2章#15 幾らでも胸を貸してあげる
途中で寄り道をして、昼過ぎに俺たちは旅館に到着した。
なかなかに風情があるこの旅館を決めたのは父さんらしい。押さえるべきところをちゃんと押さえている部分は嫌いじゃない。
大部屋に案内された俺たちは荷物を起き、少し遅めの昼食を摂った。
昼食のメニューは和食。
高級そうな緑茶があったこともあり、綾辻はかなりご満悦な様子だった。お茶はまだあるとのことで、今もおかわりをズズっと啜り、ほどけるような笑顔を見せている。
水あめみたいにびよーんと延ばされているんじゃないかと錯覚するくらい、時間の進みがゆっくりでまったりだ。
けれど、昼寝をするのは勿体ない。何しろ折角の家族旅行だから。
そんなわけで俺たち五人は今、
「ほら次は雫の番よ。頑張って」
「うーん……えっと、どうしよう……」
「雫ちゃん。ゆっくりでいいからね」
「雫、ファイト!」
「……なぁ――俺たち、どうして旅行先でボドゲやってんの⁉」
ボードゲームをしていた。
手元のイラストカードを睨みながら言うと、うんうん唸っていた雫が呆れたように溜息をついた。
「何を言ってるんですか、先輩。旅行先でトランプみたいなゲームをやるのは常識ですよ?」
「それは修学旅行とかの話だろ⁉ 家族旅行先でボドゲとか聞いたことねぇよ! しかもがっつり頭を使う系!」
「あら、嫌だった? このゲーム、うちの職場だと結構人気なのよ」
「いや面白いですけどぉ……」
義母さんが紹介してくれたボードゲームは、そっち系の知識に乏しい俺でも聞いたことがあるものだった。
でもね、よく冷静になって考えてほしいのだ。
車の中で『あぁ、これは家族旅行なんだ』的な感じでしみじみと思っていたのに、到着してやることがボードゲームっていうのは流石に複雑すぎない?
んー、と伸びをしながら口を開いたのは綾辻だった。
「百瀬の言ってること、分からなくはないなぁ。折角ここまで来たのに、旅行してるって感じはないかも」
「だろ? よかった、綾辻がツッコミ役のままでいてくれて」
うんうんと二人で頷き合う。
それを見た雫は、むむむ、と顎に手を添えて考え出した。
「お姉ちゃんに言われると、確かにそんな気がしてこなくもないような……」
でもでもっ!と元気よく雫が続ける。
「じゃあ他にどんなことをするんですかね? 枕投げとかですか?」
「それこそ修学旅行だろ……」
苦笑交じりに答えつつ、どうしたものかと思考を巡らす。
もう少し家族旅行らしいこと……出先でしかできなさそうなこと……。
あっ、と何か閃いたような声を上げたのは雫だった。
「そういうことなら卓球やりましょうよ、卓球! 温泉旅館ならお決まりですよね!」
「あー、確かに。そういやここにもあったな」
「ですよねっ!」
ふふーん、と雫がどや顔で胸を張る。
人間不思議なもので、幾ら名案だと思っても、そうやってどや顔をされると褒めたくなくなるんだよな。
ひらひらとテキトーに雫を流し、代わりに他の三人を見遣った。
「じゃあ卓球しに行く? 汗流してから温泉ってのも健全な気がするし」
「それもそっか……私、行く。なんか部屋にいると怠けちゃいそうだし」
「ごめんなさいね、私たちはパスで」
「卓球なんてして腰を痛めたらいよいよヤバいもんなぁ……」
義母さんと父さんのせいで、自然と笑みに苦みが混じった。濃い目のブラックコーヒーに苦虫を漬け込んだ気分。
ここまで連れてきてくれただけでも嬉しいし、ぜひとも二人には温泉に浸かって休んでほしいものだ。
「そっか、残念。なら三人でいい汗流しちゃいましょっか!」
無邪気にニカっと笑う雫に、俺と綾辻は微笑み返した。
◇
旅館の卓球場的なところに移動した俺たちは、ラケットと専用の靴をレンタルした。
まだ時間が早いためか、俺たち以外には客がいない。
