9章#20 親友
「ふぅ。楽しかったな、今日」
冬空は、既に紫に近づいていた。
嫌に冷たい空気は頬をぴりぴりと痺れさせる。暖房の利いた部屋とのギャップが、余計に苦かった。
トワイライトタイムの街。
住宅街と言うほど住宅はなく、かといって他の何とも言い難い街。
黄昏時であり、誰そ彼時。けれども今は、彼は誰時という言葉が頭をよぎった。
そちらは明け方のことを差すことが多いそうだから誤用なのかもしれない。事実、普段は『黄昏時』と思うことが多い。
ただ今日は、その感覚が逆転していた。
それはすごろくゲーム中のアレコレが理由なのかもしれないし、単に冬だからなのかもしれない。親友と歩く道に慣れていなくて、柄にもないことを考えてやろうと背伸びをしているだけだったりするのかも。
「だな……美味かったか? さくらんぼ入りおにぎり」
「美味いわけねぇだろ。不味いけど食えなくはない微妙な不味さがやばいな」
「だろ。あれ、前に勉強会で食ったからな」
「そうだったのか……すげぇな」
くつくつと晴彦が隣で笑う。
結局、すごろくゲームは1位が俺、最下位が晴彦になった。当然、おにぎりは晴彦が一人で二つを消化。すっごい複雑そうな顔で飲み下している場面は傑作だった。
雫との愛してるゲームの後にも、大河が一度『ラブドキマス♡』を踏んだが、俺はなんとか問題なく相手役を行えた。
もちろん恥ずかしかったし、可愛かったし、ドキドキした。好きなんだから当たり前だ。でも、それまでほど浮かれた思考で行うことはなかった。
色々と冷静になれたのだ。
三人は俺が好きで、俺は三人が好きで。
両想いに見えるけど、ちっともそんなハッピーなものじゃない。
一途な気持ちだって、三人に向ければ三途だ。
三途とは、死者が行くべき四つの場所を指す。猛火に焼かれる火途、互いに食い合う血途、刀剣などで脅迫される刀途。いわゆる地獄道、畜生道、餓鬼道である。
まさに俺が行くべき道なように思えて、笑みに苦みが走る。
俺たちより少し前では、雫たち三人と如月が仲良さげに話している。ついでに夕食の買い出しを済ませるということで、如月と晴彦を見送るのについてきたのだ。
「またこうやって、遊ぼうな」
「そうだな……こういうのは、悪くない。流石にすごろくは嫌だけどな」
「ははっ、それは俺も同感」
でも、と言って、晴彦は少年っぽく笑う。
「おかげで白雪との距離も近づいた気がするよ。壁ドンとか、褒め合いとか、やっぱり付き合ってても照れるからできないし」
「割と普段からやってないか……?」
「やってねーよ。手を繋いだり腕組んだりはできるけど、それ以上のことはさ」
手を繋いで、腕を組んで。
それができるならもっと色んなことができていいと思う。キスだって、文化祭のときにしたらしいし。
そんなことを思っていると、なぁ、と晴彦が呟いた。
「ちょっと、惚気っぽいこと言ってもいいか?」
「わざわざ断わりを入れるのか。珍しいな」
「ま、ちょっと踏み込んだ話だからさ」
踏み込んだ話、か。
それを歩きながらするのもどうかと思うが、逆に帰り道だから言えるのかもしれない。肩を竦めることで承諾の意を示すと、晴彦は恐る恐るといった感じで言った。
「前にさ。友斗が言ってたじゃん。キスくらいで関係を変えんなよ、って」
「ああ、言ったな」
文化祭の準備中、確かそんなことを言った。
キス一つで変えてしまったことの罪悪感とか後悔を込めた自己完結的な言葉だったけれど、晴彦は覚えていてくれたらしい。
「あれ、最近ようやく言ってた意味が分かったんだよ」
「っていうと?」
「文化祭の後夜祭で、キスして。別にその後にギクシャクしたわけじゃないんだ。ちょっとお互いに照れ臭くなったりはしたけど、それでもいつも通りだった」
「うん」
けどな、と少し恥じらうように言葉が続く。
