4章#18 いいヒロイン

 母方の実家への帰省から数日が経ち、いよいよ七月も残すところあと僅かとなった。

 近所の小学校も夏休みに入ったらしく、公園では毎日元気に遊んでいる。つい最近改装された公園があるのだが、あそこがなかなか人気のようだ。まぁ近所すぎて行く気にもならんけど。だって徒歩数分だぜ?


 ってなわけで、俺は今日も今日とて(とか言いつつろくにやってないけど)文化祭のプロット執筆に勤しんでいたのだが。

 案の定進まないなー、これは無理だなーと思っていたところ、とんとんとドアをノックされた。


 真っ白なテキストファイルを一応きちんと保存してから、入っていいぞ、と言うと、


「私、参上っ!」


 俺の後輩にして小悪魔を自称していたはずの雫が、元気よく敬礼をしながら入ってきた。

 ……なんか厨二臭い。


「雫ってさ、割と影響受けやすいよな」

「なっ……酷くないですか? 全然そんなことないんですけど」

「今期やってるロボアニメの台詞を言いながら入ってきた奴がなんか言ってる」

「むぅぅぅ……オタクでギャルな後輩って、普通に考えてポイント高いでしょ?? どうしてそーやって捻くれたことを言うんですかぁぁっ!」

「雫の方がよっぽど捻くれてるんだよなぁ」


 確かにオタクに優しいギャルとか、SNSで漫画にして上げたらバズるタイプの王道テーマだけどね?

 そもそも雫がギャルって印象あんまりないし、オタクだった雫の方を先に知ってるから今更なんだよな。もっと言えば、こんだけ長い付き合いなのに今更ギャップ萌え的なキャラで攻めてこられても困る。


 ……なお、さっきの『私、参上っ!』は可愛かった。俺の推しヒロインでもあるしな。


「で? 急に参上して、雫はどうしたんだ?」

「~~っ。なんかその、皮肉っぽい言い方がとってもゴウハラなんですが……今はやめておきます。話が進まないので」


 んんっ、と雫は咳払いをした。

 ピンと背筋を伸ばすと、白いタンクトップが張って、胸元がぐっと押し上げられる。


「私は今日、先輩から約束のものを徴収しにきました」

「約束のもの……? なんか約束してたっけか」

「うわっ、先輩さいてー。約束忘れるとかギルティーですよ」

「うっ……悪かったよ。今思い出すから少し待ってくれ」


 ぶーぶーとむくれる雫に待ったをかけて、俺は記憶の引き出しをひっくり返す。

 約束のもの……約束……徴収……!

 あぁ、そういえば。


「この前の埋め合わせのことか?」

「そのとーりです! っていうか、そんなさらっと忘れられるとめちゃくちゃ傷つくんですけど。泣きますよ?」

「いや忘れてたんじゃなくてお前の言い方が紛らわしかったんだよ。別にを約束したわけじゃないだろ」

「むぅ。確かにそれはそうですけど」


 雫は不服そうにする。疑われている気がするので改めて断言するが、この件についてはきちんと覚えていた。ものじゃなくて約束だから分からなかっただけだ。


 けどなぁ……そもそも、埋め合わせだったら俺から声をかけるべきだったのでは、という気持ちもムクムク湧いてくる。

 っていうか雫がしゅんとしてると、それだけでこっちが悪くなってくる気もするし。


「あー。あれだ、出先でなんかプレゼントするから。それで許してくれ」

「むむむ……それも魅力的なご提案ですが、今回は却下です」

「えぇ……そんなに怒ってるのかよ」


 そこまで怒られることじゃないと思うんだけどなぁ。というか、雫がここまで引きずるのも珍しい。

 妙だと思った俺が目を細めると、雫はふるふると首を振った。


「違いますよ。別のお願いがあるので、それを聞いてもらいたいってだけです。私、そこまで面倒な女じゃないですし」

「あっ、そう……で、そのお願いってのは?」


 かかったな。

 まさにそんな風なモノローグが聞こえていそうな感じで雫がニィと不敵に笑った。


「水着選びを手伝ってください!」

「…………は?」

「水着選びを! 手伝ってください!」

「え゛。マジで?」

「マジです」


 こくこくと雫が頷く。

 否とは決して言わせないその圧に押し負けた俺は、30分後玄関集合という命令を渋々ながら受け入れた。



 ◇



 で、30分後。

 着替えを済ませた俺が玄関で待っていると、雫が準備万端って感じでやってきた。綾辻は部屋で何かをしているらしく、見送りには来ていない。

 雫の姉として変なことするなよ的なことを言ってくると思ってたんだが……


「うわぁ……日差しやばいですね。日焼け止め塗ってきてよかったです」

「あぁ。日焼け止めなぁ……」

「あっ、もしかして塗りたかったパターンですか? 残念ながら今日はそういうサービスは受け付けてないんですけど」

「あ、うん。暑いからそういうやり取りはやめにしとこうぜ」

「…………ですね。早く行きましょっか」


 雫も小悪魔をやめる暑さ。

 そんな形容が成り立ちそうだなぁ、と苦笑しつつ、駅まで向かう。


「そういえば、今日は待ち合わせにはしなかったのな」


 ふと思って口にすると、雫は俺の手をぎゅっと握った。

 暑くても恋人繋ぎは変わらないものだから指の間は汗ばんでいる。なのにその汗ばんだ指を愛おしむような手つきで触れるので、少しどころではなくこそばゆい。


「たまには待ち合わせじゃなくて、最初から最後まで一緒なのもいいかなーって。そう思ったんです」

「ほーん」

「だってほら。よく考えたら同じ家に住んでるのに待ち合わせっておかしくないですか?」

「まぁそれはな」


 それでも雫は、今まで待ち合わせをしたがっていた。

 付き合う前も付き合った後も。

 だから今日はちょっとだけ意外だったのだ。てっきり駅で待ち合わせって言われると思っていたから。


「あのね先輩……私、いいヒロインでいたいんです」

「ヒロイン?」

「私が憧れたのは、ゲームの中の素敵な女の子なんですよ。可愛くて、いい子で、ちょっと悪い子なところがあっても絶対に憎めなくて……そういうヒロインになりたかったんです」


 雫はアルバムを眺めるみたいに言う。


「夏休みに入る前。先輩が大河ちゃんの看病に行った日、ありましたよね」

「……あったな」

「あのとき気付いちゃったんですよ。『うわ、私ってかっこ悪いな』って。このままじゃきっと、私は魅力的な負けヒロインにすらなれないんです」


 ちょうど昼に切り替わる夏の日差しが、にっこりと笑う雫を照らしていた。

 だからね、と雫は言った。


「先輩が彼女にしてくれる限りは、いい彼女になってみせます。きっとこの時間が、未来の布石になるはずなのでっ!」


 あぁ、と俺は眩しさに目を細めながら思う。

 いつだって雫は俺よりも先に変わる。俺の前を歩いて、自分が望む姿になっていくんだ。

 でもその奥には臆病さや思慮深さを秘めていて、その不安定さもまた、雫なのだろう。


「大人になったなぁ」

「あー、もう! またそーやって子供扱いして!」

「冗談だよ。ほら行こう。後でアイス買ってやるから」

「今は海に向けて節制中なのでお断りしておきます!」


 雫のそういう部分はきっと、アイスキャンディーの中に隠された『当たり』の三文字みたいなものなのだと思う。

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