2章#33 私だけだって言ってたのに

 SIDE:友斗


「なぁなぁどういうことだよ! お前はマネージャーじゃなかったのかっ?」

「この裏切り者めっ! 一緒に八雲のクソ野郎を呪おうって約束した仲じゃないか!」

「ええい、うるさい! そもそもマネージャーじゃねぇよ!」

「俺を呪おうと約束したってのも嘘だよなッ?! なぁ友斗ッ!」


 体育祭ももうすぐ終わる。

 最後の競技である選抜リレーに向かおうをと思っていたら、クラスの男子共がうじゃうじゃ待ち受けていた。何となく予感はしていたが、まさかここまで大量に集まっているとはな。


 とはいえ、男子たちの気持ちも分かる。

 先ほど行われた借り物競争。

 例年大喜利大会の様相を呈しているこの競技で雫が引いたお題は『大切な人』だった。雫は真っ先に俺の手を引き、全校生徒の前で俺を『大切な人』だと明言した……だけではない。


 問題はその後だった。盛り上がった空気を煽り立てるように後夜祭の話をし、公開告白じみたことまでして……最後には、戸惑う俺にキスをしたのだ。

 あのときの雫は、息を呑むほどに女だった。正しくは、悪い女だろうか?


 綾辻にされたキスを思い出す。

 雫のキスも、あれによく似ていた。気持ちよくて、理解不能で、そこはかとなく間違いの味がした。


 雫が何を考えているのか分からない。あの行動は、俺が知る雫からはかけ離れたものだ。『3分の2の縁結ぶ伝説』をしてきたり、後夜祭を一緒に過ごしてほしいと頼んできたり、誘われていると感じるときはもちろんあった。


 けど、だからといって、こんな風に外堀を埋めてくるような子だっただろうか?

 強引に攻めてくる、悪い子だったか?


 ……なんて、今考えたところで答えは出ない。雫とは後夜祭で会うのだ。そのときに話を聞くしかないだろう。

 今は普通ぶっていればいい。そういうのは得意だ。


「と、まぁ冗談はさておき」

「おっと今の皆のシャウトを冗談で片付けるのはよくないと思うぞ。少なくとも八雲を呪う気持ちは本物だから」

「「「そーだそーだ」」」

「珍しく話をまとめようとしている俺にその仕打ちは酷くない?!」


 どっと内輪ノリに満ちた笑いが起こる。

 あんまり時間もないので、何か言いたげな八雲に話の主導権を譲る。


「んんっ。色々と思うところはあるけど、俺たちはお前を応援しに来たんだよ」

「それこそ冗談だろ……」

「いやこれはほんとだって」


 それにしてはやたらと敵意むき出しじゃん? それに俺なんかを応援ってのも、なんというか……。

 微妙に口ごもっていると、クラスメイトがこくこくと頷いているのが視界に入った。


「……マジで?」

「マジだよ。だってこのリレーで勝敗決まるんだぜ。しかも友斗、なんだかんだアンカー任されたんだろ?」

「ま、まぁな」


 選抜リレーは学年混合で行われる。なかなか練習時間を取れない俺のことを知った三年生がバトンを受け取るだけでいいアンカーに俺を置いてくれたのだ。しかも練習しやすいよう、俺にバトンを渡すのもうちのクラスの女子になっている。おかげで必要な練習は半分になったので、マジで先輩様様だ。


