8章#35 友達として

 欲しいものが簡単に見つかれば、誰も苦労はしない。

 サンタクロースに頼めばいいのだから。

 もしも貰えないのならそれは、サンタクロースがいないのではない。

 欲しいものを本当に欲しいと望んでいないからなのだ。


 ――だから、あの日も今も、欲しいものが何なのか分からずにいる。


 けれど、もしもその欲しいものが分かったとして。

 その欲しいものが酷く醜くて認めたいものだったのなら、どうすればいいのだろうか。サンタクロースは実在して、本当に欲しいものをプレゼントする魔法があったとして。プレゼントされたものを欲しがってたなんて認めたくないときは、一体どうすればいいのか。


 認めたくない恋心だとか。

 恥ずかしいエッチな本だとか。


 そういう可愛げがあるものならまだいい。

 でも、例えばそれが――“依存対象”みたいな、醜いもので。

 欲しいものをプレゼントされたとき、自分が未だ何かに依存しているのだと無理やり実感させられたら。


 時雨さんに突き付けられた事実が、棘のように刺さって頭から離れない。

 あの人の言う通りだった。

 俺は、美緒の兄として生きてきて。

 だから誰かを守ることで自分のアイデンティティを保持することしか知らない。それ以外の方法で、自分だけでちゃんと生きていくことが想像できない。


 未だに遠い未来のことを想像できないのは、それが理由だった。

 俺は生き方が分からないのだ。


『百瀬くんは誰かを助けたい症候群なんだね』


 と、以前月瀬に言われたことがある。


『あなたは、メサイアコンプレックスの傾向があるもの』


 入江先輩も俺をそう評していた。

 ――メサイアコンプレックス

 曰く、満たされない自分を満たすために人を助けようとすること。

 つまりは『誰かを助けたい症候群』なわけだ。まったく、月瀬も入江先輩も、俺のことをよく見ている。


 なのに、俺はずっと認めてこなかった。

 目を逸らして、あれこれと理由をつけて、誰かに必要とされていたかった。


「おーい、百瀬くん? 聞いてるー?」

「ん…あ、悪ぃ。全然聞いてなかった」

「正直に答えるね!? まぁ、聞いてないなとは思ってたけどさぁ」


 終業式の翌日。

 俺は二年A組の教室で月瀬にミスターコンの特別パフォーマンスを手伝ってもらっていた。別に優勝を目指しているわけじゃないのでぶっつけ本番でもよかったのだが、月瀬が『一度も練習しないなんて私が無理!』と言ってきたのだ。


 んで、明日からは冬星祭当日に向けて準備が忙しくなるため、こうして今日二人で時間を作ったのだった。


 が、当然ながら身が入るわけもなくて。

 こうしてミスターコンに出ていること自体、メサイアコンプレックスを拗らせた行動の結果なのではないか、と思えてくる始末だ。


「百瀬くん、ちょっと調子悪い?」

「え? いや、体調は別に――」

「あたしが聞いたのは体調じゃなくて調子だよ。心の調子、あんまりよくないでしょ?」

「っ」


 だせぇな、とあっさり見抜かれた自分を嘲笑する。

 きっとこんな風に思い悩みたくなかったのだ。だから俺は、ずっと見ないフリをしていた。自分が誰かを助けることに依存していると気付きながら、やめようとしなかった。


 ビー玉のような月瀬の瞳が俺を映す。

 情けない自分を直視したくなくて、顔を背けた。それが月瀬の癪に障ったのか、彼女は俺が視線を逃がした先へと移動した。


「……なんだよ?」

「声がツンケンしてる。あたしが言ったことが図星だった証拠じゃないかなぁ」

「…………そんなことない。強いて言えば、ちょっと疲れてるんだよ。色々とやらなきゃいけないことがあるからな」


 と口にして、途端に猛烈な後悔と自己嫌悪がせり上がってきた。

 色々とやらなきゃいけないことがある?

 それもこれもあれもどれも、全部お前が余計な手出しをしてるだけだろ?


