3章#12 意味不明です!
人が誰かの代わりになるのはとても難しい。
容姿がよく似た綾辻も、同じく庇護の対象である雫も、美緒と近いようで遠い。二人を美緒の代わりたらしめているのは、俺の思い込みだ。
包み隠さずに言うのならば、俺はもうとっくに壊れているのだろう。
でも、それがどうした?
美緒のいない世界で、正気でいなきゃいけない理由がどこにある? 美緒がいない時点で、この世界はとっくのとうに壊れているはずなんだ。
「まず、端的に結論から述べておく」
「…………」
「いま、俺は二股をかけている。もちろん相手は雫とあや…美緒だ」
入江妹は、俺の告白に対してぴくりと眉を動かすだけだった。体育祭の借り物競争での出来事を見て、おおよそ察していたのだろう。
何か言いたげな様子を見せるものの、きゅっと口を噤んでいる。俺の話を最後まで聞いてから口を挟むつもりらしかった。
「まず美緒のことだな。美緒は俺の初恋だ。一番好きな人だし、俺も美緒にとっての一番だと思ってる。この前提が崩れるのは想像したくないな」
「…………」
「俺たちは同じ中学校出身なんだが、お互いに好きだって言うのを躊躇ってたんだろうな。中学の頃、俺たちはセフレをやってた」
「せふっ!?」
けふけふ、と入江妹が咳き込む。
「大丈夫か……? ほら、水飲めよ」
「っ、ご心配は無用です! 話を続けてください」
「そうか? まあ、了解」
一応水の入ったコップを渡すと、入江妹は涙目になりながら呷った。喉が必死に動くのをぼーっと眺め、ハンバーグを咀嚼する。
入江妹が落ち着くのを待ってから俺は話を再開した。
「高校に入学してもその関係は続いてたんだが……今年、ちょっとした変化が起きた。それが親の再婚だ」
「……?」
「俺の父親の再婚相手が二人の母親だったんだよ」
「っ!?」
「俺たちは今、同居してる。両親は仕事で帰ってこないことが多いから、三人で暮らしてるようなもんだな」
入江妹の反応がいちいち面白い。目を白黒させたり、声が出ないように口を押さえたり……見ていて飽きない。
それでな、と言って俺は話を続ける。
「そこで小学校の頃からの付き合いだった雫が、美緒の妹だったと知ったわけだ。ほら、二人とも全然似てないだろ? だから同じ苗字でも姉妹だとは思ってなかったんだよ」
「…………」
「と、ここまでが前置き。……で、話は雫たちが合宿に行った日に飛ぶ」
雫の告白については話すまでもないだろう。ならば次の話すのはあの晩のこと。
「あの晩、俺と美緒は付き合い始めた。但し、俺たちの関係は秘密にする、って約束をした。この理由は話さない。話しても理解できないだろうし、妹子に聞かせたくもないからな」
「…っ」
「俺たちは秘密の恋人になったわけだが……その後、俺は迷った。雫になんて答えるべきか、ってな」
「…………」
「もちろん、美緒との関係を考えるなら『振る』一択だ。でも、美緒が言ってきたんだ。自分が秘密の恋人にしかなれない分、雫を周囲に公認の恋人にしてもいい、ってな」
「は?」
言っていて、意味が分かりにくいな、と反省する。一度水を口に含んで落ち着き、俺はなんとか分かりやすくなるように言い直した。
「つまり、雫と付き合っていい、って言ったんだ。自分は周囲に秘密の、だけど一番大切な恋人になれればいいから、って」
「……っ」
「――とはいえ、その提案を呑むつもりはなかった。そういう関係が間違ってることは分かってるし、雫を巻き込みたくもなかったからな」
「…………」
「だから最終的には振るつもりだった。体育祭の朝、妹子に伝えたのは本心だよ」
真実、あの瞬間までは美緒と二人で堕ちるつもりだった。
しかし――雫の行動が、より深いところにある本心を呼び起こした。
「雫に借り物競争で呼ばれて、キスをされた。あの瞬間に気が変わった。雫とも美緒とも付き合う。これが最適解だ、と気付いたんだ」
「…………」
「全校生徒の前でキスをした以上、俺と雫は公認のカップルになるわけだ。美緒とするみたいに、こそこそ隠れた付き合いをしなくていい。嫉妬されて、からかわれて、噂されて……そういうのも、誰かと付き合う醍醐味だろ?」
それに、と俺は付け加える。
「俺と雫が周囲に認められるほど、俺と美緒の関係は疑われない。スケープゴートにもぴったりなわけだ」
「…………」
「雫も、なんとなく俺たちの関係に気付いてたんだろうな。自分をそういう彼女として推してきた。見せつけてください、見せびらかしてください、って」
これは完全なる俺の推測。でも間違いではないだろう。雫は俺と綾辻が深い仲にあると考え、そのうえで俺たちが関係を秘密にしようとしていると気付いた。
だから――それを逆手にとって借り物競争でキスをした。
自分が二番目だけど公認の彼女になれる、とアピールしてきたのだ。
