8章#09 邂逅

 俺にとって、テストはさほど厄介な存在ではない。

 晴彦たちにも言ったが、勉強の正攻法はコツコツ努力すること。あとはその努力の仕方だが、これは美緒に負けじと頑張っていた小学生の頃に既に見つけていたため、困った経験がないのだ。


 もちろん、以前大河に語ったように、俺にだって勝てない相手はいる。というか勝てない相手ばかりだ。時雨さんにしろ、美緒にしろ、俺は小さい頃からちっとも敵わなかった。

 それでも美緒がいたから、頑張れた。あの子を守れる自分で在るために。かっこいい自分でいるために。そう言い聞かせることで、日々努力していたのだ。


 ――と、まぁそんな俺のことはどうでもいいとして。

 それほど厄介ではないテストは、既に三日間が過ぎ去っていた。

 11月も最終日である、30日。

 俺は駅前でスマホを弄りながら、澪の到着を待っていた。


 今日どこへ向かうのか、俺は一切聞かされていない。ただ昨晩、


『友斗。明日のことだけど、駅前に11時に集合ね』


 と言われたきりである。

 雫と勉強をしにきていた大河が、テストの間に出かけると聞いて渋い顔をしていたのは記憶に新しい。なんだかんだ昨日泊まったし、今朝雫と一緒に俺を見送っていたのだから、大河もあまり人のことを言えないと思うが。


 日曜日ということもあり、駅前にはそれなりに人が多い。

 冬の入り口に立っているからだろう。吹き込む風は冷たく、きゅぅ、と俺は身を竦めた。


「寒いなら肉まん、食べる?」

「おう、貰うわ――じゃねぇよ! 人を待たせておいて肉まん買ってるとかどういう了見だ?!」

「だってお腹空いたから。お兄ちゃんと違って、私は毎朝運動してるの。夜にもカロリー消費してるし、その分食べないと」

「朝はともかく、夜のカロリー消費の方法は不健全なんだよなぁ」


 要するに、自分でシてるってことだろ……?

 じとーっと澪を見つめると、ぺろりと舌なめずりされる。なんかすげぇドキっとするからやめてほしい。


「ま、それはともかく。何か言うことは?」

「久々に食いたくなってきたから肉まん半分くれ」

「ん、いいよ――ってそうじゃなくて。おめかしした美少女を前にして肉まんくれが先にくるってどういう了見?」

「肉まんを最初に言い出したのはお前だよなっ!?」


 こほん、と咳払いをしてから澪の全身に視線を向ける。

 下はミニスカート。眩しく瑞々しい白肌が露出され、しかし、膝下までのブーツによって季節感を失ってはいない。上はニットセーター。純白のその服の上に、赤色のムートンコートを羽織っていた。

