8章#36 リベンジ
――三人に助けてほしいことがある。
俺が〈水の家〉でそう告げると、揃ってどこかに行っていた三人は夕方頃に帰ってきてくれた。
三人が帰ってくるまでに、何を話すべきなのか、と考えた。
澪はある程度は事情を知っているし、大河も俺と時雨さんに何かあったってことは察しているだろう。けれども時雨さんと何を話したのかは、二人にさえ伝えられてはいない。それは雫にも言えることだ。
伝えられる、はずがなかった。
文化祭と選挙。
俺はどちらも、真剣に向き合ってきたはずだ。澪が自分できちんと向き合うことに意味があると考えたのは本当だし、大河と本気で選挙に挑んだことで生まれたものもある。誓って、手っ取り早い解決策に気付いていたのにあえて見てみぬふりをしたことはない。
けれども時雨さんが言っていることは事実で。
だから話すべきことは『全て』だ。
澪にも、大河にも、雫にも、俺は自分と向き合えと言ってきた。
三人とも認めたくない自分がいて、顔を背けていて、それでも勇気をもって向き合うことを決めた。
だから俺だって隠し事はなしだ――と思っていたのだが。
「なあこれおかしくない!? 助けてくれって言った奴が縛られてんの!? ここは、しっかりシリアスな感じで話を聞いてくれるところだよなっ?」
「はぁ~。もう忘れたんです? 私たちが秘密を分け合うときは、こーやって縛ることになったじゃないですか、1か月前に」
「前に縛られてたのも俺だけだよ! 秘密を打ち明けた三人は縛られてなかっただろ!?」
「え、友斗、私たちのこと縛りたかったの……?」
「うわー、友斗先輩のえっち~!」
「理不尽!」
――俺は今、いつかのように手足を縛られていた。
手首には手錠、足首にはタオル。まさかあの圧倒的なコメディ会がここで伏線のように回収されるとは思ってもいなかった。
帰宅して早々、雫が『ちょっと手を出してもらえますか?』と言ってきたので、特に何も考えず手を出したらこれだ。手を振ると、かしゃかしゃと軽い音が鳴る。
「……これでも二人とも、帰る前にすごく悩んでたんですよ。どうすればユウ先輩が話しやすいだろう、って。ユウ先輩から『助けてくれ』って言ってくれたの、これが初めてですから」
「大河ちゃん!? なんで全部バラしちゃうのっ?」
「ほんと、トラ子って空気読めないよね」
「顔を赤くしながら嫌味を言われても全然効きません。……それに、今はちゃんと私たちがユウ先輩に頼られて嬉しいってことを伝えるべきだと思ったので」
なるほどな、と三人の話を聞いて納得する。同時に、ここまで想ってくれる三人の優しさに居た堪れない気持ちにもなった。
きっと俺は、この優しさに甘えてたんだろうな。いつだって弱さや傷を見つけてもらって、勝手に叱ったり癒したりしてもらっていた。
「――ありがとな、三人とも。俺の話、聞いてくれるか?」
今は恰好のことは忘れて、ちゃんと話そうと思う。
手も足も出せず、隠し事ができない状態。これなら俺も絶対に逃げられないはずだから。
「昨日さ」
俺はまず、そう話を切り出した。
三人はソファーに座って、めいめいに相槌を打つ。
「時雨さんと話したんだ。あの人は……俺と同じように、美緒の死と向き合えてない。そう思ったから」
「どうして、そう思ったんですか?」
大河の問いに、澪の唇が僅かだけ震える。
俺は澪と目配せし、包み隠さずその問いに答えることにした。
「話せば長くなるんだけど……時雨さんは澪と大河を、美緒の代わりのように扱ってたんだよ」
「えっと……それって――」
「続きは、私から説明する。私も、友斗には協力してたし。雫にも説明するって約束したからね」
と、澪が口を開いた。
雫と大河の視線がそちらへ向く。俺はこくと頷き、澪に説明を任せた。
「具体的な説明は省くけど……私とトラ子はどっちも、霧崎先輩にお膳立てされてたんだよ。私が美緒の代わりになったり文化祭で注目を集めたりしたのも、トラ子が友斗に踏み込んだり選挙でああいう結果になったりしたのも、全部があの人の企みだった。そして逆に、あの人は雫が私と大河に対して後ろめたさを覚えるようにも誘導した」
「……どうして、そんなことを?」
「おそらく、私とトラ子が美緒に似てるから。私は容姿で、トラ子は性格。それぞれ別の部分が美緒に似てた。だからあの人は私たちが美緒の恋を継ぐ存在になるように糸を引いた」
