クーデレなセフレと小悪魔な後輩が義妹になったので距離を置きたい。

4章#04 兄さん

「――ということで。最後に今日決まったことをまとめます」

　あれから一時間ちょい話し合いを続け、うちのクラスの出し物について色々と決まった。

　活力に満ちた一同と黒板の間で視線を移動させつつ、俺は決まったことを確認していく。

　まず、企画概要はこうだ。

『企画名：ミュージカル

　場所：ステージ

　コンセプト：打倒・演劇部！

　ジャンル：童話をベースにシリアスで泣ける話』

　ツッコミどころがあるとすれば、コンセプトだろうか。

　なんだよ『打倒・演劇部！』って。本職と戦うとか正気か？　いやまぁ、あくまでそういう気持ちでやるってことなんだろうけどさ。

　で、次に決まったのが主要な仕事につく面々である。

『総責任者：百瀬友斗

　舞台監督：伊藤鈴

　楽曲：伊藤鈴

　脚本：百瀬友斗

　演出：伊藤鈴・百瀬友斗

　衣装制作指揮：八雲晴彦

　道具制作指揮：八雲晴彦

　主演：綾辻澪←マスト！　綾辻さんを輝かせる！』

　……。

　…………。

「いやちょっと待て!?」

「どったの、脚本兼演出クン」

「どうしたんだよ、脚本家兼演出家」

「役職で言うのをやめろぉぉぉぉ！」

　話し合いが白熱する中で教壇まで出てきていた八雲と伊藤が、俺の肩をぽんぽんと叩いた。

　ったくもう……一気にコメディ臭くなったじゃねぇか。その方が考えたくないことを考えずに済むけど、物には限度があるからね？

　俺は、こほん、と咳払いをしてから口を開く。

「あのだな。そもそも俺、脚本とか書いたことないんだぞ？」

「けど綾辻さんが『百瀬ならいけるはず』って言うから。ね？」

「ん。百瀬、いけるでしょ？」

「ぐぬぅ……」

　何故か綾辻まで敵に回ってるし……。目の奥にいる美緒が『兄さん、ダメ？』とねだってきていた。

　どうしてミュージカルをやる気になったのかは分からない。でも美緒に頼まれて断れるはずがなかった。

　はぁ、と自然に溜息が零れる。

「分かったよ。そこはいい。けど他の役職はもう少し考えないか？　特に伊藤は抱えすぎだろ」

「ウチのことなら心配しなくてＯＫだよ？　綾辻さんを輝かせるためなら、ウチ、なんでもやれる！」

　うっわぁ……なんて綺麗な目。

　ここまで真っ直ぐだと止める気にはなれないよなぁ……。まぁ手伝えることも多いだろうし、クラスの皆もリーダーにはならないだけでサボろうとしてるわけじゃない。そこまで心配しなくてもいいか。

「……そういうことなら、分かった。最後の最後に掘り返してすまん」

「んーんー、いいよ。百瀬くんのおかげで見えなかった問題もめっちゃ見えたし」

　ぱちぱちぱちぱち。

　まばらな拍手が起こり、いよいよ文化祭に向けて動き出すぞ、という空気が流れる。

　……いつの間にか綾辻をプッシュしまくるための企画になっていることについては、決して触れないことにした。

　◇

「なぁ美緒」

「どうしたの、兄さん？」

「よかったのか？」

　ＬＨＲを終え、俺たち二人は担任に頼まれて学級委員の仕事に励んでいた。

　仕事の内容は、一学期の間に集めた書類を返却するための整理。このくらい普段から整理しておけばいいと思うのだが、忙しくて上手くそんなことをやっている暇はなかったらしい。

