6章#41 憂いはハサミでカットして。

 今回の顛末というか、結論は簡単なものだった。

 如月は公約はそのままで、会長への立候補を取り消して副会長に立候補。大河は会長職に立候補したまま、如月の公約もきちんと実施する旨をラスト四日間で粘り強く説明した。


 入江先輩は如月の推薦人を続けつつも、大河の後ろ盾にもなった。つーか、大河のことを激推しした。たまたまどこぞのリス先輩に会ったとき、『姉妹揃って尊い……!』と半泣きだったのは記憶に新しい。ちょっと引きました。おもしれぇ女すぎるだろ。


 時雨さんは……正直、どこまで読んでいて、どこまで考えていたのか分からない。

 一つ言えることは、副会長枠が空き続けていたことには確実に時雨さんが関わっていた、ということ。前生徒会の二年生たちがやめたのは自分たちの意思だろうし、その後他の二年生が立候補しなかったのもそういう空気が流れていたからではあるが、それにしたって例年の選挙に比べて立候補者が少なすぎる。


『時雨さんは……端からこうなるって思ってたの?』

『さぁ、どうだろう。けどずっと言ってたでしょ。副会長枠は空いてるよ、って』


 と言っていたから、きっとそうだ。

 それでもやっぱり、あの人のことは分からない。

 ただ大河が会長になるのが不服なわけではなかったようで、方針が決まってからは素直に協力してくれた。大河が会長になった暁には自分も卒業まで手伝うとも宣言したくらいだ。


 では、当の如月と大河はどうか。

 二人は火曜日からの四日間、ギリギリまで頑張っていた。

 直前で立候補する役職を切り替えた如月には、当然だが『なぜ?』という声がたくさん上がった。

 それに対して如月は真摯に、真っ当に、言い訳することなく対応していた。


 大河にも、色んな反応があった。

 立候補者が一人になったことを『よかったじゃん』と言って応援してくれる人もいれば、如月の方が適任だとする者もいた。当たり前だ。

 それらの声に、大河は大河らしく真っ直ぐ答えた。


 最終演説にて彼女が告げた、


『私は未熟です。今回の選挙で痛いほど思い知りました。経験も才能も可愛げもちっともなくて……本当にダメダメです。それでも、私は生徒会長をやりたいです。こんな私でごめんなさい。でもどうか――私を応援してください。頑張ります。それしか今は言えないけれど……たくさん、たくさん、頑張ります』


 という言葉は、あまりにも愚直で、ちょっと笑いが起こった。

 その後に『頑張れ』とか『悪くないじゃん』『応援してるよ』って言葉が出てきたのは、きっとうちの高校の空気だけが理由ではなく、この三週間大河がひたむきに向き合い続けてきたことも理由だと思う。


