9章#40 助けて

 雪が埃みたいに降っていた。

 しん、しん、と積もって、雪は静けさで街を蓋していく。ぐしゃりぐしゃりと踏むたびに鳴る嫌な音とは対照的に、街は幻想的に見えた。


 帰省を終えた、1月5日。

 少し遅れて東京に帰ってきた大河がうちに来ると聞いた俺は、気付くと『ちょっと用事があるわ』と告げていた。当然ながら用事などない。それでも家にいるのは嫌で、寒くて居心地の悪いゆきまみれの街に飛び出してきてしまった。


 三人に『ハーレムエンド』の話をされてからずっと、考えている。

 頭の中では、色んな声がぐちゃぐちゃになって残響していた。

 

 シンプルに考えるなら、『ハーレムエンド』は間違っている。

 だって、世間から見れば浮気でしかない。当事者の同意があるならば問題はないものの、周囲からの見え方がよろしくないのは変わらない。どれだけ理解してもらおうとしても、関わる人全員に説明して回るわけにはいかないのだ。


 されど、大河はそんな俺たちの関係を正しい型に嵌める方法があることを示した。

 大河と結婚し、俺たちは四人で――ううん、美緒を入れて五人で家族になる。歪ではあるけれど、とても素敵だと思った。


 世界で最も歪んでいる唯一無二の恋。

 まさに本物って感じで、手を伸ばしたくなる。


 けれど――それは、あの夏の焼き直しじゃないのか?


 あの輪の中に大河が加わっただけで、結局歪なことに変わりない。今は三人とも満足しているけれど、いずれどこかで無理が出るのではないか。

 他でもない俺がそうだった。

 あの間違った関係を自分で望んでおいて、誰よりも先に限界を迎えた。吐いて、吐いて、そのことを大河に指摘してもらって、ようやく抜け出す道を選べた。


 やっとの思いで辿り着いた青春なんだ。

 なのに……またあの夏をやり直すのか?


 ――なんて、本当は分かってる。


 違うんだ、何もかも。

 澪はあの頃、嫌おうとしていた自分を愛し、わがままになった。

 大河は俺たちの一員になり、ぶつかることで色んなものを得た。

 雫はそれまでのキャラクターを創り替え、新しい理想を望んだ。

 誰も彼も主人公になった。


 否、主人公になったのは三人だけじゃない。


『――というわけで、無事関係を認めてもらえたよ』

『ほんっと、時雨はぬけぬけと……あなたが変なこと言うせいで、私の家での印象がまるっきり変わったじゃない!』

『え~? ボクは恵海ちゃんのいいところを知ってもらおうとしただけだよ?』

『~~っ!』


 と、挨拶を終えた時雨さんと入江先輩の会話を思い出す。

 やっぱり、という感想が真っ先に出た。

 時雨さんと入江先輩なら容易くあの家の当主に認められるだろう、と思っていた。だってあの人は多分、悪い人じゃない。自分の家族が共に生きるに値する相手なのかを、少しだけ不器用に見極めているだけだ。


 あの二人は、どこまでも主人公だった。


 俺だけだ。

 俺だけが、主人公じゃない。


 初めはただ、不純だから、というだけだった。

 三人を好きになるなんて間違っている。だから上手く恋心を隠し通そう。そんな風に思っていた。


 けれど、この冬休みを経て気付いたのだ。

 これはそれ以前の問題だ、って。


『どうしてお前なんだ』


 向き合ってはいけない自分けだものが言う。


『どうしてお前が生き残ったんだ? どうして何も持っていないお前が、美緒や母さんの代わりに生き残ったんだ?』


 ずっとずっと、見ないふりをしてきたこと。

 美緒の死と向き合い、乗り越えた夏。

 澪や大河、雫を助けようとした秋。

 自分の生き方と向き合った冬。

 いつだって俺は、誤魔化してきた。


『死ぬべきはお前おれだった』


 だって、俺は空っぽだから。

 澪のように、夢や欲しいものに対して手を伸ばす勇敢さがない。

 大河のように、誰にでもぶつかっていける正直さも持ってない。

 雫のように、思い一つで自分を変えていくこともできはしない。

 時雨さんのような自由さも、入江先輩のような豪胆さもなくて。

 晴彦や如月、伊藤のように屈託なく友達を作ることもできない。


 だからこそ、誰かを助けることで自分が生きてていい、と思いたい。


 でもそれは、誰かが助けを求めなければ意味はなくて。

 ヒーローになりたいと望むことは、誰かに傷ついてほしいと願うことと同義なんだ。


 そんなの、偽物の主人公マッチポンプでしかない。

 そして、誰かが傷つくことを望む偽物の主人公は――『ハーレムエンド』で生きていけない。

 だってあの三人は、お互いを守り合うことができるから。

 世間の目も、法律や倫理も、その他の辛い現実も、あの三人で乗り越えてしまうだろう。ハッピーエンドを迎えた未来に、俺が望んでしまう傷は存在しない。


 だから俺は『ハーレムエンド』を受け入れことができないんだ。

 不純だとか、間違ってるとか、そんなのは全部後付けの理由で。


『死ぬべきはお前おれだった』


 俺は自分おれに、そう言われたくない。

 ただそれだけだった。


 なのに、どれだけ逃げようとしても、鼓動は黙ってくれない。

 24日に自覚して、25、26、27、28――。

 29、30、31、32、33、34――。


 まるでカウントダウンのように過ぎ行く日々は、恋心を終わらせてはくれない。ぷかぷかと風船を膨らませるように恋心が膨張していって、どうすればいいかなんて分からなくなっている。


 なぁ頼むよ、真っ白な街。

 俺の恋を凍死させてくれ。


 なぁ頼むよ、神様。

 この恋の命を刈り取ってくれ。


 ――とぅるるるるっ


 天啓の如く、その着信音は響いた。発信主は月瀬。刹那、俺の脳裏に冬星祭の彼女の演奏が木霊した。


『私、待ってるからね。百瀬くんに弱さを分けてもらうのを』


 ノイズ交じりの魔女の声。

 腕に残ってなんかいない彼女を抱いたときの温もりが、呪文のようにひりつく。


「もしもし」


 自分でも何故出たのかは分からなかった。

 涸れ切った呟きはギリギリ電話の向こうに届いたらしく、『もしもし』と定型句が返ってくる。


『……百瀬くん? 大丈夫? 声、全然元気ないように聞こえるんだけど』

「――大丈夫じゃない。助けてくれ」


 沈黙は一瞬だった。


『分かった。今から送るとこまで来て。私が百瀬くんを助けるから』


 ぷつ、と電話が途切れて。

 RINEの個人チャットに住所が送られてくる。

 俺も行ったことのある、蒲田のカラオケだった。


 顔を上げて、立ち上がって、駅へと向かう。

 ぐしゃり、雪を踏むと嫌な感触が伝ってきた。

 思い出して広げた傘には、しんしんと雪が降っていく。


 傘の中の四つの『人』。

 三つ分足りない今こそがむしろあるべき姿なのだと気付き、はぅ、と溜息をついた。

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