8章#11 霧崎時雨
映画は面白かった。
実写映画となるとどうしても気が引けてしまうのがオタクのさがだが、今回は想像を見事に上回ってくれた。そこまで名が売れてない割に縁起の上手い役者を起用していたおかげで妙な違和感を抱かずに済んだし、台詞も映像として作ったときに違和感のないテンポ感に調整されていた。
ストーリー自体は、それほど突飛なものではない。
舞台は都会の高校。主人公は、中学時代に夢を諦めた元作家志望の男子高校生。彼は日々を勉強に費やし、夢を見る同級生たちに羨望の眼差しを向けていた。
『太陽にも月にも照らされずに生きる。そういう人種だっている。そんな奴だっていないと、世界は成り立たないんだ』
と、告げる少年。
そんな彼の前に、カミサマを名乗る少女が現れる。
彼のクラスに転校生として現れたカミサマは、当然のようにクラスに溶け込む。
『僕はカミサマ。カミサマは自由でなくちゃいけないんだよ。そう……決めたんだ』
自由に在ろうとするカミサマは、彼を振り回す。
あるときは、学校をサボって海へ。
またあるときは、夜遊び。
何にも囚われないカミサマに惹かれ、同時に彼は、胸の内でくすぶっていた思いに目を向けることになる。
『本当は……本当は、諦めたくなんてないんだ。でも――俺なんかの物語で、誰かを救ってあげられるのか、分からないから。誰のことも救えず、傷つけてしまうだけの物語しか作れないなら、諦めようって思った』
『そっか。君は『救う』ことに囚われているんだね。そんなの勿体ないって僕は思うなぁ。大丈夫だよ。たとえ誰かを救えなくても、誰かを傷つけられなくても、僕は君のおかげで退屈せずに済んだ。退屈に殺されずに済んだよ。その程度でいいじゃないか』
カミサマの言葉で、夢を再び追うことを決める主人公。
しかし時を同じくして、カミサマの様子がおかしくなっていく。
学校をサボることは多くなり、夜遊びの頻度も異常になる。
そしてあるとき、主人公はカミサマが煙草を吸っている姿を目撃する。
『僕は、自由でなくちゃいけないんだ。そうすれば……あの子が叱ってくれるはずだから。そうすれば、カミサマが世界に色を付けてくれるから』
カミサマには妹がいた。既に死んでしまった双子の妹。
真面目だった妹の死を受け止め切れなかった少女は、カミサマを名乗り、そして叱ってくれる日を待って自由で在ろうとした。
その事実を知った主人公は少女に寄り添う。
『たとえ君が自由に囚われていても……その鎖は俺を導いてくれた。その事実は変わらないんだ』
ここからは、とてもチープな展開だ。
小説家志望が小説を書いて、ヒロインを救う。
そんなありきたりな展開なのに――めちゃくちゃ泣けた。
『これからは俺の、
そして、シーンは移り変わる。
10年後。
大人になった二人は一緒に暮らしていた――。
めでたし、めでたし。
ありふれた物語だったけれど、よかった。
心底そう思う。
それは、澪も入江先輩も同じだったらしく、映画館を出てから立ち寄ったカフェでの感想会は、思いのほか盛り上がった。
「ふぅ……語ったわね。あなたたちと映画を見てよかった。ここまで心置きなく語ることができたのは久々かも」
「それはどうも。食事の分は返せたなら、よかったです」
「そうねぇ。その小倉サンドの代金くらいなら払ってもいいって思えたわ」
澪と入江先輩も、根は似ているのだろう。
一度語り始めると、こちらが聞いていて心地いいほどポンポンと感想のキャッチボールをしていた。俺もちょいちょい口を挟んではいたが、概ね二人が話していたと思う。
「入江先輩が二度目を誰かと見に行くのって、こういうのが目的ですか?」
「あら。私の言ったこと、覚えてくれてたのね」
「……まあ。二、三時間前の発言を忘れるほどバカじゃないつもりなんで」
肩を竦め、アイスココアをちゅるちゅるとストローで飲む。
俺はそこまで、バカじゃない。だから……映画を見る前の入江先輩の言葉だって、覚えている。
メサイアコンプレックス。
言葉の意味は分からない。だが語感から察するに
『百瀬くんは誰かを助けたい症候群なんだね』
いつだったか、月瀬にそう言われたのを思い出す。
入江先輩が言っているのは『誰かを助けたい症候群』ってやつのことなんだろうか?
