7章#16 恋バナ
SIDE:雫
四人で過ごす、楽しくて愛おしい10月31日が終わろうとしていた。
きっかけはただの思いつき。今朝憂鬱そうにしていた先輩を元気づけてあげたかった、というのも立派な理由だけど、一番大きいのは私が遊びたかった、という私欲だ。
お風呂上がり。
お姉ちゃんと大河ちゃんが
二人とも、なんだかんだ先輩を好きだからかな。仲良しさんで、息もぴったり。
――古き良きWヒロインって感じだなぁ。
そんな風によぎりかけた思考を吹き飛ばすみたいに、ぶぉぉぉんとドライヤーで髪を乾かす。
パジャマを着て脱衣場を出ると、先輩がこちらを向いていた。
だから、なんとなくからかってみたら、ちょびっと嬉しいことが聞けた。私のことも、
こんな私でも魅力的だって感じてもらえてるのなら、よかった。
と、思っていたら。
先輩は真面目な顔になって、
「なぁ雫」
って、私の名前を呼んだ。
びくんって肩が跳ねてしまう。だって怖いから。
俺は雫を好きになれない、とか。そういうことを言われちゃったら、それでこの恋が終わっちゃったら、もう私はダメになるから。
でも先輩が口にしたのは、
「あのさ。たまには前みたいに雫と出かけたいって思ったんだけど、空いてる日とかあるか?」
私の心が甘く跳ねてしまいそうな言葉だった。
安堵と嬉しさがじんわりと胸のうちに広がる。
「先輩ったら私のことが好きすぎません?」
「そのニヤケ面をやめろ。つーか、雫が中学生の頃は結構よく出かけてただろ?」
「ですねー。つまり、あの頃みたいにラブラブしたい、と」
「別にあの頃はそういう関係じゃなかったよな!?」
茶化さないと安堵が声に出ちゃいそうだったから、必死に小悪魔ぶる。
こういうのは得意だ。
プレイヤーの私は、小悪魔な後輩・綾辻雫の操作を心得ている。
「そーゆーことなら明後日はどうです? 実はちょっと付き合ってほしいところがあるんですよね」
「お、そうなのか?」
「バスケの練習、付き合ってほしいんです。球技大会で選手になっちゃいまして。クラスの皆がやる気満々なので、足手まといにならないようにしたくて」
「なるほど……バスケねぇ」
これは本当のこと。
お姉ちゃんや大河ちゃんみたいに万能じゃない私は、球技大会一つとっても、油断すればすぐ足手まといになる。
「どーしても女子のバスケが集まらなかったんです。こういうときのための学級委員ですからね。任されてきたんですよー! 偉いですよね? ね?」
「はいはい、偉い偉い。……ま、雫は別に運動神経悪いわけじゃないもんな」
「ですです。まぁお姉ちゃんと比べちゃうと全然ですし、中の上いくかなぁくらいですけどね」
「それで充分だろ。雫は頑張り屋さんだしな」
それじゃあ、と先輩が柔らかく微笑んだ。
「明後日、練習付き合ってやるよ。そのときに話もさせてくれ」
「はい! 楽しみですねっ」
先輩とのデート。
きっと楽しいはずだ。なのに、放っておくとすぐ心が陰る。
どうして先輩はいきなり出かけたいなんて言い出したんだろう?
もしかして、終わらせようとしてるの?
そう考えたとき、私はハッと気付かされる。
――コントローラーを握ってるのは私じゃなくて先輩なんだ
私がどれだけ祈ろうと、このラブコメディの
……私は
「雫? どうかしたか?」
「へっ? あ、な、なんでもないです! ただ先輩にどうやって甘えようかな~って思ってただけですっ」
「甘える前提なのかよ。……まぁいいけど」
くしゃっとはにかむ先輩。
広がっていく不安の霧を誤魔化して、私はふんありと笑った。
「あ、先輩。話は変わるんですけど」
「どうした?」
「大河ちゃんって、私の部屋で寝てもらっちゃっていいですよね? それとも先輩がリビングで寝て、大河ちゃんが先輩の部屋使います?」
「そんなややこしいことする必要ゼロだろ……つーか雫だろうが、ちゃんと寝ろって言ったの」
「てへっ」
◇
SIDE:雫
「はぁ~。疲れたねー!」
「うん、そうだね。ちょっとまだクラクラしてる」
「だからお姉ちゃんと張り合うのはやめて出てきなって言ったのに」
「だって……澪先輩には、負けたくない気がして」
パジャマを着替えた大河ちゃんは、ばつが悪そうにぷいっとそっぽを向く。
そんな姿が可愛らしくて、素敵な女の子だな、と心から思う。
だからこそ『澪先輩には、負けたくない』という何の変哲もないはずの一言が、とてもざらざらとして聞こえた。
無意識なんだと思う。深い意味を込めたわけでも、ないんだと思う。
結局は聞き手の心象だ。
つまるところ、言葉のざらざらとした感触の分だけ、私の性格が悪いことの証左なのだろう。
