9章#19 ラブゲーム(5)
雫の頭なでなで、澪に褒め言葉、大河とポッキーゲーム、澪からの壁ドン(?)。
尋常ではなくパンチの強いイベントを経て、俺のライフは限りなくゼロに近い状態にまで追い込まれていた。このまま『好き』と口から零れてもおかしくない。それくらいには心臓がバクバク鳴っている。
幸いだったのは七ターン目、八ターン目と連続で変なマスが出なかったことであろう。如月と晴彦が一度ずつ踏み、お互いを指名してイチャついたせいでお菓子作りの後みたいな甘い空気でリビングが満たされているけれども、それだけである。
「はぁ、はぁ、はぁ……もうすぐゴールだな」
「友斗、息切れが凄いな」
「まあ、あれだけ恥ずかしくてしょうがないことをすればな。晴彦だって真っ赤じゃねぇか」
「まーなー」
ゲームも終盤に差し掛かって。
ライフが削られまくっているのは、もちろん俺だけではない。
澪や大河もそうだし、根っこはうぶな如月や晴彦だって例外ではないのだ。唯一余裕そうなのは、
「さぁさぁ! あとちょっとですし、盛り上がっていきましょう♪」
このゲームを言い出し、ノリノリでプレイしている雫くらいのものだった。
最初に頭なでなでマスを踏んで以降も出目4以上を安定して出している雫は、現在トップをひた走っている。如月もいい線いっていたのだが、如何せん『ラブドキマス♡』を引く以外が酷いので差がついてしまっている。
「雫ちゃん……やっぱり凄いなぁ」
「ほんとね。流石は雫だよ」
「ふっふーん♪ 私は大天使・シズクエルだからねーっ!」
ゲーム的にも、メンタル的にも圧倒的優位に立っている雫は、実に上機嫌だった。さっきから俺のことをちょいちょいからかってくるし、本当に余裕なんだと思う。
「こういうとき、小悪魔ムーブメントが役に立つわけか」
「そのとーりです。お姉ちゃんや大河ちゃんとは歴が違いますからね」
「そんな歴、長くても困るけどな……」
あと、大天使なのか小悪魔なのかそろそろ一致しようぜ。
はぁ、とついた溜息が桃色に染まっているように思えて、俺は苦笑する。あれこれ言ったところで、事実として俺には余裕がないのだから恰好がつかない。
「っと、俺は……一回休みか」
「色んな意味で休みたいよな」
「それ」
九ターン目。晴彦が振ったさいころは、5を示した。晴彦自身が口にしたようにコマは『一回休み』のマスで止まる。
次は雫の番だ。
さいころを握ってマップを確認した雫は、あっ、と声を上げる。
「これで6が出たらもうゴールですね」
「ん……おお、ほんとだ。でもその直前にまたあるな」
「ありますねー。どっち引きましょっか?」
「どっち引いても俺からすると地獄なんだよなぁ」
そもそも、さいころの出目次第なので選べるわけないし。もはや順位とかどうでもいいので、よく考えればゴールしてくれた方が楽かもしれないが。
にししーと笑った雫は、ほいっ、とさいころを振る。
出た目は――5。
まぁ、うん。今更驚かないよ。
「ありゃりゃ、ゴールならずですね! 最後の最後に『ラブドキマス♡』が出ちゃいましたっ♪」
「嬉しそうだな……」
「嬉しいですよ? だって友斗先輩にアプローチできるんですもん」
「っ、そうか」
その一言が既にアプローチになっていることには気付いているのだろうか。
気付いてるんだろうな。この小悪魔め、本当に恐れ入るよ。
「で、今度はどんなマスなんだ?」
「はいはい、確認しますね~。んっと……『任意の相手と愛してるよゲームをする。勝てばゴール、負けたら任意の相手と位置を交換する』だそうです」
「クソマスすぎないか?」
「あははっ、そーですねー。でもありがちっちゃありがちですよ」
「そうかもしれんが」
ゴール一個前で、急にリスクのある課題って……バランス的にどうなんだ?
クイズ番組で最後の方だけ急に配点が高くなるような卑怯さを感じる。
が、雫は不服ではないらしい。
「まぁ勝てばいいですからね~」
「そりゃそうだけど……で、愛してるよゲームって?」
率直な疑問を口にすると、にやーっと雫が悪戯っぽく笑う。
それから、こほん、と咳払いをした。
「愛してるよゲームっていうのはですね。つまり、お互いに『愛してる』って言い合って、先に照れた方が負けっていうゲームです」
「なる、ほど? つまり睨めっこみたいなもんか?」
「あながち間違いじゃないので否定できないですね……」
ふむ……ひとまず理解できた。
理解できた――が、逆に理解したせいでめちゃくちゃヤバい課題だと気付いてしまう。『愛してる』って言う、だと? そんなの無理だろ。澪の壁ドンが霞むレベルで直接的だ。これは流石にパスすべきでは?
