4章#34 First Kiss
からん、ころん、とビー玉みたいな下駄の音が鳴る。
ドーンパーンと結んでは開いて、結んでは開いてを繰り返す花火たち。
キラキラと子供たちの夢に揺蕩うような輝きから――俺は少し、離れた場所にいる。
墓参りを終えて、6時間ほどが経過して。
夏祭りが始まって早々に、俺は雫と綾辻と三人っきりになった。
夏祭りをやっている場所からやや離れた、海岸沿い。ざぶーんざぶーんと押し寄せる波を眺めるような小さな高台までやってくると、夏祭りの喧騒のお零れみたいに花火がよく見えた。
昨日の友達と回る予定だから、と父さんたちに言った。
時雨さんは察してくれたのか、晴季さんについていってくれて。
そうしてようやく、俺と雫と綾辻は三人っきりで話すことができるようになる。
「花火、始まっちゃいましたね」
と、雫が呟いた。
祖母ちゃんから借りた浴衣とはやや不似合いなツインテールが、しかし可愛らしくてよく似合って見える。
儚げなのに確かにそこに存在するその姿は、まさに雫の浴衣を彩る朝顔のようだった。
「そうだね……でも、ここからだとよく見える。穴場だったのかもね」
翻って、綾辻はそう微笑した。
桜の浴衣は、普段さほど華やかな服を着ない綾辻を艶やかに飾っている。
いつまでも咲いてくれと願うくせに散り際の光景に目を奪われる。そんな桜への矛盾した想いを受け止めてくれるみたいだ、と思った。
「ここ、実は昔からよく来てたんだよ。父さんにも内緒の、秘密の場所。まぁ……見つけたのは俺じゃなくて美緒なんだけどさ」
「ふふっ、そーなんですね。そんなところ……私たちに教えちゃって、よかったんですか?」
「教えたかったんだよ。ここで二人と話したかった。だから、ごめんな。花火はまだ続くし、夏祭りは花火が終わってからの方が本番だからさ。ちょっとだけ時間をくれ」
くしゃっと頭を掻き撫でて言うと、雫はふっと微笑んだ。
「いーですよ。これが終わらないと、一緒に回っても楽しくないですもんね」
「あぁ……そう、だな」
「その代わり! 終わったら一緒に夏の最後の思い出、作ってくださいね」
「終わったときに雫がそう言ってくれるなら、必ず」
夏の終わりには、季節としてはまだ早いのかもしれない。
今や9月ですら夏だと思えるほど暑いのだ。8月中旬なんて、ちっとも夏の終わりじゃない。
けれども――今日で明確に終わらせたいものがある。
ならそこに『夏の終わり』っていう題をつけるくらい、いいじゃないか。
「それで……百瀬。話って、何を話すの?」
綾辻はそう、話を進める。
こくと俺は頷き、昏い朱色の大空を見上げた。
太陽の光で輝かなくて済む月は、朔の姿でだけ月そのもので在れる。きっとこの日の太陽と月は、お互いに仲良しだろう。
「あぁ……そうだな。まずは――」
「あのっ! その話の前に、どーしても聞いておかなきゃって思うことがあります。……いいですか、先輩?」
終わりの話をしようとした俺に先んじて、雫が声を上げた。
何を知りたいのか、朧気ながらも察せてしまう。こくりと頷き返すと、雫は意を決した表情で言った。
「先輩とお姉ちゃんのことを教えてほしいです。二人はどういう関係なんですかっ?」
そりゃそうだよな、と納得する。
「何となく、察してはいます。二人のことが私大好きですから。でも、先輩とお姉ちゃんの口からちゃんと聞かせてほしいです」
「しず、く……」
綾辻の口から消え入りそうな呟きがほろりと零れる。
俺は彼女を一瞥してから雫に視線を戻し、一歩彼女に近づいた。
「話すよ、俺と綾辻のこと。でも話はそれだけじゃない。俺と綾辻と雫――俺たちの話を、聞いてほしい」
ぼーん、と花火が一輪。
ひと夏がまた咲いていく。
「雫も覚えてるよな、俺の妹の話」
「……はい」
「美緒は俺の初恋の女の子だった。いや、それだけじゃないな。美緒も俺のことを好きになってくれて……美緒が死ぬ前、俺たちは周囲に内緒で恋人になってたんだ」
「え?」
雫にとっては突拍子のない話だろう。
それでも語らねばならないことだ。俺は続ける。
美緒が死に、雫や綾辻を美緒の代わりにしようとしたこと。
4月のあの夜、綾辻を美緒の代わりにしたこと。
そして、
「体育祭の借り物競争。あの場でキスされた瞬間、俺は雫のことも美緒の代わりにしよう、って考えた。美緒との関係は公言できないけど、雫とはそうじゃない。だから美緒とはできない『周囲公認の恋人』をやろうと思ったんだ」
「…………」
「そうして俺は二人と付き合うことになった」
ある意味では、あれが終わりの始まり。
二人を美緒で上塗りし、俺は間違いを繰り返していった。
三人の話ではないけれど、大河のことも話す。彼女にもまた美緒を重ねたこと。俺たちの話をするのなら、伝えておくべきだと思ったのだ。