　まだ昼過ぎとはいえ、もう今日は授業がない。早めの放課後を満喫するように、校舎のあちこちから部活の活発な声が聞こえる。

　二人っきりだから、綾辻はすっかり美緒に戻っていた。俺が聞けば、美緒ははてと首を傾げる。

「よかったって？」

「ミュージカルだよ。そういうの、好きじゃないんだろ？」

　プリントを仕分ける手を止めることはなく、なるほど、と彼女は呟いた。

「微妙なところかな……少なくとも綾辻澪としては、そういうのは苦手。目立つの好きじゃないし」

「だよな」

　綾辻としての答えに俺は同意する。実は裏垢で承認欲求を満たしていたという可能性もゼロではなかったが、綾辻はそういうタイプではないだおる。

　綾辻はこれまで目立つのを嫌っていたはずだ。クラスの奴らと仲良くすることにだってそれほど前向きではなかった。

　なのにどうして？

　そんな俺の問いに、でもね、と少女が答える。

「美緒はそうすると思わない？」

「え？」

「真面目な美緒なら……あんな風に期待されて、『目立ちたくないから』なんて理由で断ったりしない。ベストを尽くす」

「それは……」

「違う、かな？」

　恐る恐るといった感じで尋ねられる。それは、美緒と綾辻とのすり合わせのようだった。

　その言葉が今の俺にはとても優しくて甘いものに思える。じじじじ、と砂嵐みたいな音を立てて乖離しかけていた美緒と彼女を、改めて重ねることができるから。

「そうだな、間違ってないよ」

「……だよね」

「あぁ。美緒ならきっと、本気で文化祭に取り組む」

「うん。だから頑張るね、私」

　バグが直っていくみたいだった。二人になりかけていた綾辻と美緒が、きちんと一人になる。俺の望む美緒がちゃんとそこにいた。

「私、もっともっと私になるから」

　朔夜のような黒髪を靡かせながら、綾辻（みお）がそう告げる。

　俺は美緒を抱き締めないでいるのに精一杯で、上手く相槌を打てなかった。本当は抱き締めたい。人目を盗んでキスをしたり、匂いを嗅いだり、たくさんしたい。

　でもそれをしたら美緒が溶けていく。この一か月で、そのことを自覚してしまったから……俺は手を伸ばすのを堪えた。

「ずっとずっと傍にいてくれよ、美緒」

「言われなくてもそのつもりだよ。だって私は兄さんのものだから」

「美緒…っ」

　兄さん、と。

　そう呼ばれることの甘美さを、大河は理解しているのだろうか？　もう会えないと思っていた子に呼ばれることがどれほど幸せか。

　俺はそれを知っている。痛いほどに、知ってしまっている。だから間違えていると自覚しているのに、その間違いを正せない。

『もうやめましょうよ。『誰かの代わりになんて、誰もなれはしないんだよ』って言ってくれたのは百瀬先輩じゃないですか！』

　大河の叫びが、残響のように耳奥で鳴って責め立ててくる。歯の奥をぐっと噛んで、俺は目を瞑った。

「なら俺も脚本を頑張らなくちゃ、だな」

「オタクが文化祭のミュージカルで脚本って、痛い行為の典型だよね」

「さりげなくエグイ一言を放つのはやめてくんない？　泣くよ？　泣き喚く自信あるよ？」

「そのときは抱き締めてあげるね。本当にしょうがない兄さん」

「……あぁ」

　勿忘草みたいに笑う美緒。

　この瞬間を、絶対に忘れてやらない、と強く思う。美緒がいてくれる時間は何にも代えがたい宝物だから。

　◇

　ＳＩＤＥ：澪？

　つー、と兄さんの瞳から零れ落ちた一滴の涙。

　それは唇に触れることなく顎を伝い、首筋を流れる。一人ぼっちだから彼にすら気付いてもらえないその涙を、私は雫（・）とは決して呼ばない。

　かさ、かさ、かさ。

　紙に触れる度に軽い音が溶けていく。私と兄さんしかいない部屋は時が止まったようにも、果てしなく進み続けているようにも感じられる。

　兄さんに何かがあったことは、もう分かってる。

　先週あたりからだ。兄さんは罪悪感を抱えた顔をするようになった。ううん、きっと本当はずっと前から。罪悪感ばかりを抱えて、兄さんは生きている。

「……美緒？」

「へ？　えと…兄さん、どうかした？」

「いや、それはこっちの台詞っていうか……ずっと見てきてるから、気になったんだよ」

　ああなるほど、と私は苦笑する。

「女子みたいなこと言うね」

「そこまで視線に敏感ってわけじゃないよ。ただ、視線が合うことが多かったから」

「じゃあ……兄さんも私のこと見てたんだ？」

「まぁ、な」

　兄さんは肩を竦め、くすりと笑う。

　その笑顔は哀を包み隠す仮面だ。

「兄さんはしょうがないなぁ。私のこと、本当に好きでしょうがないんだね」

「…っ、当たり前だろ、そんなの」

「だと嬉しいな」

　私はいま、兄さんに寄り添えているだろうか？　兄さんの屈託の何割かを貰ってあげられているだろうか？

　まだ足りない。

　まだ私は私のままだ。

　美緒になりきれていない。

　ふとした拍子に見える落胆の色は、私が澪（わたし）なんかに成り下がっている証だ。

　だから――。

「兄さん」

　演じるのではなく、成り代わる。

　百瀬美緒に手を伸ばすのだ。