それは、ともすればこれまで俺たちが歩んできた日々の解釈をまるっきり変えてしまう話で。
けれども雫は、んー、と明るい声を漏らした。
「それはちょっと違うんじゃないかな、お姉ちゃん」
「え?」
雫の一言に、澪は首を傾げる。
ふんありと雫はお日様みたいに笑って、あのね、と続けた。
「お姉ちゃんと大河ちゃんは美緒ちゃんに似てて、それで霧崎先輩は色々としたのかもしれない。でも全部が企みだなんて、そんなことはないよ」
自分の胸に手を添えて、澪と大河を見つめながら言う。
「お姉ちゃんはお姉ちゃんがしたいようにして、大河ちゃんも大河ちゃんなりに必死に頑張って。その結果がたまたま霧崎先輩の思惑通りになっただけだよ」
「それは……」
「ごめん、話の腰折っちゃって。本筋がここじゃないっていうのは分かってるんだ。あくまでお姉ちゃんは、霧崎先輩のことを説明しただけだもんね」
でも私は、と囁く声は本当に雫らしくて。
「私たちの日々は、私たちのものだって思う。私が後ろめたく思ったのも、悩んだのも、その結果今みたいになれたのも、全部私たちの物語だよ。それは大切にしたいな、って」
おそらく雫は、澪の声にこもる怒気に気付いたのだと思う。
それが自分を守るためのものだと考えて。
それでこんな風に言えてしまうんだから、どうしようもなく眩しい。
「雫は……本当に雫だね」
「です、ね。雫ちゃんは凄いなぁ」
「えへへ。ありがと」
三人寄り添う姿を見て、俺は笑みを零す。
「えっと……話を元に戻すぞ?」
だいぶ脱線した話を戻すと、三人は苦笑交じりに、はい、とか、うん、とか答えた。
俺はそっと目を瞑り、ほぅ、と息を吐いてから続ける。
「時雨さんは俺と美緒を守ることに固執してた。だから言ったんだよ。美緒の死と向き合って、今は自分の人生を生きていくべきだ、って」
「「「…………」」」
「でも――逆に気付かされた。そんなことは俺もできてない。俺は美緒の死と向き合いはしたけど……自分自身とは向き合えてないんだ」
情けない痛みが胸に広がり、俺はごくんと唾を飲み下した。
かしゃ、と手錠が鳴る。
「俺は小さい頃から、美緒を守ることで自分の存在を許せてた。キラキラ眩しいあの子を守ってるから、輝いてない自分にも生きていていい。そう思えてた」
俺は時雨さんや美緒のように凄くなかった。
もちろん凄くなくても、生きてたっていい。そんなのは当たり前の話だけど……それでも俺は、自分を許せなかった。
美緒も時雨さんも凄くて、周りの大人だってキラキラしてて、俺だけがそうじゃないように思ったから。
「その考えは今も変わってないんだ。だから俺は、誰かを助けることで生きてていいって自分を認めてきた。やり方は最低だし、実際には助けられてなかっただろうけど――それでも、手を差し伸べた事実に救われてた」
涙は、流れなかった。
泣く資格なんてないんだから当たり前だ。
だから、と俺は強く言う。
「俺はあの人に、何も言えない。俺自身が生き方を見つけられてないのに、あの人に生き方を示すことなんてできないんだ」
『キミが美緒ちゃんのお兄さんとしての生き方以外を知らないように、ボクはキミたちのお姉さんとしての生き方以外を知らない。それが悪いことだなんて思わない。思ってやらないよ』
あの人の言葉が、頭の中で残響する。
話は終わりだ、と脱力して見せる。
三人はどう反応するだろうか。目を瞑ったまま返事を待っていると、
「友斗先輩……超今更すぎて、何の驚きもないんですけど」
「だよ、ね……? ユウ先輩が頼られたがりで過保護な人だなんてこと、みんな知ってると思いますよ」
「へ?」
思っていた三倍くらい軽い、というか若干小馬鹿したような言葉が降ってきた。
目を開けば、くすくすと笑う三人の姿が見えた。
いや笑われるとは思ってたけど……そんなに笑う? っていうか澪、お前は笑いすぎだろ。お腹抱えてげらげら笑ってるんじゃん。
「え、いや、それはそうだけど……俺ってそんなに過保護?」
「過保護です。そもそも私のことを毎日のように送ってくださるのだって、過保護以外の何物でもないじゃないですか」
「だよね、大河ちゃんっ! 友斗先輩って、私が頼るとちょー嬉しそうにしますし!」
「うっ。それは……そうだな」
そう言われると、そうじゃん! 俺って割とデフォルトで過保護だし、頼られたらほぼ断らないし、何なら雫が風邪を引いて駆けつけたときに堂々とエゴだって言ってた!