「つーわけで、俺たちの運命は友斗に託した! もし負けたら友斗の奢りで焼肉食いに行くからな!」

「俺の負けを期待してる奴がいるように見えるのは気のせいだよねそうだよね?」


 ぶーぶーとブーイングを食らいながら、俺は入場門に急いだ。



 ◇



「位置について~、よーい」


 パン、と甲高いピストルの音が鳴った。

 その瞬間、第一走を務める選手がスタートダッシュを切る。かさかさ、と砂を蹴る音が聞こえた。


 どっ、と歓声が押し寄せてくる。

 空は茜色に染まり、西日がギラギラと熱い。いつもなら授業が終わって帰るくらいの時間なのに、まだまだ誰もが元気たっぷりのようだ。


 自分の番を待ちながら、先ほどの八雲たちとのやり取りを思い出す。

 あんな風にクラスメイトと友達のようになれたのは初めてだった。

 ううん、違う。

 美緒が死んで以来、と言うべきだな。


 俺はその変化を、どう感じてるんだろうか。目を瞑って考えてみるけれど、感情の実態を上手く掴めない。

 ただあるのは、悪徳の奔流だけ。

 再び渇き始めた唇を指の腹でなぞり、ほぅ、と溜息を吐いた。


「百瀬、大丈夫?」

「え? ああ、綾辻か」


 声が聞こえて振り向けば、そこには綾辻がいる。

 ……え?


「なんで綾辻がここにいるんだ? リレーの選手じゃなかったよな?」

「言ってなかった? 女子のリレーの子が怪我しちゃったの。それで、補欠の私にお呼びがかかったってわけ」

「なるほど……って、あれ? ってことは綾辻が俺にバトンパスするってことだよな?」

「そうだね」

「もうちょっと早く言うべきじゃね!?」


 今初めて聞いたんですけど?

 俺がツッコミを入れると、綾辻はむくっと小さく頬を膨らませた。


「誰かさんがにデレデレしてるせいでしょ」

「っ……美緒?」

「兄さん、彼女は私だけだって言ってたのに」


 走者へと送られる応援に紛れて、綾辻は密やかに美緒へと戻った。ぼしょぼしょと拗ねた口調をする彼女だけれども、俺を責めているようには感じられない。


「……俺だって驚いた。雫があんな風にするなんて、思わなかったんだよ」

「じゃあ、今朝言ってたことは変わらない?」

「それは……」


 即答はできなかった。美緒に問われているにもかかわらず、だ。

 雫を穢せないし、間違いに巻き込めない。俺はそう考えて、雫の告白を断ることにしたはずだった。だが雫は自ずから穢れた。全校生徒の前で繰り広げた盛大な過ちを、果たしてなかったことにできるのだろうか?


「ねぇ兄さん……私は、秘密の彼女でもいいよ。私は兄さんと結婚できないし、子供も産んであげられない。だから兄さんと結婚して子供を産んでくれるような誰かと彼女になったって、いいの」

「…っ」

「そろそろ私の番だから行くね。……兄さんも、頑張って」


 軽く屈伸をすると、美緒はテイクオーバーゾーンの中に入った。

 すぅ、と深呼吸。刹那、美緒が遠くなっていくように錯覚した。バトンを受け取る姿勢に変わり、前走者がやってくるのを待つ。


 綺麗だ、と思わず呟きそうになった。グラウンドの砂を蹴る音が大きくなり、やがて赤色のバトンが美緒に渡る……ッ!


 ――疾風迅雷


 いつだったか俺は、彼女が走る姿をそう形容した。目を離せば次の瞬間には稲妻の如く彼方へ駆け、もう一生届かないところまで行ってしまうんじゃないか、とさえ思えてくる。

 白組の方がリードしていたはずなのに、気付けばほとんど差がなくなっていた。

 遠のいていた美緒がテイクオーバーゾーンに帰ってくる。その姿を捉えた俺は、もう振り返るのをやめ、両足に力をこめた。


 美緒とはバトンパスの練習をしていないから、どのタイミングでリードを取ればいいのかも計算できてない。

 けれども分かった。

 ここだ、というタイミングで地面を蹴る。澪を気遣うことはせず、自分のペースで加速していく。テイクオーバーゾーンのギリギリで最高速度を出すことだけを考えて――


「行ってッ」


 全力疾走を終えた美緒のバトンを受け取った。

 本当にギリギリだったけど反則の旗は上がっていない。バトンパスのおかげで白との差もほぼゼロになった。


 後は走るだけ。

 いけ、いけ、行け……ッ。


 屈託を超えて、停滞を切り裂いて、世界さえ置き去りにして。

 心の奥の奥、奇麗な世界にたどり着けるように。


 ――パンっ!


 そして。

 体育祭の決着を報せるガンショットが、ズルい自分を撃ち殺したのだった。

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