5章#33 熱るホテル

 こういったホテルには、当然だか来たことはない。だからめちゃくちゃ緊張していたのだが、幸いなことに部屋は機械で選び、精算だけ目隠しのある場所で済ませる形式になっていた。まぁ、『あ、こいつらこれらからするんだな』みたいな目で見られることを嫌う客だって多いだろうし、当然っちゃ当然か。


 今着ている服と秋葉原で買った本とで地味に財布が寂しい状況になっていたが、澪は結構な額を持ってきていたらしく、一番良さげな部屋に泊まることになった。


「ホテルの料金を女に持ってもらう男って最低感やばいよね」

「お前が行きたいって言ったんだからな? あと、3分の1は出してるだろ」

「ま、ね」


 と、しれっと澪に馬鹿にされつつ、部屋に行く前に無料貸し出しのシャンプーやボディーソープを選んでもらう。

 そうして部屋に行くと、なるほど確かに高い部屋だ、と不思議と納得した。

 けばけばしすぎて萎える感じでも、誘いすぎて引いてしまう感じでもなく、とても大人っぽくて一夜を過ごすのにぴったりな雰囲気の部屋だった。


「……へぇ。こんな感じなんだ」

「だなぁ。もっとあからさまかと思ってた」

「ま、バスルームは透けてるけど」

「…………まぁな」


 肩を竦めて苦笑する。バスルームはもちろん、ベッドも家にあるようなのとは全く違っている。こういうところはラブホテルらしいと言えよう。

 が、どれもこれも、厭らしいというより色っぽいって感じがあって、嫌いじゃない。メロウなジャズをBGMに近代小説あたりを読んだら気分が上がること間違いない。


「テレビとかカラオケもあるじゃん。へぇ、ほんといい感じ。やっぱり今度一人で来ようかな」

「絶対やめろ」

「なに、私のこと心配してるの?」

「心配っていうか正常な判断なんだよなぁ」


 俺の話なんて聞こうともせず、澪は楽しそうにベッドにダイブした。

 ぐぐーっと自由そのものみたいに伸びをする姿は可愛らしくて、なんだかちょっぴり見てはいけないものを見た気分になる。

 裸だって見てるのに今更何を……。そう考えたらなんだか可笑しくて、けたけたとこの場には不似合いな笑いが込み上げてきた。


「とりあえず、飯食ってから風呂でいいよな?」

「ん。ちょうだい」

「はいはい、ほらよ」


 ここに来る前にコンビニに立ち寄って買ったおにぎりセットを渡すと、澪は大事そうにほっと頬を緩めた。

 そういう顔をここでするかねぇ、まったく。

 明らかにテンションがバグってチグハグな澪を直視するのが妙に気恥ずかしくて、俺は浴室に向かう。夕食の間に湯船を張っておくことにし、俺は俺でカツ丼を食べ始めた。


「ん……ね、百瀬」

「どうした?」

「カツ一切れ頂戴。たくあん一枚あげるから」

「たくあんを一枚単位で数えて取引の材料にするな。割に合わなすぎるだろ」

「……なら文化祭で一人勝ちする私への前祝いってことで」


 無茶苦茶な言い分だ。

 何たる強欲、何たる傲慢。本能の赴くまますぎる。


「なぁ綾辻、今のお前を鏡で見てみようぜ。悲しくなるぞ」

「別にならないけど? 世界で一番美しいのは私だって泣きながら言ってるのが聞こえない?」

「あっ、そう……分かった。じゃあカツ一切れやるから、その唐揚げくれよ。俺もサポートしたんだし、前祝いされて然るべきだろ?」

「え、嫌なんだけど。


 と、言いつつカツの代わりに玉子焼きを貰う。卵とじのカツ丼だから、玉子は既に食ってるんだよなぁ……。

 もぎゅもぎゅと夕食を食べ進めていると、金曜日の映画が終わり時間だと気付いてしまい、くすっと笑う。そこはかとなく悪いことをしてる気分だ。


 食べ終えると、澪はぐーっと伸びをしながらベッドを立ち上がる。

 そのままの勢いで振り向くと、


「百瀬、一緒にお風呂入る?」


 と聞いてきた。


「入るわけないだろ、アホか」

「前は一緒に入ってたじゃん。反応しても見ないでおくよ、特別に」

「それはそれで嫌すぎる。いいから大人しく入って来い。風邪引いて声でないとかなったらマジで最悪だぞ」

「……ん、まぁそっか。襲わせてから入江さんにでも言いつけようと思ってたのに。残念」

「俺を貶めることに積極的になるのマジでやめて?!」

「貶めるなんてとんでもない。突き落とそうとしてるんだから」

「えげつねぇ……今日一日お前に振り回されたってのに、その仕打ちは泣くわぁ」


 まぁ、流石に冗談だとは分かっている。先日まで向けられていたような敵意や嫌悪を感じないし、少なくとも友達くらいには思ってもらえているはずだ。

 澪はくすくすと笑みを浮かべながら備え付けのタオルやらコンビニで買った下着やらをまとめ、浴室に向かった。


「はぁ……」


 澪が言っていたように浴室はガラス張りで、こちらから幾らでも覗けるようになっている。

