4章#23 ジレンマ

「なぁ友斗、ちょっといいか?」


 帰りがけ、駅前で解散しようとしていたところ、八雲が声をかけてきた。

 その声はとても真剣で、どうしても今しなければいけない話なのだろうと気付く。


「分かった。綾辻、送っていくから駅で待っててもらっていいか?」

「うん、了解」


 綾辻はこくりと頷き、先に改札の方に向かった。まだ暗くないからバラバラでも構わないのだけど、綾辻は綾辻で俺に何かを言いたそうにしている。きっと、帰りがけに話をすることになるだろう。


「で、八雲。俺に話があるんだよな?」

「あぁ……どうしても聞きたくて。本当は夏休みに入る前に聞いた方がよかったんだけど、そんな話をできる感じには見えなかったからな」

「そうか。悪い、気を遣わせて」


 夏休みに入る前といえば、大河とギクシャクしていたとき。なるべく隠そうとはしていたが、八雲相手にはそうもいかなかったようだ。

 くしゃっ、と髪を掻きながら、八雲は言う。

 少し歩きながら話そうぜ、と。

 分かった、と俺は頷いた。


 かっぽん、かっぽん、とこ、とこ。

 二人分の足音が重なる。夕日に焼かれ始めた空は幻想的にも現実的にも見えて、正しく青春らしい光景だった。


「あー……なんかあれだ。かっこつけたはいいけど、やっぱりシリアスなムードは向かねぇよな」

「ふっ、自覚はあったのか」

「そう言う友斗だって、シリアスは似合わねぇからな?」

「何を言うか。俺はシリアスが似合うことに定評がある男だぞ」


 本当かねぇ、と肩を竦めた。

 立ち止まると、八雲は俺の前に立つ。夕日を背にして、八雲はどこか熱っぽい声で言った。


「友斗はさ――本当に、今の彼女のこと、好きなのか?」


 そうくるか、と思う。

 同時に、やっぱりな、と感じてもいた。

 だって八雲と如月は俺と雫とは違う。お互いに好き合って、付き合っている。本物と紛い物が向き合えば、本物は否が応でも自身との違いに気付く。


「どうして、そう思う?」

「理由は幾つもある。まず妹ちゃんと付き合い始めてからも、友斗と綾辻さんの距離感が変わってなかった。いいや、むしろ近づいてるように見えた」

「クラスメイトから彼女の姉に。距離を縮める充分な理由じゃないか?」

「……なら、もっと分かりやすい理由。この前あの子の看病に行くときの友斗は、好きな子がいる奴の行動には見えなかった」


 あのとき、八雲は少し様子がおかしかった。

 だとすれば……本当にいい奴だな、八雲は。友達百人を目指すだけのことはある。こういう奴には友達百人くらいできていてほしいし、こいつを友達にできる奴が百人以上いてほしいって思える。


