9章#18 ラブゲーム(4)

 ゲームは未だに序盤だ。

 二ターン目にして攻略法が瓦解した俺は、力強く握られたせいで微妙に痛む手をグーパーしながら、コマを1マス進めた。

 これだけ頑張って1マスか……なんだか、すごい徒労感がある。


「はぁ……手を繋いで褒めるだけだって思ってたのに」


 ぶつくさと呟き澪の頬は、色のいい朱に染まっている。チラチラとこちらを見てきたかと思うと、ぐっ、と目に気合を入れてさいころを握った。

 この空気のまま澪が『ラブドキマス♡』を踏んだらやばいなぁ……流石にこのフラグは回収しないでほしいなぁ……と祈っていたら、ようやく神様が祈りに応えてくれた。澪はギリギリのところで『ラブドキマス♡』を避け、6マス進んだ。


「ほっ、よかった。次、トラ子ね」

「はい」


 大河はジャンケン、一ターン目と共に最下位になっている。初手で1マスしか進めてないからな。

 そのため、まださっきの雫と同じマスを踏む可能性があるが――こちらも、見事に回避した。幸先がいい。連続で危険なマスが出るとゲームも進行しないし、心臓も持たないからな。


 次いで、三ターン目も一切『ラブドキマス♡』が出ずに終わる。

 危険なマスさえ出なければ、これは単なるすごろくだ。出目の数の分だけばんばん進み、ゴールに近づく。やはり一気に進める『ラブドキマス♡』を踏むのが手っ取り早いらしく、一ターン目で踏んだ雫と如月が1位タイのままだ。

 四ターン目もなんとか地雷を切り抜け、無事五ターン目に突入できる――と思いつつあった、ラスト大河の番。


 ついにとびきり危険な課題にぶち当たってしまう。


「えっと……『任意の相手とポッキーゲームをする。二人合わせて半分以上食べ終えたら8マス進む』――って、ポッキーゲームってなんでしょうか?」


 はて、と首を傾げる大河。その目は決して冗談を言っているものではなく、本気で分かっていないようだった。

 ピュアっていうか、ただのぼっちだな、これ。

 かといってこれを俺の口から説明するのもなぁと思っていたら、澪が大河の耳元に口を寄せ、こしょこしょと囁いた。


「――で、――が、――するゲーム」

「~~~~っ!?」

「おい待て澪何を吹き込んだっ?!」

「え、普通にポッキーゲームのルールを教えただけだけど?」

「それでこの反応するかっ?」

「そう思うでしょ? それでもするのがトラ子なんだよ」


 大河を若干挑発するように、澪がこくこくと頷いた。続いて、雫も同意するように肯う。それにしてはマジで顔真っ赤なんだが……。


「大河ちゃん可愛いわ~♪ イロイロ教えたくなっちゃう」

「だなぁ。ポッキーゲームでこの反応って」


 如月と晴彦がニヤニヤしながら呟く。

 概ね同じことを思ってしまう。大河可愛いかよ。

 でも、この後のことを考えるとあまり笑えない。じっと雫を睨み、俺は口を開く。


「なぁ雫。過激な課題はなかったんじゃないのか?」

「ポッキーゲームはそこまで過激じゃなくないです? 友達同士でもやったりしますし」

「そういうものなのか……?」

「あー、確かに。俺も野郎同士でやったりするわ」

「そういうものなのか……」


 流石は晴彦。友達百人なこいつに言われてしまうと、そりゃ違うだろ、とも言い難い。だとすれば、


「けどポッキーは――」

「さっきスーパーで買っておいたから開けるわね」

「抜かりなさすぎる」


 このゲームの穴をつくのはもう不可能だというのか?

