8章#33 代替品

 SIDE:時雨


 小さい頃のことをよく覚えている。

 ボク、霧崎時雨はいわゆる天才だった。何に、と尋ねられたら、人生に、と答えていいと思える。それほどにボクは大抵のことができた。


 手前みそになるけれど、でも事実なのだからしょうがない。

 物覚えはよかったし、体も丈夫だった。それらは成長するにしたがって頭の良さ、身体能力の高さへと変わっていった。人付き合いも得意だ。周囲の大人が何を考えているのか、子供ながらに理解していたように思う。同世代の子とも上手くやることができたし、新しいことに挑戦するのを躊躇うタチでもなかった。


 だからこそ――ボクの世界には、いつだってボクしかいなかった。周りの大人も、子供も、読み取り対応すべき存在として見ていたのだ。

 ボクの世界はずっと、みんなとボクの髪色みたいな黒と白で構成されていた。


 楽しくなかったのだ。

 できないことはなかった。新しいことに挑戦するのは、ワクワクしたからじゃない。それが正しいことで、求められる姿で、合理的だと判断できたからだ。

 ワクワクも、キラキラも、ドキドキもない。


 天才の傲慢な戯言だと言われてしまえばそれまで。

 でも事実、ボクはそう思っていて。

 一人ぼっちだと感じたのなら、それは一人ぼっちなのだ。


 そんなボクが見つけた、唯一の光。

 ううん、唯、と言った方がいいかもしれない。

 それが――従弟と従妹だった。


 二人と出会った日のことは、今でも忘れない。

 あれは夏のことだった。お盆の数日前。

 彼が生まれて、あの子が生まれて。それから暫く経って、二人の両親は久々に帰省した。特に仲が険悪だったわけではなく、ただあの子の体がそれほど強くないので大きくなるまでは、と見送っていたのだ。


