8章#34 探偵は殺される。

 SIDE:友斗


 世界に名を知られる諮問探偵は言ったそうだ。

『全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであってもそれが真実となる』と。


 これは即ち、消去法を指しているわけで。

 だから俺と澪の推論は、必ずしも真実だとは断言できない。俺たちはあくまで集めた情報のもとに推論を組み立てたにすぎないのだから。

 けれども――この推論へのカウンターは、ちっとも浮かんではくれない。


「時雨さん。今日、一緒に帰らない?」


 生徒会の仕事を終えて、俺は真っ先に時雨さんに告げた。

 もしも俺たちの推論が正しいのならば、一刻も早くそれを時雨さんに突きつけなければならない。次にいつ時雨さんが攻勢に出るのか分からないのだから。

 時雨さんは迷ったように笑い、それから大河を見遣る。


「んー。ボクよりも大河ちゃんを送ってあげた方がいいんじゃないかな。それとも大河ちゃんとは――」

「霧崎先輩、違います。今日は私、澪先輩と帰る予定なんです」


 時雨さんの言葉を遮って大河が言う。

 嘘ではない。澪には今日、大河と帰ってもらうことにした。もともと今日は大河が家に泊まる予定だったしな。俺が時雨さんと話したいことがあるとも伝えてもらっていたため、援護射撃してくれたのだろう。

 俺は大河に感謝の視線を送ってから、時雨さんに向き直る。


「そういうわけだから、一緒に帰ろうよ。時雨さんと話したいことがあるんだ」

「……っ、そっか」


 時雨さんは一瞬顔をしかめ、元の柔らかい表情に戻ってから頷いた。

 めいめいに帰り支度を済ませ、帰っていく。俺と時雨さんも大河に鍵の返却を任せ、帰路についた。

 闇色の外は、思わず震えるほどに寒かった。

 見上げた空には星々が浮かんでいる。このあたりは都内でもビルが少ないから、割と空は広い。オリオン座を見つけて、ふっ、と頬を綻ばせる。

 俺はやっと――星座を描くことができた。


「ごめんごめん、待たせたね」

「ううん。行こうか」


 靴を履き終えた時雨さんと歩き始める。

 時雨さんは、白いレースのマフラーを巻いていた。ホワイトグレーのダッフルコートを着込み、邪魔にならないように銀髪を流している。

 白に包まれた時雨さんは、雪の妖精みたいだった。


「もうすぐ、クリスマスだね」


 歩いていると、時雨さんが呟いた。

 意味を勘繰りそうになりつつも、そうだね、と答える。


「ちょうど来週がイブだよ」

「イブは24日じゃなくて、24日の夕方以降のことですよ――って、大河ちゃんは正してきそうだね」

「はは……かもね」


 肩を竦めることしかできないのは、気付いてしまったから。

 大河の名前が出ただけで声が詰まりそうになる。


「キミは……もう、プレゼントは買った? お父さんからバイト代は払われてるでしょ?」

「いいや、まだだよ。何を買おうか迷ってて。土日に行こうかなって思ってる」

「そっかそっか。じゃあ選ぶの、ボクも手伝ってあげようか? この前みたいに」


 この前と言われて、思い出すのはハロウィンのとき。

 俺は時雨さんに、三人のために買うお菓子を用意してもらったのだった。


『キミにとっては、あの子も大切な存在なんだね』


『ううん、なんでもない。四人仲良しが一番だよね、って思っただけ』


 なぁ、と思う。

 あのとき時雨さんが考えていたって……それって――。


「ううん、大丈夫だよ。自分で考えるから意味があるんだって雫に気付かされたから」

「そっか……」


 がたんごとん、と電車が通り過ぎる。

 静けさに満ちていた道はとたんに騒がしくなって、かと思えばまた静寂が戻ってくる。或いは、騒がしさの分だけ余計に音が消えているようにも感じられた。


「それで――ボクに話って、なにかな? このシチュエーションじゃ、告白だって思われても仕方がないよ?」


 音が消えていた世界で、時雨さんの声ががらんどうに響いた。飲み込んだ息は鉛のように重くて、でもそもそも鉛の重さを知りはしなくて、知らないもので喩えた自身の浅ましさを悔いる。


