7章#23 テニス
テニスとは、庭の球と書いて庭球とも呼ぶスポーツである。
かつては英国貴族が紳士的な服装をしていたことから紳士的なスポーツだと思われる場合もあるが、一方でテレビで試合を見るとちょいちょいラケットを投げていて、あまりいい印象がない。王子様になるには人間離れしないといけないってことだけは知ってる。
「友斗って、テニスやったことある?」
やや上機嫌な澪の問いに、俺はふと考えてみる。
テニスは……うーむ。ほとんどやったことがない気がする。一応授業ではやったし、そのときには流石にきちんとペアを組んだので壁打ちスカッシュの刑には処されなかったが、せいぜいあれも2か月くらいだった。
「授業と、あとはゲームくらいだな」
「ゲーム?」
「そう。DSのやつ」
「それをやったことに含めるなら、私は人殺したことも世界救ったこともあるんだけど」
もっともすぎる指摘だった。ゲームの世界をカウントしていいのなら、俺は何人もの美少女と結婚してるし、浮気してるし、人を殺しているし、逆に死んでもいる。
まぁ実際、ゲームで幾らテニスが上手くても関係ないしな。
「じゃあ授業だけだな。澪は?」
「私も」
「サッカーは練習してたのに、テニスは練習しなかったのか……?」
「学級委員として不測の事態に備えたからサッカーは練習してたってだけ。それに、テニスは練習できそうな場所なかったし」
「なるほど」
それもそうだ。テニスの練習はサッカー以上に一人ではやりにくいし、一人でやるなら壁やネットを要する。
俺は肩を竦め、テニスラケットを握り直す。
「それでも澪なら大丈夫だろ」
「まぁね。とりあえず、慣れるまではラリー繋ぐこと優先で」
「うい」
打ち合わせもそこそこに、試合が始まった。
相手は二年B組。如月や月瀬と同じクラスだが、どちらも出場していない。男子も女子も見覚えのある顔ではないな。でも、どっちも運動神経はよさそうだ。
すぱーん、とまずはあちらがサーブ。
落下地点を予測して動き、落ち着いてレシーブした。パワー強ぇ……。一応調べた感じ、混合ダブルスでは、男子のサーブは男子が、女子のサーブは女子が受けるのがルールだそうだ。今回の球技大会ではそこまで厳密ではないが、なるほど、確かに男子のサーブは俺が受けないとまずそうだ。
俺のレシーブは、当然のようにあちらの女子に拾われる。便宜上、ビー子ちゃんと呼んでおこう。ビー子ちゃんはすこーんと快い音と共に返球してくる。
「ふぅっ」
が、そこは澪。
きちんと間に合い、綺麗なフォームでボールを返す。
ぱーん、すこーん、すぱこーん、とーん。
すぱこーん、すこーん、こーん。
間抜けな音と快い音が混ざりあうラリーは、一回目から思っていた以上に長く続いた。
しかし流石にいつまでも続けることはできず、奇しくも俺のミスという形で終わりを告げてしまう。
「すまん、澪。油断した」
「ん、大丈夫。体力は持つ?」
「まぁ、これくらいなら」
「了解。慣れてきたし、私は攻めるけど。友斗はどうする?」
「適宜考えるわ。基本は守備で」
「ん」
事実、息切れはしていなかった。確かに走り続けなければいけない感じではあるが、相手もずば抜けて上手いわけじゃないんだろう。左右に揺さぶるなどの頭脳的なプレーまではしてきていない。
「ふっ……まあ安心してよ、友斗。さっさと終わらせるから」
「お、おう。ちょいちょいイケメンな台詞を吐くのはなんなんだ?」
「『好きな子の前でかっこつけたいって思うのは当然だろ?』」
「おい待てそれ誰の真似だもしかして俺じゃねぇだろうな!?」
俺はそんなこと言ってないけれども。
口調や声のトーンがまんま俺だったので、絶対俺の真似だと思う。
ともあれ、そんな風におちゃらけるだけの余裕を保ちながらゲームは進行した。
最初こそ正確な返球だけだった澪(この時点で凄い)も、慣れるにしたがって攻撃的なプレーをするようになり、いつの間にかジャンプサーブに挑戦し始めていた。流石に一発でジャンプサーブが成功するほど甘くはなかったものの、これも二発目からはまともになり、三発目で武器と呼べるほどになっていた。
そして、暫くが経ち。
「ゲーム終了。二年A組百瀬・綾辻ペアの勝利です」
俺たちは、呆気なく勝利を収めた。
俺もそこそこ得点したが、基本的には澪に合わせていただけである。澪がハイスペックすぎてやばい。
苦笑っていると、澪がひょいっと片手をあげてこちらを見てくる。
ん……?
