4章#17 なんにも知らねぇじゃんかよっ

 SIDE:友斗


 気付けば眠っていて、そして俺は目を覚ましていた。

 眠る前、何を思っていたのかは覚えていない。シクシクと心が軋んでいたことだけは、目覚めの悪さのおかげで思い出した。


 朝食を皆で食べて、帰り支度をして。

 あっという間に帰る時間はやってきた。昨日は暇だと思ったものだが、いざ過ぎ去ると『あっという間』と形容しているのだから人間ってのは随分と都合がいいよな、と思う。


「またいつでも来ていいからね~。澪ちゃんも、今度は別の料理を教えたげるから」

「はい、ありがとうございます。また来ますね」

「綾辻が馴染みすぎなんだよなぁ……まぁ、俺もまた来るよ。ありがと、祖母ちゃん」


 そうして別れの挨拶を済ませて帰ろうとしていると、最後に祖母ちゃんが父さんに何かを差し出した。

 煎餅か何かの缶だ。お土産か?と思っていると、神妙な面持ちで祖母ちゃんが言う。


「読む覚悟、できたみたいやからね。渡しとくわ」

「……ありがとうございます。今後はうちに届くように申請しておきます」

「うん、そうしなそうしな。目が霞んでどうせ文字なんて読めんからね」


 読む覚悟? 文字?

 何を言っているのか、全然分からない。なのに分からなきゃダメなのだという焦燥だけはこみあげてきて、俺は父さんをじっと見つめた。

 祖母ちゃんが、はぁ、と呆れたような溜息をつく。


「あんた、友斗に言ってさえおらんの?」

「……友斗には残酷だと思ったんです。言っても分からなかったでしょうし」

「そらぁ、小学生の頃はね。けど今はこんなに大きくなってるんだ。伝えるべきことを伝えるのは、親の最低限の義務さね」

「…………はい」


 父さんは真剣な顔で頷いた。

 場を改めれば逃げてしまうと思ったのかもしれない。父さんは俺の方を向き、あのな、と大人らしいトーンで言った。


「サンクスレターって知ってるか?」

「えっ」

「臓器提供を受けた人が提供した人の家族に書く手紙。聞いたことくらい、あるだろ」

「それは……まあ」


 フィクションの世界で何度も見たことがある。臓器提供と調べればすぐに出てくることでもあるから、マイナーな文化というわけでもない。

 もちろん知っている。

 けど、おかしいだろ。どうして今そんな話をするんだ?


 関係、ないだろ……?


「友斗には言えてなかったけど……美緒は提供したんだよ、心臓を」

「は?」

「美緒の願いだった。もしも自分に何かあったら、そのときは誰かが生きる手助けをしたい、って。分かるだろ? 美緒はすごくいい子だったから」

「それ、は…そうだけど……」


 痛いほどに理解できる。

 美緒はそういう子だ。俺が知らないだけで、きっとどこかのタイミングで父さんと話していたのだろう。つくづく俺の二歳差とは思えない子だよ。


 嫌なわけでもなかった。提供してなくても、美緒は死んでいた。だから美緒の心臓を貰い受けた誰かに対して仄暗い感情を抱くことはない。


 でも、それでも……。

 自嘲と失望で胸がいっぱいになる。


「そっか。それで、父さんはやっとその手紙を読む気になった、ってことか」

「あぁ。美緒に向けられた感謝をきちんと受け止めてあげるべきだと思ったんだよ」

「……そう、だな」


 きしきしと心が軋む。

 ごめん。一言謝ってから、俺は父さんと綾辻に告げた。


「先に行っててくれ。ちょっと一人になりたい」

「…………分かった。行こうか、澪ちゃん」

「ぇ? あ、はい」

「ゆー兄?」

「悪いな。三人と……それから祖母ちゃんも。一人になりたいから、中に戻ってくれると嬉しい」


 皆が向けてくれる心配を丁寧に受け取っている余裕がなかった。

 グラグラと俺の世界だけが崩れていく気がする。


 父さんと澪が歩いていく。

 四人が家の中に戻る。

 やっと一人になったとき、へなへなと弱っちい声が掠れた。


「何にも……なんにも知らねぇじゃんかよっ」


 俺が誰よりも美緒を知っているつもりでいた。

 美緒と愛し合い、秘密の恋人にまでなって。もう俺が知らない美緒なんてどこにもいない、って勝手に思い込んでいた。


 情けなくて、滑稽すぎて、俺は暫くその場に蹲った。

 俺が動き出せるようになったのは、それから10分ほど経った頃だった。


 俺は向き合うと決めた。

 いつまでも立ち止まってはいられない。俺のヒーローが、俺ならできると信じてくれているのだから。


 立ち上がり、俺は二人に追いつくために歩き始める。といっても、随分と距離ができてしまった。数学の問題じゃあるまいし、二人が駅に着く前に合流することは難しいだろう。

 どうせ電車の時間は決まっている。このまま歩けば余裕で間に合うので、電車に乗る前に合流できれば問題ないだろう。歩きながら綾辻と父さんに連絡を取っていると、ふと大河とのトーク画面が目についた。


