6章#40 地の上のラプンツェル
月曜日、それは週の始まりの日だ。
10月も四週目を迎えた、20日。リサイクルの日だったり、頭髪の日だったりするわけだが、俺と大河にとってはもっと重要な意味を持つ日だった。
今週の金曜日、最終演説と投票が行われる。
長きにわたる……ほどではなかったけれど、俺たちの選挙戦は終わるのだ。
「なぁ大河。緊張してるか?」
「してるに、決まってるじゃないですか。こんなこと初めてするんです。初めては、誰だって緊張しますよ」
「お、おう……それ、素だよな?」
「え?」
「ああ、その反応で分かったからいい」
と、まぁ。
シリアスを装ったところで、どうしてもコメディに寄ってしまうのが百瀬友斗だったりするのだけど。
そんな俺の隣には、クソ真面目でお馴染み入江大河が立っている。
場所は、屋上。
時間は、
今日も今日とて朝立ちをきちんとして、普通に授業を受けて、真っ当に選挙戦に挑み続けている俺たちは――とある人物を待っていた。
より正しく言えば、とある人物たち、である。
お守りのように胸ポケットに入れておいた懐中時計を取り出して、時間を確認する。
提示した時間まで、あと一分。
いや――もう、時間だな。
きぃぃぃぃぃ。
屋上と廊下とを隔てる扉が開き、待ち人たちがやってくる。
「やぁキミ。それと、大河ちゃんも。金曜日ぶりだね」
まずは、白銀の髪を持つその人。
見事に俺を嵌めた張本人――霧崎時雨。
「大河、元気そうでよかったわ。一瀬くんも……いるのね」
「その嫌そうな顔は酷くないですかねぇ、入江先輩」
「大切な妹を守り切れなかったあなたには妥当だと思うけれど?」
「はっ、さいですか」
だとよ、と大河を見遣ると、苦笑が返された。
「姉さん。今日話すのは、百瀬先輩じゃなくて私だよ」
はっきりと力強いその声に、入江先輩はハッと驚いた様子を見せた。
優しそうで嬉しそうな目で、へぇ、と入江先輩は漏らした。
「なら、今日のところは許しておいてあげるわ」
「そりゃまた、どうも」
俺は肩を竦め、ぺっ、と舌を出す。
その瞬間にぎりりと睨まれた気がして、ぞわって寒気がした。調子に乗ってごめんなさい。
と、思っていると、入江先輩の後ろから、もう一人の少女が出てくる。
まぁ……こんな風にぼやかす必要はないよな。
そこにいるのは、如月白雪。
俺の友達で、友達の彼女で、大河の先輩だ。
「百瀬くん、大河ちゃん。どうしてまだ諦めてくれないの?」
レンズの向こうの瞳が抱える気持ちを全て分かってあげられる奴がいるとすれば、それは俺じゃじゃなくて八雲なのだろう。
俺も大河も、如月のことをよく知っているわけじゃない。所詮は1年に満たない付き合いで、友達とか先輩後輩でしかないのだから。
俺たちは、その分、言葉を交わさなくちゃいけなかった。
話さなきゃいけなかったんだ。
今一度、大河を見つめた。
何かをしてあげたい。でも今日は、そういう日じゃないから。
俺は一歩下がり、大河が一歩前に出た。
「今日は――駄々をこねるために、お呼びしました」
「「は?」」「ふふ」
大河の思わぬ一言に、入江先輩と如月が驚いたような声を漏らし、時雨さんだけが嬉しそうに笑う。
ちくしょう、これでも時雨さんの掌の上かよ。
でもいい。
今回のターゲットは、時雨さんじゃない。
最初のターゲットは――入江先輩だ。
大河は自身の姉と真っ直ぐに向き合い、
「姉さん」
と呼んだ。
「な、何かしら……?」
「私は姉さんに、一度も勝てたことがないよね。勉強も運動も人気も、身長もスタイルも全部……一回も、勝てたことない」
「……? え、すごい急ね?」
「ずっと思ってたことだよ。ずっと思ってたけど、ずっと言えなかった」
キィ、と大河は鋭い眼差しを入江先輩に向ける。
入江先輩は戸惑いながらも、大河の言葉を聞き、慈母のように微笑んでいた。
「……そうね。うん、知ってるわよ。でもね、大河。あなたは――」
「――私にも勝ててるところがある、なんて。そんな詭弁を話す気はないよ、姉さん。勝ててるところを探せば見つかるに決まってる。私の方が2歳も若いし、真面目だし、性格悪くないし」
「ッ!? えっと、大河ってもしかして私のこと嫌いなの?」
「好きなわけないでしょ! 姉さんはいつもいつも私より凄くて、私を一人ぼっちにして、ずっと高いところにいて」
「それは、確かに、そうだけれど……」
でもね、と大河は言う。
猫の尻尾みたいな金色の髪が、ひらりと揺れていた。
「尊敬もしてた。姉さんみたいになりたいって思ってた。いつかは姉さんに勝てればいいなってずっと思ってたの」
「っ。大河……!」
