼に会ったら、何を話そう?
『久しぶり』って声を掛けたらいいかな。
『ずっと好きでした』っていきなり告白しちゃう?
それとも――。
風船ガムみたいに膨らませた妄想は、彼の顔を見た瞬間、ぷしゅぅぅと悲しい音を立てて萎んだ。
だって……彼は、すごく寂しそうな顔をしていた。
表向きは明るく振る舞っている。けど、それが周囲に心配をかけまいとするがゆえの作り笑いであることは一目で分かった。病室の窓に映ったあたしとそっくりだったから。
「おはよう、百瀬くん」
友斗くん、とあの頃のようには呼べなかった。
彼はあたしのことなんて覚えていなさそうな様子で、笑顔を繕いながら返してくれる。
「月瀬さん、おはよう」
「……っ」
そんな作り物めいた笑顔が見たいわけじゃなかった。
あたしを見つけてくれたみたいに、優しい目を向けてほしかった。あたしが再会したかったあなたは――。
――どうしてそんな顔をしているの?
そう口にする勇気は、まだそのときのあたしにはなかった。
それでも彼のことが知りたかったあたしは、よくないことだと思いながらも、先生に聞いてみた。百瀬くんに何かあったんですか、と。
「百瀬くんのお母さんと妹さんがね、遠いところに行ってしまったの。可哀想でしょう? だから優しくしてあげて」
可哀想。
あっさりと言ったその先生の言葉は虚ろな響きを伴っていて、彼がどうしてあんな顔をしているのか、理解できた気がした。
心配をかけたくないから、じゃない。
憐れまれたくないから、彼は笑ってる。
なんて不器用なんだろう。
なんてかっこつけなんだろう。
彼の傍にいたい。
あたしの光で、彼の明日を照らしてあげたい。
つよく、強くそう願った――その夏。
彼はもう、光を見つけていた。
「みーつけた。今日も読書?」
「……っ、関係ないでしょ」
「あれ。今日は遅かったから拗ねてる?」
「ち、違うもん……!」
一つ年下の女の子。
本を抱えて自分の世界にこもりっきりって感じの子だったけど、キラキラと眩しい笑顔は彼を確かに照らしている。
「そっか」
今の彼にあたしは必要ない。
ううん、きっとあの二人にあたしが割り込めば、何か大切なものが壊れてしまう。
だったらあたしは、ただ彼の傍にいよう。
もしも彼が真っ暗な夜に迷い込んだとき、この命の灯火で彼を導いてあげられるように。
そうして迎えた夏休み。
あたしは二つのことを始めた。
一つはゲーム。相変わらず外で遊ぶことはできないあたしが熱くなることができる、唯一の遊びだったと言っていい。特に好きだったのはRPG。こつこつと自分の手で育てた“私”が、感動的な物語の主人公になっている。その没入感に魅せられた。
だって、いつもあたしは外野だったから。
主人公じゃなかったあたしは、電脳の世界で主人公になることを望んだ。
もう一つは音楽。幼稚園で彼と歌っていた頃を思い出して何となく部屋で歌っていたら、お父さんが埃を被ったギターを貸してくれた。学生の頃はバンドを組んでいたんだよ、なんて言いながらコードを教えてくれるものだから、想像以上にのめりこんだ。
きっと、お父さんとそうして時間を過ごせることが嬉しかったんだと思う。
お父さんと二人でアコースティックギターを弾いていると、いつの間にかお母さんもやってきて、三人で歌っていた。穏やかな時間だった。
あっという間に中学生になる。
彼が受験することは風の噂で聞いていたから、あたしも同じところを受験した。案の定受かって、あたしはまだ彼の傍にいられることに安堵した。
幼稚園と小学校、そして中学校。
そろそろあたしを幼馴染扱いしてくれてもいいのにな……なんて思いながら迎えた入学式の日。クラスにいる一人の女の子を見たとき、どうしようもなく胸騒ぎがした。
――綾辻澪
記憶の彼方にある、彼の妹に似ているような気がした……というのもあるけど。
一番は、上手く言語化できない『他人じゃない』という感覚。
この感覚の正体は、いつまで経っても説明できるようにはならない。
ただ、彼女が彼と親しくしているのを見ると無性に悔しくなった。年下の女の子に対しては抱かなかった嫉妬に近い感情。
どうして、と尋ねるよりも先に、あたしは自分の感情をぶつける場所を探した。
その過程で出会ったのが、あたしの相棒とも言えるエレキギターだ。
お小遣いを貯めて買ったそれはアコースティックギターよりも攻撃的な音色を奏でる。その音に駆り立てるように指さばきは加速して、もっともっと、とどんどん速くて熱いメロディーを求めるようになった。
当然、エレキギターを住宅街で堂々と弾くわけにはいかない。
あたしはカラオケに足を運ぶようになり、一人で音楽をすることが多くなった。
歌うのも弾くのも、専らラブソング。流行りのものでもいいし、古いJ-POPも気が利いててよかった。
デタラメにアレンジして、想いが叫ぶままに奏でる。
あたしが最初に好きになったのに。
あたしのヒーローだったのに。
ずっと傍にいるのに。
どうしてあたしを見てくれないの?