なにそれ変なのー、とくすくす笑った私は、ベッドの上を片付ける。
お客さん用の敷布団もあるにはあるけど、私と大河ちゃんだけならベッドで充分だ。この方が近くて、あったかい。
「ごめんね、大河ちゃん。ちょっと狭いかもだけど……」
「ううん、そんなことないよ。雫ちゃんと一緒に寝れて嬉しい」
「そっか、ありがと! ……あ、電気消すよ?」
「うん。もう遅い時間だもんね」
「ねー」
時刻は11時。
いつも寝ている時間に比べたらまだ少し早いけど、電気を点けっぱなしでお喋りに熱中するほどの時間でもない。
ぱちんと部屋の電気を消して、私たちはベッドに潜り込む。
やっぱり、二人だと少しだけ狭かった。
でもそれは『狭くて嫌だな』という狭さではなくて、『近くにいてくれるんだな』という狭さだった。ずっと……近くにいられたらよかったのに。
私が大河ちゃんの方を向くと、薄らと大河ちゃんの姿が暗闇から浮かび上がってくる。大河ちゃんもこっちを見ていて、ちょっと可笑しかった。
「なんか、4月を思い出すね」
「4月……勉強合宿?」
「そーそー。あのときもこーやって一緒に寝たよね」
「あのときは別々の布団だったよ?」
「そーだけど! でも、一緒だった」
私が言うと、うん、と大河ちゃんもしっとりした声で答えてくれた。
その声が少し憂いを帯びていたのは……あのとき話したことを思い出したからだろうか。
大河ちゃんを一人ぼっちにしてしまったのは私だ。私が先輩のことを好きだと言ったから、大河ちゃんは自分を部外者だと勘違いした。
……本当の
せめてやり直したいな、と思う。大河ちゃんと友達でいるためにも。
だから私はあの夜をなぞるように、
「やっぱりお泊まりと言ったら恋バナだよね!」
と言った。
大河ちゃんは言葉を詰まったような声を漏らし、それから覚悟を決めたみたいに口を開いた。
「ねぇ雫ちゃん。私の話、聞いてくれるかな」
「うん、もちろん。大河ちゃんの初恋、聞かせてよ。この前は私だけが話しちゃったもんね」
私がずっと、この
大河ちゃんの手をそっと握ると、温もりが握り返してくれた。
「あのね。私……ユウ先輩が、好き」
「うん」
「雫ちゃんが好きな人だって、分かってて。澪先輩も好きな人だってことも、分かってて」
「うん」
「それでも好きになっちゃった」
「うん」
申し訳なさそうなのに、誇らしげでもあるその声は、とっても眩しかった。
お日様みたいだった。お月様みたいだった。お星様みたいでもあった。
私とは、大違いだった。
だから私は、にこっと笑う。
「ふふっ、大河ちゃんったらおかしー」
「え?」
「今更だよ、それ。この前先輩を家に泊めた時点で、もう『大好きです』って言ってるようなものだもん」
「そ、それは……」
「それに、今日だってさ。三人とも先輩のことが好きって話をしてたんだし」
「確かに……そっか。もっと早く言うべきだったんだよね。ごめん」
しゅんと声が沈む。
咄嗟に私は、握る手により力を込めた。
「ううん、謝ることないよ。私嬉しいもん、大河ちゃんから言ってもらえて。ようやく恋バナできるぞーって感じ」
「でも私は……雫ちゃんが好きな人を、好きになっちゃったんだよ?」
「それはしょうがないかなーって。先輩がどうしようもなくかっこよくて、完璧超人で、誰もが好きになるような人だったら、怒ってたかもしれないよ?」
けど、と言って続ける。
「先輩はそうじゃないもん。欠点多くて、なんならちょっと最低なところもあって、情けないし、モテモテって感じでもないし」
「それは……確かに」
「でしょ? だから、そんな人を好きになるのは止められないし、止めたくもない。そもそも、彼女じゃないんだから怒る資格もないしね」
嘘は一言も口にしていない。
全て、本心なんだ。
大河ちゃんが先輩を好きでもいい。
お姉ちゃんが先輩を好きでもいい。
三人で先輩を好きなまま、答えだけが出なければ――と。
そう願っているから。
「……ありがとね、言ってくれて。それと、私と友達でいてくれて、ありがと」
「私も。聞いてくれて、ありがとう。友達でいてくれて、ありがとう」
「えへへ、なんか照れるね」
「うん、少し気恥ずかしいな」
二人でくすくす笑う。
それから寝るまで、二人で色んな話をした。
その中には、大河ちゃんと先輩の話とかもあって。
それをとても楽しそうに語る大河ちゃんの目はキラキラしていて、本当に可愛い子だな、ともう何度目か分からないことを思った。
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