8章#10 メサイアコンプレックス

「あら、一瀬くんじゃない。それと綾辻澪さんも」

「っ……百倍してもらえませんかね」

「フルネームで呼ばないでほしいんですけど」


 俺を一瀬と呼ぶのは、俺の知る限り一人しかいない。ついでに言うと金髪でライオンみたいな威圧感を身に纏って生活しているくせに内面には多分に残念な要素を孕んでいる人も、一人しかいないはずだ。

 つまり俺たちが出会ったのは、入江恵海その人に決まっていて。

 俺と澪は、当然の如く顔をしかめた。


「あら。折角先輩に会えたのにその反応って、どうなのかしら。演劇部の子たちなら泣いて喜ぶわよ」

「それは演劇部で神話化してるからでは?」

「失礼なこと言わないで頂戴。神話化なんかしてないわよ」


 堂々と胸を張った入江先輩は、さも当然のように言う。


「伝説になってるの。神話になるのは少年でしょ?」

「……その傲慢さはさておいて。入江先輩からそういうネタが出てくるとは思いませんでしたよ」

「そうかしら? こう見えて、創作物は広く摂取しているのよ」

「さいですか」


 まぁ、神話も伝説も大した違いはない。入江先輩にこの場で会いたくなかったって思いも変わらないしな。

 と、考えていると、入江先輩の視線が俺と澪の間に落ちる。


「それにしても……随分と仲がいいのね?」

「「……っ!?」」


 入江先輩が見ていたのは、俺と澪の結び目。

 よりにもよってこの人に手を繋いでいるところを見られてしまった。何にも悪いことをしていないのにそこはかとなく居た堪れない気持ちになって、慌てて手を離す。


「これは……っ、別に入江先輩には関係ないですよね?」

「えぇ、関係はないわね。私の愛しい妹が十瀬くんにとってどんな存在なのかによっては変わってくるけれども」

「妹……ああ、トラ子ですか」

「とらっ、あなた――」

「あーあーあー。すみません、こいつ大河と複雑な関係なので。呼び方は気にしないでやってください」


 入江先輩の目にガチの怒気がこもりかけていたので、すぐに間に割って入る。

 映画館にだって人は多いのだ。こんなところで言い争っていると、変な目で見られてしまう。具体的には、痴話喧嘩だと思われたりな。


「それに、その問いにはとっくに答えましたよ。大河は俺の大切な子です。今はそれ以上でもそれ以下でもない、としか言えませんよ」

「ふぅん……? この前とは違う答えだけれど?」

「そうやって人の言葉を覚えて揚げ足取りをするのはどうかと思いますよ」

「あら、そんなつもりはないのだけれど。時雨の従弟相手だからかしら。つい、ね」


 この人、マジで面倒くせぇ……。

 選挙の一件を経て文化祭の頃ほど怖くは感じなくなったが、代わりにこの人の面倒くささを実感してしまう。俺がムッとしていると、今度は澪が俺と入江先輩の間に入ってくる。そして、


