8章#08 帰ってきた日常

「なぁ友斗。俺たちってさ、この前まで修学旅行に行ってたわけじゃん?」


 振り替え休日明けの水曜日。

 ぱくぱくと昼飯を食べながら、俺の親友・晴彦はそう言った。


「そうだな。俺は行けなかったけど」

「それは友斗が俺たちより雫ちゃんを選んだ結果じゃん?」

「……言い方はあれだが、まぁ、そうだな」


 そのことはもう、この振り替え休日二日間で吹っ切れたから別にいい。

 教室では修学旅行の思い出が話されているし、中には無事成立したのであろうカップルも散見される。そんな様子を見ているとまたうだうだと駄々をこねたくなるが、考えてもしょうがないことだからな。今は考えない。ぶっちゃけ、どうせ三学期にも行事があるから修学旅行のウェイトは軽いし。


「で、それがどうした?」

「いやさ。三日前まで修学旅行で、昨日まで振り替え休日で」

「ああ」

「なのに明日から期末テストっておかしいと思わね?」

「あー……」


 言いたいことを察する俺。

 隣で黙々と昼食を摂っている澪も、あはは、と苦笑していた。一方、晴彦の隣にいる如月はめちゃくちゃコクコク頷いている。ああ、うん、如月もそっち側よね。


「勉強をするときはな、何にも邪魔されず自由で、なんというか救われてなきゃダメなんだ。独りで静かで豊かで」

「言うほど勉強してなくて、勉強会開きたがってた奴がなんか言ってる」

「うっ……でも事実だろ!? 修学旅行から一週間も経たずにテストって、そんなの集中できるわけがないと思うんだよ!」

「えぇその通りよ晴彦! 流石私の彼氏だわ」

「バカだろ」「バカじゃん」


 堪らず、俺と澪の声がダブった。

 秋から色々あって見直しつつあった二人。しかし、二人はどこまでもバカなようだった。澪は、はぁ、と溜息をついてこめかみに手を添える。


「つまり……勉強がヤバいってこと?」

「「そういうこと!」」

「そこで息がぴったり合うのがお前らの恋人たる由縁だよな」

「「それはちょっと複雑!」」


 でもやっぱり、二人とも息ぴったりだし。

 だがまぁ、言いたいことは分かる・

 我らが田々谷高校は、行事が盛んな代わりにきちんと学問も両立することを求める学校だ……と、いう言い方は割と聞こえがいいもので。直截に言ってしまうと、うちの学校のテストは一切行事を配慮せずに時期が設定されるのだ。

 そんなわけで、明日から木、金、土、月と四日間、我が校では期末テストが行われる。それゆえに、教室の中には修学旅行の話ではなく、勉強をしている奴もちらほらいた。逆に現実逃避のようにお喋りに興じている層も多いけどな。


「つーか、友斗と綾辻さんは勉強してたのか? 特に友斗とか、めっちゃ忙しそうだったじゃん?」

「忙しかったには忙しかったけど……そもそも、授業である程度は頭に入ってるからな。休みの日にはちょいちょい触ってたしな」


 だから、不安なのは数学くらいだろうか。

 それも昨日ワークを解いて復習したので、大丈夫だとは思う。澪はどうだろうかと視線を窺うと、肩を竦めて返された。


「私も。授業受けてればだいたい分かるし、軽く勉強したら頭に入るし、次も1位取るつもりでいるよ」

「はぁ~凄いわね、澪ちゃん」

「友斗も、なんだかんだこの前も上位にいたもんなぁ。マジ羨ましいわ」

「澪も俺も、別に勉強してないわけじゃないからな?」


 言うと、晴彦は、分かってるよ、と呟いた。

 まぁ人の努力を軽んじるようなタイプではないか。

 実際、俺も澪も勉強はしている。ただそれはテストに向けての勉強ではなく、日頃からの積み重ねの勉強なのだ。夏休みとかにも地力をきちんと底上げしていたから、それなりに復習してさえおけば学校のテストには対応できる、というだけのこと。


 無論、ほぼ勉強なしで学年1位を取るチート的存在もいる。かの時雨さんだ。時雨さんの父親晴季さん曰く、あの人マジで家でも勉強してないらしいからな。

 ……まぁスペックだけで言えば、澪もあの人と変わらんのだろうけど。澪はどっちかというと動的なスペックが高めだからな。


 と、そんなチート性能な人たちのことはさておいて。

 今は晴彦と如月のバカップルのことである。


「晴彦。つまり、何が言いたい?」

「赤点不安だから何か秘密道具出してくれよユウトモン」

「猫型ロボットっていうよりデジタルなモンスターっぽい響きだな」


 俺が言うと、澪と如月はくすりと笑みを零した。澪はともかく、如月は笑ってる場合じゃないと思う。如月は生徒総会の準備もあったわけだし、晴彦以上に勉強ができていないことだろう。


