5章#32 サボり
流石に動物園のスタッフさんに心配されてしまった俺たちは、大丈夫です、と例の如く外行きの仮面で上手いこと誤魔化して、動物園を出た。
ぐしょぐしょに濡れすぎた服のままではどこに行くにしろ迷惑だから、近場のユニ〇ロで安上がりな服をそれぞれ選んで買い、脱いだ服を袋に詰め込んでフラフラと街を歩いていく。
「百瀬のせいで、折角やったメイクどろどろ。これじゃ
何言ってるんだよ、と叱りつけるべきだったのだろう。
だって今日は文化祭前日で、ギリギリの詰めをしなくちゃいけないし、クラスみんなで決起集会と称して盛り上がるはずだった。男女で別れて雑魚寝しながら、行事の前特有のふわふわした気分でいつも言えないことを……なんてことも、あったはずで。
けれども何だかもう、澪の意見に賛成してしまえる自分がいた。
走りまくって、濡れまくって、ついでに叫んで。
一通り青春らしいことを、ベタで王道にこなして、へとへとで。
明日からが文化祭だなんて信じられないくらいの達成感すらあって。
だから、
『はぁ……今日はサボるか。アキバまで歩こうぜ』
と、無責任に答えたのだった。
「ねぇ百瀬。百瀬ってば」
「あー、ったく。ちょっと待て。今お前の代わりに伊藤と八雲に謝罪入れてんだから。それともお前が謝るか? サボってすみません動物園に行ってましたって言うか?」
「別に言ってもいいけど。けど、私が帰らないのは百瀬のせいだし」
「俺が悪いところ一ピコメートルもねぇんだよなぁ」
「狐見せてくれなかったので四十メートル、泣かせてメイクぐちゃぐちゃにしたので四メートル」
「狐のウェイトが高すぎるんだよなぁ。あと、しれっと合計四十四で不吉にすんなよ。お前はフラグ建築士か」
「それは百瀬でしょ。昨日だって伊藤さんに告られてたくせに」
「………………え、知ってたの?」
「私、昨日はお手洗い寄ってから帰ったから。告られてたところしか聞いてなかったけど、酷すぎて笑ったね。人の傷心を利用して女を惚れさせるとは」
「言い方があんまりすぎませんかねぇ!?」
とまぁ、相変わらず口は悪いし俺を抉りまくってくることに変わりはないのだけれども。
澪はすっかり苦しそうではないし、さっき鏡を使って化粧直しもしていたから、きっと大丈夫だと思う。
もう澪は、鏡と向き合うのを厭いはしない。きっと大丈夫だ。
「えーっと、そんなわけだから。俺と綾辻は明日朝一で学校に行く」
『そんなわけって……えっ? いやいやよく分かんないんだけど?! リハに間に合わないのはしょーがないけど、せめて今日中に来てよ!』
「いやぁ、まぁそうなんだけどさ。リハにはもう間に合わなかったし、後はもういいかなって。泊まりなら修学旅行のときに今日の分も満喫するし、最後の詰めの準備はそっちでやってくれ。俺も綾辻も、準備面じゃ戦力外だろ」
『そーだけどそうじゃなくて! 澪ちゃんは? 昨日の今日でこうなったのに、本当に大丈夫なのっ?』
「あー、その心配はないから大丈夫。意地でも見栄でも信用でも期待でもなくて、これはただの事実な」
『信用できないんですけど?! 別に責めてるわけじゃないけど、私たちだって心配なんだよ! 仲間なんだから――』
「百瀬、やっぱり私に代わってくんない?」
めちゃくちゃごもっともな伊藤の言葉をよそに、綾辻が言ってくる。
雑踏の中だからとボリュームを大きめにしてたせいか、綾辻にも声が聞こえていたらしい。
ん……まぁ、綾辻から説明した方が早いか。
「なぁ伊藤。今から綾辻に代わるから、ちょっと話聞いてくれるか?」
『へ? う、うん……分かった』
伊藤が戸惑いつつも了承してくれたので、澪にスマホを渡す。
ん、と一言に満たない声を漏らしてから澪は話し始めた。
「もしもし、伊藤さん?」
『もしもし綾辻さん? 綾辻さんだよね? ねぇだいじょ――』
「今日は急に休んでごめん。皆には明日、ちゃんと謝るから……今日は休ませてほしい」
『えっ、う、うん……でもウチたちみんな心配で』
「うん、心配してくれたありがとう。とても嬉しい。だからこそ、今は信じてくれないかな。責任を放り投げて今日ここにいるくせに何を言ってるんだって思われるかもしれないけど、信じて」
ううん、と澪は首を振って。
「信じてくれなくてもいいよ。もう後は、全部事実があるだけだから。私は今日は帰らないし、明日帰るし、帰ったらみんなに謝るし、謝った後にミュージカルやるし、明後日にはミスコンに出るし、最優秀団体賞とミスコン1位両方をとる。だって私だもん。それ以外の結果なんてありえないから」
『……綾辻さん?』
「以上、報告終了。また明日よろしくね、監督」
『ちょ、綾辻さ――』