 そんなこんなで、瞬く間に最後の四日間は過ぎ去った。

 大変だったが実に平和で、起伏はなく、これまでの選挙を鑑みるとこんなんでいいのかと不安になるほどだった。作戦も策略も戦術もどこにもなかったからな。


 ま、生徒会役員選挙なんて結局はそんなものなのだ。

 誰かさんが変にかっこつけて拗らせたせいで、面倒な道に逸れてしまった。多分そういうことなのだと思う。


 そんな風に語るのも、今日を以て生徒会役員選挙が無事に終わったからである。

 10月25日。

 2か月分早いクリスマスの朝、靴下の中にあるプレゼントではなく、玄関に貼りだされた選挙結果一覧を眺めていた。


『会長:一年A組 入江大河 当選

 副会長:二年B組 如月白雪 当選

 書記:一年C組 花崎華 当選

 会計:二年B組 月瀬来香 当選

 総務:一年F組 土井瑠奈 当選』


 信任投票だから、落選することなんてありえないのは分かっていた。

 それでもその表を見た瞬間、ほぅ、と俺は胸を撫で下ろした。

 脱力感にも達成感にも似た感情がふわふわと体の奥から湧いてくる。


「よかったですね、先輩」

「……あぁ、よかった。雫も澪も、手伝ってくれてありがとな」


 一緒に登校してきた二人に言うと、雫はにへーって満足そうに笑った。


「いーえ、楽しかったので全然オッケーです! やっぱり生徒会役員選挙って学園を舞台にした青春モノの王道ですもんね」

「あー……まぁ、それはそうだけど。お前は本当にブレないな」

「もちろんですっ!」


 ぶい、と勝気なピースサイン。

 ひょこひょこと動く二本の指を見て、俺は破顔した。笑う門には福来る。そんな言葉を再度思い出していると、隣にいる澪は渋い顔をして呟く。


「ま、私は落ちればいいって思ってたけど」

「ほーん? その割に、朝の挨拶は真剣にやってくれてたよな。推薦人の最終演説もさ」

「っ……。乗りかかった船だし、約束したことだし」

「とか言いつつ、何だかんだ応援してるしRINEでも大河ちゃんと一番話してるよねー、お姉ちゃん」

「それはあの子が融通利かない頭でっかちだからだよ」


 ぷいっとそっぽを向く澪を見て、俺と雫はくすっと笑みを零す。

 なんだかんだ澪も頑張ってくれたし、〈水の家〉でそれなりにやり取りしているのだから、不倶戴天の敵とはいえ嫌悪の対象ではないのだろう。嫌よ嫌よが必ずしも好きのうちだとは言わんが、それに近いものがあるように思う。


 そんなわけで。

 ねじが数本抜けたような、頭の緩いハッピーエンドへとたどり着くことができた。

 そのことが嬉しくて、頬を緩めていると、あっ、と雫が声を上げた。


「雫、どうかしたか?」

「あ、えっと……むむむ……友達としては真っ先に褒めに行きたいところですが、今日のところは先輩に譲ってあげます。その方が喜ぶでしょうし」

「え? 一体何を――」

「さ、お姉ちゃんも行こ!」

「はぁ……しょうがないな。雫がそこまで言うなら」


 雫のよく分からん言葉の意味が澪には分かったようで、渋々といった感じで頷く。

 いや俺はちっとも分かってないんだけど。なに、やっぱり俺はぼっちなの? 折角〈水の家〉を作って四人で仲良くなろうって言ったのに、張本人の俺がぼっち? 泣くよ?

 そんな思いを込めて怪訝な視線を二人に向けるが、雫は笑って誤魔化すし、澪は肩を竦めるだけだった。答える気はないらしい。


「じゃ、先輩。行きますねーっ!」

「はぁ……了解。頑張れよ」

「教室で待ってるから。もしかしたら如月さんのとこ行くかもだけど」

「うい」


 そんなこんなで二人を見送り。

 ってことはまだここに残ってなきゃいけないのか? と首を傾げる俺。

 気を遣ってもらえるのは嬉しいけど、それならせめて情報が欲しいんだけど……。


 と、そのときだった。


「おはようございます、先輩。朝から雫ちゃんと澪先輩に挟まれているなんて贅沢ですね」


 耳に馴染んだ声で、少しも馴染んでいない呼び方をされた。

 えっ、と驚いて振り向くとそこには――


 ――髪を切った入江大河がいた。


「え、あ、は? 髪、切ったのか……?」

「切らなかったなら抜けたんですか? もしそうならユウ先輩が苦労をかけるせいですね、きっと」

「いや、まぁ、そうなんだけど。でも昨日までは長かっただろ?」


 俺が戸惑って言うと、大河は可笑しそうにくつくつ笑う。

 短くなったブロンドの叢のなかには、白い花が咲いている。リス先輩からもらった髪飾りだった。


「ユウ先輩の髪は、日々徐々に短くなっていくんですか?」

「んなわけないけどさ……でもまた、ばっさりいったじゃねぇか」

「そうですね、ばっさりいきました。こんなに短くしたの、初めてかもしれません」


 言いながら、大河は首元の毛先に触れる。

 今日の大河の髪は、本当に短い。ショートボブとでも言うのだろうか。スポーツ少年と比べても遜色ないほどだ。スポーツ少女はポニテの場合も多分にあるので喩えに使わんけど。


 ふと、頭の奥で何かがぱちぱちと弾けた気がした。

 突然髪を切ろうとした、頓珍漢な女の子のことが頭をよぎる。

 いつどこで会ったのかも覚えていないけれど、なんだかとても懐かしい。そういえばあの子も、大河と似た髪色だった。


「どうして」


 と呟いてから、苦笑した。


「いや、漫画じゃあるまいし、大した理由なんてあるわけないか」


 創作の世界なら、髪型の変化には何らかの意味がある。でもリアルに考えたら、いちいちそんなことに意味を見出さないよな。雫も俺と付き合ってるときはサイドポニーだったし、澪に至っては春先から髪伸ばしたままだし。


「そんな風に勝手に決めつけられるのは甚だ不服です。理由、ちゃんとありますから」

「えっ」

「当たり前じゃないですか。あれだけ長かった髪を一気に切ったんですよ?」

「そ、そういうものなのか……」


 えぇ……そこは、リアルと二次元の差を思い知るところじゃないの?