ソファーに座ってそれぞれ靴を履き替えていると、ふと雫とみおの格好に目が行く。
今日の雫は、実にガーリッシュな服装だった。膝のあたりまでのミニスカートとスプリングニットの組み合わせが実に可愛らしい。ツインテールも相まって、強化型『女の子』って感じがする。
一方の綾辻はと言うと、スポーツブランドのトレーナーにショートパンツという、シンプルでボーイッシュな恰好をしている。惜しげもなく露出された太腿が瑞々しい。
……と、なぜ俺がわざわざこんな風に二人の服装を解説したのかと言うと。
二人のどちらと卓球をしていても、絶対集中できない気がする、と気付いたからである。
「よっし、準備完了です。さぁやりましょう、先輩!」
「あ、あぁ……ええっと、じゃああれだ。まずは二人でやってくれよ。俺、こういうの苦手だし」
「……? 先輩って運動ダメなんでしたっけ?」
はてと雫が首を傾げる。
「別にそういうわけじゃない。ただ実は卓球とかやったことなくてな」
「へー、そうなんですか。りょーかいですっ! そういうことなら、私とお姉ちゃんで先にやりますね」
「おう。悪いな」
嘘はついてない。卓球なんてゲームでやるか、テレビで見るかしかしたことない。知ってるのは点を取ったときにいい感じの雄叫びをあげるってことくらいだ。
すぅ、と綾辻が訝しげにこちらを見てくる。
なんだ? と視線で問うと、雫にも聞こえるように綾辻が言った。
「そういうことなら、なんか賭けない?」
「おー! いいね、お姉ちゃん! なら三人でやって、一番勝った人が一番負けた人に一つお願いできるっていうのはどうですか?」
「ラノベとか漫画って、とりあえず困ったら『何でも一つお願い』的なことを言い出すよなってツッコミはこの際しないでおくとして。それ、未経験の俺が圧倒的に不利じゃないか?」
俺の指摘に、綾辻が挑発的な笑みを浮かべる。
「んー、男女の体格差を考えればそうでもないと思うけど。それとも、勝負に集中できない理由でもあるの?」
「……っ」
こ、こいつ……!
さっきからチラチラ俺が見ていたことに気付いてやがる。いや当然か。セフレだった頃、何度か目隠しプレイもしたもんな……三度目くらいから、視線に敏感になってきた、とか言ってたし。
けふん、と俺はわざとらしく咳払いをした。そして気合を入れて立ち上がる。
「まっさかぁ。そんなことあるわけないだろ? 俺が一人勝ちしたときにその約束を後々セクハラっぽく言われるのが嫌だっただけだ」
「ふぅん……?」
「そ、そういうことだから! まずは二人でやってみるんだな。その後に俺が無双してやるよ」
俺が言うと、雫も綾辻もニンマリと笑ってから卓球台に向かった。
台を挟むように立ってラケットを構える姿は、なかなかいい感じだ。こんこんとピンポン玉を台の上で何度か跳ねさせながら、ルールの確認をする。
基本は普通の卓球。細かいルールの取り締まりはせず、先に八点取った方が勝ち。
シンプルなルールだ。八点取るのが難しいのかどうかは分からん。場合によっては途中で変えればいいだろう。
「行くよ、お姉ちゃん」
「ん。幾らでも胸を貸してあげる」
「……私がお姉ちゃんに貸してあげたいくらいだけど」
「…………なんか言った?」
一気に張り詰めた空気になった。まるでスポ根漫画で主人公が最初に試合をするときみたいだ。
「絶対負けないよ。先輩にお願いを聞かせるのは私だから」
「別に百瀬にお願いを聞かせたいわけじゃないけど……今さっき言った酷いこと、後悔させるから。別に私、小さくないし」
ごくり、俺は息を呑む。
何故か唐突に高まっていくボルテージに気圧されつつ、俺は審判として勝負の開始を宣言した――。
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