「勘違いなら、すまん。そういうの、知識も経験も足りないんだ」

「うん」

「だから――勘違いなら言ってくれ。浮気とかしてるわけじゃないんだよな?」


 勘違いであってくれ。

 八雲はそう祈るように言う。

 誠実なその言葉に、俺は――。


「勘違いじゃない。本当のことだ」

「……っ! 友斗ッ?!」


 八雲が俺の胸倉に伸ばしかけた手は、寸でのところで止まった。

 俺の真意を探るように、珍しく鋭い眼光を向けてきている。

 こんな顔をさせてしまったのは俺だ。いつもはへらへらしていて、チャラい眼鏡で、けど無垢で真っ直ぐなイケメンなのに。


 ならば、俺はできる限りの精一杯で八雲の心配に応えなければいけない。


「詳しいことは言えない。これは俺たちの話だからな」

「ッ……友斗っ!」

「でも誓う。この次に会うときまでには全部終わらせるから」


 自信なんてありはしない。本当に終わりにできるのか今でも不安でいっぱいだ。それでも、八雲の誠実さに応える友達になりたいと思った。

 ぎゅっと握られた拳は俺の胸の方まで伸びて、こつん、と軽く突かれた。


「よく分かんねーけど……でもきっと、まだ簡単に分かっていいような関係にはなれていないから……信じる」


 そうだよな、と思う。

 俺と八雲は友達だけど、話の流れで親友だなんて呼ぶこともあるけれど。

 親友なんて呼び合えるほど、胸の内を明かしてはいない。


 そんなことすらできていないのだ。俺はまだ、何一つ始められていない。ずっとずっと、今を生きることを放棄してきたんだ。

 言い終えると、八雲は離れていく。ぐくーっと伸びをしながら、爽やかにはにかんだ。くっそ、やっぱりイケメンだ。


「うし、じゃあ今日の話はもう終わり! シリアスとかやっぱ慣れねーし。あー、めっちゃ恥ずかしい!」

「だな。マジな顔になってて、ちょっと笑ったぞ」


 苦笑交じりにからかうと、八雲は負けまいと言い返してくる。


「なっ、それを言ったら友斗だっていつにも増してしっぶい顔してたからな。それはもう、不倫がバレたサラリーマンみたいに」

「お前、本当は信じてないだろ……?」


 二人で笑って、軽口を叩き合って、俺たちはその場で解散する。

 まだ、ただの友達として。


 それは本当に楽しかったから、今度は俺の方から掴みたいと思った。



 ◇



「…………」

「…………」


 綾辻と合流し、電車に乗って。

 家の最寄りの駅で降りてもなお、澪は何も口にしなかった。時折何かを言おうとする素振りは見せるが、逡巡したように口を噤んでいる。


 しかしもう、タイムリミットだ。

 駅から家までは徒歩数分。

 家に帰れば、話す機会を失ってしまう。


「なぁ綾辻。もしかして中学校の頃の話をしたこと、怒ってるか?」

「…………怒るわけないよ。だって、表向きはそうなってるんだもんね」


 ツララみたいに冷たくて硬い声を返してきたのは、美緒だった。

 苦笑いをして、俺は言い返す。


「それだけあからさまに間を開けておきながら?」

「それは穿った聞き方をするからじゃないかな」

「『穿った』ってのは、本来は『本質を的確に捉える』って意味らしいぞ。そういう意味で言ってると思ってもいいのか?」

「っ。兄さん、そういうのは揚げ足取りって言うんだよ」


 美緒のジト目に、俺は肩を竦めた。あえて挑発的な言い方をしているのは、誰かさん大河に似たからかもしれない。


「よく言われる。だから友達ができない」

「友達ができないのは別の理由でしょ」


 ギロリと澪が睨んでくる。

 が、それは一瞬のこと。彼女は慈愛に満ちた表情で呟く。


「兄さんは、私がいないとダメダメだね」

「――なぁ綾辻。もう、やめようぜ」


 だから俺は、虚勢を張って言い切った。

 心の奥では、まだシクシクと泣いている子供の俺がいるけれど。

 まだ完全に覚悟が決まったわけでもないけれど。


 俺は、ちゃんと変わるんだ。

 大河と約束して、雫を待たせて、八雲に誓って。今ここで、綾辻に断言しよう。


「8月13日の夜、あっちで夏祭りがあるんだよ」

「知ってる。聞いたし、雫も楽しみにしてる。それがどうしたの?」

「話をしたい。そのときに」

「……っ」


 綾辻の表情は、僅かに歪む。

 わなわなと唇が震え、その震えを恥じるようにきゅっと唇を引き結んだ。


「どうして? だっては――」

「ちゃんと生きていきたいんだよ。雫や綾辻、皆がそうしてるように」


 さらさらと、夏の夕風が髪を靡かせた。

 ちっとも青くない青が凪いでいる。眠りに落ちるような夜闇の髪がゆらゆらと踊り、澪の表情は一瞬、ぼやけた。


「兄さんはちゃんと生きてる、って私は思うけどな。でも兄さんがそう言うなら……応援するよ。頑張ってね、兄さん」


 きゅいっと目尻が下がる。

 三度も『兄さん』と口にした彼女は、時間を揺蕩う幽霊みたいに儚かった。

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