 頭脳戦モノだと大抵が出された課題の穴をつく感じで問題を解決してたから、俺もそれの真似ならできると思ってたのに。

 ぐうの音を出している間に、如月はポッキーを大河に渡す。大河は『ありがとうございます』と丁寧に言って受け取ると、ポッキーと俺の間で視線を動かした。


「じゃ、じゃあユウ先輩。私とやっていただけますか?」

「っ、俺とでいいのか? 雫とか澪とやった方が」

「ユウ先輩がいいです」

「……っ」


 恥ずかしくて涙目になってるくせに、大河ははっきりと告げてきた。

 あー、くそっ。

 パスなんてできるわけない。

 分かったよ、と告げると、大河はほっとしたように頬を緩めてからポッキーを咥えた。

 大河は、んっ、と強く目を瞑っている。


「さっ、友斗先輩も!」

「分かってるよ! やりゃいいんだろ、やりゃ」


 ポッキーは短いようで長い。

 逆側をぱくりと咥えると大河の顔がすぐそこにくるが、かといって頭が真っ白になるほどの距離ではなかった。


「いふほ(いくぞ)」

「ふぁい(はい)」


 ポッキーゲームなんてやったことないが……このまま食べ進めればいいのだろう。

 ぽり、ぽり、ぽり。

 大河はチョコのない方から咥えたため、口の中にはチョコの味が広がる。しかし、正直どれくらいの甘さだとか、そんなことを意識している余裕はなかった。


 ぽり、ぽり、ぽり。

 まるでカウントダウンのようになるその音で頭がいっぱいになる。

 着実に大河との距離が近くなる。瞑った目の端に滲む恥ずかしそうな涙が可愛らしくて、場違いに睫毛もブラウンなんだな、と思った。

 ぽり、ぽり、ぽり――って、全然ポッキーが折れないんだけど!?

 ヤバいやばいこのままじゃキスしちまう。

 あれか、目を瞑ってるから距離感が分かってないのか? それとも真面目だから自分から折るのはダメとか思ってる? え、どうすればいい? 俺が折るのか? っていうか、折るってどうやるの?


「――ぷはぁっ」


 ゲシュタルト崩壊が起きそうになった俺は、急いでポッキーから口を離した。

 キス寸前での緊急退避。

 どっくん、どっくん、どっくん。

 うるさいくらいの心臓の高鳴りと同時に、はぁ、はぁ、と肩で息をする。

 大河は、と見遣ると、片側に誰もいないポッキーを瞑目したまま食べ進めていた。

 って、それ以上は――


「あっ」

「ん、ん……あれ、湿って――って、ユウ先輩がいない」


 俺の焦りも空しく、大河は直前まで俺が咥えていた箇所までぱっくりと食べてしまう。ごっくんと飲み込んでから大河は目を開き、ぱちぱちと瞬いた。


「あー、それはね大河ちゃん。友斗先輩が日和って逃げたからだよ」

「そうそう。だから湿ってるとこは、友斗が咥えてた場所。よかったじゃん、間接キス」

「へ? 間接き、す……?」

「間接キスどころの騒ぎじゃないかもね。何せ、強く咥えてたところを飲み込んだわけだし。やらしー」

「「~~……っ!!」」


 とても愉快そうにくくくと口角をつり上げて言う澪。

 だが今度ダメージを受けるのは、大河だけではなかった。


 ……間接キス。いや、それ以上の何か。

 意識するとどうしようもなく恥ずかしくなってくる。最後とかどうすればいいか迷ったせいで普通に食べるより唾でドロドロになっちゃってた気もするし。そもそも暖房効いてるせいでチョコがやや溶けてて、口の中もドロドロになってたし。