「――これが、俺たちのこれまでだ」
俺は一度話を区切った。
でも、別に話が終わったわけじゃない。むしろこれまでは前置きだ。何かを言おうとしている雫を手で制し、二人に向けて告げる。
「俺は今のこの関係を全部終わらせたいって思ってる。二人と別れて、綾辻には美緒の代わりをしてもらうのもやめたい」
「「――っ」」
息を呑む声が聞こえたはずだけれど、花火がすっかり掻き消してしまう。
夏化粧した夜に溶けていく感情。
『終わりにさせてくれないか?』
そう告げるはずだった。
けれどその前に、澪標の如く彼女が言う。
「ねえ百瀬。どうして……終わりにするの?」
綾辻の一言に、ぴん、と空気が張り詰めた。
消えてしまう夏の亡霊みたいな表情で綾辻は続ける。
「私たちの関係は理解されないかもしれない。でも、それが何? 百瀬は大切な美緒を感じ続けられる。雫と私は百瀬の特別でいられる。私たち三人、皆が幸せになれる選択じゃん。それの何が悪いの?」
「それは――ッ」
「どうして正しく在る必要があるのッ!? 幸せならそれでいいじゃん!」
「お姉、ちゃん……」
切実な一言は、あの夜と同じくどこまでも間違っていて。
つい綾辻の勢いに気圧されそうになる。
綾辻の言う通りだ。俺たちは生きている。
物語の中でなら正しく在るべきなのかもしれない。けれども現実はそうではないのだ。だって、世の中が端から間違いだらけなのだから。
「違うよ、お姉ちゃん。……違わないかもだけど、たぶん違う」
雫はふるふると首を振った。子供を窘める母のような口調で言うと、俺と綾辻の間に立ち、ゆっくりと言葉を続ける。
「先輩はね、正しく在ろうとしてるわけじゃないんだと思う。私の痛い勘違いじゃなかったら、だけど。先輩は私たちと向き合いたいんだよ」
「っ」
「そうですよね、先輩?」
「…………あぁ」
話はまだ終わりではない。
美緒と向き合う過程でようやく見つけた『俺』の話をしなくてはならない。
「妹さんを私やお姉ちゃんに重ねたって言ってましたけど……それって、すごくおかしいです。お姉ちゃんはともかく、私はちょっと無理があるなって思います。違いますか?」
「……違わないよ」
やっぱり雫は、俺の手を引いてくれるんだな。
「さっき話したことは嘘じゃない。でも、でもな? 雫に告白されて、綾辻からも好きだと伝えられて、俺は二人を泣かせたくないって思ったんだ。俺が好きなのは美緒だから、二人のどちらの気持ちにも応えられない。そのことが苦しかった」
喉元で言葉が蹲る。
嫌だ嫌だ、と言っていた。こんなこと言わなくたっていいじゃないか。大切な人を亡くした喪失感、みたいな分かりやすいもののせいにして、最低さは呑み込んでしまえばいい。どうせ俺にだって見えてなかった自分なのだ。誰にも見えやしない。
でも――ここで隠せば、最高の主人公にはなれない。
人は誰しも自分の物語の主人公だ。
自分が生きる物語に嘘を吐かずに生きること。それはきっと、最高の主人公になるために必要なことなんだと思う。
「さっき話したことは本当だ。でも、本当はそれだけじゃない。俺は二人と向き合わずに済むために、美緒への気持ちを利用した。無理やり美緒を重ねて、強引に美緒の代わりだと思い込んで、俺の世界にいる二人を美緒に変えたんだ」
ばーん、ぽーんと花火が咲いた。
以前綾辻がカラオケで歌った、夏の終わりの歌を思い出す。
「俺は、もうそういうのは嫌なんだ。二人とちゃんと向き合いたい。だって、二人はそれくらい俺にとって大切なんだよ。毎日を笑顔で照らしてくれる雫も、俺の哀しみを受け止めてくれた綾辻も、どっちも大切な人なんだ」
「っ、せんぱいっ」「…………」
「俺を嫌ってもいい。『こんな最低野郎を好きになる理由なんてない』とか『大嫌いだ』とか……そんな風に思うのは当然だし、覚悟もできてる」
「そんな、こと――」
「それでも俺は、二人とちゃんと関わり直したいんだ」
だから終わらせたい、と俺は絞り出すように言う。
喉が灼けそうだった。
最低な主人公を、それでもヒロインが好きでいる必要なんてない。
だって俺たちは生きている。生きるということは、好きになるだけじゃなくて、嫌いになることでもあるはずだ。
人と人との関わりは、きっとそういうもので。
それでも大切だと思うなら、ちゃんと関わりたいって叫ばなくちゃいけない。
二人は妹じゃないのだから。
いてくれるのが当たり前の存在じゃないんだから。
「……百瀬」
ぽつりと、綾辻が俺を呼ぶ。
「百瀬は……そう、するんだ」
「ああ。そう、したい。勝手かもしれないけど――」
「――うん、本当に勝手だね。私を、けど……始めたのは私だから」
その瞳は、どこか寂しそうで。