「冬星祭でもう一度キスして……そしたら、改めて自分たちがしてることを認識して。めっちゃ恥ずかしくなって、クリスマス当日のデートとか、結構酷かったんだよ。手も繋げない状態っつーの?」
「そうだったのか」
ちっともそんな様子を感じなかった。冬星祭の帰りも今日も、二人はいつも通りのラブラブカップルだったからだ。
けれど――それは、二人が上手く隠した結果なのだろう、と悟る。よきにつけ悪しきにつけ自分たちの変化が周囲に与える影響を自覚し、コントロールする。それは俺たち以上に、晴彦や如月のような友達の多い奴らの特技だろう。
「キスは、行動だけ言えば唇が重なるだけで……けど、相手のことが好きだと、『だけ』で済まないんだよな。絶対に何かが変わりそうになる」
「そう、なのかもな」
「人を好きになるって、きっとこういうことなんだ、って思った。一つ一つの行動全部が特別に思えて、何かが変わりそうになって、でもなし崩しでどんどん変わっていくのは怖いから変わらないようにって思う。それでいいのかな、って」
「そっか」
まさに今の時間にふさわしい、センチメンタルな台詞だった。
同時に、眩しいな、と思う。
こいつもだ。こいつも、自分の恋心とちゃんと向き合っている。
「だからこそ聞かせてくれ、友斗」
晴彦は立ち止まり、俺の方を向いた。
月明かりが浮かび上がらせる影が俺のそれと交わる。
「友斗、好きな奴できただろ?」
それはちっとも恋バナのトーンではなくて。
夏休みに聞いた、友達としての問いかけとよく似た響きを纏っている。
「どうして、そう思う?」
「見れば分かる。今日一日、友斗の行動が変だった。一つ一つが、誰かの目を気にしてるみたいだった」
「親友を家に招くのは初めてなんだ。そのせいだ、とは思わないのか?」
「思わない」
きっぱりと晴彦は否定する。
「誰かを好きになれば、色んなことが変わるんだよ。それがどんな風な変化なのかは人それぞれだけど……紛れもなく変わる。今日の友斗は、絶対にそういう変わり方をしてた」
「……っ」
口の中に苦みが広がる。
俺は唇を噛み、一瞬目を閉じた。
クリスマスイブから何度も、何度も、自分に問いかけた。
好きな人を確かめる方法には色んなものがある。
たとえば――日常の小さな幸せを真っ先に教えてあげたくなる、とか。
でも……俺は、誰か、って考えたときに四人の顔が浮かぶんだ。
美緒が、雫が、澪が、大河が――四人の顔が、真っ先に浮かぶ。
誰が先とかそんな風に仕分けできるなら、そもそも悩みはしない。
好きな人は、できた。
けれど正真正銘、俺は四人のことが好きなんだ。
美緒のことは、今でもずっと。
でも雫も、澪も、大河も、今では心から好きになってしまっている。
だからこそ、
「勘違いだよ、晴彦」
「っ、そんなわけ――」
「勘違いなんだよ」
認めてはいけないのだ。
あの三人のことを好きになっていて。
あの三人が『ハーレムエンド』を望んでくれて。
だからこそ、そんな俺に都合がいいだけの青春ラブコメの主人公には絶対になれない。
「頼むから、そういうことにさせてくれ。俺たち親友だろ?」
ズルい言い方をしてる、という自覚はある。
でも、認めるわけにはいかないのだ。
「……もうやめてくれよ、そうやって俺に期待するの。知ってるだろ? 俺は、根っこがクズなんだ。皆に内緒で雫や澪と浮気するような奴なんだよ」
俺が言うと、晴彦は顔をしかめた。
どうして、と小さく呟くのが聞こえる。もちろん、その問いには答えないのだけれど。
「ほら、行こうぜ」
「……おう」
前に歩く四人とはかなり差が出来てしまった。追いつけるように少し早歩きにすると、少し後ろに晴彦がついてくる。
「本当にそれでいいのか?」
その言葉は街に滲んで色褪せていった。
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