 生徒会はもともと五人だ。それで機能している。それなのに求められたからと好き勝手に手出しをして、あろうことか庶務なんて役職まで貰ってしまった。

 それに、俺が晴季さんに頼まれたのは時雨さんを探ることだ。説得することじゃない。なのに身勝手に突っ込んで、呆気なく返り討ちになった。何様のつもりだよ、お前は。


「はあ。もういいよ、百瀬くん。別に答えてくれなくてもいい。あたしたちなんて所詮、友達だもんね」

「だから、答えることなんてないんだって。ただちょっと疲れが溜まってるだけだ。……ほら、練習するんだろ?」


 自己嫌悪と罪悪感で胸の内は氾濫寸前だ。

 それでも、任された役目は全うしなくてはならない。それが生きるということだ。

 月瀬と距離を取り、練習に戻ろうとする俺。しかし彼女はふるふると首を振り、胸の辺りでぎゅっと拳を握りしめながら言った。


「今の百瀬くんには絶対告白されたくない。告白されたってキュンキュンしないし、そんな演技もできないよ」

「っ……別に、それならそれでいいんだ。テキトーに流してくれればそれで――」

「そんなのでいいの? 大切な高校二年生の冬星祭なんだよ? 入江会長は色んなところを回って、頑張ってる。如月さんとか一年生の子たちもミスターコンを成功させるために準備してる。それに――霧崎先輩にとっては、最後の三大祭じゃん」


 彼岸花のように鮮烈に、月瀬は言う。


「いつが最後になるかなんて分からないんだよ。だからこの一瞬を大切に、いつだってベストを尽くさなきゃダメだって思う」

「……だったら演技してくれ。俺も大根なりに頑張るか――」

「それは無理だよ」


 頑張るから、と言おうとした俺の口に彼女の人差し指が触れる。

 ガラスの月みたいな月瀬の眼が俺を真っ直ぐに捉えてしまう。


「自分は人のことを勝手に助けるのに、百瀬くん自身のことは誰にも助けさせてくれない。そんな人に愛を囁かれても、嘘臭くて演技なんてできないよ」

「……別に、助けさせないなんてことないだろ。いつも助けられてる」


 俺はいつだって、色んな人に助けられてきた。

 澪にも大河にも雫にも、それ以外の色んな人にも、助けてもらってきた。

 だから恩返しがしたくて、最高の主人公になりたくて、今度は俺が助けたいって思ったんだ。


「――でもあたし、百瀬くんに『助けて』って言われたこと、ないよ」

「え?」

「頼られはした。でもそれって、百瀬くんのためじゃなくて、誰かのためでしょ? 百瀬くん自身が困ってるとき、『助けて』って言われたこと、一度だってない」


 言われて、はっと気付く。

 頼ったことはあった。

 助けてもらったこともあった。

 でも俺は――誰かに助けを求めたことがない。


「あたしじゃなくてもいい。誰かに一度でも『助けて』って言ったこと、ある?」

「……ない、かもしれない」


 いつも、いつの間にか誰かが俺の荷物を一緒に背負ってくれていた。

 自分から荷物を降ろさなくても、誰かが俺の限界に気付いてくれた。

 だから俺は――自分の弱さと向き合わずに済んでいた。


「百瀬くんが分けてくれない限り、一緒に背負ってあげられない弱さだってあるんだよ。誰だって見えてるものしか見えないんだから」

「……月瀬」

「なーんて、あたしなんかが言うのも烏滸がましいかもだけどね」


 唇から月瀬の指が離れていく。

 蝶々みたいな感触が消え、彼女はその細やかな指で髪を耳にかけた。


「――以上、友達からのアドバイスでした。今日はもう告白って感じでもないし、お開きにしよっか。それとも、今の話を踏まえて、あたしに色々と相談してくれちゃったりする?」

「いや、もう充分相談に乗ってもらったよ。後のことは、また別に相談すべき相手がいるから。ありがとな」

「…………そか」


 きゅいっと目尻を下げて微笑むと、じゃあ、と月瀬は手を叩く。


「今日は解散で! ……と言っても、生徒会室でちょっと仕事していくつもりだけどね」

「仕事? なんかあったか? もしあれなら俺も――」

「はいはい、そういうのはまた今度! 今日はちゃんと相談に乗ってもらってくるように!」

「……だな」


 まったく、こうやってすぐ出しゃばろうとするのがよくない。


「じゃあ、またな」

「いってらっしゃい、百瀬くん」

「おう」


 教室の床を蹴飛ばして、廊下を急いで、アスファルトを駆けて。

 俺よりも先に自分と向き合った三人の主人公のもとへ向かった。



 ◇



「……これだけ言っても、あたしには分けてくれないんだね。つくづく遠いなぁ」

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