「『それにしても……随分と仲がいいのね?』」


 と、嫌味たらしく入江先輩の真似をして言った。

 おかげで僅かにクールダウンする。ふぅ、と吐息を零す。

 へぇ、と入江先輩は興味深そうに澪を見遣った。


「綾辻澪。あなた、悪くないわね」

「貶された覚えがありますけどね」

「あのときと今では違うでしょう? ……それで。あなたたちは何しに来たのかしら?」


 飄々とした表情で入江先輩が尋ねてくる。

 俺は澪と顔を見合わせてから答えた。


「映画を見に来たんです」

「それって――」


 入江先輩が告げたのは、まさに俺と澪が見にきたタイトルだった。


「……よく分かりましたね。心の中が読めたりします?」

「まさか。心の中が読めるのなんて、それこそあなたの従姉くらいでしょ」

「じゃあどうして?」

「簡単な話よ。私もその映画を見にきたの」

「マジですか」


 ちょっと驚いた。誰かが仕組んだような偶然である。

 ふふ、と笑んだ入江先輩は、そうだ、と何かを思いついたように口を開く。


「ちょうどいいわ。あなたたちの分のチケットも買ってあげるから一緒に見ましょうよ」

「……何を企んでるんですか?」

「真っ先にそれを疑うって、私への信用はどうなってるの?」

「地に落ちてます」「美味しいんですか? それ」

「酷いわね……」


 いやあんたのやったことを考えたら妥当だろ。

 こっそり思うけれど、今回の入江先輩は何かを企んでいるようにも見えない。あと、澪は返しが酷すぎる。くすりと微笑を浮かべると、入江先輩は言った。


「私、映画は一度目を一人で見て、二度目を誰かと見るって決めてるの。だから本当は演劇部の後輩を連れてくるつもりだったのだけれど、テスト前だから誘えなくて」

「はあ、なるほど。ま、そういうことなら俺はいいですけど……澪、どうする?」

「ん。まぁチケット代が浮くのは普通に助かるし……入江先輩。ドリンクとポップコーン、それからポテトをおまけでつけてくれるなら考えます」

「凄いこと言うわねあなた……」


 ほんとそれな。入江先輩と二人で苦笑う。


「ま、それくらいならいいわよ。後輩の面倒を見るのは嫌いじゃないもの」

「話が分かる人で助かります。じゃあ、お願いします。席はなるべく一番前がいいです」

「ああ、背が小さ――」

「入江先輩そういうことは言わないでもらえますか俺の脛が悲鳴を上げるので」

「…………そうね。発育は人それぞれだものね」


 言って、入江先輩はチケット売り場に向かう。

 期せずして奢ってもらえることになった。めちゃくちゃ金に困ってるってわけじゃないが、入用にもなるからな。正直助かった。奢られるのはそこまで好きじゃないが、こんな風に後輩扱いされるのもたまにはいい……かもしれない。

 そんなことを思っていると、澪がぼそりと呟いた。


「高くて大きい……滅びろ」

「………………澪も可愛いから気にすんな」

「ん」


 まぁ入江先輩はめちゃくちゃいいスタイルだけどね?



 ◇



 映画館の中では、それぞれの輪郭が曖昧になる。

 それは単に暗いからだけではない。大きなスクリーンに目を奪われるから、見られているという意識が薄れ、それゆえに不確かになるのだ……と思う。


 席は、澪の要望通り一番前。

 澪と入江先輩に挟まれて俺が座っていた。なんでだよ、と思わなくもなかったが、澪と入江先輩が隣り合うよりはマシな気もするので黙っておく。

 左隣では、澪がもぐもぐとポテトを食べている。朧な映画館の中でも美味しそうにしているのが分かることが、何故だか無性に嬉しい。


 スクリーンでは、予告CMが流れている。


「ふむ……一瀬くん、こういうヒーローモノはお好み?」

「えっ、どうでしょう。そこそこは見ますけど、わざわざ映画館には来ないかもですね」

「あら勿体ない。映画館で見た方が迫力があっていいわよ」

「へぇ。なんか意外ですね。こういうの、見ないイメージがありました」


 言うと、あら、と入江先輩が意外そうに笑う。


「割とみるわよ。演技の勉強にも演出の勉強にもなるし、純粋に面白いから。私、ヒーロー、好きなの」

「そうですか。まぁ、その気持ちは分からんでもないですけど」


 実際、俺もヒーローモノは好きだ。アニメにしろ実写映画にしろ、かっこいいヒーローがかっこよく活躍する話はよく見る。分かりやすくて泣けるしな。

 考えてみれば、勧善懲悪の話なんて昔からあったわけで。

 入江先輩が好きなのも、そういう意味では意外ではないかもな、と思う。


 でしょうね。

 入江先輩は、それまでとは少し違う、何か意味を孕んだ声で告げた。


「あなたは、メサイアコンプレックスの傾向があるもの」

「え……?」


 つーん、と耳鳴りするような錯覚を受けた。ちゃんと聞き取れてはいる。目を背けているわけでも、耳を塞いでいるわけでもない。ただ唐突で、置いてけぼりになった。

 入江先輩の言っていることを飲み下せないままに、予告CMが終わってしまう。


「っと、始まるわね」

「ですね」


 話を続けたい、という思いはある。

 だが映画の最中に喋るなんてマナー違反を犯すわけにもいかない。入江先輩も話を聞く気配ないしな。

 背もたれに寄り掛かり、スクリーンに集中する。折角奢ってもらったのだ。満喫しよう。


 やがて、本編が始まる。

 ごくん、と飲み下した唾は思いのほか苦く感じた。


 喉が、嫌にざらついていた。

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