4章#22 それは兄さんでしょ?

 瞬く間に8月がやってきた。それはもう、ハロウィン後のスーパーがクリスマスへと商品の売り方を転換していくのと同じくらい一瞬だった。微妙に分かりにくいな。それにしても11月1日に見るハロウィン用お菓子の売れ残りの切なさは異常。


 と、くだらないことを言うのはやめて。

 改めて述べよう、8月である。何なら今日は、一週目が終わりに近づいている5日だ。だいぶ曜日感覚も薄れ、いよいよ夏休み用の体のリズムができ始めている。


 そんな日に俺は、


「なぁ暑くすぎじゃね?」

「言わないで、兄さん。余計に暑く感じる」

「でも事実だしなぁ……くっそ、帰りてぇ」

「ダメだよ。脚本、全然進んでないんだよね?」

「……まあな」

「じゃあ行かないとダメ」


 綾辻に宥められ、炎天下の街を歩いていた。

 全ての始まりは先日八雲からかかってきた電話。俺のプロットがあまりにも進んでいないので、関係者で会議というか打ち合わせみたいなものをしよう、という話になった。


 で、今日がその日なのだが……運が悪いことに今日の最高気温は39度。ぶっちゃけ靴を履いていても足が焼けるかもと思うほど地面は熱いし、水分補給を欠かしたらクラクラしそうだと思うほどにはもわもわと暑い。


