4章#24 帰省

 空色の絵の具を塗りたぐったみたいな青をキラキラと太陽が照らしている。

 シャーベットのような雲が一つ、二つ、三つ。あとはもうほとんど雲はなくて、清く正しく夏を演じ切っている。

 たとえば、スポーツドリンクを飲んだときのような。

 爽やかだけど甘ったるくて、口に残るのにさっぱりしている。

 そんな感じがする、晴れ晴れとした8月11日。


 俺、というか俺たち百瀬家五人は、父さんの実家へと向かっている。

 父さんの実家には駐車場があるということで、今回の移動は自動車を使用。例のミントグリーンの自動車に乗っているのはゴールデンウィークのときと同じだが、違う点も多少はある。


 まず運転手は交代で行くことになった。やったね父さん、かっこいいところを見せられるよ……息子として、実に喜ばしい限りである。

 それから席順も変わっている。俺が助手席、女性陣三人が後部座席に座っている形だ。


「なんか緊張するわねぇ」


 と、ちっとも緊張した様子を見せずに言うのは、昨日もバリバリ徹夜仕事をしていた義母さんである。

 ふんふんふ~、と鼻歌混じりなのがいい証拠だ。ちなみに今日も車内プチミュージックフェスタは開催中。ノリが完全に学校の遠足のバス内だが、まぁ楽しいのでいいとしよう。


「あれ。お母さんは一度挨拶しに行ってるんだっけ?」

「一度どころか、結婚前にも何度か行ったりしてたわよ? それに、昔はよく遊びにいっていたし」

「あー、そっか。お母さんとお義父さんって幼馴染だっけ」

「そうそう」

「あの頃は、それこそ毎日家で遊んでたよな」

「懐かしいわねえ。ま、引っ越してからは全然連絡とってこないくらい冷たかったけど」

「しょうがないだろ! あの頃は一生の別れって気分だったんだから」


 運転しながら、父さんは思い出すように言った。

 二人には二人の物語がある。それこそ、母さんが父さんと出会う前から紡がれていた物語だ。


 当たり前のように傍にいて、でも離れ離れになって。他の誰かと一緒になって、もう一度孤独になって……巡り合った。きっと今の俺が少しずつ前に進んでいるように、父さんも二人の死と向き合ったのだろう。義母さんはそれに寄り添った。


 俺も追いつかなくちゃな、と思う。

 もう退路は断った。この帰省を経て、俺は美緒の死と向き合うんだ。それで前に進む。


 今をちゃんと生きられるように。

 青春を真っ当に歩めるように。

 そして何より――美緒に見られて恥ずかしくない自分になるために。


「そういえば。確かお義父さんって、海の家をやってるのよね?」

「ん、まぁ近いかな」

「そーなんですか?」

「うん。父さんの知り合いが海の家をやってるんだよ。父さんもそういうのは好きだからちょくちょく手伝ってる」

「へぇ……そうなんですね」


 雫たち三人と父さんは嬉しそうに話す。

 そうだよな、と思う。

 これから父さんは、新しい家族とこれまでの家族を会わせるのだ。そこには不安もあるだろうし、色んな気苦労もしているはず。そんななか雫も綾辻も前向きに質問してくれるのだから、内心めちゃくちゃホッとしているのだろう。


 くすりと笑い、俺も口を挟む。


「そのおかげで毎年、結構色々貸してもらえるんだよな。去年はスイカ割りとかさせてもらえたし。その前はバナナボートだっけ」

「おお! いいですね先輩! 楽しそうです」

「だろ。楽しみにしとけ。今年は人数も多いしな」


 助手席から振り向いてニカっと笑う。

 雫と義母さんは目を輝かせるが、綾辻だけは不思議そうな顔をしていた。


「ねぇ百瀬。バナナボートって、一人でやったの?」

「それはあれか。お前はバナナボートを一人でエンジョイする能力が高いぼっちだな、ってディスってるのか」

「先輩、それは被害妄想すぎません……?」

「そうは言うけどな、雫。綾辻は平気でそういう毒を吐いてくる奴だぞ。少なくとも俺には」


 確かに、と雫がくすくす笑う。綾辻もそれに続いて笑ってから、ふるふると首を横に振った。


「確かに百瀬に毒を吐くことに躊躇いはないけど」

「おいこら断言するな」

「……こほん。躊躇いはないかもしれないような気がするけど、そうじゃなくて。百瀬とお父さんの二人で遊んでるとは流石に思えないから。それとも、小さい子とかが一緒だったの?」

「あー、そういうことね。いやあっちの方は、俺より年下の親戚いないぞ。だよな?」


 父さんがこくりと頷く。

 じゃあ去年までの俺は父さんと二人っきりで海を満喫するとかいう史上稀に見る最低の夏の過ごし方をしていたかというと、そういうわけでもない。


 つーか、どうして綾辻も雫もピンときてないんだ?