「だから、生徒会長に立候補した。たくさん理由はあるけど、私の中で一番大きい理由はこれ。霧崎会長に無様に負けた姉さんの代わりに一年生から生徒会長になって、勝ち誇りたかった! 姉さんの凄い部分に勝って、ほんとの本当に勝ちたかった!」
「私嫌われすぎじゃない!?」
入江先輩が軽く絶叫するが、知ったことか。ご自身の行動を少し鑑みていただきたい。
入江先輩はおそらく、大河を試したのだろう。もしかしたら、俺のことも。
劣等感を抱え続ける妹の前に立ちはだかることで、何かを伝えようとしていたのだと思う。『獅子は我が子をも千尋の谷に落とす』とはよく言ったものだが、このライオンみたいな気配のこの人はまさにそれを地でいったのだ。
が、どう考えてもやりすぎです。
立候補挨拶の際のアレだけでもめちゃくちゃヤバかったし、時雨さんのオーバーキルを止めなかったし。
だから嫌われてもしょうがないと思う。別にさっき睨んできたのを恨んでるとかじゃないよ。
それに、大河は入江先輩のことを嫌ってなんかいない。
むしろ大好きなんだ。
「私は……姉さんに勝って、対等な姉妹として向き合いたかった。憧れや尊敬の対象じゃなくて、ちょっと凄いってだけの姉さんと話したかった」
でも、と。
大河はより力強く言って、続けた。
「今の私には姉さんに敵いません。人気も魅力も度胸も経験も、何もかも敵いません」
そうだ。
入江大河は、入江恵海に敵わない。
敵わない分野では、敵わないのだ。
それでも、どうしても勝ちたいのならどうすればいいのか。
卑怯な手段を禁じ、あくまで正攻法を貫くのならば。
――妹らしく姉に駄々をこねればいい。
大河は深く頭を下げた。
「けど、それでも勝ちたいんです。勝てなくても勝ちたいんです。もうこれ以上姉さんに負けたくないんです。だから――」
大きく、すぅと息を吸って。
「――勝たせてください」
「えっ……?」
勝ちを、ねだった。
「如月先輩の推薦人をやめてください。今からでも私を応援してください。明日からの朝の挨拶、私と一緒にやってください」
「た、大河? 一体何を……」
「言ってる通りだよ、姉さん。私を、勝たせて。戦略も戦術も策略も全部ぜんぶどうでもいい。姉さんは凄いんだから、一回くらい勝たせてよッ! 妹のわがまま、少しくらい聞いてよっっ!」
かはっ、と喉の奥から息が零れた。
ああ、流石だ。流石としか言いようがない。
このやり方は、俺が考えたものだ。勝てないのなら、勝たせてもらうように頼めばいい。妙案でも名案でもないって言われてしまった、策ですらない一手。
けれどそれを、ここまでド直球でやりきるなんて、思いもしなかった。
それは、どんなときでも非があれば謝るクソ真面目な大河の在り方と本質的には同じで。
かっけぇな、と心底思った。
――かっこ悪くて、本当にかっこいい。
入江先輩は、困ったようにこちらを一瞥した。
俺が首を横に振ると、顔をしかめ、それから大河と再度向き直った。
そして、はぁ、と溜息をつく。
「そこまで言われて……それで断るなんてこと、できるわけないじゃない。私は大河の、姉なのよ? 何を思われようと、一緒に暮らしていなかろうと、姉なんだから」
観念したようなその表情は、どこか晴れやかだった。
求めていた答えではないにしろ、これはこれで嫌いではない答えた。
そう、言いたげに見える。
「時雨と、それから如月さん。ごめんなさいね。最愛の妹に頼まれてしまったから、もう抜けるわ」
「いいの? そこの彼と大河ちゃん、どちらのことも試せていない気がするけど」
時雨さんの問いに、入江先輩はニカっと笑った。
「いいわよ。どちらにせよ
「そっか。なら、約束は果たした、ってことで」
「えぇ、そうね」
じゃあ私は先に戻るわ。
そう言って、入江先輩は華麗に屋上から立ち去った。去り際に肉食動物が獲物を狙うような目を向けられた気がするけれど、後ろ姿のかっこよさに免じて、忘れておこうと思う。
それよりも、次のターゲットがいるんだから。
「っ……どう、してっ」
如月は苦しそうに顔を歪めていた。
それでも凛々しく立つその姿を見て、書記ちゃん、なんて呼んでいた頃のことを悔いる。
如月には物語があって、苦悩があるのに、俺は関わってこなかった。
でも――今は関われている。
そのことが、とても嬉しく思えた。
「どうして、分かってくれないの……っ。百瀬くん! あなたなら分かるでしょ! それなのに、どうしてこんな風に」
如月は大河ではなく、こちらを真っ直ぐに見つめた。
大河が俺を見遣るが、俺はかぶりを振った。
大河も話さなくちゃいけない。今日の主役は大河だ。
それでも、俺だって少しは時間を貰っていいよな?