どうしてこの心を見つけてくれないの?
想えば想うほど速くなる鼓動と共に、あたしはノイズを撒き散らす。
そんな日々を続けていたある日――。
『私も、兄さんともっとずっと一緒にいたかった』
胸の奥から声が聞こえた気がした。
驚いて手を止めれば、その声は聞こえなくなる。疲れてるのかな?と一瞬思ったけれど、そうじゃない、という直感があった。この声はあたしが大切にしなきゃいけないものだ。
直感に身を委ねて、もう一度ギターをかき鳴らして歌う。
すると――声が聞こえた。
『え……私の声、聞こえてるの?』
驚いたようなその声には、聞き覚えがある。
『うん、聞こえてる。あなたは…………百瀬くんの妹さん、だよね?』
『……はい。あなただったんですね、あたしの心臓を貰ってくれたのは』
『心臓? じゃあ――』
彼の妹は死んだ。
ちょうど、あたしが心臓移植を受けた頃に。
つまり、彼の妹があたしに命をくれた。
……のは、まぁいいとして。
なんであたしたちが話せてるの?っていう問題がある。
考え込んだあたしが手を止めると、また声が聞こえなくなった。
もしかして……。
ギターを弾くと、再び声が聞こえ始める。
『やっぱり。ギターを弾いてるときだけ話せる……っぽい?』
『そんなこと、ありえますか?』
『それを言ったら、こうして話せること自体がおかしいもん。難しいことを考えるより、受け入れることも重要!ってことで』
『……ですね』
そうしてあたしは彼の妹――美緒と話すようになった。
話している間に色んなことを知った。
美緒が彼のことを、兄ではなく男の子と愛していたこと。
美緒もあたしと同じく、澪に強い嫉妬を感じていること。
どうやらあたしは美緒の人格に影響を受けているらしい。
ゲーム好きなところとか、食べ物の好みとか、色んなところであたしと美緒が綯い交ぜになっている。
『もしかしたら、来香の恋も私の影響で――』
『それは絶対にありえないよ。美緒の影響で、好きな気持ちは二倍になったかもしれない。でもあたし、ずっと前から百瀬くんが大好きだもん。それだけは美緒にも負けない!』
『……そっか』
いつの間にか美緒はあたしに敬語を使わなくなって、『来香』って呼んでくれるようになった。
そうして中学三年生の冬。
彼と同じ高校への進学が決まった後、美緒はあたしに言った。
『私はもう死んだよ。でも来香はこれからも人生が続く。だから……兄さんに、もう少し近づいてみたらどうかな』
『近づくって……どんな風に? だって、綾辻さんも同じ学校なんだよ?』
『たとえば――イメチェンしてみるとか。来香も身嗜みさえ気を付ければ可愛いし』
『…………そうかな?』
と言いつつも。
美緒に褒められたあたしは調子に乗って、イメチェンしてみることにした。
髪は二つのお団子。化粧の練習もいっぱいして、前より明るく振る舞えるようにもなった。まぁ、性格の方は成長するにつれてだいぶ明るくなってたんだけど……。
彼が迷子になったとき、手を引いてあげられるような存在になれればいいと思っていた。
でもそれだけじゃ、満足できない。
少しでいい。ほんの少しだけ、彼の日常になりたい。
かくして高校一年生、春。
「はいっ! あたし、学級委員になりたいです!」
あたしは思いきって手を挙げた。
彼が学級委員になる保証はない。
でも、
『時雨さんはきっと、兄さんを巻き込む。だから学級委員に入れば兄さんと一緒にいられる時間は増えるはずだよ』
と美緒が教えてくれたのだ。
そして、
「あたしを頼ってくれるんだ?」
物語は一気に、次の年の5月へと飛ぶ。
初めて彼があたしに頼ってくれたあの日、あたしたちの物語は前に進んだのだった。
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