 頭の上にちょこんと乗せられたベレー帽は、まるで必殺技のような存在感を放っていた。それがまた、めちゃ可愛い。


「おめかししたって自分で言うのはアレとして……可愛いんじゃないか? もう冬だな、って感じがするし」

「褒め方が雑。美少女三人を侍らせておいて、その手のスキルが全然上がらないのは何なの?」

「とか言ってる割に口もとは嬉しそうなんだが」

「…………」

「無言で脛蹴るのやめてね?」

「お兄ちゃんの意地悪」


 ブーツで蹴られると絶対痛いので、ひょいっ、と躱しておく。女の子に蹴られて喜ぶ趣味はないのだ。

 じっと俺を睨んでから、澪は渋々といった感じで肉まんを半分に分け、こちらに寄越した。半分って言うか3:1くらいな気もするけど、言ったら睨まれそうだし言わない。


「食べ終わったら電車乗るか」

「ん」

「で、そもそも今日ってどこ行くんだ?」

「言ってなかったっけ」

「言われてないな」

「つまり無知、と」

「何故か俺が悪いかのような言い方……」


 確かに無知なのだけども。

 俺が呆れた風に言うが、肉まんを食べてご満悦な様子の澪はほぼ聞いていない。こいつ、マジで三大欲求に忠実だよな。


「で、どこに行くかだけど」

「ああ」

「映画見に行くの。ほら――」


 と、澪は映画のタイトルを告げる。

 俺も知っている、ライト文芸作品の実写映画だった。SNSでの評判もそれなりにいいし、原作小説も結構好きなので気になっていたのだ。


「ああ、あれか」

「そ。あれ、もうすぐ終わるらしいから見ておこうと思って。鈴ちゃんが面白かったって言ってたんだよね」

「なるほど……」


 流石は伊藤、趣味が広い。

 と、話している間に肉まんを食べ終える。ごっくんと美味しそうに飲み込んだ澪は、コンビニで買ったらしいフルーツティーに口をつける。


「というわけで、行こ」

「そうだな」


 思えば、こうして二人で出かけるのも久々かもしれない――なんて。

 一年前までは一度しか一緒に出掛けたことがなかったくせに思っている自分に気付いて、くすっ、と笑った。



 ◇



 映画を見に行くハードルは、人によって様々なのではないかと思う。

 たとえば俺の場合は、雫に誘われるまで、映画館にはほとんど行ったことがなかった。小さい頃に数度、父さんと行ったくらいだろう。

 それまでの俺にとって、映画はテレビで週末にやっているものだった。


 だから俺にとって、映画館は少し特別な場所だ。

 でも雫のおかげで、ある程度そのハードルは下がったとも思う。


 映画館に向かう道のりは、やはりと言うべきか、それなりに人がいた。この駅自体人が多いし、そもそも日曜日だからな。当然だ。


「ねぇお兄ちゃん」

「なんだ? 人が多いって駄々をこねるわけじゃないだろうな」

「駄々って、人を何だと思ってんの?」

「わがままなお姫様」

「私がわがままになるのはナイト様に対してだけだけどね」

「そりゃ嬉しいな、お姫様」


 べっ、と舌を出して皮肉を口にする澪。俺が打ち返すと、ちぇっ、と舌打ちをした。


「駄々じゃなくて。はぐれそうだし、繋いでよ、手」

「えっ……いや。はぐれそうじゃなくね?」

「はぐれそうだよ。特に私、お姫様だし。お姫様は気付くとどっかに行っちゃうものでしょ」

「お姫様を何だと思ってるんだお前は……」


 苦笑をうかべていると、はぁ、と澪が焦れったそうに溜息をついた。

 それから、並んで歩いていた俺の手を握る。

 小さく、ひんやり冷たい手だった。指の細さが分からないのは、繋ぎ方が恋人繋ぎではないから。


「この繋ぎ方ならいいでしょ? ほんとは修学旅行で思い出を作るつもりだったのに、すっぽかされたんだから」


 町の雑踏が、かき消える。

 繋いでいない方の手で耳たぶと摘まみながら、澪は言った。


「それとも、お兄ちゃんは私が迷子になってもいいの?」

「っ」


 ズルいな、その言い方は。

 2泊3日の修学旅行。幾百年もの歴史のある古都でのデートをすっぽかしたんだ。これくらいのサービス、して当然かもしれない。


「分かったよ。……っていうか、拒否ったところで手を離す気、ないだろ」

「ま、ね」

「まぁいいけどさ」


 言って、俺は澪の手を握り直す。

 やっぱり小さくて、細くて、しなやかな指。

 ふと触れた爪先の手触りが普通と違う気がして、ああ、と今更ながら気付く。


「ネイル、してきたのな」

「……気付くのが遅い。さっきからさりげなくアピールしてたんだけど。肉まんとか」

「肉まん食べながらネイルのアピールとかされても気付かないって」

「些細なことに気付けないダメ男」

「最終的には気付いたんだから許してくれ……よく、できてるんじゃないか?」


 繋いだ手を少し上げて見遣ると、ん、と澪が漏らす。

 ネイルは、本当によくできていた。単純な桃色のネイルだけど、服とよく合っていて可愛らしい。

 ……なんて。

 他の人に見られていたら羞恥でいっぱいになるようなことをしつつ、映画館に向かって。


 そして到着したとき、


「あら、一瀬くんじゃない。それと綾辻澪さんも」

「っ……百倍してもらえませんかね」

「フルネームで呼ばないでほしいんですけど」


 絶対に知人には会いたくないって思っていたのに。

 非常に面倒臭い人と出会ってしまった。

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