「なぁ如月。ずっと、考えてたんだよ。先輩と後輩のこと」
文化祭の打ち上げのときに思ったこと。
たった一年か二年の差でも、俺と如月は大河の先輩だ。
だから俺たちは、先輩をしてやりたいって思う。守ってやりたいって。
「如月が言ってることは、全部正しい。一年生で会長になるなんて、きついに決まってる。そこに立ってるチート級会長の後なんだから尚更だ。事実、討論会で痛い目に遭ったわけだしな」
「なら……なら、守ってあげるのが先輩の役目でしょ?」
「ああ、それも合ってる。だって俺たちは先輩だもんな。能力が劣ってても、敵わなくても、その他どんな理由があろうとも、俺たちは大河の先輩だ。先輩である以上、後輩を守らなくちゃいけない」
澪が雫の姉であるように。
入江先輩が大河の姉であるように。
俺が美緒の兄であるように。
「でも俺は嫌なんだよ、そんな損な役回り。俺は大河に嫌われたくない。先輩である以上、後輩には好かれてたいんだよ」
「は、はあ?」
「好かれてたいことの何が悪いっ? 後輩に慕われたくない先輩なんて世の中にいるわけねぇだろ! 後輩の望みならちょっと危うくても叶えてやりたいって思うのが先輩だろ!」
俺が叫ぶと、如月は目を見開いた。
違うと主張するように睨みつけたまま、彼女が言う。
「そんなの、自己満足じゃない! それで大河ちゃんが傷ついたらどうするのッ? あなたを慕ってくれた後輩が目の前で傷ついてるのを見て、それでいいわけ?」
「いいわけないだろうがッ! こっちは金曜日にボコられた挙句大河を傷つけたっつう罪悪感でメンタルぼろぼろになってた人間だぞ? 大河を勝たせるために必死になって睡眠不足で怒られた先輩病の罹患者だぞ?」
「だったら――ッ!」
はぁ、はぁ、と如月は肩で息をする。
俺もそれに倣って息をしたら、なんだか可笑しくなった。
「なに笑ってるのよ……」
「笑うだろ。如月がシリアスモードとか、まじないわぁ。俺の周囲きってのギャグ要員のくせに、マジになりすぎだって」
「っ……私は本気で――」
「――心配してるのは分かってる。だからこそ、支えてあげてほしいんだ。もし傷ついてしまうときがあっても、その傷ごといい思い出にしてあげてくれ」
「……っ」
そこまで言ったら、もう満足した。
これ以上俺が言えることはない。我ながらまとまりはなかったけれど、俺が時間を取りすぎてはいけない。
まだ何か言いたそうな如月と、やりきった感を出す俺の間に大河は入った。
「如月先輩」
と呼ばれて、如月の肩がびくんと震える。
「心配してくださったこと、とても嬉しいです。力の差も見せつけられました。きっとこのまま私が生徒会長になったら、上手くいかないこともたくさんあるんだと思います」
「…………」
「私が立派にできるって証拠を見せられたらいいんですが、すみません、ありません。だから無理を承知でお願いします。交渉でも何でもない、ただのお願いです」
「………っ」
「私を支えてください。上手くやれない分、助けてください。ダメなところは叱ってください。たくさん色んなことを教えてください。その上で、私に会長をやらせてください」
大河は、真っ直ぐに言い続けた。
如月の表情は、この位置からでは窺えない。かといって動く気にもなれなくて、俺はその場に立ち尽くした。
大丈夫だ、大河なら。
「会長をやりたい理由は、ごめんなさい。立派なものは一つもありません。なりたいから、なりたい。それだけです」
「…っ」
「それでも勝たせてください。副会長になってください。先輩たちがいなくなってしまうとき……霧崎会長よりも凄い会長として、胸を張って感謝させてください」
あ、ダメだな、これ。
俺にも響くやつだわ。うっかり泣いてしまわぬように天を仰ぐと、120点の
「先輩方が支えてくれたおかげで、誰にも負けない立派な会長になれました、って。卒業式の日に勝ち誇らせてください」
先輩は大変だ。姉は大変だ。兄も大変だ。
尊敬の対象になろうと意地を張るし、成長させてやりたいとも思うし、守らなきゃとも考えるし、そんなかっこ悪いところを全部隠してかっこよくいなきゃいけない。
それでも先輩は、得する役目だ。
――先輩のおかげ
ただその一言で、どんな苦労も吹き飛ぶんだから。
「…………分かった。そこまで言うなら、任せるから。支えるから」
「はい」
「その代わり、傷ついたら必ず言って。困ったら絶対頼って。私は、あなたよりもダメなところは多いけれど。誰かさん曰くギャグ要員だけれど、そんな私でも、先輩なんだもの」
「もちろんです! 誰かさんよりもずっと、頼りになる先輩です!」
大河が微笑んだのが、後ろからでも分かった。
彼女はそのまま如月へ一歩進み、ばっ、と抱き締める。
レンズ越しの瞳から零れる涙を見て、俺はふっと頬を緩めた。
先輩って生き物は、後輩に慕ってもらえるだけで。
ただそれだけで、全部が報われた気になる。
ただこれだけでよかったんだよな、と。
俺は心から反省した。
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