ぷつ、と澪は電話を切った。
一方的にとんでもなく傲慢なことを言って、それで終了とか……人としてちょっとアレだよね。
「綾辻なぁ……もうちょっと色々あるだろ」
「さあ。どっちにしろ今日は帰るつもりないんだし、明日心配されるのは変わらないよ。私の本気を知らない人には信じてなんてもらえない」
だから私は、と綾辻は濡れた髪を絞りながら言う。
「明日、私を見せつけてやるの。余裕ぶってる霧崎先輩にも、散々言ってきた入江先輩にも、目にもの見せてやる」
「吹っ切れたらとんでもなく強欲で傲慢な奴になったな……」
「別にいいでしょ? これが私だし」
「違いない」
けらけらと二人で笑いながら、俺たちはのっそりゆったり、歩いていく。
歩調はやっぱり、合っていて。
この距離感が、心地よかった。
◇
「あー、疲れたぁ……」
「ね。久々に来たから熱中した」
「ネットショッピングで本を買えるとはいえ、やっぱり直で見るのとは違うよな」
「まぁね。それに最近、本とか読めてなかったし」
「あぁ、そうだったな。練習で忙しか――痛っ」
「そういうの、ハズいから口にしないで。口にしたら末代にする」
目が怖いので、大人しく従っておこう。その代わり、そっと俺の胸には留めておくけどな。雫によく似た、頑張り屋な誰かさんのことを。
ともあれ、だ。
動物園を出てから既に3、4時間ほどが経過している。
すっかり辺りは暗くなり、十二分に補導されてしかるべき時間だ。下手をすれば家に帰る頃には日が変わって、なんてことだってありえてしまう。我ながら羽目を外しすぎた。
「さてと。じゃあまぁ、帰るか。なんだかんだ飯食ってないし、どっかで買って行こうぜ」
「百瀬って馬鹿なの? あ、いや馬鹿なのは知ってるけど、知能的にも馬鹿なの?」
「あのな、綾辻。そうやって意味もなく罵倒するのはやめようぜ」
俺が言うと、綾辻は、はぁ、と小馬鹿にするような溜息をついた。
こんのアマ……もう一度カバのとこに連れて行ってやろうか?
「意味もなくじゃないし。言ったじゃん、今日は帰らないって」
「ああ、言ってたな。だから家に――」
「いや家にも帰らないから」
「は?」
「そういう気分じゃないの。今日は、どこまでも非日常でいたい」
危うく光る月のように呟いた。
あまりにも意味のないわがままだ。普通に帰った方がいいに決まってる。
けど、ダメだ。
この目にねだられて、断れるはずがない。
きゅぃっと妖しく目尻が垂れた、美緒によく似た別物の笑みだから。
「ったく、分かったよ。じゃあなんだ、ホテルでも探すか。カプセルホテルとか?」
「なら……伏線回収でもする? 百瀬、そういうの好きでしょ」
「伏線回収って……なんのことだ? アキバにまつわる話なんてしたか?」
言うと、澪はムッと不機嫌な顔をする。
んんっ、と喉の調子を確かめるようにした後、すぅと霧を纏うように演じ始めた。
「『んー。そのときはホテルでもいくか?』
『……それしかないか』
『金はかかるけど色々設備がいいって言うしな』
『それね』……以上、復習終了。満足?」
それは、3月の出来事。
俺たちが書類上で家族になる前の、他愛もないセフレとしての会話だった。
「満足っていうか……は? 澪、まさかラブ」
「百瀬うるさい」
「いや、そうは言ってもな。だいたいあそこは高校生以下の使用は認められてないんだぞ」
「使おうって話をしてたくせに今更でしょ。それに、今の私たちは高校生以下には見えないよ。そう演じるくらいのこと、できるし」
「それは、まぁ、そうかもしれないけど……」
でも、澪が行こうとしているのは
俺たちはそんな関係じゃないし、さっき繰り返した『好き』がそういう意味じゃないことは澪も分かってくれているはずだ。
だから、と俺が断ろうとすると、澪はその小さな指で俺の唇を塞いだ。
「言っとくけど、シないから。けど、行ってみたいの。一人で行く場所じゃないし、かと言って他の誰かと行く気にはならないし」
「む……」
「それとも、なに? 行ったら我慢できなくなるわけ? こほん……『雫がいて、大河がいて、俺がいて、そこに綾辻もいてくれなきゃ、俺はちっとも――」
「分かったから! 行くからそうやって人の言葉を引用してくんのやめろ! 澪の記憶力と演技力がいいことは分かったから!」
「ふっ。じゃ、決まりね」
くっそぅ……復活したかと思ったら、完全にパワーアップしてるじゃねぇか。
もう拒否れないと悟った俺は、大人しくホテルに行くことにした。
…………高校生以下の使用は固く禁じられているので、絶対に真似しないでネ?
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