「はじめましてっ! ももせゆうとです」

「ももせ……みおです。なかよくしてください」


 幼稚園の、年長さんだったかな。それと年少さん。幼い二人だったけれども、小学校に入りたてのボクには同級生より二人の方が大人びて見えた。

 兄として、妹を庇うように立つ彼。そんな彼の背中を信じ、その信頼で妹として兄を支えるあの子。いいバランスだ、と子供ながらに思ったことは記憶に残っている。


 でも最初は、その程度だったはずだ。

 いとこ相手だろうと、やることは変わらない。従姉として上手く面倒を見てあげればいい。大人たちはそれを求めているのだから。

 けれど遊んでいて――驚くほどに、熱中した。


 簡単なトランプとか、しっぽ取りとか、ジェスチャーゲームとか。

 何の変哲もない遊びが、楽しくて。

 そして何より、彼とあの子は心から楽しんでいた。


「にいさん。ズルするのはだめだよ」

「ず、ズルなんてしてないし」

「さっきカードかくしてた。せいせいどうどうやらないといみないじゃん」

「ぐぅ」


 って、トランプしたり。


「みお、だいじょうぶ? むりはするなよ」

「だいじょうぶ……しっぽ、もらった」

「えっ――ズルッ!?」

「ズルくないよ。にいさんがかってにちかづいてきただけだもん」


 って、笑いながらしっぽ取りをしたり。


「にいさん。もっとしんけんにやって」

「しんけんにやってるし! じゃあみおがやってくれよ。おだいはこれだから」

「おだいわかってたらクイズにならないじゃん」

「あっ」

「にいさんのばか」


 って、ジェスチャーゲームでわいわいしたり。

 大人びていて、子供っぽくて。

 アンバランスに見えるのに、ちょうどよくて。


 どうしてなんだろうと考えて、ボクはすぐに気付いた。

 この二人は、ボクと違うんだ、って。

 二人の世界には、二人がいる。彼の世界にはあの子がいて、あの子の世界にも彼がいて。一人ぼっちじゃなくて二人ぼっちだったのだ。

 彼はあの子を守って。あの子は彼を支えて。そうして二人は、二人で生きている。片っぽがなくなったらダメになっちゃうくらいに、セットだった。


 太陽と月だ、と私は思った。

 美緒ちゃんが太陽で、彼が月。

 二人がいれば朝も夜も寂しくない。素敵な関係だと思った。

 ならボクも、その中に入れないかな。二人を包む空でいい。一人ぼっちじゃなくて三人ぼっちになれば、ボクの世界もカラフルになってくれるんじゃないか。


「いーれーてっ」


 思い切って言ってみたら、彼もあの子も困ったように笑った。


「しぐれさんももうはいってるでしょ?」

「にいさんがひとりであそぶからおこったんだよ」

「え、マジで!? ごめんしぐれさん」

「ううん、気にしないで。今度は三人で遊ぼう!」


 この日、ボクは決めたのだ。

 二人の姉になろう、と。お姉さんとして二人を守る空になろう、と。

 皮肉な話だ、と思う。

 誰よりもっぽなボクがそらになろうとしているのだ。でもそれでいいと思った。だって小学校の先生は教えてくれた。人は一人では生きていけない、って。


 だからボクは、愛しい二人に依存した。


 大きくなった二人が、兄妹ではなく男女として好き合っていることには早いうちに気がづいた。

 けれど、二人はボクを仲間外れになんてしなかった。

 だから、


「ねぇ美緒ちゃん。妹だからって理由で我慢する必要はないんじゃないかな?」

「そんなことないよ……だって――」

「せめて彼にだけは、伝えてもいいと思うよ。それとも彼は、好きだと伝えてくれた美緒ちゃんを拒絶するような男の子なの?」

「…………違う」


 ボクは喜んで二人の背中を押した。

 そして、美緒ちゃんは彼と秘密の恋人になった。ボクは美緒ちゃんに協力し、二人の秘密を知る唯一の第三者になった。

 ボクは特別だった。

 許されざる関係の二人を守るお姉さんになる。それがボクの願いだった。


 二人はボクにとって、カミサマだ。

 神様、じゃない。だって神様はこんなにもモノクロームな世界を創った。ボクの人生に色を与えてくれない神様なんて、死んでしまえばいいと思う。


 ボクの人生に色を与えてくれる二人こそ、カミサマだった。

 二人は二人でなら、世界をカラフルにできる。だったら、二人が二人でいられるように、ボクが守り抜くだけだ。たとえ世界を欺いたとしても。


 なのに――あの日、カミサマは死んだ。


『……美緒ちゃんと由夢さんが事故に遭ったらしい』


 あの日父さんが告げた言葉は、今でも忘れない。

 一瞬にして世界は再び色を失った。

 あれから夏休みと年末年始に帰省したけれど、顔を合わせた彼にはかつての面影はなかった。


 美緒ちゃんだけじゃない。

 彼というカミサマもまた、あの事故を境に死んだのだ。


 ボクは守れなかった。

 あの素敵な二人の初恋を、守ることができなかった。


 だからボクはカミサマに捧げるのだ。

 ボクが守れなかった初恋の代替品を。



 ◇



 終業式の放課後。

 生徒会の仕事が終わり、午後6時半。

 街には夜の蓋がされ、空気は寂しげに冷えている。はぅと吐いた息は白くて、冬なんだな、と改めて思わされる。

 がたんごとん、と聞こえる電車の音が思いのほか大きいのは、真っ暗な分だけ街がいっそう静かに感じられるからだ。


 夜に凪ぐ銀髪は、天の川のようだった。

 風に身を竦めて、そして彼のことを見据える。


「それで――ボクに話って、なにかな? このシチュエーションじゃ、告白だって思われても仕方がないよ?」


 お姉さんとして、ボクは言う。

 夏休み、迷っていたキミを導いてあげたみたいに。

 夏休み、迷っていた美緒ちゃんの背中を押したみたいに。

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