 帰りたがるのもしょうがない真夏日だと言えよう。


「主演女優の私も我慢してるんだよ? 兄さんが参加しないなんてありえないからね」

「うっ……まぁな」


 綾辻――いやあえて美緒と表現しよう――が口にするド正論がグサグサと身に突き刺さり、俺は思わず顔をしかめてしまう。

 確かにそうだ。美緒は役者なのだし、本来的に言えば脚本は俺たち裏方でどうにかすべきなのだろう。まぁどこぞの演劇部部長は主演脚本監督全部やっているらしいが。


「頑張って、兄さん」

「っ……だな」


 じじじ、と綾辻の顔にノイズが走るような錯覚を受ける。

 二人っきりのとき、今でも綾辻は美緒で在ろうとする。しかも……日に日に近づいている気がするのだ。

 もともと顔はそっくりだった。声も似ている。笑い方だってそうだ。でも、それだけだと思っていた。性格は違うし、どれだけ演じても綾辻は美緒になりきれない。


 だから違和感を抱き続けていた。


 そのはずなのに――前提が崩れかけている。

 俺が美緒の欠片を拾い集めるほどに、綾辻は美緒に近づいていく。


『美緒はそうすると思わない?』

『真面目な美緒なら……あんな風に期待されて、『目立ちたくないから』なんて理由で断ったりしない。ベストを尽くす』

『だから頑張るね、私』


 夏休みに入る前、綾辻が俺に告げた。

 そもそも彼女がここにいること自体、綾辻を美緒で上書きする行為なんじゃないか、と思えてきてしまう。

 綾辻澪はいつだって孤独な少女だった。人と関わることを厭い、面倒ごとから距離を置く。文化祭でミュージカルの主演をやるなんて、まずありえない。


「なあ綾辻」


 俺は言う。


「今日、本当は面倒だったか?」

「それは兄さんでしょ?」

「……ちぇっ、バレたか」

「私のせいにして帰ろうとしても無駄だからね。ちゃんと今日は打ち合わせをするの。八雲くんや伊藤さんだって、兄さんのことを心配してくれてるんだから」

「へいへーい」


 今はまだ踏み込めない。踏み込んだら最後、美緒を求める心に負けて、綾辻を抱き締めてしまうだろう。

 変わりたいんだ。

 それでもやっぱり、美緒の顔と声で話しかけられると心が揺れる。


 流れゆく大河と現在位置を示す澪標。

 果たして俺は、どちらに身を委ねるのだろう。


 ちりちりとアスファルトに焼かれる俺は、まるでたいやきくんだった。



 ◇



「お~、皆! やっほー」

「やっほーじゃねぇよ! 言い出しっぺのくせに待ち合わせに遅れてくんな!」


 定刻から約30分が過ぎて、ようやく伊藤は待ち合わせ場所にやってきた。

 俺と綾辻の気持ちを八雲が代弁すると、伊藤は、たはー、と申し訳なさそうに笑う。


「ごめんごめん! 色々準備してたら遅くなっちゃって。許して!」

「だとよ、学級委員さんたち。どう思う?」

「ちょっと炎天下で30分立ち尽くすバイトをしてほしい感はある」

「少し反省してほしいかなぁ……」

「綾辻さんも厳しい?! 味方になってくれると思ったのにぃ」

「だって本当に暑いから。まぁ反省してくれたなら私は許すよ? 女の子的に、準備が大変なのは分かるし」

「天使!!!!」


 うっわぁ……見事に切り替えてんな、綾辻。

 さっきとは打って変わって、今の綾辻は人当たりがいい。伊藤は冗談混じりで言っただけだろうが、まさに『天使』という感じがする。表情の作り方すら別人だ。

 天性の演技力ってやつか、としみじみ思った。


「まぁこんなところで話してても誰も幸せになんねーしな。友斗、とりあえず行くか」

「あぁ。そうだな」


 人によって待ち合わせの時間感覚が違うことはままあることだ。伊藤を責めてもしょうがないし、そもそも俺は今日世話になる側だからな。

 八雲と頷き合い、俺たちは目的地へ向かうことにする。


「で、今日ってどこに行くんだ? 八雲から集合場所と時間を知らされてるだけなんだが」

「言っとくけど、それは俺もだぜ。聞いても教えてもらえなかったから」

「そうなんだ……伊藤さん、どこに行くの?」


 綾辻が聞くと、伊藤はけろりと答える。


「あ、言ってなかったけ。ウチの家だよ」

「「……は?」」

「大丈夫大丈夫。お父さんもお母さんもいないし」

「いや別にそこの心配はしてないが……」


 じゃあ何を心配しているのか、と言われれば解答に詰まる。別に何かを心配しているわけではない。ただそんなほいほい人の家に行っていいのか、と思ってしまう部分があるのだ。


 しかし、それは俺と綾辻だけだったらしい。

 八雲は、ふーん、となんてことなさそうに返事をしている。まぁ友達百人いたら家にも普通に行くよね。


「まぁまぁ、とりあえず行こー。チャンスの神様は前髪以外禿げなんだよ」

「間違ってないけど悲壮感ある言い方にするな。そして使いどころが違う」

「細かっ。そーゆうの、女子に嫌われるよ」

「やかましい。さっさと案内しろ」


 まぁ……いっか。

 なんか伊藤と話してるとそう思えてくるから不思議だ。そんなところが人気者たる由縁なのかもしれない。


 そうしてたどり着いた伊藤の家は、何の変哲もない一軒家だった。まぁ人の気配はあるし、あくまで両親は出ているだけなのだろう。一人暮らしなんて稀有な例が早々あるはずないので、当然と言えば当然か。


 家に上がると、俺たちはとある部屋に通された。そこは明らかに他の部屋とは異質で、たくさんの本とピアノとその他諸々のオーディオ機器と……つまりはまぁ、芸術的なものが色々と置かれていた。


「なぁ……伊藤って何者なんだ? 明らかに一般家庭なのに、この部屋だけはどう考えても一般家庭とは思えない密度なんだけど」

「それなぁ。俺もよく分からん。けど白雪が仲いいから、とりあえずいい奴だなって思ってる」

「如月が仲良くしてるのは、単に伊藤が可愛いからじゃねぇの?」

「そーだけどな。美少女に悪い人はいないつーのが白雪の持論だから」

「不純な持論過ぎるんだよなぁ」


 その理論なら美少女しか出てこないアニメでは悪人を一人も出せなくなるじゃんか。最高に性格悪い女が最高に綺麗、ってのもそれはそれでアリだと思うよ?


 と、そんな如月の美少女好きな癖についてはさておいて。

 作詞作曲ができるサバサバ系JKって、もはや属性が渋滞してるんだよな。雫だったらキャラ設定に物申すレベル。


「お待たせ~。とりま、テキトーに摘まめるお菓子持ってきたから食べながら色々見よ~」

「あ、伊藤さんありがとう。私もちょっとした差し入れ持ってきたから、もしよかったら」

「あ、そうなんだっ!  めっちゃ嬉しい――って、もしかしてこれ手作り?」

「うん。私、和菓子が好きで。夏っぽくないかなって思ったんだけど」

「ううん、ちょー嬉しい! っていうか和菓子作れるの凄くない?」

「ありがとう。けど物によっては結構簡単だよ?」

「へー、そーなんだ! ウチも今度やってみよっかな」

「うんうん、ぜひ」


 ……以上、綾辻と伊藤の女子トークでした。

 なるほど、確かに美少女に悪い人はいないかもしれない。っていうか綾辻、しれっと和菓子作って持ってきてるんだな。俺一ミリも知らなかったんだけど?


