10章#03 混線
「オッケー。なら班長は一年生の方の綾辻で。とはいえそれだけじゃ心許ないから……
「え、あたし?」
それは体育祭の担当を決めるときのこと。
当然彼に名前を呼ばれて、あたしの胸はチョコレートみたいに蕩けた。まぁ、よくよく考えたら10年以上一緒にいるんだし、名前を認識された程度で喜ぶのは程度が低すぎるんだけど!
「月瀬って去年も体育祭のとき、広報班やってただろ? 三年生に頼りきりになるのはよろしくないし、できたら二年生にリードしてほしいんだが」
「へぇ。そっか、あたしを頼ってくれるんだ?」
「月瀬が嫌じゃなければ、だけどな」
「もち、嫌なわけないよ。あたしと百瀬くんの仲だし!」
「どんな仲だよ……」
彼に頼られることを、あたしがどれだけ心待ちにしていたことか。
もちろん、一年生の頃に学級委員として仕事を振られることはあった。けどそれはあたしを指名してるものじゃなくて、無機質なやり取りだったから。
ま、小学校の頃、彼が仲良くしていた年下の女の子こそが広報班のリーダーであり、今も仲良さげにしてるって事実は……ちょっぴり傷つくけど。
『嘘つき。来香、実はかなり傷ついてるでしょ?』
『傷ついてないもん。頼られて嬉しいもん』
『兄さんが来香を頼ったのって、自分のためじゃなくてあの子のためだ、って感じたんでしょ。私には嘘、つけないよ』
『うぅ……でもっ、あの子、いい子だし。嫌いになんてなれないよ』
嬉しいのと悔しいのとか半々で、休みの日にはよくカラオケで美緒に愚痴を零した。
あたしより二つ年下のはずなのに、まるであたしのお姉さんぶる美緒にはちょっとだけムカつけちゃったけど、姉妹みたいに思っているのはほんとのことだから何とも言えない。
愚痴って、でも惚気て、それで――。
彼がキスされるところを見てしまった。
全校生徒の前での、雫ちゃんのキス。
その衝撃的な光景に、とくとく、と鼓動が速まった。
「『っ、ずるい……』」
あたしと美緒の声が重なる。
え?と一瞬思った。だって今はギターを弾いてない。激しい運動はできないからと、保健室で休みながらグラウンドを眺めていただけだ。
なのに――なんて、どうでもよかった。
美緒が出てきてる理由なんてどうだっていい。
だって、彼がキスしてる。
分かっていたことだった。誰かが彼と付き合えば、あたしは少しも特別にはなれない。傍にいることも難しくなるだろう。
茫然とするあたしを置き去りにして、体育祭は終わる。
週明け、彼と雫ちゃんが付き合ったという話が校内に流れた。
『関係ない。百瀬くんが誰と付き合っても、友達でいればいいんだもん』
『またやさぐれてる……』
『やさぐれてないし! あたしは正論言ってるだけだよ。美緒が好きな正論!』
『……まあ、来香がそれでいいならいいけど』
彼を見ていれば、二人の関係に何か裏があることはすぐに分かった。二人が純粋に付き合っているだけにしては、彼は他の女の子を特別に扱いすぎているように見えたから。
――と、うだうだ言ってる間に目の前に迫る夏休み。
あたしはクーラーの利いたカラオケルームでいつもの如くギターをかき鳴らしていた。あの体育祭の日を除いて、ギターなしで美緒と話せたことはない。
『はぁ。夏休みかぁ……百瀬くんと会えなくなるよね』
『毎年そのことで悩むなら遊びにくらい誘えばいいのに』
『そんなに仲良くないあたしが急に誘ったら変じゃん!』
『……確かに』
『納得されるのも複雑なんだけど!?』
『でも、兄さんって鈍いし、友達少ないから……理由がないと遊びに出かけてはくれないかも、っていうのは同意だよ』
『だよねぇ』
昔は理由なんて気にせずあたしに声をかけくれたのに。
そう口惜しく思うけど、誰だって成長につれて変わるものだ。その変化が生む寂しさをいちいち成長痛だなんて呼びたくはない。
『だったら――』