畳みかけるように、っていうかさ、と爆笑中の澪が言ってくる。
「要するにヒーローぶって霧崎先輩に突っ込んだのに、あっさりと返り討ちにあった、って。それだけじゃないの?」
「いや、それだけじゃなくてさ。そもそも俺があの人に言えることはなかったっていうか――」
「そんなの、私たちにだってなかったでしょ。私に何か言う資格はあったの? トラ子や雫には? それこそ上から目線でしょ」
澪は手を銃のようにして、銃口をこちらに向ける。
じぃと見つめながら澪は続けた。
「資格も謂れも、道理も筋も――何にもなくてうっっざい説教パートかましてきたんじゃん。下手な鉄砲をゼロ距離で撃つ。それが私の好きな友斗なんだけど?」
「――っ」
「結局大事なのは、そういう自分を友斗が愛せるか。それだけでしょ」
ばーん、と指でっぽうを撃って。
私からは終わり、とソファーの背もたれに寄り掛かる。
じゃあ次は、と身を乗り出したのは大河だった。
「ユウ先輩の気持ち、分からないわけじゃないです。私もユウ先輩のヒーローになりたいって思ってましたから」
大河は言葉を探すように視線を泳がせ、そしてきゅっと唇を引き結び、当て所ない視線を俺にぶつけた。
「そもそも、大切な人を助けたい――その気持ちの何が悪いんですか? 大切な人を助けられたから、自分を肯定できる。そういうことだってあるんじゃないでしょうか」
「……ああ」
「真っ直ぐなことを否定したくなんてありません。『ヒーローになりたい』って。私に言ってくれたみたいに、これからもぶつかっていけばいいじゃないですか。それがユウ先輩の生き方ですよね?」
ずん、とど真ん中を行く言葉が心の奥底にぶつかる。
「一度返り討ちに遭った程度で生き方を曲げるなんて、負け犬にもなりきれていませんよ」
「っ……だな」
「はい。だから、ちゃんと戦ってください」
かはっ、と喉から息が零れた。
まったく、二人の言う通りだ。
俺は、誰かを助けることで生きてていい、って思いたい。
そんな自分を――『誰かを助けたい症候群』罹患者の百瀬友斗を、かっこいいって思えてるんだ。
だからきっと、美緒に誇るとかじゃない。
俺自身が誇りに思ってるから、これでいい。
雫はふっと微笑むと、ソファーから立ち、俺の近寄ってきた。かしゃかしゃ、と音が鳴ったかと思うと、雫は俺の手錠を外してくれる。
「ミオリールさんとタイガエルさんの啓示は済んじゃって、もう大天使・シズクエルちゃんの出る幕はない感じがしますね」
くすっと快活に笑った雫は、ツインテールの先っちょを手で弄りながら俺を見つめる。
んー、と迷うように指で口もとに触れると、ぺろっ、と唇を舌で舐めた。
「私からは最後に一つだけ」
ぺしん、と俺の両頬を手で挟みながら雫は言った。
「私たちがこうしていられるのは、友斗先輩が助けてくれたおかげなんですよ。助けてくれて、すっごく好きにさせてくれたから……こんな風に仲良くなれたんです」
「……っ」
「だから、頑張ってください。友斗先輩がなりたい
それから雫は、澪や大河と頷き合う。
どうしたのかと思っていると、
「「頑張ってください」」「頑張れ」
と、三人が声を揃えて言ってくれた。
とくん、と。
鼓動が跳ねたのを自覚する。これはきっと、恋とかそういう感情以前のものだ。もっと純粋で、もっと稚拙で、もっと原始的なもの。
――百瀬友斗が、燃えていた。
結局のところ、俺はいつだってヒーローでいたいのだ。それが醜いエゴだと分かっていても、やっぱり手を差し伸べたい。
それでいい。それがいい。
こういう俺を、俺は最高の主人公だって思うから。
「ありがとな……三人とも。おかげで何をすべきなのかが分かった」
「はいっ! ――って思いましたけど。足首をタオルで縛られたままそんなこと言ってもかっこ悪いだけですよね~」
「さっきまで手錠を嵌めてたことを考えると、変態に見えてきます」
「潜在的なMっ気でも出てきた?」
「そういうオチをつけんのマジでやめてね???」
とか言いつつも。
俺は足首を縛られて、ごろんとカーペットに寝転がったまま、素敵な三人の女の子の顔を見つめていた。
暖房でくらくらするけれど。
そのせいで冬は嫌いだったけど。
今は、その居心地の悪さが俺には心地のいいものに思えた。
――さぁ、こっからはリベンジタイムだ。
ヒーローは必ず勝つってこと、教えてやんよ。
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