「秘密道具って言われてもな。結局のところ、勉強なんてコツコツ努力するっていう正攻法以外にないだろ」

「それは分かってるんだけどよ~。でももう無理だろ? 一夜漬けでどうにかなるわけねぇじゃん? 俺も白雪も、味の染みにくい人参なんだよ」

「あー、それな。人参って全然味染みないよな。あの人参の人参です感は異常」

「だから肉じゃがのとき、人参だけ先に食べるんだ……」

「まぁな――っと、危ない。話が脱線しそうになった」


 既に脱線している件についてはノータッチの方向で。あと、澪が作るメニューは基本的に人参でも味が染みててめっちゃ美味しいです。

 なーんてことを思いつつ、俺はバッグからクリアファイルを取り出す。


「ま、言いたいことは分かるからな。二人のためにいいものを用意してきてるぞ」

「え、マジで!?」

「ああ。修学旅行を楽しんだのにその後のテストのせいで修学旅行まで嫌な思い出に、とかなるのは嫌だったからな。ちゃんと楽しんできて、それでも赤点だけはばっちり回避できるように予め準備してたんだよ」

「ガチすぎてちょっと引くよね」

「うっさい。澪、うっさいぞ。俺は情に厚いタイプなんだ」


 と、いうのは基本的に全て本当のこと。

 実際、うちの学校は赤点回避をすることだけを狙うのであれば、それほど難しくはないのだ。教員サイドからしても赤点を取られると対応が面倒なため、授業をきちんと聞いたり軽く勉強したりすれば何とかなるような問題がちゃんと用意してある。

 一学期にはちゃんと地力をつけてほしかったから勉強を教える形にしたけどな。


 俺は二人のために用意しておいたプリントの束を渡す。

 おお、と面白いくらいに目を輝かせてくれた。


「すげぇ……これさえ解ければ、なんとかなる感じ?」

「まぁ、おそらくは。但しその分、テストでのスキルは要るぞ」

「スキル?」

「分からない問題はさっさと捨てたり、そこに書いてある知識を活かして解いたり。そういうレベルのことはやらないと」

「なるほど」


 ちなみに。

 このプリント、本当は修学旅行の帰りにでも渡すつもりだった。振り替え休日の間にやってもらえればいいかなぁ、と思っていたのである。


「量は多いが……いけそうか?」

「うーん」


 箸を止め、二人はプリントに目を落とす。

 ぺら、ぺら、と何枚かめくった後、二人はこくこく頷いた。


「まぁやってみる! 折角俺の大親友が用意してくれたんだしな」

「あ、親友とは言ったけど大親友ではないから」

「冷たい!? これが倦怠期かっ?」

「違うっつーの」


 そういうのはもうちょっと段階を踏んでからにしていただきたい。

 照れ臭さを誤魔化すように口に運んだ玉子焼きは仄かに甘くて、自然と頬が緩んだ。親友の力になれてよかったな、なんて思っちゃうのは、やっぱり慣れてないからなんだろうな。

 心の中で呟いていると、そっか、と澪が小さく言った。


「それ作ってるってことは、友斗は結構余裕?」

「ん? そうだな。余裕と言えば余裕。学年1位を目指すならもうちょいガツガツやりたい気はするけど」

「ふぅん」


 じゃあ逆に、と話を変えているのか変えていないのか分からない感じで澪が聞いてくる。


「テスト終わったら忙しい?」

「テスト終わったら……そうだな。忙しくなる予定」


 冬星祭もあるし、別件でも予定を入れるつもりだったりする。後者については未定なんだけどな。

 それがどうしたんだ? と視線で尋ねると、澪は満足そうにウインナーを咀嚼してから、言った。


「なら日曜日、私とデートね」

「は?」

「デート。修学旅行の埋め合わせ」

「あー……そういうこと――って、いや分かるけども。テスト期間の最中に大丈夫か?」


 今回の日程では、日曜日はテストとテストにサンドウィッチされることになる。そういう日は詰めの勉強に当てるべきだと言えよう。

 あのねぇ、と話を聞いていた如月が嗜めるように口を開く。


「百瀬くん? 勉強より大切なことだってあるのよ」

「勉強疎かにして赤点ヤバい奴に言われたくねぇ……」

「でも私は問題ないし。どうせ友斗にも圧勝して1位だし」


 澪の口ぶりが傲慢ではなく妥当だと思えてしまうのは、最近の澪の覚醒具合を知っているからであろう。勉強といい運動といい、最近の澪は自重せずバシバシやっているからな。

 俺は苦笑しつつ、分かったよ、と肯った。


「じゃあ日曜日、出かけるか」

「デート、ね」

「……分かったっつーの」


 澪の上機嫌な横顔を見て、ドキリとしたのは内緒である。

 どうせバレてるだろうけど。

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