 二人が顔を見合わせて首を傾げるので、俺ははぁと溜息をついた。


「あのなぁ、二人とも……流石に忘れるのは可哀想すぎないか? いやあの人自由人だし、従姉より会長感が強すぎて忘れがちになるのは分かるけど」

「従姉……」「会長……」


 ぼそりと呟いて、そこでようやく二人はあの人の存在に思い至る。

 あの人――即ち、霧崎時雨。

 父さんの兄夫婦の長女にして、圧倒的ハイスペックな本校の生徒会長である。


「え、っていうことは……先輩っていつもあんな綺麗な人と海で遊んでたんですか?」

「まぁ綺麗なのは認めるけど……従姉だしな」

「ついさっきまで従姉だってことを私たちが忘れるくらい、二人って似てないけどね」

「それに従姉ヒロインは捗るのよねぇ」

「途中から入ってきてしれっと爆弾落とすのやめてもらっていいですか!?」


 あーもう。

 どうしてこんな風にドタバタな感じになるかねぇ、まったく。

 隣にいると父さんと、楽しく苦笑いした。



 ◇



 途中でサービスエリアに寄り、昼飯代わりの軽食やお菓子を買いこんだりもして。

 ようやく昼過ぎになって、父さんの実家に到着した。車を駐車場に止めて降りると、冷房が効いた車内との温度差で少し嫌気が差す。


 が、それも都会よりはマシなように思えた。

 実際の気温は同じなのかもしれないけれど、こっちの方は都会よりも暑さを感じない。近くの海から漂う磯の香りのおかげなのかもしれないし、そもそも海が近くにあると知っているからそう錯覚しているだけなのかもしれない。


 まぁ、そんな難しいことは置いておいて。

 車から荷物を降ろした俺は、雫と綾辻の分も預かろうと手を伸ばした。


「あ、大丈夫ですよ先輩。すぐそこですし、自分で持ってきます」

「私も。着替えとか結構入ってるし」

「そっか」

「残念でしたね。イケメンなところを見せられなくて」

「別に荷物を持った程度でイケメンになんかなれるとは思ってねぇよ。ただ重いものを持たせるのは気が引けただけで」


 俺が無愛想に言い捨てると、雫はニヤニヤと若干腹立つ笑みを浮かべる。


「……なんだ、その顔。ぶん殴るぞ」

「きゃー、ドメバイですドメバイ!」

「そう思うなら何故嬉しそうな反応をするんだよ」


 苦笑しながら、だからDVな、とも思っておこう。

 期末テストも中間ほどではないがいい結果だったんだし、余計なところで馬鹿になるのはやめようぜ。八雲や如月みたいになっちゃうぞ。


 と、こんなくだらないやり取りをしていてもしょうがない。

 大人しく俺は自分の荷物だけを背負い、父さんに続いて玄関まで向かう。


 父さんの実家は、7月に行った母さんの実家ほどではないにしても、大きい。

 俺の曽祖父ちゃんに当たる人がかなりやり手だったのだ。田園調布にある家も、元々は曽祖父ちゃんが住んでいた家をリフォームしたものだったりする。


 ぴんぽーん、と気の抜けた電子音が鳴った。

 どしどしと重めの足音が聞こえたかと思うと、玄関ががらりと開いた。

 でてきたのは、景気よく笑う体の大きな男性――祖父ちゃんである。


「おー、孝文! それに友斗もいるじゃねーか! よくきたなぁ!」


 がっはっは、と快活な笑い声が響く。

 相変わらずだなぁ……。苦笑しながらも、俺はお辞儀をしてから答えた。


「祖父ちゃん、久しぶり。元気そうでよかったよ」

「はっはっは。そりゃそうだ。俺が倒れるのはァ、戦場だって決まってるからな」

「……さてはFPSにハマったね」

「ぐぅ?! 流石は友斗! よく分かったな!」

「あ、うん。分かりやすいしね」


 雫に負けず劣らず感化されやすい祖父ちゃんは、とりあえず派手なことが大好きなタチだ。FPSとか格ゲーとか狩りゲーとかにハマるタイプだ。そしてめっちゃ弱い。弱いけどめっちゃ楽しそうにする。


「お、美琴ちゃんじゃねぇか。そーかそーか、無事くっついたんだったなァ」

「あはは、お久しぶりです。その節はお世話になりました」

「くっくっく、それはこっちの台詞だぜ。うちの馬鹿息子をありがとうな。……んで、そっちが?」


 祖父ちゃんの視線は、義母さんの後ろにいた雫と澪にスライドした。

 父さんは最初の一言でスルーか、とは思わないでおこう。父さんは父さんで祖父ちゃんをスルーして玄関に上がり込んでるし。


「初めまして。澪です。友斗くんと同級生になります」

「初めまして! も、……百瀬雫です! ゆ、友斗くんの後輩ですっっ!」

「おお、おお。随分とまぁ可愛いじゃねぇか。幸せもんだなァ、友斗!」


 綾辻は分かりやすく外行きの態度で言うからいいが、雫はそうではないので『友斗くん』とか呼ばれると変な気分になる。

 雫の場合、いつもは『先輩』としか言わんしな。けどだからってそれくらいで照れるな。こっちが恥ずかしくなるから。


 ……こほん、閑話休題。


「祖父ちゃん、暑いしもう入っていい? お昼買ってきたんだけど、まだ食べてないから」

「おぉ、そーだったな! 悪ぃ悪ぃ、入ってくれ。まだ晴季たちァ来てないけど、すぐ来るはずだぜ」


 ばんばん、とどこの体育会系かと思う勢いで背中を叩かれる。

 まぁこれも元気な証拠だよなぁ、と思いつつ、玄関に上がった。

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