 それは――今までの俺の、霧崎時雨その人との向き合い方に対しても同じことが言えた。

 知らないくせに安堵したり、不思議な人だと思ったり、敵わないと決めつけたり。俺はこの人とちっとも向き合ってはいなかった。


「告白というより……答え合わせ、かな。もしくは探偵の推理パート」


 探偵くんが当ててみればいい。そう告げたのは時雨さんだ。

 時雨さんは苦笑し、そっか、と目を細めた。一人ぽっちの泣きぼくろに目が行く。


「じゃあ聞かせてよ、探偵くん。推理小説でも書いた方がいい。そう言わせてくれたら嬉しいな」


 力強い、まるで吹雪みたいな笑顔だった。

 口が、足が、竦みそうになる。それでも退くわけにはいかなかった。今の時雨さんを放っておくことなんて、絶対にできないから。


「単刀直入に言う――時雨さんは澪や大河に美緒を継がせようとしているんじゃない?」

「へぇ? どうしてそう思ったのか、教えてくれるかな」


 もちろん、と首肯する。


「理由はいくつかある。時雨さんは澪や大河に、美緒のことを話したよね? そして二人が美緒の代わりになるように仕向けた」

「……そう、かもね」

「その結果ってわけじゃないけど――俺は二人に美緒を求めるようになった」


 あの夏、俺は三人の少女を美緒の代わりにした。

 しかし『代わり』のベクトルが澪や大河と雫では大きく異なる。

 澪や大河は喪った美緒の代わりだったが、雫はそうではない。雫は美緒の代わりの澪にできないことをする、二番目の彼女という意味での『代わり』だった。 


「でも、それだけなら夏に終わってたんだ。俺は美緒の死を乗り越えて、あの三人と向き合おうって決めたから」

「……それだけじゃないってこと?」

「うん。だって時雨さんがあの二人に求めたのは、美緒の代わりじゃない。美緒を継ぐことなんだから」


 繋いでいくのは壬生聖夜が書いた十二作の物語。

 最新作を除く十一本の物語は全て、俺と美緒と時雨さん――この三人を軸にしていた。

 そして十二作目。

 美緒がいるべき場所にいるのは、義理の妹と口うるさい後輩だ。


『カミサマに物語を捧げます』


 カミサマとは誰だ?

 一般的に、クリスマスはイエス・キリストが生まれた日だとされている。文献を漁って計算すると、彼の逝去は4月なのだそうだ。

 12月に生まれて、4月に死んだ存在。

 ――美緒がまさにそうだった。


「時雨さん、知ってたんでしょ。俺と美緒が隠れて付き合ってたってこと」

「……だとしたら?」

「美緒の気持ちを知ってたんだとしたら、時雨さんがあの二人に求めてたことも分かる。美緒の想いを二人に継がせたかったんだ。そうすることで、俺と美緒の恋を守ろうとした」


 きっと時雨さんは俺と美緒の関係を知り、守ろうとしてくれたのだと思う。

 昔からそうだった。

 俺は美緒を守って、俺は守らせてもらうことで美緒に守ってもらっていて。

 そんな俺たち二人を時雨さんが丸ごと守ってくれていた。


 けれど――事故によって呆気なく守るべきものを喪った。


 だから時雨さんは求めたのだ。

 守るべき恋を継ぐ誰かを。


「時雨さんは文化祭と選挙を利用して二人の俺への想いを育てた。美緒の想いを二人が正しく継ぐことができるように」

「…………」

「一方で、雫という邪魔者も排除した。美緒に似ているところがない二人は、どんなに俺を想っていても美緒の継承者にはなり得ないから。雫が自ら身を引くように仕向けた」


 これが、今日に至るまでの全貌だ。

 全てが時雨さんのせいだなんて言わない。美緒の代わりを求めたのは俺の弱さのせいだし、二学期になってから澪たち三人とすれ違ったのだって俺がそれまできちんと向き合ってこなかったツケを払わされただけだ。


