5章#06 文出会③

「ごめんなさい。私から一つ、質問をいいかしら」


 そんな入江先輩の言葉に、時雨さんは首肯した。

 入江先輩は席を立ち、こちらに真っ直ぐ歩いてくる。

 不思議と入江先輩の体が大きく見えた。くそぅ、時雨さんに対してもこんなことを思いはしなかったのに……。


 掌にじっとりと掻いた汗を握って、俺は言葉を待つ。


「奇しくも演劇部と二年A組の舞台は『白雪姫』をテーマにしてる、という点で被ってしまったわね」

「ははっ。そんな風に迂遠な言い方をしなくても結構ですよ、入江先輩。そこだけじゃなくて、ストーリーや演出以外はかなり被ってます。お互いに主演に焦点を如何に輝かせるかを考えて、かつストーリーもネタに走らずにやってますもんね」

「その通りね……それで質問なのだけれど。メイド喫茶やその他の出し物と違って、演劇やミュージカルは長い時間を取るわ。例年うちの部活は40分使わせてもらってる」

「えぇ承知してます」


 ミュージカルもだいたいそれくらいで終わる予定だ。下手をすればもっと長くなる可能性だってある。

 それでステージを圧迫してしまう、という話をしたいわけではないだろう。俺自身その懸念はあったから予め調べておいた。うちのクラスがステージを使うくらいの余裕は毎年ある。


 射貫くような入江先輩の視線は、大河のそれを彷彿とさせる。

 目つきは大河ほど鋭くないのに、纏う気配のせいで大河よりもずんと重い感じがした。


「私が懸念しているのは一つだけ。二つもの団体が40分以上の演劇やミュージカルを、しかも同じ『白雪姫』をテーマに行うのは、飽きられてしまうんじゃないかしら。出来の優劣に関係なく、ね」


 うっっわ、性格悪っ!

 今暗に『出来の優劣は明らかだけどそこは問題にしておくわね』って言ったよな?

 嫌だわぁ。何が嫌って、現状では反論しにくいから嫌。あくまで俺の手元にあるのは机上の空論だ。根拠を用意したとはいえ、その根拠すら空想の産物なのだから胸を張れない。


「それは流石にお互いに困るでしょう?」

「まぁ、そうですね。お客さんを飽きさせるのは困ります」

「なら――どちらかが脚本を変える、というのはどうかしら。書き終えてしまった脚本を今更変えて、なんて言うのは心が痛むのだけれどね。でもやっぱり大切なことだと思うの」

「……へぇ」


 この人、絶対にこっちが脚本を書き終えてないと分かっている。さっきの説明の中では上手く触れないようにしてたんだけどな。


 自分たちは脚本まで書き終えている。だから合理的な判断として、そっちが引くのが正解だ。そう言ってきてるわけだ。


「なるほどなるほど。確かに、入江先輩の仰るとおりかもしれないですね」

「でしょう? だから――」

「けどすみません。俺の見込みだとお客さんを飽きさせる、なんてことはありえないので。脚本を変える必要はないと思いますよ」


 俺は、にぃ、と愛想よく笑っ――なんか『うわ、性格悪そうな顔』みたいな視線が飛んできたんだけど気のせいだよね?

 俺、性格悪くなんてないし。


 俺は何一つ嘘を告げていない。

 俺は知っているのだ。俺が向き合おうとしている綾辻澪という少女は、きっと俺の想像を超えてくれる、と。


「あっ、もしあれでしたら演劇部の皆さんのを最初にやっていただく、なんてどうでしょう。まぁもちろんそれを決めるのは生徒会の方ですけど――」


 俺は言いながら、時雨さんに目を向けた。

 こちらの意図を汲んでくれたのだろう。時雨さんはそっとはにかんだ。


「そうだね。同系統の出し物については、当事者同士で順番を話し合ってもらった方がこちらとしては助かる。演劇部もそれでいいなら、ボクはそれを尊重するよ。もちろん、あくまで参考程度、ということになるけど」

