3章#31 看病

 看病なんて、何年振りだろうか。

 父さんが床に臥せったことはない。軽い風邪程度なら薬を飲んで仕事に行くし、重めの流行り病なら病院に行って診てもらった後、自分の部屋でできる仕事をする。父さんはそういう人だった。


 だから俺の記憶に残っているとすれば、それは美緒を看病したときのこと。

 小学四年の冬、インフルエンザが流行っていたときに美緒が案の定インフルエンザに罹ったのを覚えている。

 美緒は体が弱い方だったから、ワクチンを打ったのに凄く苦しそうで。

 一生懸命手伝って、寝苦しそうなときには手を握って、ベッドの横で居眠りをしちゃって後で怒られたりもしたっけ。


 その前にも何度も看病はしているわけだが、よく考えたらそのときには母さんがいたわけで。

 いざこうして看病しようってなると、何が必要なのかが意外と分からないことに今更ながら気付いた。


「こんなことなら雫に声かければよかったか……?」


 大河の家と学校の間にあるスーパーにて。

 空っぽの買い物カゴと睨めっこしながら俺は呟いた。

 いいや、もちろん雫に声をかけなかったのは正しい判断だ。雫なら絶対自分も行くって言いだして聞かない。その結果大河の家に行くのが遅れたら本末転倒だろう。


 大河がもっと緩い奴だったなら、と思う。

 でももしそうだったら風邪だってことに気付いてもいない。結局、この状況の中で上手いことやる以外に道はないのだ。


「飯は……うーん。レトルトか?」


 惣菜や弁当を買って行っても、風邪のときには食べにくい気がする。

 かといってレトルトのお粥と買っていくのもなぁ……前に試しに買ってみたとき、微妙な味だったことが頭をよぎる。お粥なんてどれも同じなのかもしれないが、なるべくきちんと食べてほしい。体調悪いときに作ってもらうご飯が美味しいとそれだけで元気が出てくるもんな。


「具材だけ買って、雫に教えてもらうか」


 家に着いてしまった後なら雫も大人しくアドバイザーに回ってくれるはずだし。

 俺は適当に食材をカゴに入れ、他のコーナーに向かう。


 食事以外だと……あとは何だ?

 冷却シートは、うん。とりあえず多めに買っておこう。余ったらうちに持ち替えればいいしな。

 そうだ。汗を拭けるタオルとかを持っていくといいかもしれん。大河の家に何があるか分からんし、勝手に家を漁るのも気が引けるからな。


 風邪薬も買っておいた方がいいかもしれない。大河の家にあればそれでいいが、切らしている可能性も捨てきれないし。

 薬のために飲み物も買っていくべきだな。ポカリとアクエリアスって、どっちが病人向けなんだっけ……と、ああ。ポカリか。じゃあそっちを買っていこう。


 ついでにマスクと消毒液。大河が心配にならないよう配慮しなければ。


 それと……あ、そうだ。

 ゼリーも買って行こう。あいつ、この前美味そうに食ってたし。ゼリーなら食べやすいだろうしな。


「こんなもんか」


 我ながら延々と考えまくってしまったが、これで一通り必要なものは揃ったと思う。もしも足りないようなら、そのときはそのときだ。


「次のお客様、どうぞ~」


 思いのほか色々入ったカゴを持って、俺は会計に向かった。



 ◇



 ――ぴんぽーん


 大河の家まで到着した俺は、呼び鈴を鳴らした。

 だがRINEの返信すらままならない大河が出てこられるはずがない。当然のように待ちぼうけをくらった俺は、どうしたもんかな、と自分の浅慮を呪う。


 こんなことなら鍵だけでも開けてくれるように頼んでおけばよかったかもしれない。

 けどなぁ……あのときの大河は、絶対俺が何を言ってるか分かってなかったし、しょうがないだろう。


 問題はどうやって家に入るか、だな。

 窓を割って入るわけにもいかないし、ピッキングとかできるわけもないし。


 どうしたもんかと思いつつ扉のノブに触れて、あれ? と思う。

 思っていたより抵抗がなかった気が……。


「って、開いてるし」


 どうして最初に確認しなかったんだという話だが、考えてみてほしい。一人暮らしの女子高生の家が施錠されていないだなんて誰か思うだろうか?


 確かにこの辺は都会と呼べるほど都会じゃない。閑静な住宅街だから、ばりばりの歓楽街よりは治安がいいだろう。けど鍵を開けっぱなしってのはどうなんだ……?

 と、思うところはあるが、開いてなければその時点で詰んでいたのでよしとしよう。


「お邪魔しまーす」


 そう口にしながらドアを開けて――息を止まった。

 だって。

 玄関に、大河が倒れていたのだ。それはもう息苦しそうな顔で、痛ましく蹲っている。


 大河の姿が美緒と重なる。

 また…また、俺の前から……っ!! 俺はぐっと拳を握り、大河に駆け寄った。


「大河、大丈夫か……ッ」

「けほ、ごほっ。はぁ、はぁ」


 俺の呼びかけに応じているのかは分からない。

 じっとりと汗ばんだ大河は、壁に寄り掛かって肩で息をしている。酷い風邪のときに出るような嫌な咳をしているのが余計に不安になった。


「すまん。嫌なら後で恨んでくれ」

「……けほ?」


 大河の膝裏と首のあたりに手を回し、よっと持ち上げる。

 いわゆるお姫様抱っこの状態。

 どうせならもっとラブコメっぽいシチュエーションがよかったよな、なんてくだらないジョークを言いたいけれど。

 不謹慎だと叱ってくれるであろう大河にはそんな余裕はない。だから口を噤む。


「部屋、どこだ?」


 大河に聞いているのか、それとも独り言なのか。

 自分でも分からなくなっている。が、大河は答えられる状況ではないので、結果的に独り言にしかならなかった。


 幾つかの部屋を覗き、ようやく大河の部屋らしき場所を見つける。

 というかここ以外にベッドがなかった。古民家風なのにベッドなのかと意外に思うが、今はどうだっていい。


 大河をベッドに寝かせて布団をかぶせた。

 暑苦しそうに大河が唸る。そりゃ暑いよな。ここまで運んでくるときにちょっと触れただけでも、体温の高さは嫌と言うほど分かった。


「とりあえず冷却シート貼っとくか」


 玄関に置きっぱなしにしていた荷物を取ってきて、その中から冷却シートを取り出す。


「ん…? なに……?」

「ごめんな。ちょっと触るぞ」


 一方通行のやり取りにもだいぶ慣れてきた。大河の前髪を上げておでこを露出させてから、手元のハンカチで汗を拭う。

 うっわ……。

 汗はすごいし、おでこはめちゃくちゃ熱い。体育の後のような汗臭さに頭がクラクラしそうだ。


「冷たくなるぞ。最初はひやっとするけど我慢しろな」

「ん……っ?」


 冷却シートが触れたことは分かるらしい。

 しゅぅ、と大河が強く目を瞑った。僅かに身じろぐ彼女を押さえて、ズレないようにきっちりシートを貼る。


「んん……」

「ふぅ」


 とりあえずはこれでいいか。

 時刻は3時。食事の時間としては微妙だが、大河の様子を見るに今朝から食ってない可能性もある。色々と看病する前にまず食えそうなものを用意した方がよかろう。


「台所借りるからな」


 やっぱり返答はない。

 はぁ、はぁ、と唸るように息をしている大河を見るほどに、美緒を失った日に引き戻されそうになる。逆行する時計の針をなんとか留めて、俺は台所へ向かった。

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