『私は百瀬先輩の傍にいます。何かあったら必ず守ります』


 あのプール掃除の日以来、大河とはマメに連絡を取っている。何となくではあるが、その日あったことを報告しているのだ。

 日によって多かったり少なかったりはするが、大河は決して欠かさない。その律儀のおかげで俺は生活リズムを最低限保ってていると言えるかもしれん。


【ゆーと:今、空いてるか?】


 毎日必ず朝10時に送られてくる『おはよう』の挨拶をフライングする。

 けれど、トーク画面には既読の二文字がついた。


【大河:おはようございます。空いてますよ】

【大河:どうなさったんですか?】


 自分でもびっくりするくらい、答えはすぐに出てきた。

 俺は今、大河の声を聞きたいんだ。


【ゆーと:電話ってできるか?】

【ゆーと:今出先で、歩きスマホは気が引ける】

【大河:歩きスマホはやめてください。マナー違反ですよ】


 ぷっ……ほぼノータイムでそれかよ。

 つくづく大河らしすぎて笑える。言われた通りに立ち止まると、すぐにもう一件メッセージを受信した。


【大河:電話できます。少しうるさいかもしれないですが】

【ゆーと:了解。かけるぞ】


 発信ボタンを押す。

 とぅるるる、とぅるるる、とぅるるる。

 三回分の発信音のあと、大河は通話に出た。


『もしもし……百瀬先輩ですか?』

「あぁ、もしもし。聞こえてるか?」

『聞こえてます。おはようございます』

「あ、おう。おはようさん」


 なんだかんだ、電話をするのは初めてだ。

 大河の口調はどこか堅苦しく、きっと慣れてないんだろうな、と思う。くすりと笑っていると、電話の向こうからコトコトと何やら物音が聞こえた。


「あー。もしかしてご飯作ってるのか?」

『あっ、すみません。聞こえましたか……?』

「まぁな。別に謝る必要はないぞ。俺が急に言い出したわけだしな」


 ぐぅぉぉぉぉん、と横を駆動音が過ぎ去る。

 電話をしてみたはいいけど、特に話題があるわけじゃないから。

 えっと、とか。あー、とか。そんな意味のない言葉ばかりを続けてしまう。


『あの、百瀬先輩。何か話したいことがあったんじゃないんですか?』

「……はぁ。お前はほんと、一切躊躇せずに言ってくるよな」

『可愛げがなくて申し訳ありません。百瀬先輩のお気に召さないようなので切らせていただきますね』

「冗談だって! なんでそこで拗ねるんだよまったく……」

『そんなの――からに決まってるじゃないですか』

「ん? 悪ぃ、聞こえなかった」

『好きだから、って言ったんです! 少しはデリカシーというものを学んでください』


 恥ずかしそうに、けどそんな台詞ですら真っ直ぐと言い切る。

 心の柔らかいところにずぷりと刺さる不器用さだった。


『私だって、色々考えてるんですよ。好きだけど、でも雫ちゃんを悲しませたくはないですから』

「……うん」

『でも流石に、こう……百瀬先輩の行動にはたまにムカつけちゃうと言いますか』

「うん、こっちこそごめんな」


 言って、話を区切る。


「大河に話したことがあったんだよ」

『話したいこと、ですか』

「ああ。結構ショックを受けててさ。大河の声を聞きたかったから、いつもみたいなRINEじゃなくて電話にした。……迷惑だったか?」

『~~っ! そういう弱った声を出すのは卑怯だと思います! 言いましたよねっ? 私、百瀬先輩のことが好きなんですよ? 好きな人の弱いところなんて見せられたらどんどん好きになってしまうじゃないですか!』

「え、今怒られてんの……?」

『当たり前です! 悔い改めてください!』

「えぇ……」


 割と理不尽では?

 まぁ、文句を言ってもしょうがないだろうから言わないが。ついでに、ちょっと我ながら情けなさすぎるな、と自戒しておく。


『それで? 話したいことがあるんでしたら、話してください。ちゃんと聞いていて差し上げますから』

「……いいのか?」

『いいに決まってます。ほら、話してください』


 大河に促されて、俺は美緒の心臓移植の話をした。

 横を通り抜けていく自転車の音、電話越しに伝わる調理の気配。生活を感じていたおかげか、だいぶ落ち着いて話せたように思う。


『そう、だったんですか……』

「ああ。俺は美緒とちっとも向き合ってこなかったんだな、って思い知った。何もかも知ってるとか思ってたのにな」

『そんなの、当たり前ですよ』

「え?」


 聞き返せば、大河はピアノで弾く童謡の『おかあさん』みたいな優しい声で言った。


『誰にでも見えないところはあります。きっと月みたいなものなんですよ。どこから見るかによって見える姿が違って……それは当然のことなんです』

「月、か」

『はい。だから百瀬先輩が知らない美緒さんがいるのと同じように、百瀬先輩しか知らない美緒さんもいるんです。百瀬先輩は今初めて前者を見ようとしているんですよ』

「なるほどな」


 それは、多分手垢のついた答えだ。

 でも大河から貰った答えだから、とても頼もしく思えた。


「とりあえずスッキリしたわ。ありがとな、朝っぱらから電話に出てくれて」

『いいえ、そんなに早朝でもありませんから』

「それもそうだな。……じゃあ俺はこれで――」

『あっ、待ってください。その前に一つ聞きたかったんですけど』

「ん、どうしたんだ?」

『えっと……百瀬先輩って、どんな水着が好きですか?』

「水着?」


 また随分と急な話だ。

 水着なぁ……夏といえば海やプールってイメージはあるし、大河も行くのかもしれない。

 つっても俺、別に水着には詳しくないんだよなぁ。雫に聞くのが手っ取り早いと思うんだが。


「水着には詳しくないけど……そうだなぁ。大河の髪だと、地味めな方が似合うんじゃないか? かっこいい系だとそれっぽい気がする。知らんけど」

『なるほど。参考になりました。ありがとうございます』

「おう」


 それじゃあまた。

 そう言って、大河は通話を切る。

 通話終了画面を一瞥してから、俺はスマホをポケットに仕舞い込んだ。

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