「何その顔。バカにしてる?」
「バカにしてるっていうか、何やってるんだろうって思ってる」
言うと、澪は心底呆れた風な顔をした。オーバーな溜息と共に、不機嫌な調子で答えを告げる。
「はぁぁぁぁ……ハイタッチ以外に何があると?」
「あ、ああ。それもそうか……うん、そうだわ」
指摘されて、どうしようもなく納得させられた。
今勝ったんだし、ペアでハイタッチするのは当たり前だよな。澪のキャラじゃない気がして、ついでにやったこともあんまりないから思い浮かばなかっただけで。
なら、と俺も澪同様に片手をあげてハイタッチをしようとし――空振った。
「は?」
「ぷっ。友斗、バカじゃん。この流れで改めてハイタッチするとか胡散臭すぎでしょ」
「え、えぇ……いや確かにそうだけども。これは胡散臭さに堪えてもう一回する流れでは?」
「知ーらない。そんなにハイタッチしたかったら次の試合で友斗からしてくるんだね」
悪戯っぽく口角をつり上げて、澪が言う。
ピリリと痺れるようなその笑顔に、俺は頷かざるを得なくされた。くっそぅ、そういうのがズルいんだよマジで。
なんとか意趣返しできないかと考え、ふと思いついた口撃を放つことにした。
「まあそうだな。俺が澪をやろうとするとハイタッチじゃなくてロータッ――痛い!? 脛は蹴らないで⁉」
「弁慶の泣き所的な意味では友斗は今、同じことをしたから」
「そこまで身長はクリティカルポイントなのかよ!?」
「当然でしょ」
と言いつつ、恥じ入る様子をちっとも見せない澪。
多分っていうか絶対に俺を攻撃する理由として言ってるだけだと思う。
いつまでもテニスコートにいると邪魔になるので、俺は逃げるように観客席の方に戻った。
◇
「あ、ユウ先輩。お疲れ様です」
「おう、お疲れ」
「トラ子、私もいるんだけど?」
「澪先輩はお疲れの様子がなかったので言う必要はないかと思っただけです」
「ああ、社交辞令を知らないから友達いないんだ」
「社交辞令を使う相手を見極めているだけです。それに、友達はいます」
「なあお前らは球技大会で疲れる日でもケンカしないと気が済まないのか!?」
観客席に戻ると、そこには大河の姿があった。
はて、今の時間は如月と交代で仕事だったはずだが……と怪訝に思っていると、大河は少し慌てた感じで口を開いた。
「あ、そうそう。ユウ先輩にご相談したいことがあって、如月先輩に少し仕事を変わっていただいたんです」
「相談?」
「はい。バレーの方が思っていたより長引いているみたいで。バスケの決勝トーナメントの前に三面展開でバレーの学年別トーナメントを終わらせた方がいいのかな、と思いまして」
「ああ、そういうことか」
大河の提案に、なるほどな、と思う。
確かに俺が体育館から出てきたときですら、バスケとバレーでは進行にズレがあった。時間で区切られるバスケとは違い、バレーは点数で区切られる。そのためバレーは早く終わる可能性もあれば、逆に長引いてしまう可能性もあるのだった。
ちなみに、これはテニスにも同様のことが言える。
「うーん……先生はなんて?」
「自分たちはどちらでも構わない、と」
「なんと無責任な。まぁそれだけ任せてくれてるってことか」
自由や権利には義務と責任が伴う。義務と責任の最たるが物事を決定するという行為だと言えよう。
僅かな逡巡の後、俺は口を開いた。
「大河はどう思う?」
「私は……やはり、バレーとバスケはほぼ同時に決勝トーナメントを行える形の方が盛り上がると思います。今の感じだとバスケが一番で、バレーとサッカーが同時、その後にテニス、という順で終わることが考えられます」
「うん、それで?」
「全体の盛り上がりを考えるのならバスケとバレーを同時に終わらせて、そのまま全員が校庭に移動して観戦。その後サッカーの決勝が終わった頃にテニスの決勝が始まる、という形が一番盛り上がると思います」
「ほう……なるほど」
大河の提案は、実に理に適っていた。
無論、バスケとバレーも盛り上がる。だがスペース的にも、試合時間的にも、外で行う競技の方が広く長く取れているため、盛り上がりやすいのだ。
「なら大河の考えた通りに進めてくれ。困ったら俺か時雨さんを捕まえてこき使えばいい。如月とは隙を見て俺が代わるよ」
「ありがとうございます」
お礼を言われることではない。なんだか、立派になったなぁ、と感慨深くなったくらいだ。
頑張れよ、と告げると、もちろんです、と大河は胸を張って答えてくれた。実に頼もしいものだ。
「それでは私は行きます……と、その前に。ユウ先輩、少しいいですか?」
「ん、なんだ?」」
ちょいちょい、と手招きされる俺。
大河に近づくと、彼女はそっと囁いた。
「テニス、姉と霧崎会長も出てるので。私の分もリベンジお願いしますね」
「ふっ。任せとけ、澪の威を借りるからな」
肩を竦めると、大河は苦笑してからトタトタと体育館に向かった。
「ねえ
「……その怒りはあの先輩二人に向けてくれ」
「あと、お兄ちゃんにもね」
ぺっ、とあっかんべーをしてくる澪は、ちょっと犯罪級に可愛かった。
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