「だ、そうです。どうしますか、入江先輩」


 ふぅ、と密かに胸を撫で下ろす。

 やや想定外はあったが、何となくいい感じになった。ここで入江先輩がどう答えようとこちらにとっては得になるはずだ。

 演劇部が先んじることになれば、こちらは飽きさせないようにさえできれば観客の記憶に残りやすくなる。

 うちが先んじれば有利なのは言うに及ばず。だって入江先輩が言う通り、同じテーマである以上飽きられてしまう危険性はあるからな。


「ふぅん……やっぱり君、性格悪いわね。だから妹に近づけたくなかったのだけれど」

「酷くないですかね、それ」


 ツンと尖った口調でぼそりと呟いて。

 その後、分かったわよ、と入江先輩は手を差し出してきた。


「順番については生徒会に一任するわ。くじ引きにしてもいいし、今の会話を参考にしてもいい。それでいいかしら?」

「つまり……どっちも退かずにやりましょう、ってことですね」

「えぇ。最後の年だし、こういう遊び心はあってもいいじゃない?」

「さ、さぁ。知らないですけど」


 俺がそう誤魔化すと、入江先輩もつまらなそうに肩を竦めた。

 彼女が自席に着いたのを確認すると、今度は時雨さんが口を開く。


「すっかり入江さんに言いたいことは言われてしまったね。ボクからは言うことはないよ。『白雪姫』と『白雪姫』の演劇対決なんて、盛り上がりそうでとっても楽しみ。頑張って」

「……うす」


 時雨さんに置かれましては、もうちょっと自制してもらえませんかねぇ。

 苦笑交じりにそんなことを思った。



 ◇



「じゃあ先輩。私は友達と帰るので」


 文出会が終わって。

 続々とホールを出ていく参加者たちを見送っていると、雫がそう声をかけてきた。事前に生徒会として残るとは伝えていたので、分かった、と首肯する。

 

「お疲れさん、よく頑張ったな」

「えへへ、ありがとうございます。あ、頭を撫でてもいいんですよ?」

「そういうのは撫でられる準備をしてからにしような? 想像しただけで恥ずかしそうにしてるじゃねぇか」

「うっ、そ、そそそんなことないですもん! 私を初心で防御力ゼロな後輩みたいに扱わないでください!」

「どこに嘘があるのか教えてほしいくらいの話だな、それ」


 もーっ! と雫が俺の胸をぽんぽん叩く。

 そんないじらしくて可愛らしい態度に胸が温かくなるのを感じつつも、こほん、と咳払いをして話を終わりにした。


「ほら。あんまり俺と話してると友達がいっちゃうぞ」

「……先輩。ちょっと待たせたからってすぐにいっちゃうほど、私の友達は薄情じゃないです」

「あっ、そう……」


 そうっすよね、友達なら待ちますよね。

 俺も今後頑張って友達作ろ。この文化祭で頑張る所存である。

 辛さと決意が綯い交ぜになった感情を胸に抱えながら、俺は雫を見送った。

 生徒会の方に合流すると、真っ先に大河が言ってくる。


「百瀬先輩、お疲れさまでした。さっきはその、大変でしたね」

「ほんとだよ! お前の姉ちゃんすげぇな!? マジで怖かったぞ」

「人の姉を怖いと言うのは失礼だと思いますが……姉さんについては、私も同感なので指摘しないでおきます。あの人は昔からああなので」

「なるほどなぁ」


 昔からって、まだ高校三年生だよね……?

 中学生の頃からあんなんだったとしたら、俺は自分の過去を鑑みて悲しくなっちゃう。いったい、どんな人生を送ってきたんだ?


「ふふっ。それでもちゃんとああして上手くやれるのがキミだよね」

「時雨さん……半分くらい時雨さんのせいじゃねってツッコミはしないで置いた方がいい?」

「うん。その指摘は心にそっと留めておくことにするよ。そんなことより生徒会の方の仕事しよっか」

「うわぁ。そんなこととか言ったよこの人。……なぁ大河、こんな自由で心のない生徒会長にはなるなよ?」

「百瀬先輩も大概だと思いますけど」

「それを言ったらお前も大概なんだよなぁ」


 というか俺の周り、大抵の奴らが『大概』の一言で片付けられてしまう気がしてきた。

 実に利便性の高い言葉である。


「ねぇねぇ百瀬くん。あんな風に啖呵切ったってことは、期待しちゃっていいのよね?」


 と、こっそり話しかけてきたのは俺の知り合いの中でも最も『大概』な人。

 如月はニマニマとにやけながら尋ねてくる。

 こいつはこいつで本当にブレねぇな……。

 くしゃっと髪を掻きながら、俺ははっきり答えた。


「もちろん。うちの『白雪姫』は誰よりも綺麗だからな」

「へぇ……?」


 まだ俺の手元にプロットがあるだけで。

 明日教室でプロットを皆に見せて役割分担をするんだから、本当は何も言い切れないけれど。

 俺は信じてるんだ。


 だって綾辻澪という女の子は――――。


 作りたてのプロットに祈りを込めて。

 文化祭への日めくりカレンダーの封を、心の中で切った。

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