だとしたら入江先輩は――。
そうして思考の沼に絡めとられそうになっていると、入江先輩は、ええそうよ、と頷いた。
「私は私。私が抱く感想は決して変わらないけれど……それは、私以外にも言えることでしょう? それを知るのが好きなの」
「はあ、なるほど。なら時雨さんでも誘えばいいのでは? 真逆の性格って感じがしますし、面白そうじゃないですか」
「やーよ。時雨との感想会なんて、不毛なだけだわ」
そう言う入江先輩の声には、茶化すような色も、敵意も、ありはしなかった。
あったのは、憐憫によく似た何か。
どうにも気にかかって、いつか入江先輩と話したことを思い出す。
この人は時雨さんのことを、迷子みたいだ、と形容していた。
いや、時雨さんじゃないな。俺と時雨さんを括って、そう形容したのだ。
「あの、話が変わるんですけど、聞いてもいいですか?」
「うん? まぁ、そうね。感想はひとしきり聞いたし、一瀬くんの質問も気になるから。聞いてごらんなさい」
なんと上から目線な態度。
そう苦笑しつつ、俺は質問を口にする。
「選挙のとき。如月と入江先輩が大河の邪魔をした理由は分かるんですけど……時雨さんは、どうしてあんなことをしたか、知ってますか?」
からん、と入江先輩のグラスの氷が音を立てた。
入江先輩は眉をひそめ、グラスにそのまま唇をつけてから、言う。
「一瀬くんは、時雨に聞いてみた?」
「一応は。でもはぐらかされました」
「でしょうね。私も知らないわ。時雨曰く、『老兵にできるのは、次世代への引き継ぎくらいでしょ?』だそうだけれど」
嘘臭い、とは言わない。時雨さんならそういうことを思ってもよさそうだ。
けれど……チリチリと、違和感が脳裏を焼くのだ。
「入江先輩の意見を聞かせてもらえませんか?」
と、口にしたのは澪だった。
「私の意見?」
「はい。知る知らないではなく、三年間を共にした者として。霧崎先輩は何故、あんなことをしたと思いますか?」
「なるほど。そういうことね」
どうして澪が、と視線を遣るが、後で、と口の形だけで返された。
こくと頷き、今は入江先輩の言葉に集中する。
「私の意見ということなら……シンプルに、分からないわ」
「分からない?」
「えぇ。夏休み、私は大河のことを時雨に相談した。そのお願いを叶えて私に借りを作りたかった――という見方もできるけれど」
「けれど、腑に落ちない、と」
「その通りよ。納得いかないし、腑にも落ちない。私が三年間挑んで負け続けた霧崎時雨は、そういう理屈に縛られる女じゃないわ。自由なの。それこそ、今日の映画みたいに」
だからこそ忌々しいのよ、と入江先輩は頬杖をつきながら呟く。
「可愛がっている従弟と知恵比べをしてみたかった。私にはその方がよほど納得がいくわね」
「……戦闘民族ですか、それ」
「もしくは落ち武者。どちらにせよ、悪趣味なことに変わりないわ」
悪趣味なのは時雨さんか、それとも俺たちの喩え方か。
苦笑していると、グラスを空にした入江先輩が伝票を持って席を立つ。
「もう、私は帰るわ。面白い話もできたし、ここの代金は払っておく」
「ありがとうございます」
「どうも、ありがとうございます」
「また話しましょう。そのときは、大河も連れてきてくれると嬉しいわ」
自分で頼んでくださいよ、と肩を竦めると、そうね、と言って入江先輩はその場を去った。靡く金髪がクールで、かっけぇ……と思った。
だからこそ、
「時雨のこと、頼んだわよ」
入江先輩が残していった置き土産をどう扱っていいのか、俺たちには分からなかった。
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