と言って美緒が提案してくれたのは、文化祭のことで頼る、というもの。
もともとクラスではなく実行委員側に身を置く予定だったあたしは、せめて企画書くらいは担当しよう、と思っていたのだった。
『美緒にしては名案』
『私は来香と違っていつも頭脳派でしょ?』
『……こほん。じゃあ、そういうことで』
好きな人が同じだからだろうか。
美緒と話しているのはとても心地がいい。くすくすと一人で笑いながら、あたしは夏休みに彼を誘うことを決めた。
――そして、夏休みが終わる頃。
件の文化祭作戦で彼と会うのに成功したものの、彼が雫ちゃんを大切にしていることを実感して案の定凹んだあたしの耳に入ってきたのは、彼と雫ちゃんが別れたらしい、という噂だった。
噂の出どころは雫ちゃん本人。
噂なんて信憑性がないのが常。でも文化祭の準備に入ってから、彼の雰囲気はだいぶ変わった。だからこの夏“何か”があったんだろうな、とは分かる。
あたしがその“何か”の蚊帳の外にいたことも、分かってしまう。
彼が変わったことは嬉しくて、けど、あたしが何もできなかったことが切なくて、あたしは夏休みの終わりを教室で過ごしていた。
文化祭の準備はとうに始まっているけど、今日までは夏休みだ。
このひと夏、あたしは少しでも変われたかな。
今はギターがないから、美緒と話すこともできない。
見つからない答えとありふれた黄昏を探すように窓の外を眺めていると、
「おい、月瀬。そろそろ下校時間だぞ」
大好きな彼の声が、した。
きゅん、と心臓が鳴る。バレないように、素知らぬ顔で『ごめんごめん、すぐ帰る支度するね』と誤魔化して、帰り支度をした。
なのに、
「なんかあったのか?」
「へ?」
「考え事してる風に見えたから」
彼は容易く、あたしの柔らかいところを見つけてしまう。
――ほんと兄さんは、こういうところがズルい。
ふやけそうな頬にきゅっと力を入れて、返す。
「うーん。考え事っていうか、ちょっと寂しいなって思ってただけ」
「寂しい?」
「そう。夏が終わるんだな、って思って。今年も夏らしいこと、ほとんどできなかったからさ」
ほんとは、それだけじゃない。
誰かじゃなくて、百瀬くんと夏らしいことをしたかった。
そう思ったら途端に胸がきゅーって切なくなって、思わずわがままを口にしていた。
「『そうだ! 百瀬くん、あたしと一緒に花火大会行かない?』」
「は?」
「『ほら、電車で少しいったところで明日花火大会があるんだよ。結構大きなやつ。だから、一緒に行かない?』」
……って、あれ?
あたしの声と、美緒の声が被っているような……?
体育祭のときを思い出す。あのときと今の共通点は――って、今はそれより大事なことがある。
「花火大会って……急だな」
「『そうだけど! でももう夏終わっちゃうし! 百瀬くんなら色々とちょうどいいしさ。お願い、百瀬くん!』」
「ちょうどいい?」
「『まず百瀬くんは友達だから、友達と花火大会に行ったって思い出をちゃんと回収できるでしょ? で、男の子だしそれなりにかっこいいから花火大会でナンパされる心配もない』」
「なるほど?」
「『おまけに、百瀬くんは女の子と二人で花火大会に行っても勘違いしない! だって、そういうのに慣れてるから。……違う?』」
「…………はあ」
言っていて、ちょっぴり切なくなる。
けど、こうでもしないと
「『ね、お願い! あたしに夏をくれたら、今年もクラスじゃなくて運営側の戦力になってあげるから!』」
最後の念押しするように言うと『ぐぬぬ……』と、兄さんがかなり迷った様子を見せる。
しばしの逡巡の後、兄さんは言った。
「分かったよ。花火大会、一緒に行こう」
――かくしてあたしたちは、この夏を大好きな人と行く花火大会で終えることになった。
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