 今更感はあるが、万が一にでもそちらに目を向けてしまえば澪に口撃の材料を与えかねない。それはそれで癪なので、ベッドに寝転がってスマホを弄ることにした。


「動画はやめてほしいんだけど」

「撮られねぇよ! つーか分かってて言ってるだろそれ!」


 もうやだボクちん帰りたい。

 そんな思いを込めて、まずは雫とのトーク画面を開く。


【ゆーと:とりあえず綾辻のことは見つけた】

【ゆーと:今日中には帰れそうにないけど、家で支度して明日行く】

【しずく:りょーかいです!私からもお姉ちゃんに連絡しますね】

【しずく:お疲れ様でした。お姉ちゃんを見つけてくれてありがとうございます】

【しずく:明日、一緒に回りましょーね!】

【ゆーと:おう、もちろん】


 嘘はいけないと思うけど、流石にラブホテルに来てるとは言えないのでしょうがない。

 それはそれとして、一緒に回るのは楽しみだな。ここ最近は提供する側の視点にばかり立っていたが、うちの文化祭は客としても十二分に楽しめるのだ。うちのクラスは宣伝タイム以外はフリーだしな。


 どこなら雫が楽しんでくれるだろうかと考えつつ、大河とのトーク画面に移った。


【ゆーと:報告遅れてすまん】

【ゆーと:万事解決した】

【ゆーと:今日は二人で家に帰ってる】


 雫とは違い、少し間を置いてから既読がつく。きっとまだ仕事をしていたのだろう。


【大河:了解しました】

【大河:お疲れ様です。こちらも大方問題なく終わりましたのでご心配なく】

【ゆーと:悪いな。明日か明後日、ちゃんと埋め合わせはするから】

【大河:……なら明後日でお願いします。明日は明後日の午後が忙しい分、ずっとクラスにいるので】

【ゆーと:了解。じゃあ明日は一年A組に行くからよろしく】

【大河:来なくて結構です】

【大河:断固拒否します】

【大河:絶対に】

【ゆーと:うん、絶対に行くよ】


 きっとメイド服を着るんだろうな、と思ったら可笑しくて笑える。見られたくないとは思うくせに真面目に役割は果たすあたり、愛らしい。

 どっちにしても雫から来るようには言われてるし、明日の午前中にでも行けばいいだろう。


 明日に思いを馳せながらスマホをスリープモードにしようとして、もう一人、返信をすべき相手がいたことを思い出す。

 澪が駅にいたことを月瀬が教えてくれなければ、狐だなんてヒントだけで上野動物園にたどり着くことはできなかった。


【ゆーと:返信遅れてすまん。さっきは本当に助かった】

【ゆーと:ありがとうな。今度埋め合わせするわ】


 既読がついて2分ほど経ち、ようやくメッセージが返ってくる。


【らいか:ううん。お礼を言われるようなことじゃないよ】

【らいか:何となく、綾辻さんのことは放っておけない気がしたから】

【ゆーと:そうなのか】

【らいか:ごめん、なんか変なこと言っちゃったね。埋め合わせのつもりなら、あたしたちのクラスに来てほしいな。大正ロマン喫茶。準備に出れなかった分、私は長めに接客することになってるから!】


 手で○をつくるリスのスタンプ。いつ来てもOK、みたいな意味だろう。

 くすっと笑い、了解の意を適当なスタンプで返した。


「楽しみだなぁ」

「こんな美少女とホテルにいるのに別の女子とRINEで話しながら文化祭に思いを馳せるって、百瀬も相当に欠陥を抱えてるよね」

「うぉっ、出てきてたのかよ」

「そういう驚いたふり、白々しいからやめたら? ドライヤーの音が止まった時点で気付いてたくせに」

「……チッ」


 バスローブを身に纏う澪は、そこはかとなく色っぽい。ゆんわりと普段の服よりも遥かに緩い胸元からは、仄かにピンク色の肌が覗く。

 髪が長いと、乾かすのも一苦労なのだろう。僅かに湿ったままの髪は、だからこそ艶やかで、首筋から胸へと張りつくのを目で追ってしまいそうになる。一束の髪の終着点たる鎖骨に目がいったとき、いよいよまずいことをしているという実感が生まれて、げふん、と咳払いをした。


「やっぱり私とシたくなった?」


 妖しくわらうアネモネ。俺は誤魔化すようにそっぽを向いて答えた。


「なわけねーだろ。俺は好きな人としかシねぇんだよ」

「さっきあれだけ愛の言葉を囁いてきたくせに。全部リピートしてあげよっか?」

「やめろ! つーか、あれがそういう意味じゃないことは分かってるよなぁ!?」

「さあね。ま、そもそも百瀬がシたいって言っても、私はシてあげるつもりないけど」

「なあもうこれ、俺が損するだけの会話じゃね?」

「当たり前じゃん。それより、さっさと入ってきなよ。風邪引いたら楽しみにしてる文化祭に参加できなくなるんじゃない?」


 退屈そうに髪の水分をタオルで拭きながら言う。

 馴染みのないシャンプーの匂いが鼻孔をくすぐってクラクラしそうになるのを隠し、準備していた下着を持って浴室に向かった。

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