「美緒も、雫と公認の恋人として付き合うことに同意してくれた。だから俺は二股をかけているけど、内緒にしているわけじゃない。半同意の二股だ」
話は終わりだと告げる俺。
こうして状況を整理すると、なかなか壮絶な二か月を過ごしている。
僅かな沈黙の後、入江妹は満を持して言った。
「意味不明です! どうしてそうなるんですか!?」
「それなぁ。俺もこの展開は想像してなかった」
「っていうか、なんで平気な顔して私に話してるんですか!? 私、あれだけ詰め寄りましたよねっ!? どうしてそんな私に躊躇なく話せるんですかっ?」
「いや、もう入江妹くらいしか俺を叱ってくれる人がいない気がしてな」
「…っ、最低ですッ!」
入江妹は握っていたコップの水を俺にかけようとする。が、つい先ほど飲み干してしまったから、俺が濡れることはない。
悔しそうに唇を噛んだ彼女は、刀を振るうかの如く俺を睨みつける。
「だいたい、せふ…セフレってなんなんですか!? 中学生だったんですよね?」
「分かる分かる」
「分かる分かる、じゃありませんっ!」
入江妹の怒りは爆発寸前だった。というか、気持ちをぶつける先さえあれば既に爆発していたことだろう。
しかし、入江妹の根っこはものすごく真面目。テーブルを叩いたり大声を出したりすれば店に迷惑がかかると考え、思いとどまっているのだ。
「というか、雫ちゃんも綾辻先輩も、何を考えてるんですか? 意味が分かりません。狂気としか思えないですよ」
「ほんとそれな。俺のどこがいいと思う?」
「~~っ! 私に聞かないでください! 知りませんから!」
結果、入江妹の怒りは顔色に現れた。ストロベリームーンみたいに真っ赤な顔だった。いや、6月の満月だからって赤くなるわけじゃないんだけど。
「まあ実際、俺が悪に染まるしかないと思わないか?」
「何を言ってるんですか?」
「雫は今のままで満足してる。俺と美緒にとっても今がベスト、どころか安全でもある。だったら俺が二股男の烙印を押されてでも――」
「そういう話ですかこれ!? こんなの、絶対にすぐ限界になります。雫ちゃんも綾辻先輩も、どこかで絶対に爆発しますよ!」
「む…やっぱりか?」
「当たり前です! 正気ですかっ?」
戦々恐々とした表情で言う入江妹。
もちろん正気だ。ただ一つ訂正するとすれば、『俺が悪に染まるしか』なんて大層な考えを持っていないことだろうか。
「よく考えてみろ。さっきも言ったが、俺たちは一応義理の家族なんだ。将来的に雫と結婚して、美緒と裏で付き合い続ける、ってこともやりやすい」
「何がどうやりやすいんですかっ!? ……というか、おかしいですよ、
「さあな。どうもしてないつもりだぞ」
俺がおざなりに言い返すと、入江妹は渋い顔をした。
水を足してきます、と言って入江妹は席を立つ。コップに水を注いで戻ってきた彼女は、僅かにクールダウンしていた。
「百瀬先輩、一つだけ聞かせてください」
「ん? なんだ?」
「どうして……私にここまで話すんですか? さっきも言いましたけど、私は最初、百瀬先輩が三股を狙っていると思っていました。だからこそ詰め寄ったんですよ。それなのに、どうして私に嘘をつかないんですか?」
真剣なトーンの言葉。その問いへの答えは決まっていた。
「
「なっ!?」
「大河は雫のこと、大切だと思うんだろ? ならこれからも俺を叱ってくれ。そうしないとバランスがとれなくなって、雫を泣かせるかもしれないからな」
「…っ、この最低男ッ!」
大河は力強く俺を罵った。
その睥睨が、チリチリと焦げ付いた記憶と重なる。ああそうだ。美緒もよく、こうして俺を叱ってくれた。俺が悪いことやズルいことをしたとき、絶対に見逃さなかったんだ。
だから――大河にも美緒になってもらう。
秘密の恋人としての美緒。
公認の恋人としての美緒。
俺を叱る妹としての美緒。
人は誰かの代わりになりえない。だからこそ重ねて掛け合わせる。一途を三つ重ねれば、三途の川を渡れるはずなのだ。
まるで望月の如く、欠けているところの見つからないパーフェクトなプラン。
このプランを進めると決めたのは、雫にキスをされたときだ。雫が進むなら、俺だって自分の望みのために妥協せず進むべき。そう考えたのである。
と、そこまで話したところで手元の料理を食べ終えた。大河の方はまだ3分の1くらい残っている。とはいえ、これ以上話すつもりがなさそうな大河の態度を見る限り、すぐに食べ終わってしまうだろう。
「悪い、ちょっとお手洗いに行ってくる。食っててくれ」
「……言われなくても、そうします」
話しながら空っぽになったプレートをテーブルの隅に寄せて、俺は席を立った。
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