2章#31 傷つかないでください
SIDE:大河
「モモ先輩……一つ、聞いてもいいですか?」
二人三脚を終え、百瀬先輩が返ってきた。
二人三脚の結果は、百瀬先輩と綾辻先輩の圧勝。一心同体を体現したような阿吽の呼吸は、今朝の出来事を私に思い出させた。
ついさっき三年生の先輩やクラスメイトに囲まれていたせいか、百瀬先輩の髪は少しぼさぼさだった。ハチマキの位置もズレていて、いつもなら『だらしないですね』とでも笑ったことだろう。
今の私にはそんな余裕はなかった。
心臓がどうしようもなく冷えている。なのに、奥底で激情が燃えている。
「トラブルでも起きたか?」
「いえ。そっちの話ではないです」
私が言うと、百瀬先輩は怪訝に眉をひそめた。どうして今のタイミングで? そう言いたげな表情だ。
「今そっちの話を聞かれても答えられることはないぞ。安心してくれ。今日の後夜祭で答えを出す」
「答えられることがないかどうかを決めるのは、私の質問を聞いてからにしてください。それともモモ先輩は私が何を言おうとしているのか分かるんですか?」
声に怒気が乗ってしまったことを自覚し、唇を噛む。
けれど、前のめりになる自分を抑えられなかった。百瀬先輩は困ったように苦笑し、分かったよ、と肩を竦める。
「妹子がそこまで言うなら、少し話をするか。……なぁ悪い。ちょっと俺と入江は用事ができたから出てくる」
幸いにも、二人三脚の次の競技で午前の部は終わりだ。
本部にいた生徒会の人に声をかけてから、私と百瀬先輩はその場を後にした。
人に聞かれていい話だとは思えないし、当然だろう。じゃあ第三者の私はなんなのか、という話だけど。
ずんずんと進み、一度校舎に入り。
私たちはすぐ近くの教室に足を踏み入れた。当然のように誰もいないけれど、黒板には『体育祭勝つぞ』と大きく書かれている。
それで、と先輩が振り向いた。
「聞きたいことって……なんだ?」
そう口にする百瀬先輩は、私を真っ直ぐ見ているはずだった。でも、私を見てくれている気がしない。
幽霊にでもなったような気分になる。
なんて、益体のない考えを振り払い、早々に本題に入った。
「私が聞きたいのは雫ちゃんのお姉さんのことです」
百瀬先輩は首を傾げた。
訳が分からなそう……というか本当によく分からないのだろう。雫ちゃんのお姉さんと私はほとんど繋がりがないし、三股疑惑を口にした日以外には雫ちゃんのお姉さんについて話したこともなかった。
唐突にどうしたんだ?
そんな風に感じているのかもしれない。
私だって今日までずっと考えてこなかった。何だかんだ百瀬先輩と雫ちゃんが結ばれて、私はたまに雫ちゃんから愚痴を聞く。
そういう程度の『守る』で済む、と。暢気にも考えていたから。
「モモ先輩は――雫ちゃんのお姉さんと付き合っているんですか?」
淡い口づけを思い出しながら、私は言った。
「綾辻と俺が? 前も言っただろ。俺が綾辻に好かれるような男だと思うか?」
「そのときに私も言いましたよ。恋はつり合うか否かで決まるものではない、と」
「…………」
「第一、雫ちゃんはモモ先輩に好意を抱いています。お姉さんと遜色ない容姿の雫ちゃんが、です。これが何よりの証拠じゃないですか」
どうして、と百瀬先輩が返してくる。
「どうしてそう思うんだよ。二人三脚をしてたからか? けど別にあの競技はカップルがやらなきゃいけないなんてルールはないぞ。体が触れ合うのは事実だけど、それだけでコロッと惚れてラブコメになるほど世の中甘くない」
「そんなことは百々承知しています。ですがモモ先輩と雫ちゃんのお姉さんは息ぴったりでした」
「息ぴったりだから恋人同士だって? そんなことあるわけないだろ。兄妹とか友達とか、そういう関係でも息が合うことはある。たまたま俺と綾辻の歩調があったのかもしれないしな」
そんなの、分かってる。
のらりくらりと交わす百瀬先輩。私は焦れったくなって、ぎゅっと拳を強く握りながら言い放つ……はずだったのに。
「今朝いたんだよな」
「……っ!?」
百瀬先輩は黒塗りのビー玉みたいな目で、私よりも先に口を開いた。
はっ、と息を呑む。半ば反射的に、吸い込んだ息ごと叫んでいた。
「っ、どういうつもりですかっ!? 私に気付いてたなら、どうしてッ?」
「別に気付いてたわけじゃない。あのタイミングで届いたRINEとか、息を切らしてた妹子とか、今の状況とか……総合して考えて、多分そうだろうな、って思っただけだ」
「……そう、ですか」
淡々と言う百瀬先輩。その口調には焦りが見られず、それどころか、何を考えているのかさえ分からない。
心なしか嬉しそうに見えるのは……勘違いのはずだ。
「どうしたら黙っててくれる?」
「別にモモ先輩を脅したいわけじゃありません。……黙っていてほしいんですか?」
「あぁ。俺と澪の関係は秘密なんだ。雫にも話すつもりはない。色々と事情があってな」
『綾辻』じゃなくて『澪』と呼んでる。今朝と同じだった。
やっぱり百瀬先輩にとって綾辻先輩は特別らしい。なのに秘密にする、というのがよく分からなかった。
「どうして秘密にする必要があるんですか? まさか、浮気を――」
「雫の告白は断るつもりだ。浮気とか、そういうことじゃない。完全に別の理由だよ」
「っ、だとしても、雫ちゃんにまで秘密にするなんておかしくないですかっ!? 雫ちゃんは……あなたのことが、好きなんですよ? お姉さんのことも大好きなんですよっ?」
放送のアナウンスが、競技の終わりを告げていた。これにて午前の部は終了。もうじき教室に置いてあるお弁当箱を取りに、各学年の生徒が戻ってくる。
タイムリミットはあと少し。
ずん、と百瀬先輩に一歩近づく。
何様のつもりかと問われたら、無様だって自覚しているよ、とでも答えるしかない。
「君には関係ないことだ。脅すつもりはないんだよな? だったらこの話は終わり。これ以上、俺から答えるつもりはない」
「待ってくださいっ! ちゃんと私の質問に――」
――答えてください。
そう告げて、踏み出せればよかった。
なのに声が出なかった。
この期に及んで、足が竦んだのだ。
ここから先に進めば、もう引き返せない。
百瀬先輩の逆鱗に触れるか、それとも心の弱い部分に土足で踏み入ってしまうか。
いずれにせよ勇気がいる。百瀬先輩に嫌われてしまうことが……怖い。
私の立場を鑑みたら、もう駄目だった。第三者でしかない私がこれ以上先に進むなんて許されない。これまでだって見逃してもらっていたようなものなのに。
「…………雫ちゃんの告白は断るんですね?」
「ああ、そのつもりだよ」
「……だったら私は雫ちゃんを守ります。大声を出してごめんなさい」
私が尻尾を巻いて逃げ出すと、百瀬先輩が哀しそうな顔をした……気がした。
でもそれは本当に一瞬の錯覚。
すぐに表情を戻し、百瀬先輩は教室を去っていく。
「雫ちゃんを、傷つけないでください。先輩が……傷つかないでください」
百瀬先輩が帰ってしまった後の独りぼっちの教室で、私はそう願うことしかできなかった。
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