「まぁいつまでも駄弁っててもテキストは埋まらないし、とりあえずやるか」

「お、いいねいいね。じゃあやろっか」


 言うと、伊藤は本棚から何冊か本を取り出した。

 背表紙を見ると『グリム童話』『本当は怖いグリム童話』『新解・グリム童話』『怖いおとぎ話』などと記されている。なるほど、まずはおとぎ話から攻めるわけか。


 ――童話をベースにシリアスで泣ける話


 それが今回のコンセプトである。

 童話については何となく知っているつもりだが、改めて知っておいても損はないだろう。

 その他、プロットの書き方などの作法についての本も数冊。

 うーむ……たくさんあるし、手分けするしかなさそうだな。


 三人とも、それぞれ童話の本に手を付け始めている。

 俺もまずはそれに倣おう。プロット自体を今日書く必要はないし、作法なんてぐちゃぐちゃでも何とかなるからな。


 吐息と紙をめくる音が排泄される。てっきり駄弁って終わるかと思っていたが、伊藤と八雲は結構真剣に考えてくれている。

 昼食を食べてから集合したため休憩をほとんど挟むことなく、それぞれ勝手にお菓子を摘まみ、本に没頭していた。


 そうして4時間が経ち、夕方と言って差し支えない時間帯になって。

 俺は――悟った。


「これ、あんまり役に立たなくね……?」

「百瀬くん、それ言っちゃダメっしょ。ウチもちょっと思ったけど」


 俺の呟きに、伊藤は苦笑いしながらツッコむ。

 だが否定はしない。それは八雲や澪も同様だった。


 約4時間をかけて、うんうんと唸って。

 そうして俺たちは気付いたのである。これ、延々と本当のグリム童話とか調べたところで教養にしかならんな、と。


「そもそも、こうやって本を読まないと出てこないような童話をベースにしたらコンセプトに外れるからなぁ」

「そうなんだよねー。やっぱ、ディ〇ニー映画とかになってるやつじゃなきゃダメかな」

「ディ〇ニー……たとえば、シンデレラとか?」


 綾辻がぽつりと呟く。


「んー、けど綾辻さんはシンデレラとは違う感じがするかなぁ」

「え、そうかな……? じゃあ逆にどんな童話なら私っぽい?」


 はてと綾辻が首を傾げると、伊藤がうーんと考え始める。

 開始から四時間が経ち、ようやく話が進みだした感じだ。八雲と視線を合わせ、俺たちも考えてみる。


 綾辻らしい童話って、なんだろう?

 ぱっと思いつくのはヘンゼルとグレーテルだ。でもそれは、綾辻澪というより百瀬美緒なわけで。

 綾辻澪に合う童話は思いつかなかった。


「いざ言われると分かんないなー。八雲は?」

「俺は……んー、言われてみると分からねぇかも。友斗は? うちのクラスだと、友斗が一番話してるじゃん」


 二人がパスをし、俺に話が回ってくる。

 綾辻がぱちぱちと瞬いた。何か捻りだそうとするが……二人同様、いいものは浮かんでこなかった。


「分からん。強いて言えば親指ひ――」

「百瀬」

「声が怖ぇよ。冗談だって」


 俺がすぐに謝ると、八雲と伊藤がぷっ、と吹き出した。

 けらけらと可笑しそうに笑うと、伊藤は言う。


「まぁそーだよね。すぐに思いついたら苦労しないだろうし」

「あはは……私はちょっと、複雑だけど。ごめんね、おとぎ話っぽくなくて」

「ううん、全然そんなことないよ! むしろすっごいお姫様って感じがするし」

「そう言われるのも複雑だけど……ありがとう。嬉しいな」


 ふんありと綾辻が笑みを零した。

 たんぽぽの綿毛のような、優しくて柔らかな笑顔。

 伊藤はそれを見て頬を緩めると、視線をこちらに移した。


「ってかさ、百瀬くんって綾辻さんと結構仲いいよね。二人ってどーゆう関係なの?」


 テーブルから身を乗り出して伊藤が聞いてくる。

 どういう関係、か。一瞬答えるべきか迷うが、すぐに思い直した。セフレだった過去を除けば、口外して困ることなどない。


 俺たちは百瀬友斗と綾辻澪のはずだから。


「中学からの腐れ縁なんだよ」

「――……っ?」

「えっ、マジで?! おい友斗、それ聞いてねーんだけど」

「聞かれてないし、4月の時点で言ってたら色々誤解しただろ? だから黙ってたんだよ」


 綾辻が目で、どういうつもりか、と聞いてくる。

 だが今はその問いには答えない。伊藤さんが、ふぅん、と口角をつり上げた。


「へー、内緒の関係だったんだ? 二人ってなんかあやしー」

「はは……伊藤さん、それはないよ。中学からの腐れ縁って言っても、中学校の頃はほとんど話してなかったし」

「あっ、そうなんだ?」

「うん。そうだよ。それに同じ中学校だった子はもう一人いるしね。それより、本題に戻ろう? せめてベースにする童話くらいは決めないと、百瀬だけじゃ絶対締切に間に合わなそうだし」

「それな」「それね」

「おい」


 二人にツッコミを入れると、けらけらと笑いが起こった。

 笑い終えると、俺たちはまた脚本のための話し合いに戻る。

 綾辻……そして八雲のいつもとは違う視線が、チクチクと肌を刺してきていた。

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