 だから時雨さんを責めるつもりはない。


「時雨さんはあの頃を取り戻したいんだ。俺と美緒を守っていた、あの頃を」


 それでも、


「もし俺の推理が正しいなら――もうやめるべきだよ、時雨さん。時雨さんの人生を、俺と美緒の恋を守るために使うなんて間違ってる」


 俺は時雨さんを助けたい。

 今までの恩返しのためにも、美緒に誇れる自分で在るためにも。


「美緒は死んで、俺たちは生きてる。でも、それで終わりじゃないんだよ。いつかまた、美緒と再会できる。だから誰かを代わりにしたり、誰かに継がせたりすることなんてできないんだよ」

「…………」

「俺たちは今生きてる人たちのことを見よう? 美緒に叱られないように…嫌われないように……自分の人生を踏みしめていかなきゃダメなんだっ!」


 ああ、くそ。結局頭の中はぐちゃぐちゃだ。時雨さんに届けたい言葉はもっとたくさんあるはずなのに、口をついて出てくるのは不恰好なものばかり。

 それでもうどうか、届きますように。

 そう祈って見つめた時雨さんの瞳は――酷く、冷たかった。


「そんなの……キミだって、できてないじゃん」

「――ッ!?」

「キミの本質は、あの頃から変わってない。キミは自分の人生なんて生きてないでしょ」

「っ、何を言って――」

「どうしてキミは文化祭のとき、もっと早く澪ちゃんを助けてあげなかったの? 気付いていたことを友達に話しておけば、澪ちゃんはもっと早く自分で答えに辿り着いていたかもしれない」

「それは……っ、澪が自分で向き合うのを見守るべきだって思ったから――」

「本当に、それだけ?」


 体が、冷えていく。

 体の芯から外側へと冷たさという名の熱が電波して、どうしようもなく凍える。戦慄く唇は言葉を編んではくれず、代わりに時雨さんが続けた。


「選挙のときは? 話し合う。たったそれだけのことを、キミは本当に思いつかなかったの?」

「っ、それは話をしても――」

「――意味がないくらいに意思が固まってるように見えた、って? 本当に? 大河ちゃんの誠実さなら何か光明を見出せる可能性はあった。もっと大河ちゃんを信じてあげれば、幾らでも方法はあったはずだよ。事実、ボクは幾つも用意してあげた」


 頭が真っ白になる。降り積もる、残酷な雪みたいに。


「雫ちゃんのときは? どうしてキミはボクに任せず、雫ちゃんのもとに自分で駆けつけようとしたの? 生徒会でも、クラスでも、同じことだよ。キミは何かと自分でやりたがる。困っている人を助けて、力になりたがる」


 それは、と時雨さんは俺を指さした。


「人のことを思った、優しいものなんかじゃない。キミは誰かを助けなくちゃ自分を生きてていいって思えないんだ。キミはずっと、美緒ちゃんを守るお兄さんだったから」

「…………っ」

「キミは美緒ちゃんの死とは向き合ったのかもしれない。けれど、自分自身とは向き合っていないんじゃないの?」


 言葉が出なかった。

 だって――否定できなかったから。

 誰かの力になることで……助けることで、いてもいいんだ、と俺を認めることができた。


「ボクだって、キミと同じだよ。美緒ちゃんが死んだことなんてとっくに分かってる。それでも……ボクは守るって決めたんだ。それが、それだけがっ、ボクの生きる意味なんだ! それができないなら、生きている意味なんてどこにもない」


 冷たい目からは、涙がぽとりぽとりと零れていて。

 俺は一歩もそこを動けなくて。


「キミが美緒ちゃんのお兄さんとしての生き方以外を知らないように、ボクはキミたちのお姉さんとしての生き方以外を知らない。それが悪いことだなんて思わない。思ってやらないよ」


 時雨さんはそう言い残して、闇へ去っていった。

 追いかけることも、引き止めることもできない俺は、ただただその場で立ち尽くした。



 ――ああ、そうだった。



 自分と向き合っていないのは俺じゃないか。

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