「なぁ白雪。こいつら、俺たちが思ってる以上にピュアすぎないか?」

「可愛いわよね、四人とも」


 ラブラブうぶカップル二人にツッコミを入れるだけの気力は、俺にはもう残っていなかった。



 ◇



 四ターン目、ポッキーゲーム。

 このせいで俺のライフはもうゼロに近かったが、リタイアは許されてはいなかった。まるで人生のようである。

 まさか大学生のコンパのノリから人生を悟ることになろうとは思いもしなかった。つくづく、人生ってやつは何が起こるのか分からない。


 それでもなんとか、このゲームも中盤に差し掛かっていた。

 このまま順調に進めば、あと三ターンほどで誰かがゴールするだろう。

 五ターン目に『ラブドキマス♡』を踏んだのは、晴彦のみ。俺と澪が最下位を、雫と澪と如月が1位を争っている状態だ。


 そして六ターン目。


「ふぅ……よかった」

「よかったって、最下位ギリギリじゃん」

「最下位ギリギリなのはそっちもだろうが」


 なんとか俺は、今回も『ラブドキマス♡』を出さずに済んだ。折角用意したパスは封じられてしまったのだ。こうなればチマチマと進んでいくほかない。

 受け身になるだけなら、まだ俺が耐えればいい話なのだ。

 俺が何かを言ったりやったりする方が危険がある。

 そう思っていた、澪の番。


「あ、出た」

「うん、だと思ってた」


 何となくそんな気がしてた。

 澪が出した目は4。その分だけ進んだコマは、『ラブドキマス♡』を踏んだ。

 書いてあるのは――『壁ドンをしながら愛を囁く』。


「ちょっと待て! 『愛を囁く』はやりすぎじゃね!?」

「んー。別にやる側がオッケーならよくない?」

「そーですよ、友斗先輩。それに、愛にも種類がありますからねー。家族愛とか、姉妹愛とか、友愛とか!」

「そゆこと」


 ぐぬぅ……なんだか騙された気分だ。が、雫が言っていることも一理ある。俺がこのマスに止まったとしても、その論法で逃げていただろう。


「てことで、壁の方に寄って。壁ドンするから」

「お、おう」


 無駄な抵抗は許さないとばかりにドンドン話を進める澪。

 いやもう俺も抵抗する気ないけどね?

 覚悟を決めて壁際に行くと、澪が目の前に立った。

 ぱちりと目が合うと、澪がムッと睨んできた。


「しゃ・が・め」


 力強く、そう告げる。

 そうね、二十センチくらい差があると壁ドンはしにくいよな。

 軽くしゃがむと、今度は渋い顔をされる。


「それはそれでなんか違う。やっぱり普通になって」

「……注文が多いな」

「最高の形で壁ドンしたいし。悪い?」

「っっ、悪くは、ねぇけど」


 むしろその言動が心臓に悪いんだよ。

 心中でぶつぶつ文句を言いつつ、背筋を伸ばす。澪はやや下からこちらを見上げ、そして雫たちの方に目を遣った。


「ま、いいや。やるから」

「うん! お姉ちゃん、頑張って」

「ん」


 短く答え、視線をこちらに戻す。

 澪は一瞬目を瞑ると、すぅ、と息を吐いた。

 そして――


 ――どん、と壁をつく。


 どきりと心臓が跳ねた。

 澪は俺の顎を掴むと、ぐっと無理やりに下を向かせる。

 ぱちっ、と目が合ったかと思うと、澪は唇を噛んだ。仄かに顔を桃色に染め、視線を彷徨わせる。


「えっと」

「……たんま」

「へ?」


 こてん、と澪は胸の辺りに頭突いてくる。

 せりあがってくる息苦しさを誤魔化すように、くはっ、と息を零すと、澪はそのままこちらを見上げた。


「好き」

「~~~~っ!?」

「大好きだよ、お兄ちゃん」


 言葉と時間が吹っ飛びそうになる。

 ついでに意識を手放しそうにもなって、俺はギリギリ深い溜息をすることで堪えた。落ち着け、落ち着け。好きだとしても態度に出すな。どんなに好きすぎてヤバくても、耐えなくてはいけない。

 ぽんぽん、と頭を叩くと、澪は胸元から離れていった。


「この、ラノベ主人公」

「……それ、毒舌なのか?」

「別にいいでしょ」


 ぷいっと顔を逸らす澪のいじらしさに、くらくらと眩暈がした。

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