空に咲いた菫色の小さな花火は、ぽつ、と弱々しく音を鳴らした。
「バイバイ、兄さん」
枯れ尾花の如く、彼女は囁いた。
「先輩」
次は雫の番だった。
彼女はマリーゴールドみたいに笑う。
「先輩はサイテーです。初恋拗らせて、好きでもない女の子二人と浮気して……ほんっと、超ないです。きっと友達に話したら『そんな男やめときなよ』って言われると思います」
「だろうな。だから嫌いに――」
「なれるはず、ありません。初恋を拗らせてるのは私もなんですから」
花火よりも彼女が眩しくて、思わず目を細めそうになる。
「先輩が私をどう思ってたかなんて、私の初恋には関係ないんです。ずっと隣で、先輩を見てきました。笑ってるところも、ちょっと疲れてるところも、当たり前に助けてくれるところも、実はすっごく弱いところも」
つーっと頬に伝う
「私やお姉ちゃんの間違いも丸ごと自分のせいにして、一人で最低な悪役になっちゃうところも、大好きすぎちゃって困るくらい、大好きです」
だから、と言いながら雫は一歩踏み出してくる。
「待ってます。まぁ私ってば小悪魔なので、いっぱい誘惑しちゃうかもですけどっ♪」
ぶい、とピースサインをして、雫は俺から離れて行く。
「さてと。それじゃあ皆で夏祭り、行きましょっか!」
金平糖の瓶をひっくり返してしまったみたいに、空には星屑が転がっていた。
花火はまだ終わっていない。
一時間ほどはやり続けるのが通例だから、あと30分は残っているはずだ。
なるほどな、と思った。
キラキラ輝く天の川は、愛を分かつんじゃない。愛を結んでいるんだ。
煌めくのは当然で、甘やかなのも当然で。
そういえばミルキーウェイとも呼ぶんだっけ、と。
五年生の国語の教科書を思い出して、呟いた。
◇
「あーっ! 大河ちゃん!」
「雫ちゃん、こんばんは。百瀬先輩と綾辻先輩も。話は……終わりましたか?」
夏祭りをやっている神社の近くまで向かうと、雫がすぐに大河を見つけた。
金魚の柄の浴衣を着た大河は、俺の目を見て、尋ねてくる。
「ああ、終わったよ」
「それならよかったです。お疲れさまでした」
「むぅ。なんか、大河ちゃんの正妻感が凄くないですかねぇ」
「雫ちゃん?! そんなこと、全然ないよ。私はただ――」
「ふふっ、冗談! 大河ちゃん慌てすぎ! っていうかむしろ先輩の方がもうちょっと焦って否定しましょうよ!」
「いやだって明らかに冗談なの分かってたしな。だいたい、雫は大河が来ること分かってただろ」
大河が来ることも、大河が俺に背中を押してくれたことも。
分かっていなければ雫はきょろきょろと大河を探すような態度をとっていない。
てへっ、と雫は舌を出した。
「流石先輩、私のこと分かってますね~。流石は元カレです」
「し、雫ちゃん! そんなに言うのは流石に百瀬先輩が可哀想じゃ……」
「だいじょーぶだよ、大河ちゃん。先輩は傷を抉られて喜ぶタイプだから」
「…………百瀬先輩、汚らわしいです」
「違うからね?! 嫌っていいとは言ったけど風評被害はやめてね!?」
ぷっ、と四人で吹き出して。
笑い終えると、いよいよ夏祭りを満喫しに向かう。
瓶ラムネを四本買って、皆で飲んで。
雫がたこ焼きを買ってあーんをしようとしてきたり。
大河が歩きながら食べるのはよくない、と真っ当すぎることを言ったり。
綾辻が、美緒が好きだったりんご飴を買って複雑な気分になったり。
屈託なく、とはちっとも言えないけれど。
最低主人公の俺には勿体ないくらいに幸せな時間だった。
「あっ、百瀬先輩……」
「うん?」
大河に呼ばれて見遣れば、ゼリーの屋台があった。ほんとレアだなぁ、マジで。雫と綾辻に声を掛け、俺たちは四人でゼリーを食べることにした。
「……あの夏以来です、こんなに楽しいのは」
「俺もだよ。それもこれも、
「はい、
口に運ぶゼリーは特別美味しいわけじゃない。
でもこうして四人で食べているから、一生忘れない特別な味になる。
ふと、唇に淡い感触が蘇る。
思い出した温もりは熱を帯びていて、まるで魔女の祝福のようだった。
初恋の人としたファーストキスは、どこまでだって特別だ。俺はいつまでも、あの柔らかさを忘れることはできないのだろう。
だけどそれは、絶対に呪いなんかではない。
大切な、初恋の記憶だ。
あの初恋があったから。
だから雫と出会えた。
だから綾辻と出会えた。
だから大河と再会できた。
だから俺はこれから――人生二度目の恋をする。
美緒の心臓を継いだ誰かが素敵な恋をしているように。
“First Kiss”End
Next chapter....“Good Youth”
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