俺がパスしても、晴彦や如月にパス権が残っているのだから問題ない。澪や大河とのじゃれ合いみたいなものであれば、何ら問題はないだろう。
うん、そうだな。ここはパスを――
「あっ、でももちろん友斗先輩はやりますよね? 『愛してる』って言葉は変えてもいいですし、ただのゲームですし。やらない理由がありませんもんね?」
「っ、いや流石に――」
「それともぉ、やっちゃったら私にメロメロになっちゃうからやるのが怖い感じですかぁ?」
「――っ……」
ダメだ。こんなの、断れない。
とくん、とくん、と甘い声色。挑発的に揺れる瞳に吸い込まれそうになった俺は、やればいいんだろ、と漏らす。
「はいっ! じゃあやりましょっか」
「ああ……えっと、言うのは『愛してる』じゃなくていいんだよな?」
「ですです。何を言ってもいいので相手を照れさせたら勝ちですね。言葉の応酬になりすぎちゃうとゲームになるので、何となく順番こになるようにしましょう」
「うい」
『好き』『大好き』『愛してる』などの類の言葉を言えるわけがない。ぼやかしたような台詞もダメだ。
頭の中で何なら言えるだろうかと考えている間に、雫は判定役を如月に任せる。まぁ中立ではあるだろうし、異論はない。
「ではでは、スタートです。まずは私からでいいですよね?」
「そうだな。ま、雫が出したマスなんだし」
「じゃあ私から」
雫は真っ直ぐに俺を見つめ、んんっ、と喉の調子を確かめるようにしてから口を開く。
「大好きですよ、友斗先輩」
飾り気のないど真ん中ストレート。
心はぐわんぐわんと揺さぶられているが、なんとか表情に出さないように気を付ける。
判定はセーフ。
次は俺か。
「あー。可愛いぞ、雫」
「はいっ、ありがとうございます。友斗先輩もかっこいいですよ」
「…そうか。雫のツインテール、今日も似合ってる。あざとかわいいな」
「友斗先輩も、化粧いい感じですよ? ちょっと整えてる感じがほどよくて好きです」
「……ま、そういって貰えて嬉しいよ。でも雫の方が頑張り屋さんだからな。化粧も寝入りも、すげぇ可愛い」
「えへへ、ありがとーございますっ。友斗先輩に可愛いって思ってもらいたくて」
『えへへ』は照れ笑いカウントしてもいい気がするが、雫のそれはちょっと作ってるっぽかったからか、セーフ判定が出てしまう。
普段からコントロールしてるだけのことはあるってことか。
ぐぬぅ。
俺は苦笑し、言葉を返す。
「ああ、いつも可愛いって思ってる」
「ドウジマセンネ」
「なんか棒読みじゃないか?」
「まっさかぁ。続けますね~」
言うと、今度は雫が手を握ってきた。
ズルくね? と思うが、別にルール違反ではないらしい。如月がこくこく頷いている。
仕方なしに視線を戻すと、雫がほどけるような笑顔で言った。
「友斗先輩の手、おっきいですね」
「………身長に比例して、な。雫は小さい」
「友斗先輩、手のサイズちゃんと知っててくれたんですもんね?」
「…………別に手のサイズを知ってたわけじゃない。特別大きくないだろうから、って一般的なサイズにしただけだ」
「そうかもですけど。あ、この指輪、ありがとうございます」
「お、おう。気に入ってくれたならよかった。似合ってるよ」
「やった」
「……………雫、奇麗だぞ」
言葉を考える余裕がなくなってきて、俺はそう零す。
手を離そうとするが、逃がすまいと強く握られた。
「友斗先輩、好きです」
「………………そっか。ありがとうな、嬉しいよ」
「私、友斗先輩が大好きです」
「…………………うん、知ってる。ありがとな」
「私たちは、友斗先輩のことが大好きなんです」
「――っ」
焦れったくなって思わず口から零れてしまった。
そんな感じの、言葉が胸を抉る。
私たち、と雫は言った。
或いはそれは、無意識なのかもしれない。だって今もまだ、瞳には迷いなき光が輝いているから。
けれど――雫の一言が、熱を帯びていた思考に冷水をかけた。
ぐっと拳を握り、雫の耳元に口を寄せる。
「雫の今日の服、めっちゃ可愛い。カレーもすごい美味かった。人参切ったの、雫だろ? あのサイズが一番ちょうどいいんだ」
「えっ、あの」
「ヘアゴム、新しいやつだろ。似合ってる。冬っぽくていいな、それ」
「っ、あの……!」
「このゲームをやることになったのも雫の提案なんだよな? で、クリスマスのも雫が言い出したことで。流石だよ。雫はいつも、俺が見えないものを見せてくれる」
「……っ」
「いつもいつも、感謝してる。傍にいてくれてありがとう」
「~~~~~っ!」
本音だったはずの言葉は、けれど一番の本心には触れていないせいでどこか虚ろで小手先なものに思えてしまう。
ああやっぱり、と思った。
恋は何もかも、変えてしまう。
『好き』の一言が言えないもどかしさが、酷く苦く感じた。
「し、雫ちゃんの負け!」
――結果として。
俺は愛してるゲームだけでなく、その後のすごろく全体で勝ちを収めた。
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