 はは、と枯れた笑みを漏らしていると、大河は話し始めた。


「ユウ先輩、この前言ったじゃないですか。きちんとやり遂げたら答えを出す、って」

「あ、ああ」


 あの恥ずかしくてこそばゆい夜の話。

 俺が頷くと、


「これが、その私なりのその答えです」


 と大河は答えた。

 髪を切るのが、答え。

 そう聞いたとき、もしかして、と思った。


 よく言う話だ。

 女の子は、失恋後に髪を切る。髪には色んな想いがこもっているから、それを断つことで未練とかその他の色んな想いを切るのだそうだ。

 今日日、乙女すぎるかもしれない。二次元的発想に侵されすぎているのかもしれない。


 でも大河なら……。

 結局諦めるという結論に辿り着いて、想いを断ち切ったのではないか。

 そう思ったら、少し胸の奥に苦みが広がった。


 大河がそう決めたのなら、それでもなお好きでいてくれなんて言えるわけがない。

 それでも、120点のはずだったハッピーエンドの結果がそこだと思うと、胸が苦しくて。


「ユウ先輩って、本当に顔に出やすいですよね」


 苦い唾を飲み込むと、大河ははにかみながら言ってきた。

 そこで、自分の頬が険しく強張っていたことに気付く。


「すまん。色々考えちゃってな」

「そうですか……まぁ、そういうところも、好きなんですけどね」

「そりゃどう……も? え?」

「え、ってなんですか。そんなに驚かれること言ってないと思うんですけど」

「いや、だってお前今、好きって――」

「言いましたけど、それが何か? 好きな人に好きって言って何が悪いんですか?」


 大河はきっぱりと、開き直って言った。

 堂々としたその立ち姿は、天に広がる蒼い大河そらのように見えて。


「私は、ユウ先輩が好きです。私が一番であるところを見つけてくれて、一人にしないでくれて、顔もよく見るとかっこよくて、着痩せするタイプで、思ってることが顔に出やすいくせに考えていることが複雑で、非常識で、モラルも割と欠如していて、ちょっとダメ人間なユウ先輩が、大好きです」


 とくん、と心臓が跳ねる。

 涼しくなってきたはずなのに、お腹のあたりがきゅぅって熱くなった。


「だから、雫ちゃんを傷つけるかもしれなくても、澪先輩と関われなくなっちゃう可能性があったとしても、私はこの恋と向き合います」


 ――眩しいな、と心から思った。

 魔法がかかったみたいに、大河は輝いている。


「この髪は、背水の陣です。もしも失恋したら……そのときは、もう坊主にするしかありませんから。女子高生の間に坊主になるのは嫌なので、絶対に退くつもりはありません。だから――」


 ここまでずっと、真面目な顔で言ってたくせに、急に恥ずかしそうに顔を赤らめて。

 大河は宣言してきた。


「不慣れなので、不恰好になってしまうかもしれませんが。

 生懸命、ユウ先輩に恋しますからっ」


 それだけ言うと、大河は行ってしまう。

 登校してきた生徒や朝練の生徒が行き交う玄関で、俺は完全に立ち尽くしていた。


 何も言えなかった。

 『おはよう』も、『会長就任おめでとう』も、『その髪似合ってるな』も、完全に言いそびれた。


「ははっ」


 後輩に慕われた先輩がそうであるように。

 女の子にドストレートな『好き』をぶつけられたら、誰だってときめいてしまうもので。

 それでも答えられない歯がゆさとか、自分のクズさとかに嫌気が差すけれど、あの子の笑顔は、そんな陳腐でチープなものをチョキンとはさみで切ってしまった。


 生徒会長、入江大河。

 出会った当初から思っていたけれど、俺はあの子に、ちっとも敵いそうにない。

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